夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「12月29日という日」

2024年12月29日 08時06分47秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
パソコンの調子が悪くしばらくこれませんでした。
やっと復活です。
でも、しばらくは忙しいし・・・・

≪過去の記事≫

【2003年】
どよ~ん。。。
大掃除をしたのはいいのですが、ごみの回収は年内は終わっていました。
生ごみや分別ごみと一緒に年越しです。。。ハハハ
台所をやっていたとき、レンジがあまりにも汚く、妻と一緒にその汚さに見とれてしまいました。仕方なく新調してしまいました。
まあ、ともかくこれで新しい年を迎えられます。。。

【2004年】
東京も朝から雪です。積雪3センチほどかな?
今年は雪が多いのかもしれません。寒さも厳しいです。
腰の調子は最悪。。。。トホホ
医者も年末年始で休みになります。これから1週間、我慢するのみ!!
少しは歩き回ったほうがいいというので、息子の運転で正月の買出しに行きました。スーパーも商品の値段が高くなったような気がします。

【2005年】
どこもいよいよ御用納めですなぁ。。。
この一年を振り返って。。。なんてゆっくりした気分にもなれません。
なんだかどたばたと1年という時間は過ぎ去って行ってしまったような気がします。でも、この一年毎日必ずとはいえませんが楽しくこの日記も書けました。だいぶ愚痴も多いのですが、ハハハ。。。と笑いながら時々読み返しています。
読んでくださった方、ありがとうございました。年末年始も少しだけでも書けたらと思います。
よいお年を!!
読書ページに夏生さんの「庭ができました」を入れました。本とは内田先生の「先生はえらい」を先に読み終わり、途中まで感想を書いたのですが、難しくて先に進んでいないので先に「庭ができました」をいれました。時間があれば年内にはと思うのですが。。。。

「庭ができました」
                         角川文庫
               銀色 夏生  著
夏生さんは、夫との別居を決意した2000年頃(「つれづれノート10」)、沖縄県宮古島へ土地を買い「島移住」を考えますが、土地の造成に手間取りあきらめますが、その後島でなければならない理由はないと実家に引っ越すことを考えます。そして2002年7月25日、夫と離婚をして東京から故郷の宮崎県へお子さんたちとともに引っ越します。住まいは、狭くて古いご実家の離れに落ち着きます。(「つれづれノート12」)
すでにこのときに子供の頃に住んだことのある今は空き家になっている土地に家を建てる計画をしていました。家のデザインはすべて夏生さんが決めて家の工事が始まります。
この家は2003年7月に完成され、夏生さんは新居に引っ越します。(「つれづれノート13」)同時に庭造りの構想を進め、外塀の工事がはじまります。
この家については、2003年11月に「家ができました」(角川文庫)として出版をされます。
このように家作りと庭造りがされますが、夏生さんにとっては離婚をして宮崎に帰り、二人お子さんを育て、今までの結婚生活を振り返り、これからを考えますが、その意味では、夏生さんの心の中のひとつの区切りというものがあったものと思います。
2003年6月には、2002年頃から構想していた自選詩集「丘をばら色に染めながら」が出版されます。また、2001年11月発行の「バイバイまたね」以後約3年ぶりに2004年4月に詩集「雨は見ている川は知っている」を発行し、2005年2月には詩集「すみわたる夜空のような」が発行されます。そして庭造りが終わり「庭ができました」が発行されました。この詩人銀色夏生としての本来の作品にも夏生さんの心が現れているし、詩集という作品の発行自体にも新たな夏生さんを感じます。「つれづれノート」はもちろんですが、家や庭造りには平行してこのような作品も発表されているわけで、家や庭という形のあるものの作品ですが、その目に見え形のあるものと詩集などというほかの作品での心の部分を読者も平行して読んでみるとおもしろいと思います。
「今では、もう家も庭も私も、それぞれのんきにすごしています。作るときにやるだけやったので、心残りはありません。こうやって報告し終えたら、そこでやっと家と庭というこの作品作りは終わります。今はまた次のレポートにとりかかっているところです。」
                   (まえがき より)
「家ができました」もそうでしたが、この「庭ができました」もほとんどが写真ばかりの本です。
「家ができました」は、検索をすると建築関係の方にも読まれて評価されています。「庭ができました」も造園業の方や趣味で庭いじりをされている方の評価も出てくると思います。この意味では、本自体が夏生さんの作品であるとともに、家や庭というものが一つの作品となっているということだと思います。
しかし夏生さんファンにとっては、家や庭を楽しませていただくと同時に、日記エッセイ「つれづれノート」との関連で楽しめます。「つれづれノート」には、家や庭を作っていく過程が所々に出てきてそれがどのような形になって現れるのかが気にかかるところなのですが、それが本の写真によって紹介されるわけですかファンにとってはたまらない作品となります。
布団を干せるような大きな岩は、「つれづれノート」ではイラストとして書かれていましたが、本の写真ではパラソルの下の日陰で読書する夏生さんが出てきます。手作りの石垣、小石を埋め込む作業、庭の片隅にある生ゴミコンポスト(こては「つれづれノート」を読んでいても楽しく印象的なもの)、愛犬マロンの小屋、子供会だったかで作った「田の神さあ」、夏生さんの好きな木々や草花。。。。など、ファンにとってはたまらないものばかりです。
またたくさんの木々があるある中にもレモンの木がありますが、これは「檸檬の木の下で」といったかの詩にもあり、「やっぱり檸檬も植えられていたのかぁ。。」と考えたりもしました。あんがい思い出の木や草花もあるのではないかと思います。
写真ばかりの本ですからさっとめくって終わりかなと思ったらずっと見入ってしまいました。
「つれづれノート」ファンの方は必見の本です。

【2006年】
買い物に行き正月用の日本酒を買ってきました。
正月用なので少し高い酒を買ったのですが、少し味見をしてみようと封を切ってしまいました。これが間違いのもと。。。。
ハハハ・・・・味見のつもりがだいぶ飲んでしまいました。
夕食を食べ終わったら寝てしまった。。。
大掃除。。。。まだです。

【2007年】
昨夜、寝るときに雨の音がしました。
その雨も早朝にはやんだようです。一日中どんよりと曇りました。
でも雨の生か暖かい一日でした。
スーパーの食品売り場の棚はほとんど正月用品でした。
いつもウインナーとか置いてある棚に向かったのですが、ウインナーが無い?
パートのおばちゃんに「ウインナー、どこ行っちゃたんだろ?」と訊いたらだいぶ離れた棚にちんまりとありました。はじめはそのおばちゃんもどこにウインナーが消えたかわからなかったようで、店の奥に訊きに行っていました。
目に入るのは正月用品という中で、こういうこと一つとってもせわしなく感じます。
年々正月が嫌いになっていく。。。ううう

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
朝日新聞28日朝刊25面に文芸時評「わからない」の効用(わかると思うほうが間違い)というものが載っていた。
純文学は難しいというお話でしょうか?
この「わからない」の効用はとして、
「わからないの効用はわからなそうのものにある。私の頭がこんなに悪かったと思うと愕然とする。しかし文学が、いや世界が簡単にわかると思うほうが間違いなのだ。」
と。
この記事で「わからない」のどこに照準を当てているんだろ?
「わからない」ものを書くのは、偉そうに通ぶったものだと見ること自体がに間違いがあり、そういった人間は漫画などのわかりやすいものに走るという中原昌也の言葉を引用をして、この「わからない」ものを悪とする風潮が出てくると純文学は商売上がったりだとする。このような一部にある偏見があるのでしょうが、この記事ではこの「わからない」純文学の例として三つの作品を上げる。しかしよく見るとこの三つの作品の「わからない」は、どうも作品の構成や流れの中にある謎解き、手の込んだ文体や言い回しのような例ばかりのような気がする。
この構成の流れや複雑さあるいは謎解きのようなもの、そして手の込んだ文体や言い回しといったものは、たしかに純文学を「わからない」ものにするだろう。こういう「わからない」では、先の仲原が語る「わからないものは偉そうで通ぶったもの」といったようにとらえられて当たり前だろう。こういう意味での「わからない」純文学を純文学の正統派としたならどんどん読者は純文学から離れるだろう。どこか馬鹿にされたような感じがする純文学(といってもここの記事で紹介をされている三つの作品がこのような文学科は僕は読んでいないのでわからないが)という定義では。。。。。。だから水島さんの作品をわかりやすいと批判的になる。
漱石が文学は美文ではなくてその精神だと言ったように、美文に限らず凝った難しい文章が純文学ではなくて、著者の精神面がどのくらいうまく表現をされているかに文学的な価値が現れる。この精神面がどのように現れているかを読み解くのが本来の「わからない」の中身となる。
1+1=2は絶対正しいが、2=1+1と決め付けたらそれはある場合には間違いで、解が2になる数式は無限にあるのだから。文章に凝った作品の難しさは、1+1の式を数学の専門家が使うような高等数学の式に書きあらわして2という解を得るものに似ている。2を説明するのに何も高等数学は要らない。単純な愛を表現しているだけなのにその表現を小難しいように書く中に文学性を高める方法である。しかし2=1+1から2という数字は無限に表現できるよという中には、愛というもの形は無限に人間の心の中にあるとしてその一つを表現した意を表現したということになる。この場合の「わからない」は著者がどのような愛を書いているのか、読後に心に残る愛はどんな愛なのかというものをかみ締める中の「わからない」である。これこそ純文学の「わからない」ではないか?
そうすると、この「わからない」は、読者と著者のキャッチボールとなり、ただ理解するだけでは終わらない心の拘留が残る。そして読者は「考える」のである。「わからない」から考えるのである。読者がいろいろと考えることこの契機を作る「わからない」を表現した文学こそ本物となる。そして人間の心だから100%はわからないというものに行き着き、その中に純文学の例えば「愛」というテーマは永遠となるのである。

