旧東海道五十三次ウォークのシリーズ第5回、三重県亀山市
関宿から鈴鹿市庄野宿までひとり歩きをしてきた。
三重県の降水確率が70%であることは承知の上で行ったが
さすがに終日の霧雨、小雨には疲れた。
かさもカッパもリュックの中にちゃんと用意していたが
ウォーキングに似つかわしくないと、かさは強い雨のときだけ
あとは、濡れながら終日歩き通した。
出発は午前7時21分にJR新大阪駅、2度の乗継で三重県
の関へ。途中、鈴鹿の山々が雨雲にかすんでみえるのを車
窓から見ながらせっかく来たのだから中止することなく少しで
も歩こうとスタートの関の駅頭に立った。午前9時14分。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/28/2fb4de75ddb6b0056032b7042756cfd9.jpg)
関は霧雨、夏休み最後の日曜日、多くの人が訪れると思っ
ていたが、駅前に人はまったく人がいないのに驚いた。
歩き始めるとうろうろとあたりを見渡している二人連れが目
に入った。東京から東海道を関まで歩いてきたという中年の
カップル、夫婦だろう。
”私もこれから行きますのでそこまで一緒に行きましょう”と案
内した。
こちらは、西の追分へ、その人たちは東から西へだから東の
追分へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/56/314679027e26ad90f1f68817fede23cf.jpg)
西の追分に至る新所の通りも誰も通っていない。早朝だった
からかもしれないが、映画のセットを見ているようだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/d2/7d1bb3d8d915cbad96ebcdc05f596087.jpg)
西の追分からスタート、新所の通り、メインの中町の通りを
ゆっくりと歩き、東の追分へ木崎の通りへすすむ。
地蔵院(国重要文化財)天平13年-741-行基菩薩の開創。
本堂・鐘楼・愛染堂が重要文化財に指定されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/15/ecee8df893cb70d4cfa2562126182af7.jpg)
旅館会津屋 関宿を代表する旅籠のひとつ、二階に洋風の
窓がついた洋風屋は珍しい建物だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/23/14c08dfae62bffdeb9bf642626e76c1a.jpg)
橋爪家 江戸時代の初めから両替商を営んだ豪商、道に面
して三角形の屋根があるユニークな建物。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/8c/b3f54f45c18422562038e0258884eb26.jpg)
伊藤本陣跡 関宿には伊藤、川北の二本陣があった。現在
残っているこの建物は、本陣の店部分、川北本陣は、石碑
が残るのみ、本陣の門は、近くの延命寺の山門に移築され
ている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/4b/277cab7ada2834b82f8f7421a93c948b.jpg)
鶴屋 会津屋、玉屋とともに関を代表する旅籠で江戸時代は
脇本陣もつとめた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/82/42784514a6a48f7fc80b2f6e29cc844b.jpg)
玉屋 関を代表する大旅籠のひとつ、江戸時代に建てられた
貴重な旅籠建築に当時の道具類や資料を展示、江戸時代の
旅籠を再現している。かごも展示してある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/54/99b7764ad1ce0c41b3d8d49e52deb560.jpg)
東の追分へ。実は、前回、ここまで来ていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/83/8bcdb359033b4d79795de171a223626a.jpg)
東の追分から次の亀山宿をめざしてちょうど10時30に歩き
始める。関で時間をとりすぎたが、12時半に亀山の中心に
行っていたい。これから2時間後だ。
雨もほとんど上がった。これならねむしろ道は歩きやすい。
しばらく歩くと大岡畷跡の桜並木、雨あがりの緑の道は気持
ちがいい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/7c/ac50c870949fac0684ba838f0c6fe6e8.jpg)
さらに進むと向こうからおばさん達の一団がきたので黙って
通り過ぎることができない性分がここでも出てしまう。
”こんにちは!今日はどちらまで?” と声をかけると
愛想のいい反応が返ってきて、そこで一気に盛り上がる。
東京のおばちゃんたち、月2回、1年で完歩するというグル
