連休の行楽地は人出でいっぱい、インフルエンザ騒ぎのマスク族の中を歩く気にはならないので、休日で人の少ない大阪市内ビジネス街を歩くことにした。
最近、書店で福沢諭吉の書物をよく見かけるので、そうだ、今日は福沢諭吉の生誕地を久しぶり訪ねてみよう、そして、緒方洪庵の適塾、大塩平八郎の乱の跡を訪ねて歩く、題して江戸から明治への動乱期に活躍した大阪の人物伝ウォークコース。
12時半、スタートはJR大阪環状線福島駅、なにわ筋を南へ歩き、朝日放送前を通り堂島川にかかる玉江橋の手前を左折すると福沢諭吉の誕生地がある。
天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ 人ノ下ニ人ヲ造ラズ
と石碑に彫られている。ここは元中津藩蔵屋敷跡があったところ。天保5年(1835)、諭吉はここで生まれた。後に中津へ戻り、長崎で蘭学を学んだあと、再び大阪へ出て緒方洪庵の適塾で学ぶ、やがて塾長となった。安政5年(1858)、江戸で蘭学塾を開き、明治元年(1868)に慶応義塾と改称、いまの慶応義塾大学となった。
この周辺は大阪大学医学部付属病院があったところで、阪大移転後は空き地になっていたが、周辺が整備されてほっとした。
堂島川にそって中之島方面に上がっていく。ここは川にそって全国各藩の蔵屋敷が建っていたところだ。
田蓑橋の北詰に蛸の松といって蛸が泳ぐような形をした松が一本立っているが、この松は広島藩と久留米藩との境にあったそうだ。
田蓑橋を渡り国立国際美術館、市立科学館前を通り、筑前橋の手前を土佐堀川にそって整備されたプロムナードをすすみ、肥後橋を渡り四ツ橋筋一つ目を左折。
休日で人のいないオフィス街をすすむと住友信託ビルの一角に帝国座跡がある。帝国座は明治43年(1910)新演劇の拠点として建てられた。
さらにオフィス街をすすむ、ビジネス戦士の街もこんな休日風景。
御堂筋に出たところで淀屋橋へ寄り道、ここには淀屋橋をかけた豪商・淀屋の屋敷があったところで碑がたっている。
ここで休憩、スターバックスへ、コーヒーを飲みながら書きかけている原稿の下書きを30分ほどした。
リュックには常に筆記用具と原稿用紙を入れているので時間活用。
日本生命本店の壁面に立派なモニュメントがある懐徳堂旧址の碑へ、享保9年(1724)に儒学者らでつくった私塾。
少しすすむとビル街に古い屋敷風の建物、愛珠幼稚園へ。
明治34年に建てられたわが国最古の幼稚園。
正門脇に同座の跡の碑が立っている。ここは明和3年(1766)に開かれ胴を管理していたところ、江戸時代、銅はわが国の重要な輸出品であった。
向かいの財団法人洪庵記念会ビル・クリニックセンター前には除痘館跡の碑もある。
さらにオフィス街を適塾をめざしてすすむ。
適塾は、天保9年(1838)に緒方洪庵が医業と同時に開いた蘭学塾。町家風の建物でいまも残っている。ここでは医学だけでなく福沢諭吉、大村益次郎など、幕末の動乱期に数多くの有能な人材を生み出した。吉田松陰の松下村塾と並び称せられ国の重要文化財に指定されている。塾を開く前年に後に出てくる大塩平八郎の乱がおきている。
建物の右隣がちいさな広場になっており緒方洪庵の座像がある。
土佐堀川にかかる栴檀の木橋を渡り中之島公園に入ると正面に中之島公会堂、図書館、東洋陶磁美術館がある。
中之島公園は明日から三日間、中之島まつりが開催されるために準備がすすめられていた。堂島川にかかる鉾流橋を渡り北へしばらくすすむ。国道1号線に出て右折、ビル街を南森町、天神橋商店街を過ぎ落語寄席の天満繁盛亭から大阪天満宮へ寄り道。大阪天満宮は大塩平八郎の乱で全焼した。
天満宮のすぐ斜め前の創業180年の老舗料亭「相生楼」の門前脇に川端康成の生誕之地の碑がたっている。
その前を通り再び1号線へ、しばらくすすむ、やがて造幣局が見えてくる。
造幣局北口の手前国道1号線横に大塩平八郎の乱があった場所に石碑だけが立っている。
天保8年(1837)2月19日朝、大坂で勃発したのが大塩の乱。その背景には天保の大飢饉が深刻な状況にありながら、なんら救済措置をとらなかった町奉行の怠慢にあった。救民を旗印に峰起したのが大塩平八郎だった。大塩の乱後、全国に一揆が多発した。多くの民衆の支持を得たのだった。
大塩は、元大阪東町奉行所の与力、後に陽明学者として多くの門弟を育てている。乱後に自害。
桜宮橋でUターンして一号線東天馬から北へ三筋目の寺町通りを左へ、お寺の続く通りには歴史上の碑があちこちに立っており、観音めぐりのお寺が目立つ、掲示板に書かれている言葉が興味深い。このあたりは与力町、歴史上の地名が残っている。緒方洪庵の墓所。
寺町通りを天神橋商店街を横切ると大橋平八郎の墓所前に出た。お寺の中には大塩平八郎の乱で亡くなった人たちを弔った墓も立っている。
堀川恵比寿、お初天神(露天神)を訪ね、JR二駅分を歩いて大阪駅前へ、旭屋書店へ寄って福沢諭吉の福翁自伝を買って戻ってきた。
