神戸・薩摩屋、最後の夜です。衝撃のアクシデントが、あったとか、、なかったとか、、いや、あったようです
『都見物日記』(八)‥‥ ④ (※印は、ゆき註釈)
五・二六 今日雨。六時おき茶飲み 夫(※ソレ)より程なく 青山と申すお方はなしにお出、又 鈴木信弥さんと申お方 お出にて暫らくお談(※ハナシ)、九時過にお帰りの事。 程なく三原母様、西村時彦様とお出、今日船も出帆之はずにて 此方へお越しにてゆるゆると成され、皆々十二時過にはめし、牛(ギュウ)など向こうさん買入 ちんと酒などお分かれに飲かた(※飲み方=宴、酒飲み)有之候。二時には西村さんもお帰り之事。
三時過に楠公社辺に又歩行致し、少し雨降出し せわせわ敷候に付、早目にかえり候得ば 上(カミ)の納屋の上の田尻様もお出の事。 夕飯は此宿にて四人ともたべ、ゆるゆるといたし居り候処、鈴木さんお出にて、それより酒、牛など差出し、芸者の御馳走など有ておもしろく、ゆるゆるゆると致され十一時前お帰之事。
轟どの酔候て小便を二階のすみにて致され、小便所と思いてのことならん。轟どの格別のしくじりもなかりしに 終にしくじりの終(シマ)いを首尾いたされ、おかしおかし、皆大笑。十二時いね候。
「青山と申すお方」は他の日には出て来ないと思いますが、どなたの関係かはわかりません。
「鈴木信弥」という方は、 往路の4月21日の日記に「名越氏の知人」と書かれています。神戸最後のこの日は午前中と夜にも宿に来られていますね。また、明日27日の日記では、イサさん達が神戸を離れる時にもお暇乞いにおいでになります。
「名越氏の知人」ということですので、よほど縁の深い方なのかもしれません。ただ、ここでいう「名越氏」が誰のことなのかまではわかりませんが、時成兄さんか、その家系の方かもしれませんね。
「牛(ギュウ)」というのは「神戸ビーフ」でしょうか?「向こうさん買入」とは西村時彦様がお昼にお別れのお酒と共にご馳走下さったということ?
「夕飯は此宿にて四人ともたべ、」とあるのは西村時彦様が帰られて、三原氏母様と御三方との四人ですね。
あと、よくわからないのが「上(カミ)の納屋の上の田尻様」です。「納屋(なや)」というと、鹿児島市街地にある地名の「納屋通り」というのがあります。
「田尻様」で思い浮かんだのは、「田尻務」様。桂久武の兄で、霧島神宮の初代宮司になられた方で、その後を左源太の妻・タネの実弟が明治7年から2代目宮司になっています。・・・が、「上の納屋の上の‥‥」というのだから、違うでしょうね?? どちらの田尻様でしょう??
轟の「しくじり」は、ひ孫としては恥ずかしいので、小文字にしました
(大笑いされてるし〜
)