ープだ。日本橋からここまで来たというのだからおそれ入る。
証拠写真を撮ってもらおうとお願いしたら一緒の記念撮影に
なった。このグループ、あとから続いて20名くらいいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/2b/14121bde78b80b4d7b00d5a2469d4161.jpg)
やっぱり江戸弁は、歯切れがよくてあってええなあ・・
その後も、途中で男性グルーブにも会ったし、男女カップル
二組にもあった。東海道を歩いている人は多いんだ。
しばらく歩くと大きな木が前方に見えてきた。野村一里塚
だ。これまで見てきた一里塚では際立って大きい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/7b/c00060bbe0b4997e82e37020a1440a0d.jpg)
亀山に近づいてくるとまた雨が落ちてきた。
宿場の雰囲気が目の前に現れてきた。道が色分けされてい
るのが珍しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/1b/c4243bd4b1bf5f10cdb5d49e17703c24.jpg)
坂道を竜川にかかる京口坂橋をわたると左に亀山宿の西端
にある京口門跡。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/1b/7584c0b32e529a3a8f1a55906aa1863e.jpg)
古い町並みの一戸一戸に木の札がかけられ、そこに元の屋
号の名前が書き込まれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/dd/cebbf5a418274fe098657c7293f6c6cc.jpg)
町並み保存分科会というプロジェクトができて宿場の賑わい
を復活させたいということだ。
この木札は、進んでいく道路沿いにずっとかけられていた。
雨がかなり降ってきたが、コースから離れた亀山城跡へ行く。
時間は予定通り。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/35/5670a13c388826eb8527c4b0cd6a12c9.jpg)
ただし、ベンチは雨でぬれ、弁当を食べる場所がない。
ここだけ少し雨宿りしながら仕方なくカサも使って歩いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/47/1ca4ca12809eeabd6887d08e72452e73.jpg)
亀山の雰囲気が気に入った、先を急ぐので今回は、さらりと
歩くが、再度、訪れてみたい。
小ぶりだが雨に濡れながらどんどんすすむ。
ローソクでおなじみの亀山ローソクの前を通り和田の一里塚
を過ぎる頃から、すっかり郊外の雰囲気になった。
JR井田川駅前を14時43分に通過、雨もふり続く。
ここから歩道のない曲がり道が続き、往来する車に緊張の連
続。安楽川にかかる和泉橋を渡りきったところにある川俣神
社で雨宿りしやっと昼食の弁当を食べた。
時間は3時を過ぎた。ここで、今日は、石薬師まで行かないで
次の庄野宿で切り上げることにする。
亀山市から鈴鹿市の庄野へ。
庄野は、古い街並みに往時の面影はあるものの本陣跡の石
碑がある程度で、他の説明板もほとんど字が読み取れない
ほどに放置され意外な感じがした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/9a/361e69dfd7c2294f3b3484296066088c.jpg)
そう言えば、一週間前に庄野宿、石薬師宿への地図または
資料がほしくて鈴鹿市のホームページをたどると観光協会
へリンクされていたので電話したがつながらず、問い合わせ
先と記載されていたメールに依頼記事を送信しておいたが、
今日までなんの連絡もない。
鈴鹿市の姿勢がここに見えた。
熊野古道でも琵琶湖一周でも所属する自治体によって力の
入れ方が違うことはわかっているが、鈴鹿市にはがっかりし
た。次の石薬師はどうなんだろうか。
ただ、一か所、庄野宿資料館の女性担当の方は、訪問した
のが4時を過ぎたばかり、閉館だったらしいが、丁寧に応対
してくれた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/ee/5d24731899d7f135006c05ae48a247a0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/b1/50b667850c8e00a044a898b6a517ad0f.jpg)
ここからは、帰りの最寄駅のJR関西線加佐登駅に急ぐだけ。
調べていた時間表を確認しょうとしたらその用紙がない。
忘れてきたことに気がついた。さあ大変!
かすかな記憶をたどって4時18分がうまく接続する時刻だろ
うと思って急いで加佐登駅に14分到着。
ところがなんと11分だった。
あー、出たばっかりや、また、置き去りにされた!
と大きな声で言うたら改札の外にいたいた人たちの視線が
????
