昨日は、とてもお天気が良かったので
家の中にいてももったいない、お昼時でちょうどお腹も空いてきたことだし
じゃぁ、お昼を食べに行こう!ということになり、
それならば~、とちょっと足を伸ばして前々から行こうと思っていた
「吉野台地探訪」に、父とドライブしてきました。
寺山公園へは去年の8月に初めて行きましたが、→ mixi日記「寺山展望台へ。(8月23日 処暑)」☆これは後日当ブログにアップした記事があります↓
『「寺山展望台へ。(8月23日 処暑)」mixi日記より』(2007.8.24)
今回はそこへ向かう途中にある上之原(かみのはら)から実方神社へ向かい、
その近くにある別府晋介誕生の地などを見て回るのが目的。
実は今月9日の地元南日本新聞の夕刊に載っていたのですが、
そこで紹介されていたコースを逆に上から麓へ辿ってみました。
☆この実方というところは、
戦後父が四国の海軍航空基地から鹿児島へ引き上げてきた時に、
吉野・実方(さねかた)の親戚の家を訪ね、
その後2ヶ月ほど暮らした場所なのだそうです。
その親戚の家へ行くのに、市内の上町(かんまち)から皷川を通り、
たんたどの坂道をひたすら歩いて(車なんてありませんから)
登って行ったそうなのですが、
〈名越(なごや)どん坂〉 〈新実方橋〉 ☆画像をクリックすると拡大表示されます
当時の道と比べ、現在の道路ではすっかり変わってしまっているうえ、
手がかりの「実方橋」も過年豪雨で流され、
今では幹線道路が「新実方橋」を通っているので、
父は「今行ってもわからないだろう。」と諦めていたのです。
そうなると、俄然確かめに行ってみたいのが、私(笑)
今日を好機と出かけたというワケです。
☆☆☆
上之原(かみのはら)へ到着すると、桜島を眼前に上之原振興会館があり、
同じ敷地内の一角に、原五社神社と
上之原集落発祥220年祭(平成10年10月建立)記念碑があります。
この、「上之原(かみのはら)集落」というのが何なのかというと、
1779(安政8)年10月の桜島大噴火の際に、
桜島・黒神から避難してきた人たちが、初めは城下に造られた長屋から
現在に吉野中学校の土地へ移った後、永住の地として
故郷の桜島を望める現在の場所を選んで開墾したのだそうです。
そこから吉野町の中心部を抜けると
〈松十文字バス停〉 〈駄馬落バス停〉
「新・実方橋」手前(下りの場合・左手)に
実方神社と、西南戦争の終焉の地・城山で西郷隆盛を介錯したと伝わる別府晋介の
誕生の地があります。
〈実方神社〉
〈別府晋介誕生地の入り口〉 〈別府晋介誕生地跡〉
近くに桐野利秋の誕生地もありますが、
今回は車で通り過ぎただけでした。(桐野利秋は別府の従兄)
結局、父がしばらく住んでいた親戚の家のあった所はわかりませんでしたが
おそらくこの辺だろう、という場所は小川(稲荷川)が流れていて
なんだか懐かしいような、郷愁にかられる風景が広がっていました。
☆‥‥‥と、ここまで書いて、やっぱりもう少しハッキリさせたくて
今父と、地図を開いて昨日辿ったところを思い返しながら話しをしてみたら
だいたいの目星がつきました! しつこく訊いてよかったです。
まぁ、親というのはあまり多くを語らないものですね、
こちらが訊いてみない限り。(笑)
おそらく、別府晋介の誕生地の下の、川沿いであろう、という結論でした。
また、時間を作って行ってみようと思います。
☆以上、2017年4月8日に過去日記アップ☆
当時撮った写真もこちらに追加アップしておきます。
〈御内用方の跡〉