Dedicate to Her Majesty
こんばんはZUYAさんです
2022年9月8日の一番のビッグ・ニュースと言えば、エリザベス2世(通称:エリザベス女王)の崩御でしょう。もちろん他にも様々なニュースがあり、中には同じように命に関するものもあります。そしてその命の尊さ、重さに違いも差もありません。あるとしたらそれは残された側の価値観や判断であって…
数日前、家人の熱が流行病のために37~39℃台を行ったり来たりしていて、ようやく寝ついたと思った時に滅多にならない固定電話が滅多にならない時間にけたたましく鳴り響きました
“やっと寝ついたのに~!”
と赤子に手を焼く母親の気分になったような気持ちで、慌てて立ち上がって受話器を取り上げると、師匠でした…
師匠(以下、師匠):お~ZUYA、何だ、寝てたか?
ZUYA(以下、ZUYA):いや起きてましたけど。すいません、今はちょっと話せないんで、又かけ直しますよ~
(家人を起こさないように)受話器を手で覆いながら小声で話す小生は、さながら昭和のドラマの一場面のようでした
師匠:ん? 何だ、どうした?
ZUYA:いや…ちょっとワイフが...例の流行病で熱出して寝込んでまして...
師匠:んなの大丈夫だよ。うちのやつもなったからさぁ、死にはしないよ。それよりもさぁ、CDで聞きたいことがあってさぁ…
恐るべし我が師匠。って言うか、久々に(内田)裕也さん直系の音楽人の凄さを痛感しました。いやぁ俺はこっち系にはなれないなぁと
ZUYA:すいません。今夜は勘弁して下さい。またかけますんで~
とガチャリと受話器を置きました。ええ云十年前なら、力也さん系の使いが直ぐにヤキを入れに飛んで来たでしょうね、間違いなく
決して師匠を馬鹿にしているわけではありません。あの時代のミュージシャンの“骨太さ”を久々に思い知ったわけです。実は師匠に出逢って20年以上経ちますが、反発したのはこれが2度目であり、1度目は崩御されたエリザベス女王も関連して来ます。その時は、まさに一触触発でしたね~
2002年の9月。当時、MI6に所属していたZUYAさんは...(←嘘ですからね!)
日本に帰国し東京を拠点に音楽活動を始めたZUYAさん。日本の音楽業界に馴染めなくて欝々としてしまい、割の良かった某銀行での社員食堂での調理補助アルバイト(時給1,300円で朝8時から午後2時まで。賄い付き)を辞めて、再びカナダに渡りました。滞在期間は6週間
その時は基本的に師匠の家に数週間厄介になることになっていました(部屋を借りようと思っていた仲の良かったカナダ人カップルが、ZUYAさんと入れ替わりで日本に英語を教えに来てしまったので~)
ある日、エリザベス女王が街に来ると言うことで盛大なイベントが催されていて、師匠の子供達と共に会場へ行きました。大砲まで鳴り響き歓迎ムード一色。ところがまもなくいらっしゃると言う時に師匠が、“帰りは車が混むから、もう十分だ。帰るぞ!”と言い出したわけです
“え!?何しに来たんですか?”
なぁんて、ひよっこのZUYAさんには言えませんからね。エリザベス女王を観られることお楽しみにしていた師匠の当時小学生の子供達が大泣き…(ZUYAさんも、もらい泣き寸前...)
そして一緒に観るつもりで車で遅れてやって来た師匠のワイフ(イギリス人)。帰ると突っぱねる旦那に従い車を準備する。車に泣きながら乗り込む子供達に続いて、ZUYAさんも乗り込もうとしたら、“ZUYA、お前が乗ったら定員オーバーだから、タクシーかバスで家に帰ってこい!”と言われて、無情にも車のドアを閉められて走り去りました…
へ?チビッ子が2人やから、乗れるやん...なんなん昭和のミュージシャンって...
