斜視が2年9ヶ月前に始まってから、安全のため車の使用を中止し、ついに1年ほど前に車を廃棄した。一段と不便になったことは明らかで外出の頻度が激減した。徒歩と自転車とバスと重い買い物のときのミニバイクが外出の手段になっている。その結果、靴と靴下の損耗が著しく増大したのが当然と言えば当然のことである。
早くから車を止めた六本木に住む友人から、車などは止めて足と公共交通機関を使用するようにとアドバイスを貰っていたのが、その通りになった。唯一の公共交通機関であるバスは地方のこととて多くても1時間に2・3本くらいしかない。早朝と夜間はタクシー以外に遠距離の外出は不可能になっているのが現状である。
ところが意外なことにあまり不便を感じないでいるのである。交通手段が無ければ無いような生活が出来るのである。最も頻度が高い食材などの日常的な買い物はリュックサックを背負い片道800m程徒歩で坂を下り最寄のスーパーマーケットで済ますことが出来ている。遠方でないと入手できない物は、休日に子供に車で買い物に付き合ってもらえる環境にあるのでたいていのことは不自由なく済ますことが出来ている。
稽古事の俳句は片道1kmくらいなので十分に徒歩圏内であり、片道7kmくらい離れたところにある水墨画教室へ晴天なら自転車で、雨天ならバスで通っていたが、最近新しく参加された男性が雨の日は車に便乗させてくれるので実に有難く感謝している。不便さを一番感じるのは、撮影の遠出が出来なくなったことで、これは小生にはかなりの痛手と言える。
免許証は次の更新時期には返納するかあるいは片目の免許証にしようかと思っていた。今年12月に予定している斜視の手術で正常な視力が戻れば免許証を残すつもりである。もし、上手く回復できない場合には、重い荷物を持って急な坂道を登るのは今後年を重ねるごとに苦しくなりそうなのでミニバイクの使用を可能にする片目の免許を残したいと思っている。
しかし、再び車を使用するつもりはない、車は非常に便利だが、無ければ無いような生活の仕方が在ることに気がついた。年も年である歳相応な生活に適応することにしようと思っている。