『都見物日記』(一)‥‥ ④
目次がわりにこちらをお読みください → 『【第2話】4月17日出帆〜4月23日大坂に2泊』
鹿児島を発って4日目、四国金比羅様参詣を果たしたものの、本船に帰れず小舟で過ごした一行は‥‥
四・二○ 天気よし。先(マズ)これでもすまないと 又多度津へより 朝飯をたべ一人が十五銭宛、それから矢張り矢張り朝霧にて何も分からず ひるねを追々致し つるつるといたしおり候へば、夜 沖に船がみえた見えたと 皆々さわぎ立ち サア本船が見えた故、本船に乗たしとて 渡し船を頼みて行きますと、皆々も賑やかになり喜びて 多度津茶屋より帰り 小船にのり大船に乗り付(ツケ)、船よりも待居成され 直とひる時にて 飯差出し成され、たべ、四時頃に夕飯、其よりゆるゆるしており、又今晩は外に大勢の人がのりこみ有り、十二時頃迄はせわしく 一時頃よりよくいね入候也
以上の4日分は一つも省略していない。七十年前、若法師生れる前年の旅日記で興味津々である(若)
※ 「若法師」とは、寺師若法師さんご自身のことで、(若)もご自身のこと
初めてご覧の方は、こちらを参照下さい →『【第4話】紹介者は、寺師若法師さん』
以前ゆきさんのブログに「興国寺墓地」のことが書かれてあったことを思いだし、本日初めて行ってきました。
昔の古い墓石がたくさん残されてあり、ビックリしました。
町田孫太夫さんのお墓がないかと思って探してみましたが、今日見た限りではわかりませんでした。しかし、町田姓の墓石は7~8つくらい見つけることができました。
多くの墓が誰も見る人がいないというような看板が立てられていました。
草など植物が墓石に絡み、文字が読み取れないものもたくさんありました。
一つずつ、きれいにたわしで研き、きれいにしたら、いろんな歴史が発見できそうだな~って勝手に思ったところでした!
興国寺墓地で町田姓のお墓を複数見つけられたって、すごいですね〜!
かなり広範囲ですが、どの辺りでしょう?
私は2度とも父と同伴だったので、あまり回りきれていません。島津・嶋津姓のお墓は(遠目に)目にしましたが、できればもう少し時間をかけてみてみたいものです。今からだといろんなものが出てきそうで躊躇してしまいますが‥‥(苦笑)