おはようございますZUYAさんです
ここのところ、呑むとバタンキューが続いています(←どうやら死語のようですが...)。そしてワイフが眠る1時頃に目が覚めてゴソゴソと動き始める。私が酔い潰れて寝ているこの時間が彼女には“至福の時”のようです
しかし今日のように休日だとさほど問題ないのですが、仕事の時には困ったものです。だから余計に疲れが溜まってしまう悪循環になっています
昨夜は久しぶりの焼肉屋さんで弾けました
全てのストレスを肉で晴らしてやろうと言った勢いで食べましたよ。『ともさんかく』と『しんしん』を食べた後、さらに『上タン・上カルビ・上ロース各150g』で4,000円と言うセットを注文。年に数回しか焼肉を食べないZUYAさんにはそれが安いのかどうかよくわかりませんので、写真を載せておきますね~
おっとっと...今夜はこんな話では無く、ちょいと真面目に書いてみます
日本には直接関係がないことなので、続報があまり報道されていませんが、例の“ミネアポリスで起きた白人警官による黒人被疑者の殺害”が発端となりアメリカ全土(欧州などへも)に拡がった暴動とデモ。今年のコロナとこれらの暴動はアメリカの歴史に残るのでしょうね
長くZUYAさんのブログを読んでいる方は、ZUYAさんが“にわか時事問題語り”でないことはご存じだと思います。大学を中退したころから「人種差別」と言うものを独自に研究しています。それは日本における被差別の問題からアイヌ、黒人、アメリカン・インディアンと幅広く色々な文献を読んだり、情報を得られる所に足を運んだりしています
感心を持ったキッカケはやはり“ブルースとの邂逅”。そう皮肉にもブルースと言う音楽はアフリカから黒人が北米に連れて行かれなかったら生まれなかった音楽なのです。これは紛れもない事実です
さて今回はこのままブルースを語るのではなく、アメリカン・インディアン(今は「ネイティヴ」と言う語がありますが、便宜上使用します)の話を少々
1999年にカナダに渡ったZUYAさん。信じられないかも知れませんが、黒人音楽に魅了されたZUYAさんは、“自身も農場でこき使われて黒人たちの苦悩を体験しよう”と、ファンシーなヴァンクーバーやトロントと言った大都市ではなく大農場の多いカナダ中部のマニトバ州を選んだわけです
農場に行く前にカナダのブルース・シーンの重鎮たちと出逢ってしまい、方針転換して州都ウィニペグに住むことになったZUYAさん。トロント等と同じようにウィニペグも「人種のるつぼ」ですが、大きく違うのはネイティヴの数でしょう
アメリカ合衆国で迫害されたネイティヴの人達は合衆国内では『保留地(又は居留地 Indian reservation)』と言って居住する場所を決められたり、国境を越えてカナダに逃げたわけです。保留地によってはある年齢になると保留地に留まるのか、外の世界に行くのかを選択しないといけないと所もありますね
カナダは比較的人道的な国として知られていますが、多くのネイティヴを受け入れた結果、アメリカと同じように大きな問題となっています。要はアメリカ同様、生活支援・保障と言ったお金に関わる問題は必ずそれに対する反発が起こるものです。手っ取り早く“お金で被差別側の心を癒そうとする”からおかしなことになるとZUYAさんは思うわけです
ZUYAさんの20年以上の研究結果では
「 人が存在する限り差別は起こる」
以前にもちらっと書きましたが、人はどうしても自分と他人と比べてしまう。よく”人は人、私は私よ”なぁんて言ってる方がいますが、その時点でもう比べているのです。もちろんそれを悪いことだとは思いませんがね
そこへ宗教が余計な(多面的ではなく一方向からの)概念を付け加えたりするから、ますます話はややこしくなるわけです
※今回はかなり突っ込んで書いているので、不愉快と感じる方はこの辺でシャットダウンして下さいね
欧州の白人たちが突然アフリカ大陸の奥地にやって来て、自由奔放に自分たちの生活を営んでいた黒人たちを捕まえ全く訳の分からないままに奴隷船によって新大陸に連れて行かれる...
