昨日した日焼けが今日になって痛い(笑)
普段日のまったく射さない工場という穴倉にいるからじゃ(汗)
でも…昨日はたっぷり日に当たれて気持ち良かったです。
さて、
人間というのはどこのラインから「自信」を持って良いものなんですかねぇ?
絵やクルマに限らずですが、何でもやればやるほどに
世の中のすごさを思い知ります。
仮に自分より下が居たとしても、すごい人は上に現れ
降り積もってくる雪がが如く自分の上の存在は増えますです。
気がつけば雪国で年初に降った雪のように
厚い層の下に押しつぶされてしまいます。
見てくれる人が居るならいいんじゃない?って言う人も居ますけど
断言します。自分程度なら他にも代わりは山ほど居ます。
むしろ代わりではなく、より良い絵描きさんを探す方が簡単です。
自分などいなくても困る人は居ません。
事実です。
居なくなっても下位選択肢の一つが消えるだけで
「あ、そう?」で終わりです。
自分より優れた人の方が圧倒的に多くて
自分より望まれて存在する人の方が完全に多い。
この状況で自信を持つことって…不可能ですよね(^^;)
でもその論理で言うと「一番の人」しかこの世界に居てはいけないし
一番の人の価値しか存在しないことにもなります。
自分においても贔屓の絵描きさんは複数人いらっしゃいます。
それに順位をつけることはできませんし、
その中の誰かの代わりは、他の贔屓の方には務まりません。
それはそれ、これはこれ。
それぞれに価値があり、他の誰かが代わりになるものではないのです。
それは自分にも当てはまる…それはないです。
思い切り甘く見て、存在理由は認めるとします。
でも存在は認めるけど、それが受け入れることと同じにはならないです。
自分が贔屓にしている絵描きさん。
並び立ちはしても、代わりがいない方々です。
自分などの存在なら代替を完璧にすることができて
より上位の存在足りうる人がたくさんいます。
そういう現実を前にして、どこに自分の自信を語る余地があるのか?…と。
よく見ている人のために胸を張れ、自信を持て!…って言う人もいます。
でも仮に全てが及びもしないという事実があるのに
「自信がある」なんて言ったら嘘つきですよね、粉飾ですよね、詐欺ですよね。
それはしてはいけないことです。
ただ見てくれる人に対して、自分の関わったものの価値を否定するなら
見てくれた事実全てを辱めることになるのも事実です。
見てくれた人の行為を「愚かな行為だ」と断ずるに等しいですから。
支援してくれた人の尊厳は守らねばならない。
でも事実に目をつぶる訳にはいかない。
「自信がある」
なんて難しい言葉なんだろうか…と思います。
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