【2011年】ツイッターつぶやき
今のように政治も経済も混沌となりさまざまな矛盾が噴き出てきそれに対して有効な手段がない時にその批判から改革という言葉が出てくる。
改革という言葉には何か良い方向に向かうことを意味するように理解をしてしまうがその改革が本当に良い方向であるかは定かでないはずです。しかし改革という言葉を使い強い指導力を見せられるとどっとその改革という言葉に引き寄せられていく。
古い体質の中に何を再構築していくかが改革だが、改革を今までの制度を壊すということばかりに使われるならそれは改革ではないと思います。

【2012年】ツイッターつぶやき
安倍内閣はリフレ派の政策だとか言われ始めていますが、リフレーションってどんな政策なんでしょ?
金融緩和政策などを通じて、穏やかで安定したインフレ政策、遊休した設備投資や失業を克服、需要を創出。これによりデフレという不況から脱出する。(ウィキペディア参照)
なんとなく理想論的なインフレ政策なのではないでしょうか。
今日の『blogos』にも
『リフレは日本が抱えている最重要問題のうちの3つ、つまり1、景気低迷、デフレ、膨大な国の借金を一度に解決するのに役立つ可能性を秘めている。金融緩和を実施すれば、おそらく日本の失業率が少し下がり、また円が値下がりして輸出業者を助けることになるであろう。』
というリフレーションへの期待のような記事がありました。
このようにうまくいく政策なのでしょうか?
金融緩和政策はゼロ金利に加えて量的金融緩和に向かっていると思いますが、市場に流れる貨幣量を貯金を減らしてそして低金利で日銀が貸し出したりして貨幣量を増やそうとした景気回復には至らないという事は今までのゼロ金利でも証明されていますし、資金は国外に流れて国内の設備投資は進まなかった。結局は消費不況の中でのデフレも克服されなかった。ここでさらに量的緩和で貨幣量自体をじかに増やしても同じ結果になるのではないでしょうか。ですから景気の低迷やデフレ対策にはならない。
同時に国債の発行量は増えてさらに安倍政権では国債の発行量が増えるようです。リフレーションによりこの赤字が減るのかといえばそうではなくて、今現在も国債の金利が上がる傾向を示しているわけですから国際自体の危機にもつながるのではないでしょうか。
失業率が減ると言いますが、インフレ政策と失業率には何の必然的なつながりはないでしょう。同じく低賃金化は改善されないでしょう。
リフレーションといっても、結局はインフレ策でしかなく、その結果は多少のインフレが発生したとしてもそれはインフレと不況が同時に進むというスタグフレーションの拡大でしかないのではないでしょうか。そして酷な需要はインフレによってそして今後の消費増税によってさらに冷え込み、売れない商品はその価格を下げ続け、さらなる低賃金化が進み、更なる価格破壊が進むというデフレスパイラルに陥るのではないか。

【2013年】ツイッターつぶやき
経済的にも政治的にも矛盾が深まり発展の動きが停滞をしはじめる。今の社会(先進国あるいは資本主義といってもいい)がこの段階にきています。これまでの社会では今のような事態になれば恐慌が起きて戦争に突っ走るということになっていたかもしれませんが、先進国や途上国も含めて恐慌を抑えようとしていますし世界大戦を抑えようとしている面があります。これ自体が社会の発展でしょう。
しかし国民生活の低下と格差の拡大そしてそこからの相対的過剰生産が解決されたわけではありませんので停滞事態は深刻さにおいて同じでしょう。
この中でこの停滞からどう切り抜けるかが課題となっているわけです。
資本主義といってもそれぞれの国においては違いがあります。その国の歴史の流れの中に同じ資本主義でも形態と特徴があります。この中でその国それぞれに社会の発展の特徴も違ってくるでしょう。日本もまた模索をしているのですが、どうも今の矛盾解決を過去に戻ることにその解決策を見出すような動きとなっています。しかしその方向はひとつの矛盾として戦後かこのものとなったはずです。ですから社会の発展は今現在の矛盾をどのように発展性に変えていくかでなければなりません。歴史において日本が獲得したもの、それを土台にして社会は発展するでしょう。それは平和主義であり戦後民主主義であり、日本独特な共同体的な経済や政治です。それをどのように発展させるかですね。
これから逸脱をすれば日本への見方は当然古い社会への回帰となるでしょう。

【2014年】ツイッターつぶやき
「日銀は「デフレマインドの払拭(ふっしょく)」を目指して金融緩和を続けていると言うが、日本人が物を買わないのは本当にデフレマインドがあるからなのだろうか。本当に物の値段が先行き下がりそうだから買わないのだろうか。」(「日銀が導く未踏の境地「4年連続円安」の現実味」より引用)
以前も書いたが、やはりここでも日本経済の実態は単なるデフレではなくて「デフレ不況」なのです。
物の値段が下がるのは生産性が向上すればそれは経済法則です。その時企業利益が名目上減るわけですからそれをカバーするために禁じ手である労働賃金が引き下げた。それは非正規雇用の増加といった形でも引下げを行った。ここに消費マインドの低下が起こってしまったのです。何も先行き物価が下がるのを期待しての「買い惜しみ」ではなくて買いたくても買えない状況が作られたのです。
「アベノミクスが始まった日を2012年11月14日とすると、その日以来、円は対ドルで52%下落している。約25カ月半で円が対ドルで50%超下落したのは、1973年の変動相場制移行後初めてである。」(同上引用)
アベノミクスの失敗は消費増税といわれていますが、本質は円安誘導でしょう。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
今年は国民が愚弄された年ではないかと思います。
何でも有りの社会が普通になり、何でも有りを無意識的にも意識的にも行使したものが得をする。
何でも有りを意識的に行使することが愚弄です。愚弄は犯罪にはならないからと行使されます。
勿論行き過ぎた愚弄は犯罪となりましたが。
政治経済を中心に社会の隅々にまで浸透してしまった。
愚弄する人々はもちろん何かしらの「力」がある。
その力の行使を何でも有りとして行使するから愚弄できる。
国民は国民一人としては無抵抗にならざるを得ません。国民が分断をされていると愚弄されやすくなる。
来年は愚弄していた人々が愚弄される社会になるかもしれない。というのは、より強い力を持つ者が弱い部分の愚弄していた人々を愚弄するという事です。
愚弄する社会は国民の嘲笑の対象となります。
現実に笑わざるを得ないことがまじめが必要な場で語られますね。ブラックユーモアかと思ってしまうことが。。。。
しかし、この愚弄することが当たり前の社会は政治や特に経済に深刻な悪影響をもたらすでしょう。
愚弄社会は自壊していきます。

【2018年】ツイッターつぶやき
東京も寒くなってきましたので今夜は湯豆腐です。
ということで夕螺家特性湯豆腐のタレ。。。。。
小鍋に水、酒、砂糖、みりんを入れて多めの醤油を入れます。
これを沸騰させて濃いめに煮詰めます。
そこに長ネギのみじん切りを入れてまた一煮立ち。
火を止めたら鰹節を入れたら出来上がり。
食べるときは長ネギや鰹節を除いたたれだけで湯豆腐を食います。
甘めのタレですが、これがうまい!!
スーパーに行ったら京都の豆腐がありました。
土鍋に入れようとして切ったらびっくり。。。。
なんか胡麻豆腐のような粘り気がある。
たぶん葛が入っているんではないかと思います。
京都の豆腐ってこういうものでしたっけ?
昔京都で湯豆腐を食いましたが覚えがない。。。。。

昨日、妻とファミレスに行ったら、メニューにおつまみで「キャベツのアンチョビ炒め」がありました。
うまそうなので夜の酒のつまみに作ろうと思ったのですが、先日買ってきた塩鰹があるのを思い出しました。
キャベツをオリーブオイルとコショウで炒めて塩鰹のみじんに切ったものを入れるだけの料理です。うまかったです。
そういえばアンチョビはオイル漬けですがしょっぱい魚という面では塩鰹も似たようなものですね。ですからペペロンチーノに入れたりガーリックトーストに乗せてもいいかも。
使い方は案外あるかも。
そういえば塩鰹を薄く切ってゆずの皮を入れて甘酢につけてみましたが塩分も抜けておいしかったです。

【2019年】ツイッターつぶやき
「黒い霧」
懐かしい言葉です。
まだ子供のころだったか、子供の中でも「黒い霧」という言葉が広がりました。
プロ野球での八百長問題が表面化した事件でした。
「八百長」
今の社会を見てもこの言葉が当てはまるように感じます。
黒い霧に包まれた八百長社会。
桜を見る会の疑惑はまだ続いています。
続いているというよりもさらに問題化は深まってきています。
毎日新聞によると、桜を見る会の名簿はシュレッダーにかけられてしまったといわれていますが、公文書を破棄するときには廃棄簿に記載することが義務付けられているそうですが、この廃棄簿に桜を見る会の廃棄が記録されていないそうです。
同じく毎日新聞によると、昭恵夫人の私的な交友関係者も招待をされており、以前から昭恵夫人は私人なのか、公人なのかと問われている中桜を見る会についても私人である婦人の意見が通されているようです。
桜を見る会に限らず、現在の政治はすっかり国民から離れて一部の政治家などによって陰でうごめいている。そしてそのうごめきは国民には見えないようにされている。
この状態が黒い霧となって矛盾が見え隠れしている。しかし今の政治は圧倒的な力を持つ党が独裁的な力を持つのですから、矛盾はあるときには八百長にもなる危険性をもって進んでいく。
その八百長試合を見て国民は興奮させられているのでしょう。
八百長とわかっていても興奮して応援する。
それが日本を愛することになっている。

