☆☆ゆきのおと Yuki's Note ♪☆☆

☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
☆記事・写真などの複写・転載はご遠慮ください

気になってたこと

2009-09-13 08:40:31 | 名越左源太と家族
随分前から気になっていたのだけど、
Wikipediaで左源太さんの生年月日をみると、
文政2年生まれで西暦が「1820年」と書かれていたのです。
(BIGLOBE百科事典などはWikiにリンクしてるからなのか
 そのままそっくりコピーだし


内村さんがまとめられた資料には、
文政2年(1819年)の12月28日生まれで
明治14年(1881年)6月16日に亡くなった
と書かれていました。
(名越護さんの「南島雑話の世界」には
 ちゃんと1819年生まれと書かれていますね。)


なので、
これまでも釈然としないままに確認せずにいたのですが、
先週金曜日(今頃になってなんですけど
どうしても放っておけずに電子辞書で調べてみると
文政年間は1818年4.22から1830年12.10までとなっていました。

なので、Wikiの左源太さんのページ、
修正をかけておきました。


*******************


気になると言えば、
先祖・家族の生没年のこと。

資料などを読んでるときは分かったつもりになっていても
すぐに記憶が曖昧になるのが家族の誕生日と命日。

つい最近になって
携帯電話のカレンダーに書き込むことにしました。
命日だけでなく誕生日も
(誕生日も大事な日ですもんね

そこで、
左源太さんの生没年月日をハッキリ覚えてなかったので
確認作業をしたのでした。

ちなみに、父方の祖父(左源太の孫)篤彦が生まれたのは
明治14年(1881年)の5月16日。
そう!左源太さんが亡くなる1ヶ月前が誕生日なんです~



私が生まれた時に唯一健在だった母方の祖父の命日ですら
ちゃんと覚えていませんでした。。。
(ごめんね、栄おじいさ~ん

いえ、鹿児島では毎月のようにお墓参りをするのが普通なので、
母の命日23日前後にはお参りしているから
問題ないとは思うんですけどね


ところで、つい1~2年前まで
「祥月命日」の意味を知らなかった私。
てっきり「月命日」のことだと思っていました。

そんなこんなで明日は栄じいさんの月命日です。


最後は左源太さんとは直接関係ない話でした~


*次からは、左源太の4人の子供たちのことに触れようと思います。
では~
 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 96歳 | トップ | 姉と弟 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

名越左源太と家族」カテゴリの最新記事