そや、ここは、名古屋圏や、関西と違う。
「名古屋」行き電車、ここはJR東海。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/cf/45bee8534923d44187171d321d2325a4.jpg)
次の電車は、5時3分。
ご褒美の缶ビールでもと思っても、駅前見渡してもどこにも
見当たらない。
ホームに出て、階段の陰で持ってきた着替えをした。
やっと、生き返った心境だった。 びっしょり濡れていた。
やっと5時3分の亀山行きに乗る。しかし、亀山駅で乗り継
ぎ時間が、なんと30分もある。
暗くなった駅の売店で缶ビールを買ってひとりでご褒美した。
やっときた電車は1両。そのすしずめ電車で柘植駅へ。
草津線に乗り換え、ダッシュしてやっと座席を確保した。
草津で新快速に乗り新大阪着が7時54分。
いったい、どれだけかかったのやら ・・・
ああー、ちかれたの1日になった。
万歩計は35000、たいして歩いてはいなかった。
前回も大雨にあった。
やっぱり、あの鈴鹿あたりは多雨なところなんだろう。
次回は、今回ゴールの加佐登駅がスタート、四日市宿まで
歩く予定。
関宿から鈴鹿市庄野宿までひとり歩きをしてきた。
三重県の降水確率が70%であることは承知の上で行ったが
さすがに終日の霧雨、小雨には疲れた。
かさもカッパもリュックの中にちゃんと用意していたが
ウォーキングに似つかわしくないと、かさは強い雨のときだけ
あとは、濡れながら終日歩き通した。
出発は午前7時21分にJR新大阪駅、2度の乗継で三重県
の関へ。途中、鈴鹿の山々が雨雲にかすんでみえるのを車
窓から見ながらせっかく来たのだから中止することなく少しで
も歩こうとスタートの関の駅頭に立った。午前9時14分。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/28/2fb4de75ddb6b0056032b7042756cfd9.jpg)
関は霧雨、夏休み最後の日曜日、多くの人が訪れると思っ
ていたが、駅前に人はまったく人がいないのに驚いた。
歩き始めるとうろうろとあたりを見渡している二人連れが目
に入った。東京から東海道を関まで歩いてきたという中年の
カップル、夫婦だろう。
”私もこれから行きますのでそこまで一緒に行きましょう”と案
内した。
こちらは、西の追分へ、その人たちは東から西へだから東の
追分へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/56/314679027e26ad90f1f68817fede23cf.jpg)
西の追分に至る新所の通りも誰も通っていない。早朝だった
からかもしれないが、映画のセットを見ているようだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/d2/7d1bb3d8d915cbad96ebcdc05f596087.jpg)
西の追分からスタート、新所の通り、メインの中町の通りを
ゆっくりと歩き、東の追分へ木崎の通りへすすむ。
地蔵院(国重要文化財)天平13年-741-行基菩薩の開創。
本堂・鐘楼・愛染堂が重要文化財に指定されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/15/ecee8df893cb70d4cfa2562126182af7.jpg)
旅館会津屋 関宿を代表する旅籠のひとつ、二階に洋風の
窓がついた洋風屋は珍しい建物だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/23/14c08dfae62bffdeb9bf642626e76c1a.jpg)
橋爪家 江戸時代の初めから両替商を営んだ豪商、道に面
して三角形の屋根があるユニークな建物。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/8c/b3f54f45c18422562038e0258884eb26.jpg)
伊藤本陣跡 関宿には伊藤、川北の二本陣があった。現在
残っているこの建物は、本陣の店部分、川北本陣は、石碑
が残るのみ、本陣の門は、近くの延命寺の山門に移築され
ている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/4b/277cab7ada2834b82f8f7421a93c948b.jpg)
鶴屋 会津屋、玉屋とともに関を代表する旅籠で江戸時代は
脇本陣もつとめた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/82/42784514a6a48f7fc80b2f6e29cc844b.jpg)
玉屋 関を代表する大旅籠のひとつ、江戸時代に建てられた
貴重な旅籠建築に当時の道具類や資料を展示、江戸時代の
旅籠を再現している。かごも展示してある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/54/99b7764ad1ce0c41b3d8d49e52deb560.jpg)
東の追分へ。実は、前回、ここまで来ていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/83/8bcdb359033b4d79795de171a223626a.jpg)
東の追分から次の亀山宿をめざしてちょうど10時30に歩き
始める。関で時間をとりすぎたが、12時半に亀山の中心に
行っていたい。これから2時間後だ。
雨もほとんど上がった。これならねむしろ道は歩きやすい。
しばらく歩くと大岡畷跡の桜並木、雨あがりの緑の道は気持
ちがいい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/7c/ac50c870949fac0684ba838f0c6fe6e8.jpg)
さらに進むと向こうからおばさん達の一団がきたので黙って
通り過ぎることができない性分がここでも出てしまう。
”こんにちは!今日はどちらまで?” と声をかけると
愛想のいい反応が返ってきて、そこで一気に盛り上がる。
東京のおばちゃんたち、月2回、1年で完歩するというグル
ープだ。日本橋からここまで来たというのだからおそれ入る。
