よっちゃんの独り言

日々の感想を独り言で発信しています

お彼岸におはぎ

2016年03月20日 | 日記
今日はお彼岸の中日だ

当地方は良い天気だが若干風があり、花粉が飛んでいそうだ

孫娘たちが2日前から泊まっていて疲れ気味だが、この賑やかさもいい

おやつに「おはぎ(ぼたもち)」が出た


なぜ「おはぎ」と言うのか、「ぼたもち」との違いはと気になった

「おはぎ」「ぼたもち」は全く同じ物で、炊いた米を軽くついてまとめ分厚く餡で包んだ10cm弱の菓子だと

なぜこの名がついたかは、彼岸の頃に咲くボタン(春)と萩(秋)に由来すると言われていると

なるほど・・・


経済講演会へ

2016年03月18日 | 日記
個人投資家を対象とした経済講演会に出席した

今日の講師は「ケーズデンキ」の代表取締役会長兼CEOである加藤修一氏だった

ケーズデンキは水戸市で創業した

昨年末現在で沖縄、長崎、山口、広島、島根を除く全国に461店舗を持つ、巨大企業となった

一昨年北海道の稚内を旅したとき、目に飛び込んだ「ケーズデンキ」の看板


現会長の父が創業者で昭和22年水戸市において「加藤電気商会」としてスタートした

現在は息子である修一氏が会長兼CEOだ

本日の講演会で加藤氏は冒頭、今年の6月に行われる株主総会で代表取締役会長を辞任すると発言した


実は数日前の新聞でその情報を得ていたがまだ69歳だ、現役続行を望む声もあったが

加藤氏はキッパリと

「65歳を超えて社長はやらない、70歳を超えたら会長も止める、社内にそのようなルールを作らないと会社の存続はない」

今から30年程前、北関東戦争と言われ、「ヤマダ電機」「コジマ電気」とともに「安売り」で競い、生き抜いた自負を感じた


加藤氏が掲げてきた経営方針は「三位一体の方針」

これは「お客様」「お取引の皆様」「従業員」を指しその一つも欠けては会社の存続はない

さらに「無計画に実現なし」

無理して伸ばしてもその後に反動が来れば何にもならない、平らに伸ばすことが賢明

また「労働生産性を上げるためのローコストオペレーションの追及」だと


「がんばらない経営」「正しいことを確実に行う」「お客様第一のために大切なこと」

これらを念頭に「成長し続ける強い社会をめざしている」と


創業から70年、会長は熱弁をふるった

年齢を感じさせない会長のスタイルに感銘を受けた

もっともっと「水戸っぽ魂」を貫いてほしい

右肩上がりの株価はこの暴落時にもじっと安定を保っている







今日は彼岸の入り

2016年03月17日 | 日記
暖かな一日だった

当地では昼間の気温が20度越えだった

昨日はいつものメンバーでゴルフ、寒かったが楽しかった

今日は3月17日、彼岸の入りだ

春分の日(20日)を挟み1週間がお彼岸だ

秋の彼岸は見事な「曼珠沙華」で鮮やかだが、この時期の花は梅や菜の花か

辛夷の芽が膨らみいつもの春がすぐそこまで来ている


(ネットから無断引用しました)

今日は次女が帰ってきた

みんなでお墓の掃除に出かけた

落ち葉を掃き清め、墓石を丁寧に拭き取った


お彼岸は「太陽が真東から登り真西に沈む日」で遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりだと

彼岸中は親戚縁者が墓参に出かけてくる、楽しみでもある












茨城空港に台湾台北便が!

2016年03月15日 | 茨城空港
海外との路線拡張を目指す茨城空港に今日台湾台北からの定期便が就航した

個人的にも望んでいたこともあり見学に出かけた

午前11時すぎ「Vair」の機体が姿を見せた




ほぼ満席に近い乗客が


茨城空港はボーディングブリッジはなく、歩いて到着ロビーへ移動する

マーチングバンドで有名な県立大洗高校の生徒がマーチを演奏、大歓迎だ


空港内では大掛かりな歓迎式典が行われた




橋本知事とVエアー関係者


歓迎には北関東3県のマスコットが勢ぞろい
茨城県の「ハッスル黄門」栃木県の「とちまるくん」群馬県の「ぐんまちゃん」


ハッスル黄門とVエアーのマスコット「アメリカクロクマ」
台湾のアメリカクロクマは典型的なVシェープ胸マーク を持つ動物だ



知らなかった!衝撃でした!

2016年03月13日 | 日記
さきほど、テレビでNHKスペシャル(「原発メルトダウン」危機深刻化した88時間新証言で実録ドラマ化)を見ました

知らなかった! 衝撃だった!


5年前の3月11日午後2時46分私は宮城県の東北自動車道を花巻市に向け北上していました

詳細は下記ブログをご覧下さい


いばらきの祭りを研究する会ブログ

http://blog.goo.ne.jp/7n2epn_1949/m/201103


大きな揺れのあと続けて何度も何度も余震があり、目的地をあきらめ夢中で帰路についていました

国道4号は雪が舞い、大渋滞が続きいつ戻れるかもわからない、ガソリンは少なくなる、不安の中なんとか翌朝家にたどり着きました


まさにその時間に福島第一原発では想像を絶する闘いがあったと知りました

これまでそれなりの報道には接していましたが、これほど詳細に再現されたのは見たことがなく当時の様子がよくわかりました

よく放送してくれました

1号機、3号機の水素爆発につづく2号機のメルトダウンに伴う格納容器破裂危機

2号機の格納容器破裂爆発が起これば「東日本壊滅!」と必死に闘った東電関係者


今なお放射線の被災で避難を余儀なくされている人の苦悩だけが伝えられているが、関わった人たちや吉田所長の苦悩をこれまで知らなかったことを恥じたい気持ちだ


見終えたあと関係者とはいえ死を省みることなく復旧に全力を注いだ東電の人たちに感謝の気持ちでいっぱいになった

現場に8か月もの間、缶詰状態で指揮にあたった吉田所長、所長は2年半後食道がんで帰らぬ人となった

58歳だったと

現場の状況をわかりもしない官邸や原子力安全委員会からの執拗な指示

吉田所長の「核を制御できるのか!」と悲痛な叫びが聞こえるようだ