昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

Sさんへのメッセージ!

2008-10-08 08:19:17 | 交流
Sさん、ブログを読みました

泣けて泣けて涙が止まりませんでした
あまりにも自分が体験し過ごしてきたあの頃に
似ていて重なってしまいました。

なんとことばをかけたらいいのやら
それは自分へのことばかけにもなるのですから・・・


Sさん
泣きたいときは一緒に泣きましょう
それなら私にもできますよ。

そして言ってあげたい(自分にも)

大丈夫ですよ!

いろいろあったけれど
私でも68まで歩いてくることができたことが
証明してくれています。

振り返れば、ここまで歩いてきた自分の足あとは
ちゃんと道になり、決して無駄な足あとにはなっておりません。

ときには過去の自分に引っ張られそうになって
もんもんとしたこともありますが

そんなとき浮かんだことばが
このブログのタイトルになっている

「昨日より今日を、今日より明日を 
夢と希望がある限り・・・」というくだりです。

私にとって命からのことばでした。

このことばに引っ張られ
つまづくたびに勇気と元気が湧いてきました。

いまでも
未熟で弱い自分だけれど
あきらめないで
くじけないで
ただ、明日の夢をおって
日々、希望を捨てないで
今日も歩き続けております。

一歩一歩は自分の命の刻み
足から伝わる大地の鼓動が
生きていく力を与えてくれます。

だから歩きます!

大好きな「明日」の自分に会いたい!

だから行くのです!

私はSさんの「明日」に会いたい!

だから一緒に歩きたい!

泣いたり笑ったり

人生ウオーキング

一緒に楽しみましょう。



ささやかな気持ちをメッセージにして・・・ランドセル

改革するか、されるか・・・。

2008-10-06 19:01:44 | チャレンジ
とうとう要請がなかったなあ・・・
気がついたらもう時期がとっくに過ぎていた

数年続いていた年一度、三日間の仕事に
今年は声がかかってこなかった。

対象者がいなくなることはないので
多分、その仕事はよそに行ったのだろう
持ち回り開催運営をしていたので
そちらの関係先に行ったのだろうと思うが

それを上回る評価(結果)で応えておれば
依頼はきたはずなので正直なところ残念!

自分の改革がすすまないと
こちらが改革をされてしまう。

昨日より今日が
今日より明日が
一歩でも前進しているように

日々、改革に取り組んで
自分の賞味期限を延ばすことだ。

努力はアマチュアなら認められるが
プロは結果を出せないと捨てられる。

残された時間は限られている
自己改革、構造改革をして
明日につながる流れをつくらないと・・・。


●このブログも改革・新しい流れをつくりたい
●新しいコメンテーターを歓迎します。
   


火事だ、早朝から大騒ぎ。

2008-10-05 14:18:48 | ひとりごと
日曜日の早朝7時過ぎ
ふとんの中でうつらうつらしていると
家内の”お父さん、早う来て!”と玄関から
叫ぶ声で思わず飛び起きた。

向かいのマンションが燃えているという
顔も洗わず玄関を開けるとすぐ向かいのマンションの五階から
もくもくと煙が噴き出している。


非常ベルも鳴り続けている
こちらのマンションの人たちも廊下に出てきた
となりとうちのマンションは5メートルほどしか離れていない上に
燃えているのはこちらに1番近い角部屋だ

どんどんと消防車がやってきて表の道路は通行止め

となりのマンションにくっつくようにうちの駐車場がある
車は全部つまっていて燃えカスが屋根におちてくる
早く車を移動しないと・・・

おまけにとなりのマンションの入口は火災の部屋から
真反対の表の道路側にあるために消防は入り込めず
ホースをもった消防の人たちが思案している


炎が広がってきた。


うちのマンションに入ってきて
火災真下のこの写真の駐車場から消火作業に入る以外なしと
消防の人にそのことを伝えて誘導した

駐車場の車の持ち主も全車移動したので
結局、うちの駐車場と三階の廊下からの放水で
やっと鎮火、煙がなくなるまで発生して1時間。


どうやら火元の人はいなかったらしい
なぜ発火したのか・・・

五年前に管理組合の理事長をしていたので
なにかあるとついつい動いてしまう。

うちも隣室がボヤを出して我が家に消防の人が
土足で上がりベランダの防火壁をやぶり
隣室の消火をしたことがあるのでよそ事ではない。

集合住宅は、なにもなければ気楽でいいが
何かが起こると密室、さっぱりわからないので
管理が非常に難しい。

個人情報云々といって
非常時の連絡先や家族構成等を明記した入居者名簿の提出や
玄関と郵便受けに入居者名を表示することも拒む人が多くて
管理する側にたってみると実にやりにくいことが多い。

今日も消防の人がマイクで入居者の確認をしていたが
なかなか出てこなかったようだ。

それにしても、うちのマンションは何も報知していなかったなあ
理事長、しっかり頼みますよ!

