カテゴリー:谷山街道散策 2008 第2談
前回の『伝・豊臣秀頼の墓』に続き、2008年8月5日の『5月の歴史探訪フォトアルバム-3』の内、鹿児島市谷山の「木之下」地区についての「まち歩き記録」です。
当時のまち歩きガイドのお話によると、「木之下」という地名も「豊臣秀頼の伝説」に関連しているのかも知れないということでした。
木之下公民館
木之下公民館前の石碑
半鐘建設記念碑
半鐘寄付者の名前
田の神さぁと馬頭神と
田の神(木之下)
「田の神」(案内板より)
田の神像は、鹿児島県本土と、宮崎の一部にしかみられない貴重な民俗文化財です
江戸時代中頃から稲の豊作を願って、用水路や田んぼのあぜに立てられたもので、”タノカンサァー”と呼んでいます
また、昔は、この"タノカンサァー"を囲んで宴を催す「田の神講」も盛んに行なわれていました(以下略)
撮影:2008.5.18
前回の『伝・豊臣秀頼の墓』に続き、2008年8月5日の『5月の歴史探訪フォトアルバム-3』の内、鹿児島市谷山の「木之下」地区についての「まち歩き記録」です。
当時のまち歩きガイドのお話によると、「木之下」という地名も「豊臣秀頼の伝説」に関連しているのかも知れないということでした。
木之下公民館
木之下公民館前の石碑
半鐘建設記念碑
半鐘寄付者の名前
田の神さぁと馬頭神と
田の神(木之下)
「田の神」(案内板より)
田の神像は、鹿児島県本土と、宮崎の一部にしかみられない貴重な民俗文化財です
江戸時代中頃から稲の豊作を願って、用水路や田んぼのあぜに立てられたもので、”タノカンサァー”と呼んでいます
また、昔は、この"タノカンサァー"を囲んで宴を催す「田の神講」も盛んに行なわれていました(以下略)
撮影:2008.5.18