【2020年】ツイッターつぶやき
正月自宅支度のため車で買い物。コロナで密を避けるために買い物はできるだけ一人でというのが常識化されている東京です。
ついでに車にワックスをと思いいつものガソリンスタンドに行ったのですが洗車機の前は車が行列を作っていました。あきらめてスーパーへ。
道路はすいていたのですが、運転が荒っぽいですなぁ。。。
なぜかみんな急いでいる。
そんな話を妻にしたら「師走だからね」と。。。。
今年の御節料理はどうするか迷ったのですが、頃感染が拡大していますから手作りの方が安心かなと思い毎年のように手作りします。
昆布巻きだけは大変ですから今年は買ってきました。
明日から2日間で作ります。
買い忘れたものがいくつかあるのでまた明日スーパーへ。
コロナ感染が怖いのでササっと行ってきます。

【2021年】ツイッターつぶやき
正月支度と言ってもおせち料理を作ることぐらいで日常とそうは変化はないです。
今日は買い物に行ってきました。
夕飯用に牛肉を買ったのですが、帰ってきて思い出した。。。。。
去年の正月用に買った牛肉を思い出し失敗したことを。硬くてまずいし高い・・・・・
去年、もう牛肉はやめようと思ったのを忘れて買ってしまった。
そういえば去年チャーシュー用に買った肉もなんだか筋が多かった。。。。。。
なんだか出だしが悪いですなぁ。。。。。。
どんよりしながらも明日から御節料理を作ります。
黒豆、昆布巻き、伊達巻、ナマス、松前漬け、田作り、煮しめ。。。。。

【2022年】ツイッターつぶやき
冬至も過ぎて正月がやってくれば春も近いですなぁ。
白木蓮が小さい固いつぼみが出てきました。
山茶花はたくさん咲いてツバキが一輪。



少しづつ陽が伸びていく楽しみ。
1カ月もすれば春♪

【2023年】ツイッターつぶやき
正月用品の買い物に行きました。
鏡餅・・・・忘れた。ウウウ・・・・
ビニールに入った鏡餅を買うのですが、うまくないので毎年苦労しています。しかし、縁起もんですからなぁ。細かく切ってカキ餅にしたりしますがめんどくさい。
スーパーの駐車場は渋滞。
毎年不思議なのが、雑煮用の鶏肉の賞味期限が次の日になっている。たくさん切って売るので少し前から準備しているのでしょうね。帰ってから冷凍しなければならないのですからはじめから冷凍で売ればいいと思うけど、それでは見た目が悪いので売れないのでしょうか。
昆布巻き用の身欠きにしんを探したけどない。冷蔵品を売っている片隅にありました。いろいろと探すうちにスーパーの中をぐるぐると。
疲れますなぁ。。。。。
帰ってから昼寝をしようと思ったのですが、どうする家康の総集編が。
つい最後まで見てしまいました。
コメント
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「12月28日という日」

2024年12月28日 21時16分32秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
湯本香樹実さんの「ポプラの秋」を読んでいます。
雰囲気としては梨木香歩さんの「西の魔女が死んだ」です。
「夏の庭」しか読んでいませんが、湯本さんの文章も好きです。
おばあさんと少女。成長した少女が知ったことは?後を読むのが楽しみです。
スーパーは、すっかり正月用品一色でした。
今年の正月は、1泊ですが泊まりに行きます。なんか正月用品で正月を祝うというのもあまり好きではない。これも何の正月らしさもなくなった東京に住んでいるからでしょうか?それとも核家族だからでしょうか?

【2004年】
腰の調子はまだ悪いです。
明日の大掃除は、妻と息子がやるそうです。
どうも運動不足もあるようですし、医者の話では坐骨神経痛になりやすい体質とか。。。。気をつけよう。。。。。
ごろんと横になって草薙さんの秀吉を見ていました。
どうも良く描きすぎなような気がしますが、作者の考え方には賛成ですが、今回のアメリカのイラク攻撃のように、平和を作るには戦争が必要というものにはつなげたくない。

【2005年】
浄水器のフィルターの連絡ががまだ来ない。
仕方ないのでスーパーまで行ってまだ届かないか聞きに行った。そしたらだいぶ待たされてまだだと言う。同じ型のフィルターならすぐに届けてもらうと言うが、そのフィルターは浄水能力が落ちるもの。。。どんより
「メーカーは売るだけ売ってちゃんとフィルターの在庫はないのか?」と思い、メーカーに苦情を言うから電話番号を教えてといったら、注文のファックスがなかなかつながらなかったという。
メーカーが変なのか、スーパーが変なのか?
何しろ10日過ぎても我が家のフィルターは届かない。
昨夜のテレビで、日本の流通面のよさを世界に広げるというような番組があったが、我が家の浄水器のフィルターはまだ届かない。。。。
ニュースで聞いたが、とあるコンビニ。。。コンビニも24時間営業が困難になってきたらしい。
日本の素晴らしい流通機構も働く人が大変になってきているのか?高齢化?
若い人のアルバイトも徹夜じゃなぁ。。。。

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
今年もあと3日ですね。
この一年、いろいろとあったのでしょうが過ぎてみれば短いものです。一日一日を大切にと思うのですが、やはり過ぎてみればどんよりとしてしまいます。
正月用のカブのナマスを作りました。
このナマスはお袋の味。カブの皮をむき縦横に深く切れ目を入れて塩でしんなりするぐらいおいておきます。塩を洗い落としてから甘酢、鷹の爪、ゆず、昆布、干し柿少々で冷蔵庫の中で漬け込みます。多分、正月には食べられると思うのですが、素がきついと嫌なので、1回砂糖を入れて煮立てて見ました。すっかりさめてから使ったのですが、カブがいたまないかな?ちょっと心配です。。。。
昨夜はラーメンサラダを久しぶりに作りました。
普通のサラダの中に冷やしたラーメンを短く切ったものを入れ、ごまのドレッシングで食べました。これが案外いけるんです!ラーメンの玉が余ったときにでもお試しください。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
(6)で書いた一つの産業内のABCという企業をまたここで見ます。
A社は100人あたりの商品の生産性は年間5万個とする。
B社は100人あたり10万個。
C社は100人あたり15万個。
(6)でも触れましたが、この労働の生産性の違いから生じる商品の市場価格がその価値からはなれて平均の価格形成としての特別な剰余価値を与える中での各社の利潤率はC社が一番高くA社が一番低くなる事を見ました。そしてここに資本主義的競争の原動力がある事を見ました。
この中でA社はもちろんB者もその生産性を向上させようとします。そしてC社と並ぶ生産性を得たと仮定します(C社の生産性は現在のある限界内にあり停滞するとします)。するとこのある商品を生産する産業内には平均な利潤が確定します。各社はそれぞれ100人当たり15万個の商品を生産することができるのですから、この産業をX産業とすれば
X産業は100人あたりの生産性は45万個
となります。
仮に10年前のX産業の生産性は低くてA社並みだったとすれば、X産業はこの10年で同じ労働力量(100人あたり)での商品の生産数が15万個から45万個の増加したこととなります。10年前と現在でも不変資本量と可変し本領の投資される資本は同じとすれば、それを分母として商品の総(100人あたりの労働力に対してですが)売上を分子にした場合、ある利潤率が決まります(追記:分子分母反対だったかな?)。しかしこの生産性の違いにより何が異なるかといえば、生産された商品量にあります。ある一定の利潤を得るには、10年前は15万個生産をしていたが今では45万個を生産している。そうすると商品1個あたりを見るとその価格は3分の1になります。X産業では同じ利潤を得るのにより多くの商品を市場に出さねばならなくなったということです。
同時に特別な剰余価値を得られなくなっているわけですから市場価格は価値に一致してきます。
資本主義生産とその資本主義的競争がもたらす一つの帰結は、市場における商品量の増加と一つあたりの商品の価格は価値に一致をして低下するということです。
これは資本主義生産の無政府性として現れざるを得ません。
X産業では、より多くの利潤を求めようとすれば工場の新設や市場の独占化のために各社の潰しあいに頼らざるを得なくなります。これがまた資本主義競争として行われるようになります。そしてまたこの工場の新設の競争がさらに市場に送る商品量の増加とも結びつくことが起こります。しかしここでは先にも書いたように特別な剰余価値を得られなくなっていますから、企業の利潤率は上がりません。生産性の向上のない中に工場の新設だけでは利潤額は上がるが利潤率は高まらない。ここに企業あるいはX産業そのものにまず停滞感が現れます。
一方商品量は市場の中により多く出されるわけですしその商品量は無政府性の中にあり一度過剰感が出てくると各社の中では値下げ競争もはじまります。値下げといっても赤字になるわけではないが、利潤低下であると同時に剰余価値率の低下として現れ始めて企業の停滞感はさらに深まります。
その産業では株価が下落をして資金が他の産業に流れていくでしょう。今資本をより吸収する産業の育成とか言われていますが、それはこのことからはじまる一つの帰結菜わけです。
しかし以上のような現象が他の産業にも波及をしていくならば、一つの社会そのものが不況という形をとり始めます。
次にこのような資本主義的生産とその競争がもたらすものとしての労働力を見ることにします。

