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☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
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【第2話】4月17日出帆〜4月23日大坂に2泊

2019-07-25 00:30:25 | 都見物日記プロローグ

 いつもお読みいただきありがとうございます

この記事はカテゴリー『都見物日記』として書いております。

シリーズでお読みいただくためにはカテゴリーから『都見物日記』をクリックしていただくと読みやすいと思います

 

今回は、大まかな旅程や宿泊先などを記してみようと思います。

明治23年4月17日の出帆から5月29日の鹿児島到着まであるので、

まずは、4月17日〜4月23日大坂への宿泊まで。

 

 『都見物日記』とは 

名越左源太時敏の長女・イサが記した『都見物日記』は、

先日の 「永吉の九良賀野 辰彦様と水上の野元彦十郎様」 でも少しだけ内容紹介を書きましたが、

川上家のイサさんのお姑さん、イサさん、それと弟である私の曾祖父・轟の三人で船や鉄道を乗り継ぎ、讃州多度津〜金比羅参詣〜兵庫・大坂・西京・津〜伊勢参詣〜東京・日光・などを巡った際の日記で、明治23年4月17日鹿児島出発から5月29日までの旅の様子が書かれています。

      

 

明治二十三年 四月

『都見物日記』 川上イサ 五十一才

 

《 ザッと主な流れ 》

 

M. 23  4.17  AM9時過ぎ出立しほどなく乗船

       PM2時前 出帆(豊瑞丸)

 

    4.18  終日船内

    4.19  雨。霧。昼食後、讃州多度津の港に着く

      4時頃豊瑞丸から釣り船に降りて、夕方陸に上がる  

      総勢26名、汽車にて金比羅様へ(夜10時頃まで)

          帰りに大茶屋「虎屋」で食事

       夜10時頃、汽車で浜近くまで、それから舟で豊瑞丸を目指すも

      霧で何も見えず、小舟にて26名で夜を明かす

 

   4.20  天気よし。朝霧にて何も分からず昼寝。夜、沖に船(豊瑞丸)を見つけ

      皆騒ぎ立ち賑やかに。ほかに大勢が乗り込み、夜中0時頃までせわしく

      1時頃寝入る

 

   4.21  朝4時より船出帆、天気よし。

      少し風も出て晴れ上がり、船も揺れず昼寝。

      午後、淡路島を眺め、兵庫港入り

           宿屋「薩摩屋」 ※名越家と川上方へ端書を送る

           神戸楠公社へ参詣

 

   4.22  天気よし。7時過ぎに目覚め茶飲み、飯食べ、

      すぐに神戸の停車場へ行き、二時間待ち。

      10時前に汽車に乗り、11時過ぎには大坂の「増元」という宿屋着き昼飯

          イサさんは宿屋で留守番

      出掛けていた姑さんと轟さんが戻り、昼過ぎより大坂市中見物

      夜は道頓堀へ芝居見物

※大坂2泊

 

   4.23  雨。昼は「増元」にて。夜は三原氏お母様と4人で「源水楼茶屋」へ

 

 三原氏お母様は、曾祖父・轟の妻、ツタの実母です。曽祖父ら三人とは別に鹿児島市から大阪へ出向いていたということでしょうか。

 

《次回へ続く》

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