台北市の地下鉄に淡水線という路線がある。その北端の終着駅「淡水」駅を降りて、徒歩8分くらいのところに「清水厳祖師廟」というのがあった。
幹事さんご夫妻が案内してくれたこじんまりした廟であるが、とても装飾に凝った芸術性の高そうな廟であった。
「清水厳祖師廟」と書いてあった。インターネットで調べてみると、この廟のご本尊「清水祖師」のこと。彼は福建省の安渓の人々の間で信じられている神様で、その地域の人々が台湾の三峡へ移住したときに、やはり守護神として祭ったものだという。
清水巌(せいすいがん)・(チンスエイェン)は、なんと次のように「台北三大祖師廟」として、三箇所もあるのでした。
1.艋舺清水巌(もうこうせいすいがん)は、台湾台北市万華区に位置する寺院。艋舺祖師廟とも。
艋舺龍山寺・大龍峒保安宮と並ぶ「台北の三大廟門」といわれる。
2.淡水祖師廟・・・小生たちはここにお参りした。こじんまりとした廟だったが、立派な造りだった。
3.三峡祖師廟・・・これが問題の、”東洋の「サグラド・ファミリア」”なのである。
惜しいところを見逃したと思っている。
補足;
”東洋の「サグラド・ファミリア」”
(三峡)清水厳祖師廟 (サンシャー)・チンスエイェンズスーミャオ 新北市 > 鶯歌・三峡 寺廟
”台北ナビ”によると; 「東方芸術の殿堂」と呼ばれるこの廟、じつは再建の1947年から現在まで未だ建設途中なのです。
スペインにあるガウディの代表作「サグラド・ファミリア」については、ご存知でしょう。信仰篤いガウディが自分の半生をかけて設計・建設を行ったこの美の聖堂はいまや、ユネスコの世界遺産にも登録されています。
しかし、ガウディの急死により、建設は一旦中止され、現在は別の当代建築家たちが、ガウディの構想を推測するという形でその建築を続行させています。
実は、台湾にも似たような廟があるのです。それが「東方芸術の殿堂」と呼ばれている廟「三峡清水厳祖師廟」です。
台北県三峡にある清水厳祖師廟は、17世紀、大陸からの移民(多くが客家人)によって創建され、この地域「三峡」の信仰の中心として、現在にわたって人々に愛され守られ続けてきました。
荘厳に聳え立つ廟ですが、実はこの廟は既に2度も損壊しています。一度目は1833年の大地震の際でした。そして第二回は、1899年、日本の統治に反対したこの地元民衆との戦いの際、日本軍の焦土作戦によって焼き払われました。
その後民衆の資金で再建を果たしたのですが、半世紀もたつと傷みが目立ってきます。そのため、1947年に大々的な修復兼再建作業が始まりました。しかし、芸術性をとことん追求するこの廟の建設は、60年以上もたった現在も未だに「建設中」。
2009年、現在130本の柱がありますが、将来的には156本になる予定。そのゆっくりと彩り鮮やかになる廟の姿に、生きている信仰を感じます。
1947年に三峡清水厳祖師廟の再建を担った人も、当時の有名な芸術家でした。名を「李樹梅」といいます。若い頃から台湾の美術界で頭角を現していた彼は、27歳の時、東京美術学校(今の日本国立東京芸術大学の前身)で写実画を研究しています。
彼は自分の作品の中でも、特に「台湾」の原風景や農村・農民の姿をよく描いており、郷土への深い愛着がみてとれます。その祖国への愛情が、郷土である三峡での清水厳祖師廟の再建運動への大きな動機となっているのです。
終戦後、無事に台湾に帰還できたのは、やはり一重にこの地の神様「清水祖師」のご加護だと、信仰心と郷土愛の強い李樹梅は、シロアリに蝕まれていたこの清水厳祖師廟の再建を計画、最高責任者となりました。
再建に当たり、彼は「新しい廟を民間芸術の殿堂とする」というポリシーを掲げ、台湾中から著名な芸術家を呼び、そして最高の材料を集めました。
当時としては高級材料だったヒノキや樟脳に彫り彩られる仏像や獅子・製作に一本1000日はかかるといわれる百数本の石柱、更に金箔で彩られた天井、国連の平和の鐘にも似た鐘楼の鐘など、この空間全てに台湾の宗教芸術の美しさが色濃く凝縮されています。