春ですね〜 梅の花も咲いています
近くの公園では桜の花が咲いているところも
さて、先日、左源太じい様の武術について書いたのに →『旧国宝の刀発見から篤烈の槍術へ』
剣術の流派と師範のことを書き忘れていました
剣術は「川上天真流」とあったのだけど、ネットで検索した限りでは分かりませんでした。
ただ師範は「加藤権兵衛」とのことだったので調べたら、『日本掃苔録掲示板』の「島津家関連」トピックの書き込み「南林寺由来墓」(2005.6.18)の暮石一覧に
「4列目 加藤権兵衛 藩士・天真流」とありました
まだ南洲寺に行ってないけど、行く前にこの件を見つけられたのは良かった
「南林寺由緒墓」関連記事(2022.7.22 追記)
で、さらに槍術「鏡智流」について調べてみた。
槍術の「鏡智流」では鹿児島大学デジタルコレクションに『鏡智流槍術由来』というものがあった。
著者は「梅田九左衛門」とある。左源太じい様(20代前半当時の名前は篤烈)の師は「梅田九之丞」だけど、関連は?
「鏡智流」で検索すると、「本心鏡智流」で尼崎の槍術とか出てくるので、
「鏡智流 梅田九之丞」と師範の名前とでチェックしたら、いろいろわかって来た!
梅田治繁の子が、薩摩で鏡智流の師範となるのか
盛庸の次男「盛香」は1806年没。その次代の人物が「九之丞」かな?
「盛香」の子孫の項には「子の盛秀が家督を継ぐ」とあった。 また「安政年間に大山巌に槍術を教えた梅田九左衛門治哲も子孫と思われる。」とある! でも「九之丞」ではない。この「九左衛門治哲」とも別人?