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☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
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曽祖父・轟の兄、時成の命日

2020-11-07 22:29:33 | 薩摩藩英国留学生

今日、11月7日は、名越時成さんの命日でした。

明治44年に、宮崎県高鍋で亡くなったようです。満64歳。

〈弘化四(1847)年 9月24日生まれ ー 明治44(1911)年 11月7日卒〉

亡くなって今年で109年、ですね。

(調べたら、弘化元年は1844年12月2日から始まっているようですので、弘化四年九月は1848年‥‥と思ったら、1848年2月28日で終わってる??この辺がいまだによく分かりません。。

  

時成さんについては知っている事はさほど無いのですが、

以前、知らないうちに繋がっていたという、不思議な縁がありました。

 

20年近く前に勤めていた仕事の関係で知り合った方から「英会話に興味がある?もし習いたいなら良い先生を知ってるよ」と、ある方を紹介されたのです。

 

年齢的にも近いその先生の英会話クラスに通い始めて、洋楽好きという共通点などもあり、英語の授業以外にもいろいろ雑談するうちに、私が先祖について調べていることを話していると、同じ先祖であることがわかったのです

それも、通い始めてだいぶ経った頃でした。

 

それが、「時成兄さん」の娘のお孫さんだった!というわけです これだけでもすごいですよね〜

 

そして、そのお祖母様が亡くなって日も浅い頃か、法事が終わって紹介して下さった方のレストランに先生がご夫婦でたまたまいらしていた時に、これまた偶々私もお店に遊びに行き、お店のカウンターの隣に座っていたのがその英会話教室の先生だったと、後から教えて頂いたのでした。

 

そのお祖母様(時成さんの長女)も台湾で教師(確か美術でしたか?)をされていたということでした。

そして戦争前だったか戦後だったかに台湾から日本本土、鹿児島県に引き揚げて来られたそうです。

私の父も湾生(台湾生まれ台湾育ち)なので、より親しみが湧きました。

先生のお祖母様も、女性教師ということもあり、引き揚げてから苦労されたという話をされていたことを覚えています。

 

もうだいぶ前のことなので、細かいところは記憶違いもあるかもしれませんが、さほど間違っていないと思います。

時成さんの命日に、そんなことを思い出しました。

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