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年が明けて最初の投稿です。本年もどうぞよろしくお願い致します。^_^♪
さて、今日1月11日は、去年の3月の記事『島津登について』に書いた、曾祖父夫婦が子供ふたり(祖父とその姉)共々養子に入った先の、養母(要するに今の姓である)栗川スガの誕生日でした。
そして余談ながら、偶然にも私の兄の誕生日でもあります。
ところで、この曾祖父・轟の養母・スガについては、1837年(天保8)生まれで1902年(明治35)4月18日に吉田村で亡くなった(享年数え年で66)ということと、「明治4年2月17日 鹿児島県鹿児島郡上竜尾町 島津對馬 長女 入籍ス」ということくらいしかわかりません。(☆昨年が生誕180年にあたりますね)
ただ、以前からブログを見て下さっている黎明館の前・調査史料室長(現・学芸課長 )内倉氏が昨年送って下さった史料で、和泉家の流れを継ぐ今和泉島津家に「島津對馬 忠喬」とあり「こちらでは?」とご教示下さいました。
この「島津忠喬」は篤姫の父・島津忠剛(ただたけ?ただとき?ただかた?)の父(養父)にあたる方で、忠剛のあとは嫡男・忠冬が継いだのち亡くなったためその弟・忠敬(ただゆき)が今和泉家を継ぎました。
※『篤姫』より岡田義徳さん演じる島津忠敬
また、忠剛の次男(3男?)・久敬(ひさたか)は永吉島津家に養子に入った、と大河ドラマ『天璋院 篤姫』でも言っていたように記憶しています(この件は手元に資料がなく未確認)。
この永吉家を、名越左源太の妻・タネの弟・島津久籌(ひさとし)が継いでいることは以前にも書きましたが、この辺りの繋がりでもあるのかもしれませんね。
※以上を書くために、きのうから資料を読み直したりして、実際に書き終わったのは12日の深夜。
永吉島津家と前期・後期の佐土原家とのこと(←これについては初めて知りました!)や、今和泉家など時代の流れで途絶えた家系を吉貴の嫡男・継豊が弟たちに復興させたことや、その他の分家なども読み返しているうちに時間が経ってしまいました(泣)
*「忠郷(たださと)」→「忠卿(ただあきら)」についてはチェストブログに以前書いていたので、宜しければお読みください。