1/28(日)
サラダボール公演『サド侯爵夫人』
千秋楽、三女と観劇。
いつもより上段の方の席に座ると
頭上に気配を感じ、ふと上を見た。
オレンジ色の照明。
吊るされた電灯がわずかに動くので
電灯のシェード(傘)の向きも動く。
それに光が遮られて影ができるので
何かが頭上を横切るように
感じたのかもしれない。
その揺らぎは
何ともいえない不穏な気配で、
これから始まる物語の
予兆のようだった。
………………
登場人物は
サド侯爵に関わる女たち。
しかし、それぞれの考え方は様々。
共感できそうで…できなかったり、
反感を持ちつつも…
何か気になったり。
それにしても
サド侯爵がやったという
乱行の話がヤバい。
これをどう受け止めたらいいのか
観ながら悩んでしまう。
個人的には
痛みと快楽は繋がらない性質なので
どこまでいっても
理解には至らない。
しかしこれを
悪魔のような所業と
直ちに断罪するのも
どうかと思うし、
そんな人のはずがないと
善人の面だけしか見ないのも
どうかと思う。
とはいえ
褒められた行いとも思えない。
相手のいる話なので
それなりの報酬なり同意なりが
前提だろうが、
そもそも対等とも思えないので
それも問題だよな…なんて。
とにかく
頭を悩ませることには違いない。
女たちの話や反応も
それぞれに違っていて、
ぴったり共感!にも至らない。
それぞれに感じる
引っかかりが気になり
なかなか
すっきりさせてくれなかった。
………………
そうこうしているうちに
かなりの年月が経っていく。
革命、
世の中がひっくり返る。
それと共に
悪徳、美徳もひっくり返って…
それでいいのだろうか?
何でもかんでも
変わればいいという訳では
ないと思った。
けれど
大きな時代のうねりはきっと
動き出したら止まらない。
良い悪いでもなく
そういうものだと思う。
けれどそれが、その人の
心の内から
求めるものでないとしたら?
外からの何かに縛られて
ねじ曲げられているのなら?
時代の変化と共に
振り回され続けるのは
しんどいことだ。
それなら、
世間の規範などお構いなしに
自分の欲望のままに生きる方が
マシなのか?
それも……程度の問題?
だいたいの人は
人と関わりながら生きている。
バランス…
という言葉で終わらせたくはないが
やっぱり必要な気がする。
そのためにも、
自分の芯になる
求めているものは何なのか、
それを見失わないように
したいと思った。
周りの尺度は様々で
その時々で変わっていく。
けれど
自分自身もまた変わる。
決まったものがない
というのは厄介なことだ。
けれど
気持ちよく生きるためには、
今の自分の内側の
あるがままに目を向けること
そこから
始まるのかもしれない。
……とはいえ
それは
簡単なことでもない。
時に苦しいことでもある。
分かったところで
うまくバランスをとれない
状況はいくらでもある。
そういう意味では、
波乱の人生を送った
彼女たちの姿を見ていると
じわっとくるものがあった。
すべて理解はできないけれど
必死に生きた人の姿は尊い。
………………………
今回、
舞台に出ておられた方々には
馴染みがあった。
2010年代 舞台でご一緒した、
その当時演劇コースの
学生さんだった方々。
その後、
アートマネジメント講座を通じて
お話する機会があった俳優さんも。
たまたま、
ホールの外でお見かけして
お話できて良かった!
それも嬉しかったことのひとつ。
……………………
ちなみに
中学生の三女も一緒に観劇。
私は以前
サラダボール公演の
『サド侯爵夫人』を観ていたが
詳しい中身については
頭の中ではリセットされていて…
特にあらすじなど
彼女に説明しないまま行き、
始まってから
あ!アレな話があったわ!
と、気付いた次第。
どうだった?
気になったので聞いてみたところ…
アレな話は
特に気にならなかったらしい。
ところどころ
セリフの言葉が
昔風だったり詩的だったりで、
そのあたりは
十分頭に入ってなかった
かもしれない。
でも、
話している雰囲気とか表情とか
だいたいの感じは分かったよ、と。
あれだけの
セリフ量や熱量にびっくり。
すごいなー
面白かった!
ということだった。
次女とも
観劇後、こんな話をしていたが
年と共に彼女も忙しくなり
観劇自体
一緒に行くこともなくなっていた。
今回、
たまたま話をしたら
行きたい!というので
予約したのだが、
予定があって泣く泣くキャンセル。
それがちょっと残念だった。
またいつか!
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