陋巷にさまよう (野を拓く 第2部)

プアなわが道とこの世を嗤笑するブログ

血がかよう

2020-03-29 11:41:36 | Weblog
桜が満開やのに、雨から「みぞれ」になってきましたなぁ。
風も強いし、これじゃあ外出するお人なんぞおらんでしょうなぁ。
後で雪かきをせなあかんかもしれまへん。

ところで、武漢ウイルス感染拡大に伴い、このところ行政府からの「要請」が多発されておりますなぁ。
国民に向けた要請には、背景にある「事実」と、それに基づく今後の「予測・見通し」の正確な伝達が必須やが、同時に、伝える者、伝え方、について考えさせられまする。

多いのは、「原稿を読むだけ」、「理屈を並べるだけ」、「カタカナ単語を多用する」、「抽象的・あやふやで具体性がない」、「国民の疑問に正面から答えず、言いたいことだけを言う」 などなど。
つまり、血がかようておらんと感じることですわ。
言葉だけやのうて、伝える際の表情や表現も重要で、それらの全体が熱意や緊迫感として伝わるんでしょうなぁ。
説得力とはそういうもんやと思うけど、それがいずれも希薄なんですなぁ。

まぁ、「真摯に」、「丁寧に」、「先手を打って」などと、ソブリを見せるだけの単語を連発し、口先だけの空虚なことを言い、異見が帰ってくるとムキになって弁解する、そんなヤツがどこかにおるが、正に血が通うておらん典型でしょうなぁ。

血がかようておらん言葉、情義が感じられない言葉は、すぐに見透かされるんですわ。
畢竟、国民にとっての政治、国民にとっての行政とは何なのかが分かっておらんのでしょうなぁ。
役所の仕事ぶりも、どっちを向いておるのか分からんことが多いですからなぁ。
まぁ、吸血鬼だらけの永田町、寄生虫だらけの霞が関じゃあ、言うても無駄かもしれんけど、言うのを止めたら、それがヤツラの思う壺で、更に図に乗るだけやし、言い続けなあきまへん。
もっとも、ワタシの場合は、単なる愚痴や憂さ晴らしにしか過ぎんけどね。 
コメント
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