約19000歩。顔が日焼けし鼻が赤くなっているのに驚いた。
最近、書店で福沢諭吉の書物をよく見かけるので、そうだ、今日は福沢諭吉の生誕地を久しぶり訪ねてみよう、そして、緒方洪庵の適塾、大塩平八郎の乱の跡を訪ねて歩く、題して江戸から明治への動乱期に活躍した大阪の人物伝ウォークコース。
12時半、スタートはJR大阪環状線福島駅、なにわ筋を南へ歩き、朝日放送前を通り堂島川にかかる玉江橋の手前を左折すると福沢諭吉の誕生地がある。
天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ 人ノ下ニ人ヲ造ラズ
と石碑に彫られている。ここは元中津藩蔵屋敷跡があったところ。天保5年(1835)、諭吉はここで生まれた。後に中津へ戻り、長崎で蘭学を学んだあと、再び大阪へ出て緒方洪庵の適塾で学ぶ、やがて塾長となった。安政5年(1858)、江戸で蘭学塾を開き、明治元年(1868)に慶応義塾と改称、いまの慶応義塾大学となった。
この周辺は大阪大学医学部付属病院があったところで、阪大移転後は空き地になっていたが、周辺が整備されてほっとした。
堂島川にそって中之島方面に上がっていく。ここは川にそって全国各藩の蔵屋敷が建っていたところだ。
田蓑橋の北詰に蛸の松といって蛸が泳ぐような形をした松が一本立っているが、この松は広島藩と久留米藩との境にあったそうだ。
田蓑橋を渡り国立国際美術館、市立科学館前を通り、筑前橋の手前を土佐堀川にそって整備されたプロムナードをすすみ、肥後橋を渡り四ツ橋筋一つ目を左折。
休日で人のいないオフィス街をすすむと住友信託ビルの一角に帝国座跡がある。帝国座は明治43年(1910)新演劇の拠点として建てられた。
さらにオフィス街をすすむ、ビジネス戦士の街もこんな休日風景。
御堂筋に出たところで淀屋橋へ寄り道、ここには淀屋橋をかけた豪商・淀屋の屋敷があったところで碑がたっている。
ここで休憩、スターバックスへ、コーヒーを飲みながら書きかけている原稿の下書きを30分ほどした。
リュックには常に筆記用具と原稿用紙を入れているので時間活用。
日本生命本店の壁面に立派なモニュメントがある懐徳堂旧址の碑へ、享保9年(1724)に儒学者らでつくった私塾。
少しすすむとビル街に古い屋敷風の建物、愛珠幼稚園へ。
明治34年に建てられたわが国最古の幼稚園。
正門脇に同座の跡の碑が立っている。ここは明和3年(1766)に開かれ胴を管理していたところ、江戸時代、銅はわが国の重要な輸出品であった。
向かいの財団法人洪庵記念会ビル・クリニックセンター前には除痘館跡の碑もある。
さらにオフィス街を適塾をめざしてすすむ。
適塾は、天保9年(1838)に緒方洪庵が医業と同時に開いた蘭学塾。町家風の建物でいまも残っている。ここでは医学だけでなく福沢諭吉、大村益次郎など、幕末の動乱期に数多くの有能な人材を生み出した。吉田松陰の松下村塾と並び称せられ国の重要文化財に指定されている。塾を開く前年に後に出てくる大塩平八郎の乱がおきている。
建物の右隣がちいさな広場になっており緒方洪庵の座像がある。
土佐堀川にかかる栴檀の木橋を渡り中之島公園に入ると正面に中之島公会堂、図書館、東洋陶磁美術館がある。
中之島公園は明日から三日間、中之島まつりが開催されるために準備がすすめられていた。堂島川にかかる鉾流橋を渡り北へしばらくすすむ。国道1号線に出て右折、ビル街を南森町、天神橋商店街を過ぎ落語寄席の天満繁盛亭から大阪天満宮へ寄り道。大阪天満宮は大塩平八郎の乱で全焼した。
天満宮のすぐ斜め前の創業180年の老舗料亭「相生楼」の門前脇に川端康成の生誕之地の碑がたっている。
その前を通り再び1号線へ、しばらくすすむ、やがて造幣局が見えてくる。
造幣局北口の手前国道1号線横に大塩平八郎の乱があった場所に石碑だけが立っている。
天保8年(1837)2月19日朝、大坂で勃発したのが大塩の乱。その背景には天保の大飢饉が深刻な状況にありながら、なんら救済措置をとらなかった町奉行の怠慢にあった。救民を旗印に峰起したのが大塩平八郎だった。大塩の乱後、全国に一揆が多発した。多くの民衆の支持を得たのだった。
大塩は、元大阪東町奉行所の与力、後に陽明学者として多くの門弟を育てている。乱後に自害。
桜宮橋でUターンして一号線東天馬から北へ三筋目の寺町通りを左へ、お寺の続く通りには歴史上の碑があちこちに立っており、観音めぐりのお寺が目立つ、掲示板に書かれている言葉が興味深い。このあたりは与力町、歴史上の地名が残っている。緒方洪庵の墓所。
寺町通りを天神橋商店街を横切ると大橋平八郎の墓所前に出た。お寺の中には大塩平八郎の乱で亡くなった人たちを弔った墓も立っている。
堀川恵比寿、お初天神(露天神)を訪ね、JR二駅分を歩いて大阪駅前へ、旭屋書店へ寄って福沢諭吉の福翁自伝を買って戻ってきた。
約19000歩。顔が日焼けし鼻が赤くなっているのに驚いた。