12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
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 繰り返し

2007年06月25日 08時46分34秒 | Weblog

細井平洲(へいしゅう)は、江戸時代の儒学者。

内村鑑三は、代表的日本人の一人として上杉鷹山を取り上げるとともに、その師、細井平洲を当代最大の学者と紹介している。

明和元年(1764)、平洲が37歳のとき米沢藩(山形県)の藩主となる当時14歳の上杉治憲(鷹山)の師として迎えられ、平洲は全力を注いで教育にあたった。

 17歳で藩主になった鷹山は、平洲の教えを実行して、人づくりを通して農業や産業を振興し、窮乏を極めていた藩財政を一代で立て直し、名君とうたわれた。

実学を重んじ、経世済民(世を治め、民の苦しみを救うこと)を目的とした彼の教えは、全国各地の大名から一般庶民まで幅広い層の心をとらえていた。

天明三年(1783)平洲が、二千四百人の庶民を相手に行った講演の聞き書きから、一節を引用する。

 「・・・生得天地の信(まこと)を請(うけ)て来たと言うは、幼子を母の懐にだひて居る。

或いは母が小便でもしに行く。その間姥(ばば)さが抱いて居ると、かかさへいくいくと泣いてやかましい。

そこで姥さがだましつ、すかしつ、かかさは今小便しにいた。今くるだまれだまれとて随分すかせどかかさかかさと泣いてだまらぬ。

そこで母が来てさてもやかましい餓鬼では有る。ちとの間もまたぬやつじゃと、一つあたまをはって懐へねじ込む、

そのように母があたまはつても、懐へねじこんでさへ母がいだけば、そのままひしとだまる。

是子というものは生得邪智も分別も無い。

只親にいだかれ、親にすがるばかりの心、親はただ何が無しに、我子が可愛可愛と思う心ばかりで余念はない。

是が天地の間に生をうけ天地よりもらひ受けたる信(まこと)の本心と言物(いうもの)。

其天地よりもらひうけたる誠の本心を失うと悪人と言物(いうもの)になる。」・・・細井平洲講釈聞書より

地位・名誉・財産のある多くの人達が、悪人というものになっている現実を毎日のように目にする。

人の世は、いつまでたっても繰り返しのようである。