【2011年】ツイッターつぶやき
人の歴史上に科学技術というものが飛躍的に発達したのはつい最近のことである。その科学技術を利用して様々な人の生活を豊かにするものが生まれた。工業技術や交通のための技術、エネルギー技術、科学・科学技術。。。。このような技術の発展は様々な実験や不十分な技術ゆえの事故などにより人の命も犠牲にしてきた。しかしその犠牲を悼みつつ更なる安全性を求めて発展をさせた。飛行機が落ちれば数百人の人間が死ぬ。大変な犠牲である。しかし飛行機の発達をやめようとはならないでしょう。誰ももう飛行機を作るのはやめようとは言わない。安全性を高めようという。
もちろん人類は社会を作り生きているわけでその社会は技術の発展と同時に、いや技術の発展の基礎として資本主義を構築した。技術は利潤目的となり、常に安全性と利潤のはざまで事故は起きたということもある。
中世の社会とは比べ物にならない生産力の発達の基礎の科学技術、これは飛躍的な出来事だった。しかし今や人間はまた飛躍的な技術を取り入れようとしている。ロボットもそうだし農業での遺伝子組み換えも遺伝子治療という医療も。そして原発という核の利用もこれまでの技術の発達とは質の違う飛躍をしようとしている。
これらの飛躍した技術を今までと同じ社会システムで続けることができるのだろうか?安全は保てるのだろうか?原発の商業利用が何を招いたか。安全性と効率性や利潤のはざまでやはり事故を起こしてしまった。またはその利潤優先あるいは科学技術への過信から安全神話というものさえ生んでしまった。事故が起きれば飛行事故とは比べ物にならないやはり飛躍した犠牲が目の前に現れる。放射能の拡散により人が住めなくなったり食物が食えなくなる。地震や津波の被害の復旧も遅れる。経済は立ち直らない。多額の保障金や事故処理が国家の財政を大きく圧迫をして知れは国民負担の増税となる。このような様々な目の前に現れている出来事は原発という科学技術も人の社会もいざ事故となれば核を制御できないことを証明をしている。飛躍した技術による飛躍した犠牲。この中でまだ原発技術を将来の発達のために商業利用ということで続けるのだろうか?
飛行機事故での犠牲は次の安全性へというチャレンジ精神はいかされるとは思うが、原発の事故という飛躍的な犠牲の大きい事故を繰り返しながら安全性を高めるということはできないことだろう。技術の発達のために犠牲を生かし安全性をとなどという余地はないのである。人がこれからこれまでよりも飛躍した技術を発見していくことだろう。それを生かすには人自体の発達も必要で意識も変えていかないととんでもないことが起きることを忘れてしまうでしょう。そのたびに安全なはずだったとか想定外であったなどと言っていたら人類は滅びる。

【2012年】ツイッターつぶやき
マニフェストを掲げて民主党政権ができその失敗から今回の選挙ではマニフェスト(具体的数値など)は示さないところで行われた。この方向で動いたのが自民党でしょう。選挙には政策があるわけですが、目立ったものは改憲や自衛隊の軍隊化そして経済面では成長戦略でした。しかし実際政権をとってみれば具体的なものを示す必要があるわけです。
その点で政権に着いた自民党は具体的には何を国民に約束しているのでしょうか?
第一次安倍内閣の「美しい日本」が今回は「強い国日本」的な言葉に代わっただけではないでしょうか。
新聞の世論調査でも安倍内閣の政策実現(指導力)にはあまり期待感がないようですが、政権交代のため、選挙で勝ったのは民主党批判の棚ボタ的な勝利そして政策には指示はそうは高くない中での「美しい日本」と同じく言葉による国民を引き付けることに集中しているのではないでしょうか?
もちろん自民党には政策はきちんとあるのです。しかしその政策をきちんと国民に示さないところで進めているのではないか?
それが言葉の強さという形での抽象性になる。
一番端的な例が、ロイター通信の記事によれば
「2030年代に原発ゼロという決めつけはしない」と見直しの意向を表明。原発稼働ゼロは、1)40年運転制限を厳格適用する、2)原子力規制委員会の安全確認を得たもののみ再稼働する、3)原発の新増設は行わない、という3つの基本方針で構成していたが、同相は27日未明の就任会見で、新増設について「現時点でイエス、ノーを決めるのではなくて、専門的知見を十分に蓄積した上で今後の大きな政治判断になっていく」と、前政権からの方針転換に含みを残した。」
と、茂木経産相の言葉が報道されている。
自民党は一応は原発に依存しないエネルギー政策は捨ててはいないと思いますが、30年代の脱原発、40年を超えた原発の廃炉、新増設はしないというすべての民主党政権での日本方針をチャラにしようとしてる。その上に立っての10年ぐらいしてのエネルギー政策を語っているのではないでしょうか。そこに具体的な政策としての脱原発と自然エネルギーそして火力発電依存からの脱皮というものが見えるでしょうか?かといって自民党は脱原発をやらないのかといえばそこは不透明なものになっています。
ここに国民に対して将来のエネルギー政策を示しているでしょうか?この意味において政策がないわけです。しかし同時に脱原発の基本策は反故にして原発の容認と推進を政策として行っている。どういうことでしょうか?エネルギー政策を決めるとしながらも原発依存を進めるという国民を欺くようなものと見えるわけです。国民に期待を持たせる言葉が先行しながら具体的な政策は国民意識から離れる。
このようなものは、経済政策という面での成長戦略もその中身が見えにくい中に政策は進められる。国民に何を約束するのか?そもそもデフレ脱却と成長路線は国民生活にどのようなものを約束するのでしょうか?結局は古い自民党的な国民生活向上抜きの公共事業という成長路線ではないかという疑問はぬぐえないでしょう。
改憲についても表だったものは出ていませんが水面下では勧められているのではないでしょうか。
このような今の自民党が見え隠れする中に自民党への政策的な懐疑が生まれ裏を見えればそうは支持できないといったものの中での支持の低さでしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
アベノミクスでの賃上げ(これは国民生活の安定です)の約束。オリンピック総会での福島原発の汚染水問題。靖国参拝による中国・韓国への対話の窓の発言。沖縄県知事との約束。そして靖国参拝での波紋の広がりと領土問題・拉致問題の解決という公約。。。。。
安倍総理は国内・海外へとたくさんの約束事を作りました。
しかしこれらの約束事に対して具体的な政策などがあるのでしょうか?
これまでの国民目線の政策とアベノミクスの乖離。これまでの日本の平和主義と安倍総理の積極的平和主義。
これらが乖離していく一方ならどうなるのでしょうか?
日本の経済政策も含めた政策全般が国家主義というイメージが国際的にも広がり、国内的にも矛盾が広がります。
もちろん政府の言動は国民の言動にもなる場合があります。安倍政権支持が国民の請えとしても世界に広がるでしょう。もちろん国民の多くには批判的声があることは前提としてですが。
あっちこっちで重大な約束をして間逆な言動をしたりその実態があるとき、それはどのような事態を引き起こすか。。。。。

【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
gooお題「今年の正月休み、どう過ごす?」
正月もどてら一枚着て過ごす 夕螺
アハハハ・・・・テレビ見て昼寝して・・・・・
同じ一日です。
でも、何か楽しみを探さねばと思い定年後はおせちづくりに挑戦。
と言っても、食材はなるべく手のかからないものを使って合理化していますが。。。。
毎年8品ほど作ります。
これをつまみに元旦は朝からお酒を。
ですから正月の楽しみというのではなくて正月を迎えるたのしみかなと思います。年末のあわただしい時期に料理に集中してみるのもいいかもしれませんよ。
正月中は日帰りで実家に行ったり。静かで空気の澄んだ東京の町を楽しみます。晴れたら花の世話でもしようかと思います。
時々房総半島にドライブ。
今年は久しぶりに出かけて包丁の(料理人の)神様でもお参りしてきます。家庭料理の切れなくなった包丁を使う毎日ですが、それなりにお参りをして腕を上げようと思います。

【2018年】ツイッターつぶやき
今年もあと3日となりました。
今年も政治への疑念が深まり企業の不祥事も多くありました。
来年も社会という面ではあまり良くない年になりそうですなぁ。
以下ツイッターから
消費増税10%に向けた軽減税率財源を過去予算での社会保障費1000億円を充てるという(産経)。消費増税は社会保障の充実に回すといっていたはずですが、消費増税に耐えきれないアベノミクス擁護のために社会保障が犠牲に。逆立ちをしている。
たしかに社会保障費からの1000億円は国民の新たな負担にはならないといわれているが、2019年度予算では社会保障費が1200億円抑制されるといわれている(毎日)。
結局は国民に対しての社会保障の切り捨てにより軽減税率財源を作るということですね。会計帳簿の移し替え。
過去会計の1000億円を組み込めば社会保障費1200億円の抑制はしなくてもいいのでは?
軽減税率財源にはたった9カ月しか使用しないポイント還元のシステムのための開発費なども含まれるのか。結局企業へのバラマキも含まれることになる。ポイント還元もお年寄りや低所得層にはメリットはないでしょう。
社会保障一つ見ても何かごまかされるような気がします。
今年の株価のしめは、年明けに日経平均2万円を守りたいという気持ちと、株の下落は必然という気持ちの葛藤劇で終わりました。アベノミクス最後の砦である株価も怪しくなっています。
国民を苦しめる方向に向かうわけですが、これが今の政治経済の自壊に向かうことは皮肉です。

今日は御用納め。
皆さん、この一年後訪問いただきありがとうございました。
おかげさまで楽しくブログ生活を送ることができました。
来年もよろしくお願いいたします。
といっても、ブログは続きます。
またおせち料理づくりの記事かなぁ。。。。。