で、バスで師匠の家まで戻りましたが、当時まだ20代のZUYAさん、メラメラですよ
奥さんは、“なんでZUYAを乗せなかったの!”と激怒したらしいが、そこは裕也さん系の師匠に通じるわけなく“お前のゲストじゃない、俺のゲストだ!”と、もうメチャクチャ
奥さんはZUYAさんが家に辿り着くやいなや、“ごめんなさい”と言って来たが、俺は一言「I don't wanna talk about it any more!」と言って自分の荷物の置かれた部屋へ。もちろん烈火の如く怒った師匠「他に泊まれる所があるんだったら、出て行ったらいいんだからな!」と
ま、遠い昔そんなことがあったわけです。で、日本人らしく(差しさわりのないように)“ベース”はそこにして、他のカナダ人の友達の家にあちこち泊まりましたよ...(3度目のカナダ訪問以降はいつも同じ友達の家に~)
今も、な~んにも変わらない師匠が凄ぇ…
さてここからは少々真摯に書きましょう
先月の終わり頃に
なんて気取ったタイトルで書いたと思いますが、ZUYAさんは「死」と言うものにとても敏感に反応します。もちろんそれは人を殺めることに喜びを感じたりと言うことでは決してありません
心がダイレクトに受け取ってしまうのです。喪失感と言いいますか、簡単に言えば喪い残された人達の悲しみとでも言うのでしょうか。例え画面を通したブログでさえもね
小生の父親も80歳を越え、いつ“お迎え”が来てもおかしくないお年頃(←表現おかしくない?)。肉親を失くされたブログを覗くことは、とてもツラいのですが、“次は俺の番かも...”と言う感じて見入ってしまいます。実際、そう言うエピソードを読ませて頂いてから、ブログをフォローしたりブロ友になった方もいますからね~
つい先日、暫く更新がないなぁと思っていたシンガーの方が、久々に更新されているのに気が付いて覗いて見ると、やはりお父様を...そして今日、昼寝から目覚めてパソコンを立ち上げるとまた一人のブロガーさんの母上様を...
皆さんご存知のようにZUYAさんはスピリチュアル的なものは信じません。でも気になるのはZUYAさんは老若男女問わず気に入ったブログをフォローさせて頂いていていますが、男性で直近で身内が亡くなられた方と言うのがまだいらっしゃいません。何故なのだろう。まさかZUYAさんが第一号に...
止めましょう、こんなネガティヴな話しはね
さて「特別休暇」も4日目になります。各自治体にあるのだと思いますけど、「フォローセンター」なるものがあり定期的(1日に1回)に連絡を入れて来ます。ただこいつらも馬鹿丸出し。初回の電話で色々と問診をして来て、横で聴いていたZUYAさん、病歴を聞かれて「筋腫とその摘出」と答えた家人(ええ、女性なら答えにくいことですよね)。その後に色々質問があり終わりの方に「現在妊娠はされていますか?」と...
マニュアル通りなのか、“ガイキチ”なのかはここでは追求しないでおきましょう…
さてそのフォローセンターとの今朝のやり取りで、治りが遅いと判断されもう一度病院へ行き受診するようにと。家人の顔を見ても“お前は誰だ?”(と言う綾小路公麿師匠の十八番のセリフではなく...)と思うぐらい浮腫んでいて、辛さもピーク。しかも公共交通機関も使えない。徒歩15分ほどの病院へ再受診。で、渡されたのが解熱剤とトローチだけって...
でも隣で同じ解熱剤を処方されていた女性が、「この薬って妊娠とかには問題ないのですか?」ってスタッフに聞いていたらしい。「妊娠する予定があるので...」と訴えると、そのスタッフは「しばらく濃厚接触は控えて下さい」と言っていたらしい(家人談)...我が国・日本、大丈夫なのか~
家に戻り、家人が再び眠りに就いたのを確認して散歩(ランチ)に出掛けました。ぶっちゃけ流石に疲れが出て来ましたよ。料理は得意ですから、3度の飯炊きは特に負担ではありません。ただ「除菌」作業が実に面倒なんです。昔から部屋数が少ないのは自慢でしたが(笑)、もう一つ部屋があれば...と1日に何度も思います
そして最も厄介なのは洗濯です。幸か不幸か東京地方は曇りや雨の天気が続いていまして、暑さは避けられているのですが洗濯物が乾きません。まさかゴホゴホしている家の中には干せませんから、シーツやら何やらを一日2回分回して毎度徒歩3分のコインランドリーに持って行くのです...
スマホにて
スマホにて
昼、馴染みの蕎麦屋で誰とも話さずに、一人酒を呑みながらふと思いつきました、
「よぉ考えたら俺は陰性なのだから、職場にでも泊まり込めないのだろうか?」
って、いつからそんなに仕事に行きたいと思うようになったのだろうか...
Have A Good Night,Folks!
ご心配ありがとうございます。男らしく“引き継ぎ”ましたよ~ ✌️
と、ご夫人の快復をお祈りします。