新建材の影響なのか
鼻をつく強い臭いがあたりに充満して
わが家の中も臭っている。

人身に被害はなかったようだが
ベランダに洗濯物がかかっていたけれども
あの火元の入居者はどこにいるのだろう。

日曜日の朝からとんだ騒動に巻き込まれて
おまけにその後からの小雨で余計にうっとおしい。


うれしい再会、もらった刺激の二日間!

2008-10-04 20:26:39 | 交流
きのう、きょうの二日間、かってお世話をした
経営後継者の卒業生たちが大阪へ集まってきて
久しぶりの合同勉強会をした。

北は福島県から南は熊本県までの
20代から40代までの生きのいいメンバーで
すでに後継して社長業についている者が3人もおり
たのもしい限り。
ちょいと格好をつけて・・・たいしたこと言うてません!?


卒業時に作成した計画書を持ち寄ってきて
今日までの推移を発表して聞かせてくれた。

その内容について全員で評価しコメントもつける
という真剣勝負。

初日はプログラムの終了後、おいしいすき焼きで懇親会
卒業の期が違う初対面同士もすっかり打ち解けて盛り上がる。


どうだ、薩摩の焼酎の差し入れがあった!


信州から最年少のMさん、次世代の意識や発想を教えられた。


そして、おきまりの二次会へ
少し遠出グループと近場グループーへ出かけていった。
次の朝の役目があるので近場グープと終電まで一緒した。

今日も朝、9時から午後の3時半までみっちりと
学びあってふるさとへ帰って行った。

彼らが持ち寄ってきた本の中からすぐ読んでみたい2冊を
さっそく書店にいって購入したが
彼らの読書量はすばらしい。

事業を引き継ぐということの
プレッシャーと責任がそうさせるのだろうが
酒を飲んでいても話している内容は
どこまでも仕事に関することが中心だ。

いろいろある勉強会でも
向上心と情熱を持つ彼らとの勉強が一番楽しいし
刺激を与えられる。

今度はいつ会えるのやら・・・
それまで、こちらも、研鑚を続けておかないと
日々、厳しい立場で実力を蓄えていく人たちとは
とてもつきあいきれなくなっていく。
そして、元気でいないと!

次回を楽しみに、ありがとう!
偉くなったらよろしくね、と最後のあいさつ。





重みのあるひとこと、清原選手の引退。

2008-10-02 19:41:13 | 輝いて生きる
大阪ドームでの試合を最後にオリックスの清原和博選手が
現役を引退した。

これだけ騒がれ引退を注目されたプロ選手がいるだろうか。

選手として数々の記録を残しながら
打者としては無冠だった清原が最後に射止めた
ファンのみならず多くの関係者からの絶賛は
なにものにも代えがたいご褒美だろうと思う。

まさに「プロの魂をもった存在感のある選手」だった。

それにしても関西に戻ってきたからの三年間は
自分との闘い、復活を目指して故障と闘う鬼気迫る姿は
すさまじいものだったに違いない。

引退しょうと思えばできたのだろうが
ファンに清原の復活と生まれ育った地元関西に
最後の燃焼する姿を見せたかったのだろう
彼の律儀なプロ魂と人柄を思う。

最終打席、清原らしいフルスイングで悔いのない三振
対決した相手杉内投手に
”最高の球だった、ありがとう”と
自分に贈られた最後のボールにサインして贈ったという。

これぞプロ同士の戦い、さわやかな戦いでおわった。

今後について

”最後まで人生のフルスイングを続ける”!

