前回『「4月22日 大坂の宿屋・増元泊、西村時彦様と道頓堀の芝居見物へ」』で「三桝太夫」について触れましたが、ネット検索すると「三枡太夫」に「さんしょうだゆう」と振り仮名されているものがありました。
イサさんの『都見物日記』にはフリガナがないので、「三桝」から「みます」だと思い電子辞書を引いたわけですが、もしかしたら「山椒大夫(さんしょうだゆう)」だったのでしょうか??
イサさんの日記には「芝居は三桝太夫と申物にて あわれなる外題に候、‥‥」とあります。
改めて、電子辞書(広辞苑)で確認してみました。
「『山椒大夫』‥‥ 丹後国加佐郡由良に住んで、強欲非道の富者としてつたえられる人。(この名は由良長者の話を語り歩いた太夫の称に由来するかという)
讒(ざん)によって筑紫に流された陸奥太守の子の安寿姫と厨子王は、母と共に父を尋ねる途中 人買い山岡太夫の手に渡り、母は佐渡へ、2子は山椒大夫に売られる。
姉は弟を逃して死んだが、厨子王は京都に上り、山椒大夫・山岡太夫を誅し、仇を報いたという。
中世以来、小説・演劇の題材となり、森鴎外にも作品がある。山荘太夫・三庄太夫とも書く。」
なるほど、内容からすると、イサさんたちが見た芝居は
「山椒大夫(さんしょうだゆう)」の事だったみたいですね
参考までに、江戸時代後期、上方に 「三枡大五郎(4代目)」 という役者がいたそうです。
以前「三枡太夫を」調べた時に、これを見て何か勘違いしたかも知れません。。^^;
余計なことかもしれませんが、町田實明さんって、名越さんと関係ありませんよね?
http://dangodazo.blog83.fc2.com/blog-entry-310.html
ここに「町田八右衛門廣正」という名前の方が、「 それから名越平馬は町田家二男家(久政家)から養子に行った名越盛胤(町田實明)の孫で親戚関係です。」と書かれているのです!
盛胤は名越左源太時敏の父、その妻ということは、左源太の実母の可能性がありますよね!!
だとしたらshinshinさん、すごい発見をして下さったんですね♪ありがとうございます〜
確認しなくてはなりませんね!
少しでも新たな発見があると嬉しいですよね!
でも見てみたいと思っていますので、必ず行くつもりです。ありがとうございます。
ところで、「shinshin」さんはどちらに?
しんいちさんのブログも読んでみたいです〜
そして、その花屋さんの少し上の一番右奥あたりに町田姓の墓の一部が置かれてあります。足元があまりよくありません…。
このgooblog、チャレンジしては失敗を繰り返しているんです…(笑)
ゆきのおとを読ませていただくことが目的でしたので、自分ではまだ写真をアップしたことはありません。もし成功したら教えますね(笑)
長い階段を上ると左手のコンクリートの小屋?だかトイレだかは目に入るのですが、右手ですね。
山を見て右手奥に進むと、「嶋津」とか「島津」の墓石群は見たことあります。
2年前の5月に行った時の画像を探しましたが、ブログ内を探しても見当たらないので、FBでしか上げてなかったようです。
あとで画像込みで記事にしてみますね。