俳句のtamanoboriさんから、お餅を頂いた。
例年、先生に差し上げるべく、杵で搗いておられたそうであるが、
昨年暮れ急逝されたので、小生のほうに回ってきたのであった。
彼は、小生より幾らか若いのであるが、そろそろ杵を振るのが苦になり始めたとのこと。
昨今は、100%近く機械搗きである、
完全無欠の仕上がりとなっている。
米粒などは、どこにも見当たらない。
均質な食感である。
人力で搗いた餅には、完全に餅と化した味から、
米の粒に近い味と食感まで、微妙な変化がある。
それが何ともいえない美味しさとなっているのである。
何十年ぶりかの、味であった。
完全無欠と言うことは、
あまり人の感性・情緒にとって良いことではないのである。
機械と「ファジイ」な人間との,大きく異なる点なのである。
「ファジイ」について;
中央大学理工学部教授 渡邉 則生 先生の一文を引用する
「ファジィ」は「ぼやけた」という意味,このことから,
ファジィ理論における「ファジィ」は,「あいまいな」といった意味で用いられている。
ファジィ理論を日本語に訳すと「あいまい理論」ということになる。
勿論、あいまいな理論という意味ではなく,
「あいまいさを取り扱う理論」ということである。
ファジィ理論は,工学的な発想から生まれた。
従来,あいまいさというのは理論的な取り扱いから排除されていた。
従来の精密な制御方法ではなかなかうまくいかないのに,
人が行うとうまく制御できることがよくある。
そこで人のやり方を理論的に記述しようと試みることになるが,
人の制御の仕方にはあいまいさが含まれ,
あいまいさを無視することはできない。
このようなときにファジィ理論が活きてくるわけである。
以下、専門的になるので、省略。
小生は、
「あいまい(ファジイ)な餅つき機」の開発が、必要であろうと思うのであるが、いかがであろうか。