【2019年】ツイッターつぶやき
労働組合は労働者には必要な組織です。
しかし労働組合も名ばかりで第二労務課となってしまったら労働者の見方にはならなくなります。その上組織ですから労働者を縛ることができる。極端に言えば、労使馴合いの労働組合の中で会社に要求を出しても労働組合が抑えてしまうことにもつながる。
BLOGOSに東京駅の赤煉瓦の中に働く労働者の苦悩が書かれている。
管理職から組合をやめろと言われ続け、労働組合に言っても受け止めてもらえないので個人として提訴したが、組合から組織として告訴を取り下げろと。
労働者は組織の一員ですから、労働組合組織から指令が出ればそれに従うのは義務です。しかしそうならば労働組合はその組合員の立場で動く責任もあるわけです。
これがなくなると労働組合は第二労務課になり、行き着く先は産業報国会です。
このような労働組合の状態が増えてきているのですが、労働者の要求を押さえつけておくのには限界が出ます。むしろ非組織労働者の要求の高まりが出ているかもしれません。ひどい労働組合があるよりも非組織で自由に提訴できるとか。。。。。ユニオンショップでの縛りも労働組合を作らせない企業には存在しないでしょう。
労働力不足が言われていますから労働者の要求も出しやすくなっていくでしょう。
しかし団結がなければ個人的な要求だけではだめです。団結は労働組合組織にあるのですが、その労働組合がどこと団結してしまっているのか。。。。
日本の悲劇ですね。先進国とは言えない状態です。
注意深く世界の動きを見てみると、何かしら社会に対してのストライキの記事が出てきます。
労使の話し合いは必要です。しかしそれは一定の対立がなければ労働者を守れない。
社会全体でもそうですね。
左派勢力が伸びない原因も根っこは同じです。

【2020年】ツイッターつぶやき
政府はGo Toの経済効果を言う。
しかしこの経済効果というのはどこの熱くどこに薄いのかが問題でしょう。そしてこの経済効果というものが一般の労働者への恩恵があるのか。
時事通信の「高級宿、GoTo効果3倍=恩恵に偏り―民間調査」という記事がある。
普段は高くて泊まれないホテルに泊まる傾向があったのでしょう。
Go Toはこうした高級ホテル(旅館)と旅行会社などそしてGoToを取り仕切る企業にその恩恵が現れているということでしょう。
小さな旅館などはどうなんでしょ?
アベノミクス効果と言われたものが企業利益として恩恵がありましたが勤労国民にはその恩恵を言うのはありませんでした。Go Toもアベノミクスと同じ結果だったのではないか。
コロナ関係で失業者が8万人に達しようとしている。女性御中心に自殺者が増加をし貧困書いている。
この状態は経済に良い結果をもたらしていないということで、企業へのバラマキ以外のものではないということです。
歯科もしかも感染拡大という危険性を犯しながら。

【2021年】ツイッターつぶやき
最近給湯機が不足しているようです。
この厳冬中給湯器が故障すれば大変ですからなぁ。
一番の理由がコロナによる海外のロックダウンにあるようです。しかしコロナの影響と一口に言っても給湯器が海外で生産されているのか、部品が製造されているのかによって違いがありますね。どうも半導体不足のようです。
この半導体不足がいろいろな産業に影響を与えそうです。家庭内を見ても電化製品にはほとんど半導体が使われていますし、車に乗るにしてもその車にも使われている。
この半導体不足もコロナによる影響が大きいのでしょうが、昔の日本は半導体生産で利益を上げていたはずですが今は輸入に頼るようになっているのでしょうか。
日本の半導体競争に負けたのか、海外で生産されたものに頼ることで利益を上げようとしたのか。
モノづくり日本は昔の事と言われはじめていますが、半導体だけではなくていろいろな生活に必要なものが海外で生産される。日本経済の衰えは輸入に対しても競争に負けるでしょう。ある部品などを輸入する場合、その部品が不足常態なら価格は上昇する。すると経済が強い国の企業がその部品を手に入れるでしょう。日本はさらに経済状態だけではなくて通貨安を進めている。
今後いろいろな面で影響が強く現れるでしょうね。
すでにエネルギーや食品などの輸入価格上昇の影響が出ています。牛丼も高く気楽に食えませんなぁ。サラリーマンのお小遣いも減る中で牛丼値上げでは昼飯に食えなくなる。
こういった減少が家庭生活全般に現れてくるのでしょう。

【2022年】ツイッターつぶやき
岸田総理は就任直後「新しい資本主義」を公約とした。
当初は国民に期待を持たせるような中身であったが、すぐにトーンダウンを繰り返しながら今では軍備のためにたばこ増税含めて増税を行う。
敵基地先制攻撃も公然と内閣の主張となっている。
新しい資本主義は国民生活を犠牲にしながらの軍事国家となる。これはウクライナを心配している場合ではなくなる。
今日の徹子の部屋にタモリさんが出演していた。
来年はどんな年になるかという問いに対して、新しい戦前となるのではないでしょうかねと。
戦争ができる日本は、安倍内閣でのアメリカとの同盟国という安保の解釈に出ていた。それを実現化するのが岸田内閣である。

【2023年】ツイッターつぶやき
昨日から右目に違和感があったのですが、今朝目を覚ましたら傷みが出て目が赤い。
年末で医者もやっているかどうか。。。。。
車で朝から出かけたのでその後眼科に寄ってみました。
開いててよかった。。。。。
年末から正月中この傷みが続くことを考えるとゾウっとしました。
今は正月中も当番制で空いている医者があるそうですが、眼科が開いているかどうかはわからない。
今はスーパーも3日まで休みというところが増えましたが、だんだんと昔のような社会に戻りつつあるのでしょうか。
眼科の帰りに、やはり今日までだという床屋へよりさっぱりしました。
開いててよかった。。。
コメント
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「12月27日という日」

2024年12月27日 08時04分19秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
東京初雪。
早朝、外でバシャバシャと車が通る音がしたので雨かぁとお持ったら思ったら雪。。。
昨日は、千葉県での釣りのときも東京も暖かでしたので、びっくりしました。
我が家のボロ車にも雪が積もっていました。
日中は晴れていましたので雪もすぐに解けましたが寒い一日でした。

【2004年】
障子の張替えをしました。
しかし。。。。ううう・・・なさけない。
昨日ドライブにいって来、帰ったあと、腰に違和感があったのですが、障子の張替えをしていたらゴキっと。。。。
軽いぎっくり腰になってしまいました。
接骨院でマッサージをしてもらってきました。しばらくは車の運転もできません。
この後の大掃除や買出し。。。どうしよ。

【2005年】
(記事なし)

【2006年】
昨年買った正月用の梅の寄せ植えに一輪花が咲きました。
正月にはうまく咲きそろうと思います。
梅一輪一輪ほどの暖かさ
この句は初春の句かと思いますが、なんと今日は小春日和を通り越して春一番のような暖かさと風でした。昨夜はすごい風雨でしたが、被害は植木鉢が一つ倒れたぐらいでした。
今夜はスタミナ焼き。。。。
何をつくろうかな。。。と悩んだときは手ごろです。

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
アンチという言葉をよく聞く。
大体が好きか嫌いかといった感情をむき出しにした「反」というものとなり、それが言動として現すことにより時には汚い言葉や誹謗中傷につながったり、時には「死ね」というような単純な言葉としてその幼児性にも似たものともなる。
この場合の「反」としてのアンチは単純なだけにだれでもがアンチの仲間に入れるわけです。
今の社会ではこのような意味でアンチという言葉が理解をされているように思う。
そうすると、言論の自由とかという自由にもかかわってくる。「アンチというものも言論の自由だ」となる。もちろん言論の自由は保障をされる。しかし「バカ」とか「死ね」とかといったアンチの言葉はもちろんですが、何の中身もない感情的な言葉を汚く表現をすることも表現の自由とされはじめる。しかしそこにある言葉は言論や表現といえるだろうか?値するものだろうか?
自由を間違った理解で受け取り、「反」というアンチそのものの乱用である。
わかりやすくするためによく聞く「アンチ巨人」という野球を例にとって見よう。
それぞれにひいきの球団は野球好きにはある。その中でも他の球団はともかく巨人だけは好きになれないし、対戦相手がどの球団でも巨人が負ければいいという「アンチ巨人」がいる。しかし野球場に行って巨人の応援席に行ってアンチ巨人だからとそして応援の自由だからといって他球団の旗を振って騒いでいるならこれをアンチといえるだろうか?野球には野球のマナーができていてこのような行為はマナー違反となり野球好きからすれば仁義に欠ける行為となる。
こういうアンチはアンチとはいえないだろう。ただ野球というスポーツとそれを応援するものとしてみれば、野球を冒涜する行為と見えるのではないか?
こう見るとアンチという言葉を変に曲解をして使われる場合が多いのではないか?
アンチという言葉がどこから出てきたのかはわからないが、どこから今のような曲解をされたアンチが定着してしまったのか?
しかし同時に注意しなければならないのは、アンチ「アンチ」といったものから批判という本来の言論や表現の自由を反「アンチ」の立場から国が規制をしていくというものもある意味アンチの規定を曲解するものとなる。
本来のアンチとは?あるいはどうあるべきを考える場合、このアンチという言葉は「アンチテーゼ」の略でなければならないだろう。
上の野球の例で言えば、「巨人は好きだ」という命題から「巨人は嫌いだ」という相反するものがぶつかる。これを互いに応援席に殴り込みをかけるようなアンチでは何の発展もない。しかし今サッカーなども盛り上がり野球ファン人口も減りある意味アンチ野球が増えている。その中で、巨人ファンもアンチ巨人ファンのも酒でも飲みながらこれからの野球をどう残していくべきかを話し合えばそれは発展である。矛盾からの発展であり止揚である。例としては変かも知れませんが、この相反する命題の建て方からより発展した矛盾の解決としてのアンチテーゼ。この視点でのアンチを考えなくてはいけないわけです。
巨人ファンもアンチ巨人も野球を語ればその発展を望んでいる。ヘーゲルやマルクスの近代弁証法といわないまでも、酒でも飲んで話し合いの中にその矛盾を明らかにしてその解決方法を見るという古代弁証法でもよいわけです。

