昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

ウォーキングを始めて9年目。

2008-10-01 23:42:42 | ウォーキング
ウォーキングを始めたのが2000年10月1日
今日で9年目になった。
まる8年もよく歩いてきたと思う。

今夜もあの日に歩いた服部緑地コースを
同じ時間帯の夜の11時すぎ歩いてきた。

最近でこそ
ナイトウォークの回数は少なくなってきたが
この時期、虫の音に癒されて
やっぱり夜は気持ちがいい。

ここは、夜空がきれいで星もみえる
途中の公園のベンチに寝転んで
夜空を眺めながら一息つくのも楽しみだ。

始めた頃は緊急の電話のために10円硬貨を
ポケットに入れていたが
いまは携帯電話にかわった
それだけでも時代の移り変わりを感ずる。

街灯の灯りと夜空以外は
周囲は木立で真っ暗

1日の反省をして心静めて
明日の計画を練るのにも
ナイトウォークはとてもいい。

あれから9年目になるのに
歳は重ねてきたが足の筋力はまちがいなく
ついてきていると思う。

一歩はうそをつかない
継続は力なりということもほんとだ

躊躇せず
まず
一歩踏み出せば
次の足が
歩いてくれる

それを足で知ったウォーキング
これからも続ける

以下は、ウォーキングを始めて1年半後にHPにまとめた記録の一部から
(HPは現存★http://www.human-dy.com/walking.shinmai.html『新米ウォーカーのひとりごと』)

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【第一ステップ→決意】
続けていくために涼しくなる10月1日をキックオフの日と決め、慌しい朝をさけて毎夜、1時間、週4日を規準に月20日を目標、1年で240日を大目標に掲げ、ホームグランドを近所の服部緑地公園にした。そして2000年10月1日スタート。とにかく毎日歩くこと。続けること、続けるんだ!という何か悲壮的な時期でした。どこまで続くか毎日がその闘いでした。(ちょっとオーバーか)ウォークを続けていく→習慣化していくための時期だったと思います。歩いた日は、カレンダーの日に○をつけて、○が30たまるとくつを買おう・・・そうして続ける工夫をしたものです。

衝撃だった息子のひとこと!現役のオヤジでいたい!

2008-10-01 16:30:18 | チャレンジ
先週末、ふるさと広島で息子と過ごした二日間は
すっかり昔の父親と幼い日の息子にかえって
のんびりと楽しく過ごすことができた。

カープ勝ち試合の広島の夜、おいしい酒を
酌み交わしながら話していたとき


”ところで、どうして食っているの?”

と息子から突然、聞かれて答えに窮した

"年金でいけるの?" (わずかな国民年金を指して)

たたみかけるような質問

思わず

"カスミを食って生きてるよ"

と返答した・・・
まさかこんなことを息子に聞かれようとは
頭をがっんと叩かれた思いがした。

(オヤジ、なにをしてるんや!大丈夫か?)

と言いたかったのだろう。

しまった
こんな無残な返事しかできなかった自分を恥じたが
もう、遅かった。

それ以上、息子はなにも言わなかった。

これが、あの強かったオヤジなのか・・・
と思ったのかもしれない。

激励するつもりか、単に案じてのことかはわからないが
ここ半年の煮えきらないブログの内容や
キーボードの世界に浸っている姿しか見えないオヤジに
(もっとオヤジらしく! 生涯現役といいながら、なにをしている!)
と言いたかったのかもしれない。


そのあと
息子から、次のステップへ
新たなチャレンジをしていくという話が出た
大賛成だが

大丈夫か?

と、ここでも、言ってはならないことを言って

”やってみないとわからんやろ”

と、いつも、自分が息子に言っていたことを言われた。

頼りない息子とばかり思っていたのに
立場が完全に逆転してしまったと思った。

うれしくもあり悔しくもあったこの会話が
いまなお、耳から離れない。

今日から10月、今年も後半、68歳もちょうど半分過ぎた

流されてはいけない
流れをつくらないといけない

息子訪ねて東海道五十三次と言って歩いてはいるが
息子が望んでいるのはそんなことではない。

好きな仕事でオヤジらしくやって
元気な姿をみせてほしいという
息子からのメッセージと思って
もう一度、環境を整えてチャレンジだ。

”やってみないとわからんやろ”
という息子のことばを力にして

いつまでも現役のオヤジでいなければ・・・。