<多摩川土手の桜 3月24日午後1時撮影>
本格的な春がやってきました。
東京は今日明日にも桜が満開になるのではと言われていますが、
我が家界隈の桜はまだ五分咲きというところでしょうか。
来週はお天気も安定しているようで、お花見週間になりそうですね。
昨日はアクティブな夫に付き合い、まだまたお出かけをしました。とっても元気な彼です!
でも2回目の手術の前も今と同じくらい元気でしたから、決して安心はできないのですよね~。
飲み会もゴルフも山仲間との登山も自粛しているので、今の彼には私が唯一の友なのかな?。
どこへ行くの?ま~付き合ってもいいけど・・・・程度の乗りの私でした。
行き先は東浦和駅をスタート、見沼代用水と通船堀、風情ある緑のヘルシーロードを歩きます。
ドアツードアーでおよそ15キロ、25369歩。全く高低差のない平地ですが、歩き甲斐がありました。
見沼代用水と通船堀!私の文章力ではうまく説明できません。
そこでまた横着をしてウイッキペディアの説明文を拝借し要約いたします。
見沼通船堀は見沼代用水(東縁、西縁)と芝川と結ぶ閘門式運河で、1731年(競歩16年)に作られた。
江戸時代後期から明治時代の内陸水運(見沼通船)で重要な役割を果たした。
堀全体で4つの閘門を持ち、閘門式運河で日本最古の部類に属する。
2本の見沼代用水は1728年に利根川から引かれた用水路で年貢米などを江戸まで運ぶ水路として有用であったが、
用水路は江戸まで直接繋がっておらず、江戸市中を流れていた隅田川に注ぐ芝川と代用水とを結ぶ必要性があった。
ところが2本の用水路は芝川と近距離ながら標高が3mほど高い位置を流れており、
直接運河を掘っても船を通すことは困難であり、閘門式運河を作るほかはなかった。
その閘門式運河とは?
図で示すと下記のようになる。(ネットより拝借)
関で水位を上げ下げし船を通す仕組みになっている。
それでは順を追って歩いたコースの画像をの載せます。その方が分かりいいですよね。
東浦和駅からまず見沼代用水の西縁を少し歩き、戻って通船堀の遊歩道へ入ります。
<赤い点線を歩きました。東浦和駅からさぎ山記念公園まで>
通船堀遊歩道は整備されていてとても気持ちの良い道となっています。
こちらがその関。閘門です。芝川を挟んで西側、東側それぞれに2か所の関が設けられ、
水位の調節を行い船を運航していたそうです。
西縁は当時のままですが、東縁は新しく作り直されたようで、通船堀だけ歩くなら西縁がお勧めです。
西東の通船堀の中間にある芝川。この川が江戸まで通じています。
見沼代用水周辺にある村々から江戸へ、江戸から村々へこの芝川から通船堀を通して物資が運ばれました。
「舟が着いたよ、八丁の河岸に早く出てとれおもて綱」という舟歌があるそうです。
船を無事通すには大勢の手助けが必要で、それを指揮した長ともいえる鈴木家の屋敷が現存されています。
土日のみ中に入ることができ、実際に使われる船が見られるそうです。
<こちらは東縁の通船堀。整備され過ぎて風情がありませんね>
どのように船が通るのか、なかなかピンときませんが、夏には閘門開閉の実演があるそうです。
見てみたいものですね。
あの有名なパナマ運河より183年も前に作られたこの運河!
当時(江戸時代)の生活に密着した土木技術、測量などに感心すると同時に、
このような史跡が密かに守られていることにも感動いたしました。まさに隠れた史跡です。
見沼代用水東縁は「緑のヘルシーロード」と名付けられ、知る人ぞ知る桜の並木道となっています。
数キロにわたり続く桜並木は満開の折はさぞや圧巻であろうと想像しながらのウォーキングでした。
今年は桜の開花も早いということで期待していきましたが、残念!
満開時には空もピンクに染まるほどの美しさではないかと思い描きながら歩きました。
おまけ!
途中川口自然公園にカメラマンがたくさん。何を撮っていらっしゃるのですか?お尋ねすると、
なんと目の前の池に中の木に美しい鳥が!瑠璃色の美しいカワセミです。
また何故か桜の根元にあちらこちらムスカリが群生していました。自然に増えていったのでしょうか。
昨日(3月23日)の歩数::25369歩
今日(3月24日)の歩数:7332歩
3月22日の体重:52,90kg(前日比-200g)
3月23日の体重:53,00kg(前日比+100g)
3月24日の体重:52,90kg(前日比-100g)