【2011年】ツイッターつぶやき
朝日新聞朝刊に政府事故調中間報告の記事が載せられていた。
今までマスコミが報道してきたものや対応への疑問などが寄せ集められている中身でツイッターなどでも大きく取り上げられていた中身でもありそうは新鮮味がない。もちろんこれを政府事故調としてまとめられて正式な報告として出されたことは有意義である。
同8・9面では、「なぜ備えが十分でなかったのか」とこれまでの原発の安全性のための設備など原因をとらえ、「なぜ原子炉を冷やせなかったのか」として事故への対応と鎮静化への問題点をとらえている。事故調の中間報告をこの二つの側面から分析をしているのだろう。これは良い記事だと思う。
この二面性から事故調の報告がどのような意味を持つか?それは1面に乗せられている福島原発事故は「起こるべくして起きた」という言葉に集約をされるだろう。
こう見るとこれまでの安全神話というものがなんだったのかと改めて考えてみてしまう。
たしかに車でも電車でも飛行機でも、完璧な安全というものはなく事故は頻繁に起きている。しかしその利便性からこれらのものを失くそうとはならない。しかし原発となると大規模な事故は車や飛行機といった事故とは比較できない質的に違う事故となる。車や飛行機は完璧な安全はないという視点でその利便性を必要としているが、原発事故は今回のような大規模な事故はないとした安全神話を作り上げてしまった。安全神話が一度できると人はその神に額づいて神話が独り歩きをする。神官はもちろん専門家であったり政治家や経済人であったりした。神官の言うことを国民は信じていく。国民全体が車や飛行機は事故がつきものと考えているが原発は安全と信仰に近い信じ方をしてしまった。
今回の中間報告は、この安全神話がどんなに信仰に近いものだったかを明らかにしたものでその安全性への反省の糸口となるものにはなるだろう。
しかし中間報告は、まだ今回の事故を想定外の大地震や津波という自然災害に結び付けて終わっているのではないか?それへの備えが不十分だったとは言うが、なぜ備えがおろそかになったかの神官たちの人的なものの現象面しか浮き彫りにしておらず、これまでの政府の原発政策やそれを受けた関連省庁あるいは企業といったものの根底の行動が見えない。たとえばGoogleで「小泉政権 福島原発」を検索をしてみると当時の自民党内閣が何をしたかがいくつか出てくる。もちろんこれは様々な視点による「意見」的なものであるがある程度その当時の政府の原発政策が見える。このようなものをさかのぼって政府が何をしてきたかの中に今回の事故の基本的な人的原因があり、それこそが安全神話の神話的な実態であったわけです。
今回の報告書では、地震や津波への備えとかを行えばよいといった原発維持の方向が出るかもしれません。しかしそこにはまた新たな安全神話が生まれる可能性がある。原発の利便性を考えて政府や官僚そして企業がまた神官として国民の前に現れるかもしれない。そして経済優先を考えた政府による原発政策が行われる。

【2012年】ツイッターつぶやき
時間がないのでツイッターから。後日もう少しまとめます。

「デフレ脱却を拒む諸勢力」?政策インフレに反対するだけで、国民生活の安定からの不況脱出は願う。デフレ脱却=インフレは飛躍した論理です。
デフレからの脱却=インフレではない。
デフレからの脱却=消費不況からの脱却でしょう。賃金抑制からの商品価格の下落、消費者の懐にあるべき貨幣量の不足の解消。ここに、この経済法則から離れたインフレ論を持ち込むのはひどい認識不足です。
デフレからの脱却=インフレという大きな勘違いが流行る。。。。。
インフレとは、商品価値から離れた価格の引き上げで、商品価値に対する貨幣価値の低下でしかない。貨幣価値の低下からの価格の上昇は、新たな低下した貨幣価値におけるデフレの継続である。

【2013年】ツイッターつぶやき
26日に安倍総理が靖国を参拝した。
これに対して中国や韓国の非難が出ている。同時にヨーロッパやロシアからの関心(懸念)が示された。
アメリカは
「日本は大切な同盟国であり友好国だが、日本の指導者が近隣諸国との関係を悪化させるような行動を取ったことに、米国政府は失望している」
「日本と近隣諸国が過去からの微妙な問題に対応する建設的な方策を見出し、関係を改善させることを希望する」
「首相の過去への反省と日本の平和への決意を再確認する表現に注目する」
という声明を出した。(声明文引用部分は朝日新聞一面を参照しました)
中国と勧告からの非難そして日本側の見解についてはこれまでにも繰り返し行われてきたものですからここでは触れませんが、安倍総理の今回の靖国参拝はこれまでとは違った波紋を国際的に投げかけたことに間違いはないでしょう。それはアメリカの「失望している」という一歩進んだ批判やヨーロッパやロシアにも疑問の声が出ていることです。そして国際的にも安倍政権の右傾化が言われるようになっていることも含めて国際的な声が今後どう日本に影響を及ぼすか。
アメリカの声明に呼応するように(といってもこれまでの主張と違いはないのですが)安倍総理は談話の中で靖国参拝を慰霊に対して二度と戦争を行わないことへの誓いとも位置づけています。しかしなぜそれが千鳥ケ淵戦没者墓苑でないのか。戦争の犠牲者は二度の原爆投下と東京大空襲・沖縄戦を見ても多くの国民が戦争の犠牲となりました。兵士は確かに戦場でなくなりました。しかし一般国民そして子供たちも本土決戦として戦争に参加させられてなくなりました。だとするならば千鳥ケ淵戦没者墓苑がもっとも二度と戦争を行わないという誓いを立てる場所としては適切でしょう。靖国ではどうしても軍隊そして兵士への誓いとして見られるでしょう。アメリカのように本土で市民の死者がなかった(少なかった?)国とは違いがあります。戦没者=軍人と見ることが強くなります。しかし日本での先の戦争の悲惨さは、多くの市民が戦争によってなくなったという特徴があります。そうすると戦没者は多くの市民でもあったわけです。平和と不戦の誓いはこの国民に向けるべきでしょう。亡くなった兵士も残した家族の死という無念があるかもしれません。この意味においてもアメリカの声明にある「過去への反省」でもあるはずです。
今の安倍政権の政策を見ても軍人ではありませんが企業や富裕層への景気対策でそこに国民の生活の安定が見えません。この点から見ても安倍総理の基本的な国民と国家の関係が見えるわけです。それが靖国参拝ともダブって見えてしまうのです。
そして近隣諸国との関係改善では、26日は中国は毛沢東生誕120年という日でした。こういった配慮もないところに国際世論はどのように動くでしょうか?下手をすれば挑発とも言われかねません。そして平和と不戦は積極的平和主義というといった概念に変わりました。これを見ても国民や国際世論の言うこれまでの「日本の平和主義」と「積極的平和主義」の乖離から安倍総理の談話での平和と不戦の中身が検討されていくでしょう。
中国や韓国はこれまでとは違って経済発展もありました。国際的な発言力や影響力もついてきました。その中でアメリカのアジア思索にも変化が出てきて中国や韓国との関係は日本と同等のものになっています。もちろん安保はありますが。その中で今の日本が安倍路線でよいのでしょうか?それとも今回の靖国参拝はこれらのことも踏まえて日本の一人歩きの決意だったのでしょうか。どちらも国際関係においては危ういといわざるを得ないでしょう。
最後になりますが、国内世論へのメッセージとしては
安倍総理の靖国参拝は、国内への「国を愛する心」という精神論のためでしょう。アメリカも含めて批判が出れば出るほどこういう精神論は強く国民にアピールする力も出るしそれに共感する国民も増える。そこに積極的平和主義も。貧乏でも我慢して働く国民も。こういった非近代政治の手法でしょう。
それはもちろん内向きな政治の中からの経済の強化を言うわけですが、グローバル経済も相互の関係性からの発展という本来の意味合いから離れたものとなるのではないか。その意味でも非近代的政治といえる。
(今日のツイートからの転載)

【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
アベノミクスはその失敗を総括しないで積極財政を打ち出した。積極財政は社会保障などの国民生活に直結する支出ではなくて公共事業である。日銀の金融緩和も限界に達し、あるいはその副作用が懸念されはじめている。そして銀行の利潤率を低下させている。
この中でロイターに「科学技術立国は経済再生と安保強化への確かな道」という記事があった。
この記事では日銀緩和の更なる強化と積極財政を言い、サイバー攻撃に対処するとしながらも安全保障・安保の強化が言われている。
出口のはっきりした見通しもない金融緩和の更なる強化と積極財政は、財政ファイナンスの色合いを深める。この財政ファイナンスを回避するためあるいは積極財政を高めるには国民生活の低下を引き起こす。これは最近の増税と社会保障の低下に見える。これがアベノミクスと日銀緩和の失敗の証でしょう。上記リンクサイトでは「アベノミクスに効果がなかったという無効論は実証に基づいていないから論外である」と書かれているが、アベノミクスが物価目標を達成できずいつまでたっても道半ばを言い続けること、これは経済の好転がなされずに国民生活を圧迫させている事実からして失敗であることは明らかである。
積極財政が安保強化にも結び付けられるが、確かに防衛費は突出した伸びを示している。財政ファイナンスの危険とその財政の使い道が安保強化に結びつけられることは危険でもあるし経済の好転には結びつかないものであることをしっかり見なければならないでしょう。

【2018年】ツイッターつぶやき
年末といえども花たちはゆっくり~ゆっくりと花を咲かせています。
ゼラニウムも秋には次から次へと花を咲かせては散っていましたが、今はゆっくりと咲いてゆっくりと満開になります。ナデシコはもっとのんびりと花を咲かせていて、久しぶりにじっくり眺めると花が増えていることに驚きます。
花たちはこのままのんびりと新しい年を迎えるのでしょうね。
花を見ていると僕ものんびりした気持ちになります。
しかし・・・・・
人はそうものんびりとできないですなぁ。。。。。
クリスマスが終わり、先日冷蔵庫とキッチンの大掃除をして今日から正月の支度です。
大掃除も正月自宅も手抜きですがそれでも気が焦りますなぁ。
今年も手抜きおせち料理8品を予定しています。
スーパーは何でも高くなっていますし正月用品ばかりが並んでいます。
車でのスーパーの帰り、右折のウインカーを出して右折車線に止まっていた車がいきなり直進車線に入ってきて前の右折の車を追い越して右折していました。僕は急ブレーキ・・・・危なかったです。年末は皆さんなぜか急ぐ。。。。。
アベノミクスは株の乱高下。。。。投資家の皆さんの年末もあわただしいようです。
花たちとのんびりと・・・・・・
よい年末を過ごしたいですね。

