世界に一つだけの姥花日記

貴方は貴方らしく私は私らしく、世界にただ一つだけのきれいな花を一生懸命咲かせましょう。
シニア主婦の平凡な日記です。

阪神大震災で思い出すこと

2023年01月17日 | 日常の生活

夫が大阪に単身赴任したのは、阪神淡路大震災の翌年春のことだった。

その頃はまだ被災した人たちや復興していく被災地の様子が毎日のように報道されていた。

それらの報道から、震災の被害や悲しみは十分に分かっているつもりであったが、

その理解は単なる自己満足であったことを、夫の転勤で気づかされた。

 

夫は芦屋にある会社の単身赴任寮に入居することになった。

芦屋と聞いて、私は少し胸が高鳴った。高級住宅地として全国に知れ渡ったいる場所だ。

早速ガイドブックを買い、街の散策を楽しみに夫に同行、芦屋に向かった。

芦屋の駅前はお洒落な街の雰囲気を呈し、あ~これが芦屋か~と心躍る思いだった。

が、しかしなにかがおかしい。瀟洒な駅前も一歩住宅地に入ると、空き地ばかりが目に付く。

プレハブの店舗が並ぶ。え~私の描いていた芦屋とはまるで違うわ~。

その時点では、私はまだ震災のことがピンときていなくてどこか他人事だと思っていたのだと思う。

夫の会社の単身寮も家族寮も幸い無事だったが、すぐお隣の清水建設の寮は崩壊、

周囲も空き地だらけで、遠くまで見渡せた。

会社の寮と反対側、JRの芦屋駅の南側方面も空き地が目立った。

ある日散歩をしていると、ひろ~い公園にずらりとプレハブが建ち並んでおり、

最初はそれが何であるか気つかず、周囲と不釣り合いな建物が不思議だった。

が、それらはいわゆる仮設住宅だったのだ。

テレビではよく目にしていた仮設住宅!実物を見るのは初めてだった。

 

私の持参したガイドブックなんて何の役にも立たない。

芦屋の市街地の地図は阪神淡路大震災ですっかり様変わりしてしまっていたから。

何ということだろう!今初めて被災地に立ち現実を突きつけられ胸えぐられる思い。

結局遥か彼方東京に住み、何も痛みを感じていない自分を恥ずかしく思った。

そのこと自体がとてもショックだった。

 

それから3年間、夫の元を訪ねるたびに、少しづつ復興していく芦屋の街を見続け応援。

今再び訪れてみたいと思う芦屋の街である。

 

しばらくブログを留守いたします。

コメント欄は閉じさせていただきます。

 

 

 

 

 

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