一文字 寅 の 「風菜園(かぜさいえん)」 

「天に星。地に花。人に愛。」 風に乗って、日々の所感を「風菜園」から発信してまいります。

人呼んで「金運・鍋焼きうどん」 ・・・かな?    1/23

2011年01月23日 16時41分30秒 | 『麺』食い人間なんだよな

( 自作「鍋焼きうどん」 ) 2011/1/23  12:20撮影

 

■2011/1/23(日) 晴

早速前述の 「大寒たまご」を昼に使ってみることにした。

得意の「鍋焼きうどん」に入れよう。

得意と書いたのは、鍋焼きうどんが、昔から大好きで、

高校時代からは自分で良く作っていたメニューだから。

 

 使い込んだ銀峰・三島のMy土鍋を取り出し

ダシは、先輩から戴いていた『椒房庵の茅の舎つゆ』を使った。

麺は、しこしこ麺よりふっくらもっちりタイプにした。

ある程度煮込んで、柚子胡椒。 最後の蓋をする前に「大寒たまご」をポトリ。

これで金運アップするのならお腹もふところも暖かくなって

まさに一石二鳥というものだ。

 

今日の場合は、別名「金運・鍋焼きうどん」と言ったところだろうか。

期待したい

(寅)

 


「大寒たまご」手に入れました。   1/23 

2011年01月23日 16時09分05秒 | Weblog

(  「大寒」たまご ) 

 

■2011/1/23(日) 晴

先日1/20のこのブログに

「大寒」の日に産んだ卵を食べると金運がアップする言い伝えがあると書いた。

冷蔵庫を開けると妻が金曜日に買ったという卵が、運良く

産卵日11.01.20の 大寒たまご だった。

早速、あやかってみようか・・・な

金運卵

(寅)

 

 

 


寒気少し緩み 晴天の葛城山(奈良県)   1//23

2011年01月23日 14時18分58秒 | 風の噂の「お天気たち」

( 葛城山  御所・葛城市境界地点より) 2011/1/23   am10:00撮影

 

■2011/1/23(日) 晴天

氷点下2℃~ 3℃で推移した 1週間前に比べると

今日のような天候は 「穏やかな晴天」 だといえるだろう。

葛城山の雪も日ごとに少なく、わずかに ロープウェーのラインあたりに

少しばかり残っている程度である。

写真は、左側奥1/4が金剛山 その右側3/4が葛城山、 

思い起こせば、わずか3ケ月前は、とても心地よい天候続きのだった。

そして3ケ月後、この葛城山の山頂近くは溢れんばかりのツツジが咲く。

どちらにしても2月の寒波再来を乗り切れば暖かい春は遠くないだろう。

(寅)

 

 

 


ビールの講演聴いたあとの昼食は、こんなもなんです。    1/22

2011年01月23日 13時33分00秒 | 『食』べる門には福来たる

( 昼食  葛城事業部「社員食堂」) 2011/1/22  12:00撮影

 

■2011/1/22(土) 晴

葛城事業部のホールで「サントリービール」の講演を聴いた後、正午近くでもあり、

折角だから1F厚生棟の社員食堂で昼食をして家に戻ることにした。

大きな窓ガラスの前では山茶花(さざんか)が咲いている、そして

左手には、葛城山の稜線の端が見え隠れしている

陽射しの入る窓際のカウンターで食事をとった。

 

(写真の通り)「和風カツ・ポテトサラダ・おでん3品・味噌汁・ごはんに浅漬け」

しめて550円なり~

 

至って平凡メニューだが、めったに来ない環境でとった食事なので

美味しくいただくことができた。

ごちそうさま~

(寅)

 


『サントリーのビール事業について 貴重な講演を頂いた48年目の日 「ザ・プレミアムモルツ」 1/22

2011年01月23日 13時08分18秒 | みんな~愛『酒』てるかい

( SUNTORY「ザ プレミアムモルツ」 )

 

■2011/1/22(土) 晴

くしくも丁度48年前の今日 1963年1月22日

サントリーのビール事業が産ぶ声をあげたのだそうだ。

今日は 「サントリービールの苦難の歴史・ビール事業について」

サントリー取締役・寺永氏を招いて貴重な講演を聴く機会に恵まれた。

主催したのは、うちの本部。 私は放送・大画面で拝聴する立場だった。

 

1%にも満たないシェアから13%の現在のシェアに至るまで

実に48年を費やしてきた苦難の「サントリー・ビール事業」

その転機となったのは、

2005年・2006年・2007年

3年連続でモンドセレクション最高金賞受賞

 だったという。

 

「味は、国際的に折り紙つきだ、ならばなぜシェアが上がらないのか?」

そこの課題を徹底的に掘り下げた。

物流から営業の末端まで味にこだわった管理の見直しをした。

そして作り手の思い(=ピルスナービールで最高峰を目指す)をしっかり飲み手に伝える。

そこから現在の「ザ プレミアムモルツ」の快進撃が始まったという。

 

最盛期の1/10まで売り上げが落ちたウィスキーの凋落は、

作り手も営業も飲み手を見てこなかったことが原因だと

言われていたが、私もそう思った。

酒屋にいけばウィスキーは並べられてはいるが、

だれ一人 本当に美味しいウィスキーの飲み方を伝授する人がいなかった。

スナックにいけば、適当に薄められて

12年以上かけてできあがったお酒がこれでは可哀そうだ と

常々思っていた。 要するにいつしか飲み手不在になっていたのだ。

 

ここに来て「ハイボール」の正しい作り方・比率など

美味しい飲み方を発信し始めて、ブームになり ようやくウイスキー離れに

歯止めがかかった感じなのだそうだ。

 

「我々のお客様は、酒販店でもなければ卸でもバイヤーでもない!

いかに美味しいと思ってもらえるお客様を一人でも増やすかだ。」

そうやって営業第一線を叱咤されてきたという

サントリー・寺永氏の言葉は核心を突いていると思った。

 

講演を聴いたあと 帰りしな店に立ち寄り サントリー「ザ プレミアムモルツ」

手を伸ばしたのは、きっと私だけではなかっただろう。

(寅)