証拠写真を撮ってもらおうとお願いしたら一緒の記念撮影に
なった。このグループ、あとから続いて20名くらいいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/2b/14121bde78b80b4d7b00d5a2469d4161.jpg)
やっぱり江戸弁は、歯切れがよくてあってええなあ・・
その後も、途中で男性グルーブにも会ったし、男女カップル
二組にもあった。東海道を歩いている人は多いんだ。
しばらく歩くと大きな木が前方に見えてきた。野村一里塚
だ。これまで見てきた一里塚では際立って大きい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/7b/c00060bbe0b4997e82e37020a1440a0d.jpg)
亀山に近づいてくるとまた雨が落ちてきた。
宿場の雰囲気が目の前に現れてきた。道が色分けされてい
るのが珍しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/1b/c4243bd4b1bf5f10cdb5d49e17703c24.jpg)
坂道を竜川にかかる京口坂橋をわたると左に亀山宿の西端
にある京口門跡。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/1b/7584c0b32e529a3a8f1a55906aa1863e.jpg)
古い町並みの一戸一戸に木の札がかけられ、そこに元の屋
号の名前が書き込まれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/dd/cebbf5a418274fe098657c7293f6c6cc.jpg)
町並み保存分科会というプロジェクトができて宿場の賑わい
を復活させたいということだ。
この木札は、進んでいく道路沿いにずっとかけられていた。
雨がかなり降ってきたが、コースから離れた亀山城跡へ行く。
時間は予定通り。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/35/5670a13c388826eb8527c4b0cd6a12c9.jpg)
ただし、ベンチは雨でぬれ、弁当を食べる場所がない。
ここだけ少し雨宿りしながら仕方なくカサも使って歩いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/47/1ca4ca12809eeabd6887d08e72452e73.jpg)
亀山の雰囲気が気に入った、先を急ぐので今回は、さらりと
歩くが、再度、訪れてみたい。
小ぶりだが雨に濡れながらどんどんすすむ。
ローソクでおなじみの亀山ローソクの前を通り和田の一里塚
を過ぎる頃から、すっかり郊外の雰囲気になった。
JR井田川駅前を14時43分に通過、雨もふり続く。
ここから歩道のない曲がり道が続き、往来する車に緊張の連
続。安楽川にかかる和泉橋を渡りきったところにある川俣神
社で雨宿りしやっと昼食の弁当を食べた。
時間は3時を過ぎた。ここで、今日は、石薬師まで行かないで
次の庄野宿で切り上げることにする。
亀山市から鈴鹿市の庄野へ。
庄野は、古い街並みに往時の面影はあるものの本陣跡の石
碑がある程度で、他の説明板もほとんど字が読み取れない
ほどに放置され意外な感じがした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/9a/361e69dfd7c2294f3b3484296066088c.jpg)
そう言えば、一週間前に庄野宿、石薬師宿への地図または
資料がほしくて鈴鹿市のホームページをたどると観光協会
へリンクされていたので電話したがつながらず、問い合わせ
先と記載されていたメールに依頼記事を送信しておいたが、
今日までなんの連絡もない。
鈴鹿市の姿勢がここに見えた。
熊野古道でも琵琶湖一周でも所属する自治体によって力の
入れ方が違うことはわかっているが、鈴鹿市にはがっかりし
た。次の石薬師はどうなんだろうか。
ただ、一か所、庄野宿資料館の女性担当の方は、訪問した
のが4時を過ぎたばかり、閉館だったらしいが、丁寧に応対
してくれた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/ee/5d24731899d7f135006c05ae48a247a0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/b1/50b667850c8e00a044a898b6a517ad0f.jpg)
ここからは、帰りの最寄駅のJR関西線加佐登駅に急ぐだけ。
調べていた時間表を確認しょうとしたらその用紙がない。
忘れてきたことに気がついた。さあ大変!
かすかな記憶をたどって4時18分がうまく接続する時刻だろ
うと思って急いで加佐登駅に14分到着。
ところがなんと11分だった。
あー、出たばっかりや、また、置き去りにされた!
と大きな声で言うたら改札の外にいたいた人たちの視線が
????
そや、ここは、名古屋圏や、関西と違う。
「名古屋」行き電車、ここはJR東海。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/cf/45bee8534923d44187171d321d2325a4.jpg)
次の電車は、5時3分。
ご褒美の缶ビールでもと思っても、駅前見渡してもどこにも
見当たらない。
ホームに出て、階段の陰で持ってきた着替えをした。
やっと、生き返った心境だった。 びっしょり濡れていた。
やっと5時3分の亀山行きに乗る。しかし、亀山駅で乗り継
ぎ時間が、なんと30分もある。
暗くなった駅の売店で缶ビールを買ってひとりでご褒美した。
やっときた電車は1両。そのすしずめ電車で柘植駅へ。
草津線に乗り換え、ダッシュしてやっと座席を確保した。
草津で新快速に乗り新大阪着が7時54分。
いったい、どれだけかかったのやら ・・・
ああー、ちかれたの1日になった。
万歩計は35000、たいして歩いてはいなかった。
前回も大雨にあった。
やっぱり、あの鈴鹿あたりは多雨なところなんだろう。
次回は、今回ゴールの加佐登駅がスタート、四日市宿まで
歩く予定。