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『古の遺愛』繋がりで「伊集院俊矩」の名を知る

2021-08-25 23:12:00 | 『古の遺愛』と島津宗信公

先日、当拙ブログのアクセス状況をチェックすると、

「アクセスされたページ」の中に『「古の遺愛」とは?』が上がっていたのです。

 

記事の中の何かが検索でヒットしたか何かなのでしょうけど、何を書いていたか自分でも見直してみたんです。

 

で、ここに貼ってあったリンク先を久しぶりに読み直してみたところ、

最初の項「一  「古の遺愛」について」にあった「伊集院俊矩」という人物が気になったわけです。

 

この伊集院俊矩という人は「宗信の傳育役」で、

「その事績を収録した「伊集院俊矩言行集」も篤烈(=名越左源太時敏)は書写している」とありました。

 

そこで「伊集院俊徳」で検索したところ、『第七部 鹿児島の金石文』という、

鹿児島市のHPの史料がヒットしたので、このPDFのどこにこの名前が載っているのか探してみました。

 

すると、ページ「七六一〜」の「17. 福昌寺址諸碑(池之上町)」の中の

「島津重豪公神道碑銘」(七六三〜七六六)に続いて「伊集院俊矩之碑」というのが出てきました!

碑文については‥‥ちょっと読みこなせないので割愛しますが(汗)、

「17. 福昌寺址諸碑」に記されているということは、福昌寺跡の墓地にあるということなのでしょうか?

 

 

 なお、この鹿児島市史の『鹿児島の金石文』PDFには、

更にいろんな石碑の碑文が載っているので、

興味のある方はじっくり読んでみることをお勧めします

私も「29 水神碑」以降はざっと目を通しただけなのですが、

それでも「三原藤五郎」とか「西村時彦 撰」など

気になる名前もいくつかありました。

また時間をかけて見てみたいと思います。

  画像は、今となっては懐かしい、御楼門復元前の鶴丸城入り口

 (2008年1月27日撮影)

 

 

 

 


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