(春分の日、釜石市泥だらけの「不屈の日の丸」産経新聞)
朝は小雨、夕方から春らしい日差しが窓から
いっぱい入ってきた
お天道さんは被災地に行ってくれたやろか!?
新大阪駅新幹線みどりの窓口は長い列が続いていた
三連休を一時避難で帰郷していた人たちだろうか
女性トイレも通路にまで行列であふれていた
いつもとは人々の様子も表情もたしかに違う
大震災のかなしみの顔なのかもしれない
心は静かに被災地にあるのだろうか
昨日救助された86歳のおばあさんと16歳の少年は
健康状態もいいらしい
生命にも別状ないようでほんとうによかった!
書店に寄ったらこんな本が目に付いた
必ず、来る!
「津波災害」- 減災社会を築く-
河田惠昭著
2010年12月17日発行されたばかりでまさに
今回の震災、とくに津波災害を予言しているかのよう
なタイトルに驚き購入して少し読んでみた
著者は元京大防災研究所所長で現在は関西大学の
教授をされている防災学者、阪神淡路大震災以降
テレビにもよく出ているおなじみの研究者だ
記憶にまだ新しい2010年2月27日に発生した
チリ沖地震に際して、その時に出された避難指示や
避難勧告に実際に避難した人が3.8%(168万中)
でとくに津波常襲地帯(1道7県)の住民は5.1%
(74万)が避難したに過ぎなかったことに衝撃
「これでは大変なことになる」というのが本を書く
きっかけになったそうだ
これでは近い将来確実に起こることが予想される
東海・東南海・南海地震津波や三陸津波が来襲すると
万を超える犠牲者が発生しかねないと書かれている
ことが数ヵ月後に現実になったことに大変驚いた
もちろん、今回の津波は地震発生後15分から20分
後に新幹線並みのスピードで来襲してきた津波から
ので避難することはとても無理だったと思うので
油断があったとは言えない
本には釜石や大船渡市は立派な津波防波堤が作られて
いると書かれているがその防波堤が役にたたなかった
のだからいかに想定外の津波であったかわかる
いま、こんなことを書くのは被害を受けた人々にムチ
打つようか気がして辛いことだが、日本だけでも阪神
淡路大震災以降、次々と大災害が発生していることを
思うといつ、どこで、なにが起きても不思議ではない
という危機意識と備えをしておかないといけないと思う
「水は昔を覚えている」という一節が本にあった
昔、海だったところや湿地帯だったところが市街地などに
発達していても、いったん洪水や高潮、津波氾濫が起こる
と昔の海や湿地帯に戻るということだ
東京駅の「八重洲」や大阪駅の「梅田」がそうだといい
東京や大阪の例や全国津波危険地帯のことも書かれている
地元大阪のベイエリアを歩いたり市内の橋めぐりをして
大阪が津波に襲われればひとたまりもないと思っていたが
水都大阪も津波には危ない街であることを改めて認識した
数年前に和歌山県の海辺に近い熊野古道を歩いていたとき
電柱や建物に「海抜××メートル」という表示を至る所で
見かけたが、大半がひとけたメートル、今回の津波を思うと
ぞっとする
(和歌山県印南町で 2006.4.30)
(和歌山県御坊市で 2006.4.30)
東海道五十三次歩きで見た小田原市の標識(2009.12.22)
今回の震災がなにもかも「想定外」ということばで語られて
いるが、それを「想定内」のレベルに上げないといけない
のだろう、まず意識レベルからだ
三連休もとうとうご近所散歩程度でほとんど出かける
ことも、とくに何かをするでもなく、夕方を迎えた
もう気持ちを切り替えていかないと・・・・。
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