一休さんの続編である。
詩•狂歌•書画と風狂の生活を送った人でもある。
自由奔放で、奇行が多かったらしい。
このような彼の奔放な生活は、
仏教の権威や形骸化などに対する批判と
仏教的•禅宗的には風狂の精神、
一般的な解釈では風刺の精神によるものといわれている。
戒律や形式にとらわれず、
人間臭さに満ちて、生きた人であった。
一休宗純が遺した歌
• 門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし (狂雲集)
• 釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはすかな
• 仏法はなべのさかやき石の髭 絵にかく竹のともずれの声
• 問へば言ふ問はねば言はぬ達磨どの 心のうちになにかあるべき
•心とはいかなるものを言ふならん 墨絵に書きし松風の音
• 秋風一夜百千年
( 秋風のなかあなたと共にいる。それは百年にも千年の歳月にも値するものだ。 ) ・・・なんも艶っぽいことか
•花は桜木、人は武士、柱は桧、魚は鯛、小袖 はもみじ、花はみよしの
•死にてのちいかなるものとなりぬらん めし酒だんご茶とぞなりぬる
•女をば 法の御蔵と 云うぞ 実に 釈迦も達磨も ひょいひょいと生む
最後の歌に、異論がある。
「生ませる」男も必要なのである。