忘れないでくださいね。これは個人事業主が各々単独でやったわけではなく、“国家プロジェクト”として欧州の国が始めたこと です(これは重要です!)。15世紀にスぺインとポルトガルが新大陸を発見。移住・開拓を進める中で現地の人達(インディオ)を奴隷化するも急激なプランテーション化で人手が足りず、“よし!アフリカの黒人たちを連れて来よう”と始まった奴隷貿易...
スペインを始め他の欧州諸国は次に北米に進出し、南米同様にプランテーション化を始めます。そこでやはり“原住民を使って~”となり、アメリカン・インディアンたちが狙われるわけです
が
アメリカン・インディアンたちは思ったよりも強く、猛反発をします。“おっと、これではまずいぞ”と、またもやアフリカ大陸から黒人たちを連れてくるわけです
ヨーロッパと違い、広大な土地、資源にあふれる新大陸。でも元々の住民であるアメリカン・インディアンたちが厄介でなりません。そして次から次へとインチキな交渉・約束や悲惨な戦いを繰り返して、彼らから広大なアメリカの土地を奪ったわけです
話を戻しましょう
とにかくウィニペグにはとても多くのネイティヴたちが住んでいます。そして彼らを嫌う人達も多々いるわけです。それはわかります。街を歩いていても働いてもいないネイティヴ達が『小銭を持っていないか?煙草を恵んでくれないか?』と頻繁に聞かれますしね。そして彼らの多くは生活保障を受けているわけです...
音楽の世界で有名なのはロック・ギタリストのJesse Ed Davisではないですかね。古くにはLink Wrayもいますし、有名どころではThe Band のRobbie RobertsonやシンガーのLita Coolidge等々
そうそう2017年にカナダで制作・公開されて、今年の夏ようやく日本でも公開されるアメリカン・インディアンのミュージシャンの歴史を綴った映画『Rumble(邦題:ランブル 音楽界を揺るがしたインディアンたち)』
ZUYAさんはこの映画の公開を待ちに待っていました
VIDEO
映画「ランブル 音楽界を揺るがしたインディアンたち」予告編
せっかくですからジェシ・エド・デイヴィスの名盤を紹介しておきますね
ウルル
ジェシ・デイヴィス
イーストウエスト・ジャパン
ZUYAさんはカナダでPercy Tuesday、Billy Joe Greenと言う2人の素晴らしいネイティブ・ミュージシャンと出逢いました。Percyはまぁよく顔を合わせましたが、遠く離れたアジアの小国から来たZUYAさんにとても優しくしてくれました。ですから彼が6年前に72歳で亡くなった知らせを受けた時はとても悲しかった
Billy Joeは現役でバリバリです。初めて彼に会った時、彼は他のバンドに飛び入りして『Stop Breaking Down』をやったのですが、衝撃でしたね。その後機会があり何故か2人でJeff Beckバージョンの『Green Sleeves』をやりましたね~
今日のトピックの〆にふさわしい逸話ですが。同じく友人であった黒人ベース・プレイヤーのB.B.Gordon。B.B.も最高に良い人でした。亡くなる前年に会っておけたのは本当に良かったです。彼は晩年はBilly Joeのバンドでプレイしていました。ネイティヴのミュージシャンと黒人のミュージシャン。音楽に国境はないのです
全編英語ですが、彼らが映っているドキュメンタリーです。興味のある方はどうぞ~
VIDEO
Red Mans Blues - Billy Joe Green Full Length
さて今回は文面並びに表現に気を付けながら、既に4時間以上かけて書いています。エネルギーが切れて来たので、今ファミリーマートに行って燃料を買って来ました...
ええ、何とでも思って下さい。今日は休日ですから
あ~7時過ぎちゃった。家事を始めます~
Have A Good Day,Folks!