【2019年】ツイッターつぶやき
毎日遊歩道を少し歩いています。
4000歩から5000歩歩きますが、体も軽くなる気がします。
買い物やら家でちょこちょこと歩いていれば1日7000歩ぐらいは歩くことができそうです。
なぜ歩きはじめたかというと、夏のはじめごろからよく足がツルようになり、ある国も足が重いような気がしてました。
血行が悪いのかと思い風呂に入ってマッサージなどもしていましたが治りませんでした。
一番つらいのが寝ているときに足がつって眼が覚めることでした。
運動不足はわかっていたのですが、足のつりもその運動不足からきているのかと思い歩きはじめました。
まだ10日ぐらいですが、足のつることもなくなりました。
やはり歩くことで結構もよくなりますし、筋肉も柔らかくなるんでしょうね。
よく1日1万歩と言われていますが、まぁ、そうは張り切らないでぼちぼちと歩くのがいいかなと思ってます。
冬でも速足で5000歩ぐらい歩くと体が温まってきますし、寒くて冷たくなった手もぽかぽかしてきます。本来は体が温まってからジョギングなのでしょうが、ウォーミングアップぐらいの散歩でもいいかなと思っています。
顔なじみもできて挨拶もするようになりました。これもまた楽しいのかもしれません。

【2020年】ツイッターつぶやき
東京の都営地下鉄大江戸線の運転士職場でクラスターが発生したようです。
社会は経済活動で動いていますから働く人たちが働けなくなれば経済を維持する歯車が狂ってきます。大江戸線は運行本数を減らして営業できるようですが、これから年末年始の休日ダイヤですからどうにか混乱は避けられるでしょうが、正月休みが明けて続くようなら平日ダイヤがどうなるか。本数が減ればラッシュ時間帯の社内の人の密はひどくなるでしょう。するとそこからの感染拡大の心配も出ます。
電車ばかりではなくてトラックの輸送が減れば流通に大きな混乱が起きます。
まだ一つの営業所ですからどうにか人員のやりくりもできるでしょうが、今後感染が爆発的拡大したらっ社会の維持が難しくなるでしょう。今すぐにそうなる危険性は少ないでしょうが、イギリスの変異種が日本にも入りはじめています。
今年の武漢からのウィルスをどう防ぐかでは水際作戦が行われましたが、経済をまわすという面から水際作戦は失敗をして感染が急拡大しました。変異種は感染力が大きいといいます。
陽性になって職場に出ていけないことがあるでしょうが、今心配されている一つに後遺症があります。ひどければ職場復帰が遅れます。
菅内閣の支持率が急降下しています。その理由はコロナ対策にあるとされています。
本気でコロナ対策を考えているのかという不安からですね。実際に第三の波の収束は見えません。
明日は御用納めで多くの企業は休みになります。しかし年末年始も働く人たちがいます。だからGo Toも成り立つわけですが、そこで感染が拡大する危険性があります。1週間でどこまで感染拡大を防げるかですね。しかし政府や都はのんきです。自己責任に任せています。

【2021年】ツイッターつぶやき
最近生乳が余ってしまい廃棄するようになるかもしれないというニュースが多くなっています。
しかし2019年ごろは生乳が足りずに輸入をしています。
日本という国は生乳が足りないのか余っているのか?
日本の畜産の現状から日本で生産される生乳が余っているのか、足りないのか?
現実は生乳も含めて加工乳製品は輸入に頼っていて国産だけでは足りないのではないか?
現在の生乳が余ってしまい廃棄せざるを得ないというのは、コロナ下においての特殊的な事情なのかもしれない。その中で、輸入生乳も含めて過剰になっているのか。
日本の生乳よりも輸入の生乳の方が価格競争に勝っているのか。あるいはPTTによる自由化により日本は輸入せざるを得ないのか。
単純に生乳が過剰で国内の畜産課が困っているという一面だけでこの問題を見ないほうがいいのかもしれない。
生乳が余っているならこの際マーガリンを禁止してバターに切り替えるとか加工品を国産にすることを考えないと。
でも価格競争に負けるのか?
しばらくすると過剰から不足に転じるかもしれない。

【2022年】ツイッターつぶやき
安倍政権時からどのくらいの大臣や要職に就く政治家が、政治とカネの問題や失言などで辞任(更迭)しただろ?
その度に総理大臣が説明責任やら任命責任という言葉でお茶を濁してきた。
国民が納得するような説明責任を果たした政治家がいただろうか。任命責任で責任をどのような形で総理大臣は責任を取っただろうか。
国民はそのうち忘れて選挙では勝つ。
こういう自民とでありながら国民には痛みのある政策を強行してきた。
これを許す社会的な力が働きはじめているのでしょう。総理大臣と会食をするマスコミ。。。。。。
野党も自民党政治を後追いしはじめている。
自民党政治は盤石である。
しかしそこが腐りはじめるのですから国も国民も疲弊していく。しかし腐りながらも企業や富裕層の社会的富を維持する。
日本はアリジゴクにはまる。

【2023年】ツイッターつぶやき
2011年の東北大津波の時のニュースで、山を登ったところに小さな神社があり、言い伝えでは津波が来た時にはこの神社まで登れば安全だと。
民間の間でも神社は重要な位置づけになあっており、今もたくさんの祭りが残っている。
諏訪大社がありますが、諏訪は縄文時代から石器の材料黒曜石を採掘していた土地で、その時代からずっと諏訪は特別なところであり、そこに諏訪大社が残る。
出雲は、朝鮮半島との交易の場であったそうですが、出雲大社は巨大で高い神殿があったそうです。弥生時代から重要な神社だったようです。
奈良にはたくさんの神社がありますが、それはその土地の豪族の都でもあった。
こうした日本の歴史に深くかかわる神社は、歴史学でも重要な位置づけになっているようです。
もちろん侵攻の場でですから、その侵攻により今も残っている。
しかし、神社も明治になって大きく変わってしまいましたね。国家新道に傾いていく。
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「12月26日という日」

2024年12月26日 07時58分23秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
娘と今年最後の釣りに行ってきました。
今年はつれない釣りばかりでした。というのか、今年もです。。。(笑)
最後の最後まで連れなかったのですが、僕にとっては、海も魚のいないただの水溜りなのか!!ムカっ!!・・・・ハハハ
でも、波の音を聞き、潮風に吹かれていると楽しいです。いくら「水溜り」に糸をたらす状態ですが、こんな釣りもまたいいのではと自己満足をしています。
千葉県も温かかったです。風もなく、日差しも強くて竿先を眺めているとぼけっとしてしまいました。
今夜は、娘が味噌ラーメンを食べたいというので作ります。ラーメンだけでは寂しいので、餃子もと思います。もちろん手作りですよぉ。。。

【2004年】
南房総に海を見に行きました。
新撰組の総集編を観ています。男の純粋さを感じますね。最後の武士らしい武士という生き様を見ます。しかし歴史はこのような純粋さだけでは動いていかない。やはり新しい世界の動きについていけた人々が生き残ったということでしょう。日本が諸外国の植民地にならなかったという事実これは、この新しい世界の動きについていったからでしょう。
新しい世界の動きといっても、よりすぐれた国になっていくということで、江戸時代よりも明治の世の中がよりよい国だったということだと思います。このよりよい国を作るという動きとともに男の純粋さが必要なのでしょう。

冬の南房総   2004年12月26日 
冬の寒い休日、なんとなく春が待ち遠しい休日。
日帰り温泉もいいですが、いつも暖かさを求めて南房総に海を見に行きます。晴れていたので外を歩くにもジャンパーは要りません。海の風も冷たいには冷たいですが気持ちのよい風です。
房総半島の先端館山の町から太平洋に沿って外房に向かうと、白浜や千倉・鴨川の町があります。この辺一体の海辺は黒潮の関係で南国といった感じです。
南紀、南伊豆そして南房総と、同じような環境にあるようです。たしか白浜という地名も共通するのでは?黒潮に乗った文化交流があったようですね。房総には義経が上陸したとされる海岸がありますが、これも黒潮文化の交流が言い伝えとなったのかもしれません。
東京から近い場所で早い春を見つけられるというのも楽しいです。
水仙が咲いていました。
1月に入ると菜の花が咲き、花摘みも始まります。
南房総は何度も行っているので観光地にはあまり寄りません。海を眺めたり釣りしたり。そして我が家の楽しみは、主だった町にあるたくさんの「道の駅」めぐりです。それぞれに特色があり、食事や海産物もおいしいところもあります。
大きなサザエとスルメイカの一夜干を買って帰りました。つぼ焼き、おいしかったです。一夜星もさっとあぶってマヨネーズをつけて食べました。今日、残りの一枚を焼いたら子供たちだけでぺろりと食べてしまいました。天日干だそうで、やはりそのせいでおいしかったのかな?値段も手ごろでした。
また正月後にでも花を見に行きたいと思います。

