12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
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もち

2007年01月06日 07時14分51秒 | Weblog

 俳句のtamanoboriさんから、お餅を頂いた。

例年、先生に差し上げるべく、杵で搗いておられたそうであるが、
昨年暮れ急逝されたので、小生のほうに回ってきたのであった。

彼は、小生より幾らか若いのであるが、そろそろ杵を振るのが苦になり始めたとのこと。

昨今は、100%近く機械搗きである、
完全無欠の仕上がりとなっている。

米粒などは、どこにも見当たらない。
均質な食感である。

人力で搗いた餅には、完全に餅と化した味から、
米の粒に近い味と食感まで、微妙な変化がある。

それが何ともいえない美味しさとなっているのである。

何十年ぶりかの、味であった。

完全無欠と言うことは、
あまり人の感性・情緒にとって良いことではないのである。

 機械と「ファジイ」な人間との,大きく異なる点なのである。

「ファジイ」について;
中央大学理工学部教授 渡邉 則生 先生の一文を引用する

「ファジィ」は「ぼやけた」という意味,このことから,

ファジィ理論における「ファジィ」は,「あいまいな」といった意味で用いられている。

ファジィ理論を日本語に訳すと「あいまい理論」ということになる。

勿論、あいまいな理論という意味ではなく,
「あいまいさを取り扱う理論」ということである。

ファジィ理論は,工学的な発想から生まれた。

従来,あいまいさというのは理論的な取り扱いから排除されていた。

従来の精密な制御方法ではなかなかうまくいかないのに,
人が行うとうまく制御できることがよくある。

そこで人のやり方を理論的に記述しようと試みることになるが,

人の制御の仕方にはあいまいさが含まれ,
あいまいさを無視することはできない。

このようなときにファジィ理論が活きてくるわけである。

以下、専門的になるので、省略。

小生は、
「あいまい(ファジイ)な餅つき機」の開発が、必要であろうと思うのであるが、いかがであろうか。