と語っているという。

実に清原さんらしい。
実に重みのあることばだ。


しみじみと思った。

自分の肉体と精神をぎりぎりまで鍛えても
引退の日がくる

しかし

現役を引退する!
と言い切って第一線を退いて行く人がどれだけ
いるやら

自分もそんな人生を送りたい
それには、自分の可能性にとことん挑戦して
初めて言えることなのだろう。

ひとことひとことかみしめるように話す清原さんの
ことばには、やさしさと清々しさを感じた。

甲子園球児として活躍していた姿をスタンドから
息子と何度みたことやら
まだあの頃の大きくふり抜くスイングが目に浮かぶ。

お疲れ様でした。

清原さんの今後に期待と関心があるが
その前にもっと自分に期待と関心を持つことのほうが大事
そんなことを気づかされた清原選手の引退だった。


ウォーキングを始めて9年目。

2008-10-01 23:42:42 | ウォーキング
ウォーキングを始めたのが2000年10月1日
今日で9年目になった。
まる8年もよく歩いてきたと思う。

今夜もあの日に歩いた服部緑地コースを
同じ時間帯の夜の11時すぎ歩いてきた。

最近でこそ
ナイトウォークの回数は少なくなってきたが
この時期、虫の音に癒されて
やっぱり夜は気持ちがいい。

ここは、夜空がきれいで星もみえる
途中の公園のベンチに寝転んで
夜空を眺めながら一息つくのも楽しみだ。

始めた頃は緊急の電話のために10円硬貨を
ポケットに入れていたが
いまは携帯電話にかわった
それだけでも時代の移り変わりを感ずる。

街灯の灯りと夜空以外は
周囲は木立で真っ暗

1日の反省をして心静めて
明日の計画を練るのにも
ナイトウォークはとてもいい。

あれから9年目になるのに
歳は重ねてきたが足の筋力はまちがいなく
ついてきていると思う。

一歩はうそをつかない
継続は力なりということもほんとだ

躊躇せず
まず
一歩踏み出せば
次の足が
歩いてくれる

それを足で知ったウォーキング
これからも続ける

以下は、ウォーキングを始めて1年半後にHPにまとめた記録の一部から
(HPは現存★http://www.human-dy.com/walking.shinmai.html『新米ウォーカーのひとりごと』)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【第一ステップ→決意】
続けていくために涼しくなる10月1日をキックオフの日と決め、慌しい朝をさけて毎夜、1時間、週4日を規準に月20日を目標、1年で240日を大目標に掲げ、ホームグランドを近所の服部緑地公園にした。そして2000年10月1日スタート。とにかく毎日歩くこと。続けること、続けるんだ!という何か悲壮的な時期でした。どこまで続くか毎日がその闘いでした。(ちょっとオーバーか)ウォークを続けていく→習慣化していくための時期だったと思います。歩いた日は、カレンダーの日に○をつけて、○が30たまるとくつを買おう・・・そうして続ける工夫をしたものです。

衝撃だった息子のひとこと!現役のオヤジでいたい!

2008-10-01 16:30:18 | チャレンジ
先週末、ふるさと広島で息子と過ごした二日間は
すっかり昔の父親と幼い日の息子にかえって
のんびりと楽しく過ごすことができた。

カープ勝ち試合の広島の夜、おいしい酒を
酌み交わしながら話していたとき


”ところで、どうして食っているの?”

と息子から突然、聞かれて答えに窮した

"年金でいけるの?" (わずかな国民年金を指して)

たたみかけるような質問

思わず

"カスミを食って生きてるよ"

と返答した・・・
まさかこんなことを息子に聞かれようとは
頭をがっんと叩かれた思いがした。

(オヤジ、なにをしてるんや!大丈夫か?)

と言いたかったのだろう。

しまった
こんな無残な返事しかできなかった自分を恥じたが
もう、遅かった。

それ以上、息子はなにも言わなかった。

これが、あの強かったオヤジなのか・・・
と思ったのかもしれない。

激励するつもりか、単に案じてのことかはわからないが
ここ半年の煮えきらないブログの内容や
キーボードの世界に浸っている姿しか見えないオヤジに
(もっとオヤジらしく! 生涯現役といいながら、なにをしている!)
と言いたかったのかもしれない。


そのあと
息子から、次のステップへ
新たなチャレンジをしていくという話が出た
大賛成だが

大丈夫か?

と、ここでも、言ってはならないことを言って

”やってみないとわからんやろ”

と、いつも、自分が息子に言っていたことを言われた。

頼りない息子とばかり思っていたのに
立場が完全に逆転してしまったと思った。

うれしくもあり悔しくもあったこの会話が
いまなお、耳から離れない。

今日から10月、今年も後半、68歳もちょうど半分過ぎた

流されてはいけない
流れをつくらないといけない

息子訪ねて東海道五十三次と言って歩いてはいるが
息子が望んでいるのはそんなことではない。

好きな仕事でオヤジらしくやって
元気な姿をみせてほしいという
息子からのメッセージと思って
もう一度、環境を整えてチャレンジだ。

”やってみないとわからんやろ”
という息子のことばを力にして

いつまでも現役のオヤジでいなければ・・・。