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☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
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「是枝柳右衛門の碑」

2019-02-22 22:04:39 | 谷山街道散策2008

カテゴリー:谷山街道散策2008 第4談

引き続き、11年前に投稿した『5月の歴史探訪フォトアルバム-3』の画像をアップし直すために新たに書いています。

今回紹介するのは、寺田屋騒動に関わった町人出身の武士で屋久島に流された後48歳で亡くなった是枝柳右衛門、
その頌徳(しょうとく)碑、「是枝柳右衛門の碑」です。
谷山街道沿いの上松崎公民館横の奥にありました。


隣は谷山商工会館だったことを失念していましたが、FBFの方の投稿で確認できました!
(古瀬さんありがとうございます♪)


生家はこれより南へ200mほどのところにあったという事です。
(↓クリックすると拡大されますが、画質が悪く分かりにくくてすみません。。。)


是枝柳右衛門が残した日記に『羈中浮草(きちゅうぶそう)』『志天之友』等があるそうです。


2008年に訪ねた際はあまり幕末・維新期の歴史に馴染みが薄かったので、「寺田屋事件」も名前を聞いた事はあるもののどんな人たちが関わっていたかなどはほとんど知らないに等しいものでした。当然、説明板を読んでも理解できたとは言い難く‥‥。

況してや、「是枝柳右衛門」と言われてもピンと来ませんでしたが、最近フェイスブックでのお友達の方たちの投稿に、是枝柳右衛門の名を見つけ、「確か以前谷山街道まち歩きの際に目にしたのがこの人だったような‥‥??」と思い『5月の歴史探訪フォトアルバム-3』の画像を確認した事から、この「谷山街道散策2008」シリーズを再編成したうえで立ち上げたのでした。

《谷山街道の表示》


街道沿いに見つけた「名越」さんの表札。立派な門構えと御庭でした。
(こちらの読みは「なごし」かな?「なごえ」かな?)


谷山街道散策は、次回最終回の予定です。



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