【2005年】
日本の歴史を扱った再放送をやっていた。
4時間のスペシャル。
学校での歴史授業は現代史を教えないということを以前から言われていたが、やはりこの番組も明治以降は駆け足だったようだ。
むかし、古代荘園制の崩壊と武士の台頭を東大寺の荘園制を元に解き明かした本を読んだことがある。武士といえば源頼朝や足利尊氏の時代を経て下克上がはじまり、徳川家康の時代に封建制が完成する。荘園制までは、一般庶民も奴隷状態な状態になっていただろうが、封建制では重い年貢があるにもかかわらず自分の土地を持つことができた。明治維新は中途半端ながら土地から自由になり、自由や平等の中に庶民もおかれた。しかしその自由や平等も絵に描いた餅のようなもので、ここに不満は集約されるようになる。同時に植民地制の中におかれた日本はその独立を守りながらみずからが海外への派遣を強める。不幸な二つの世界大戦。その中で軍国主義は否定をされ、同時に植民地性も否定をされる。ここに来て庶民もある程度の自由や平等を獲得する。そして平和という権利を得る。しかし、その自由や平等は金の力によって左右をされ、人に使われている間はこの金の力によって縛られざるを得なくなった。この金の力は経済力としてその支配力を高める。経済力の前には地球の環境破壊も犠牲にならざるを得なく、戦争というものがいまだに正当化される。石油エネルギーの争奪と有り余る製品の販路を求める。
歴史というのは、その時代時代に先進的な人物が出て変わっていったこともたしかだが、その世の中を変えた先進的な人々も庶民を見方にしなければその力は発揮できなかったのである。だから少しづつ数千年の歴史時代を経て庶民生活は発展してきた。この庶民生活は、犠牲にしようと思えば権力によってなしえるものであるが、長い目で見ればその社会を閉塞状態に置くことになる。今は世界的に庶民生活を犠牲にした経済競争が当たり前になり、低成長(安定成長というごまかしの言葉も使う)という閉塞状態になっている。すべての設備投資なども結局は庶民生活に欠かせない一般消費物として社会に還元されざるを得ないが、消費をする一般庶民が犠牲の中でそれを消費できなくなっている。先進国の庶民は豊かそうだが本当は貧しさが進んでいるのである。一般消費物が消費されない中に低成長はますます進んでいく。価格は下落する。下落はするが一般庶民の生活も比例をして低下する。デフレはますます高度化する。
行き詰まりを解消するにはまた競争である。この競争は、軍事力にも依存をする。環境をも犠牲にしなくてはならなくなる。悪循環は続く。
こういう社会を変kさせなくてはお先真っ暗であり、これまで数千年かかって発展してきた歴史を今後も発展させえなくなるだろう。
庶民生活。。。ここが歴史のキーワードである。

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
ううう。。。。
年末になり妻の体調が崩れてしまった。
ハハハ。。。お父さんは頑張っています!

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
千葉市動物公園に行ってきました。
動物園は好きでよく行きますしこの動物園は入園料も安く(500円駐車場700円・・・駐車場のほうが高い!!(笑))動物の種類も多いので好きな動物園です。
しかし寒かったぁ。。。。北風も強くて歩くのがつらかったです。猿たちは日向のところにうずくまっていました。生まれ育ったところを見るとアフリカの赤道直下という猿もいました。この寒さはつらいでしょうね。もちろんこの猿たちはたぶん日本で生まれてたのかとも思いますが、それにしてもそうは寒さに強いとはいえないでしょう。その他の動物も暑い国が故郷というのが多いのでしょうが、、、、、
早く部屋に入りたいようで部屋の入り口でうろうろする猿もいました。
明日あたりから動物たちも年末年始休みでしょうか。。。。。暖かいところでゆっくり休んでほしいなぁ。

【2011年】ツイッターつぶやき
今日、科学雑誌を読んだ。光の速度についての特集でした。
光にも速度があることが発見され、その速度が観測の中から導かれアインシュタインの相対性理論が説明される。光よりもはやい速度は存在しないと。最後に最近の実験では光よりもはやい速度の素粒子というのか?があるみたいだと。アインシュタインの相対性理論もいつか変更されるのではと。
この科科学史の中にアインシュタインの理論をわかりやすくイラストで説明されているが、そこには現実には存在できないようなあるいは観測できないようなものをイメージとしての実験を行う。思考実験という言葉もどこかで書かれていたが、アインシュタインが色々な思考的の中で描いた矛盾をずっと追い求めて相対性理論を発見したと。そして光より速い速度は存在をしないと。
光の速度で航行している宇宙船からレーザー光を発射をしたらやはりその例ざーこうは光の速さで飛んでいく。常識的な日常ではそのレーザー光は光の速度の2倍の速度になってしまう。しかし光の速度以上の速度はないのだから。。。。こういったものを思考実験として(もちろん物理学ですから数式なども)ある結論にたどり着く。空間や時間が基本的なものではなくて光の速度が基本的なものであるならば。光は光の速度で飛ぶだけで光の速度の2倍というのは空間が縮んだり?することで理解できると。
この視点を少し替えて考え直してみるということ、そしてそれが正しいかどうかを(物理なら計算式で証明する)思考する。この思考実験というものの面白みを感じました。
思考実験という言葉自体は今日知ったのですが、よく考えればいろいろなところで行われているのではないでしょうか?哲学というものはもちろん、文学や詩などの世界ももしかしたらこの思考実験の中に表現が出るのではないかと思います。漱石の文学はこの思考実験の中に主人公が置かれているような気もします。
今読んでいる哲学の歴史を読んでいると紀元前から人はこの思考実験という哲学の中に体系を残してそれが現実世界にも適用されてきたのだと思います。そして哲学はこの思考実験の思考そのものの行い方を思考事件をしてる。
人の思考、すなわち考えることの素晴らしさをあらためて感じます。

【2012年】ツイッターつぶやき
以前にも何度か書きましたが、企業が労働力という商品を買って消費するときにも消費税を導入すべきです。特に今後消費増税が避けられないというならなおさらです。
消費税が8%になった時点で賃金にも5%の消費税を導入して年収300万円程度のサラリーマンの消費税15万円はサラリーマンの益税にする。300万円を超えた部分の消費税は国におさめられる。こうでもしないと景気回復や国の財政難の解消はないでしょう。国におさめられた消費税は苦しい零細企業などの賃金消費税の一定額を還付するとか。
サラリーマンの益税部分は減税という効果のあるものにしてもよい。その時この額を国債でとすればどうなるか?企業が賃金消費税分を日銀も含めて銀行などから買う。それをサラリーマンの所得税として国におさめる。サラリーマンは減税効果と同じように15万円を受け取り、国には国債が帰ってくる。もちろん15万円を超える部分も国債で。国に入る現金としての税収が減りますから国に帰った分の国債を国債費に回して国債費分を現金としての税収にする。このような国債の流通というのはできないものでしょうか?
国債の流通も下手をすればすごいインフレを起こしますから限定的な流通使用として。
このような賃金消費税というものは今の企業の状態からでは無理だと笑われるかもしれませんがそうでしょうか?
消費増税は景気の回復がなければできないと言います。増税されたときには景気回復があるわけですからその恩恵をサラリーマンにも回さなければならない。景気回復時にこそ賃金消費税を導入すべきでしょう。景気回復が企業の内部留保や海外への設備投資(中国がだめだからミャンマーにとか)に回るだけなら国内の消費は伸びずに景気回復は長期には続かないか国民生活には関連しないものになる。先のイザナギ景気を超える長期の景気といわれた時も国民生活には波及しなかったし。結局は景気の後退に入ってデフレは克服されなかった。

【2013年】ツイッターつぶやき
牛丼や洋服の値段が下がること自体がそれは福祉だという考え方があるそうです。(リンクページの引用部分。リンク記事はそれへは批判的です)
そうすると、内閣は政策上でも福祉の切り下げを行おうとしており、それと平行して物価を引き上げることを目的としているわけですからその意味においても福祉の切り下げを行おうとしているということになりますね。ここからの物価高騰への批判でしょうか?
でも、物価の下落は経済の法則で私企業が国民のために安く牛丼や洋服を提供しているというわけではないでしょう。もちろん言葉としては「お安く提供いたします」と企業も宣伝しますが、いくらなんでも好んで安くしているわけではないでしょう。
デフレにしてもそれは福祉ではない。
(。。。。書き込みがすごく重い。ここでやめます(涙))

【2014年】ツイッタつぶやき
「成長と財政再建へアベノミクス仕切り直しの好機」この好機とは何か?
「歯車を狂わせたのは、率直に言って、当初アベノミクスのメニューにはなかった消費増税(5%から8%への第一弾)を2014年4月に実施したことだ。安倍晋三首相も菅義偉官房長官もおそらく本音ではあのタイミングでの消費増税に反対だったと思うが、民主党前政権下で自公民の三党合意に基づき法制化されたものなので、やらざるを得なかった。」(上記引用ページより引用)
アベノミクス自体は成功していたが消費増税が間違いだったという論理は広くあるがその論理を示したものでしょう。しかしその責任を民主党との三党合意の責任にするような論法です。しかし8%最終的に判断したのは安倍総理であり、8%への消費増税は経済状況を見たうえでの判断が許容範囲としてあり、安倍総理は国会内のねじれもないことから法改正はできたはずです。
アベノミクスのメニューにはなかった?しかし公共事業の前倒しは消費増税に依拠していたのでは?「公共工事前倒しは、消費税10%決定に効果ある?」
消費増税はアベノミクスの成長戦略にも組み込まれ、最終判断は安倍総理が行ったという事から話をはじめねばならないでしょう。
そこで、「好機」とは何かです。
アベノミクス、経済政策の失敗がこの2年間の結果ですから、その結果から「アベノミクス仕切り直しの好機」という言葉自体がおかしい。結局は安倍内閣がアベノミクスを失敗させてはならないとして経済政策をさらに進めるといっていることへの政党かに他ならない。
「好機」と言っても2年後には10%が約束されているわけですから、2年後には同じことが起きます。
問題なのは、この2年で経済が好転して国民生活が豊かになったのか低下したのかなんです。
ですから安倍総理も賃上げを言わざるを得ない。しかしそれがどのくらいうまくいくかはわからないわけです。実際自失賃金はこの2年間でも下がり続けているのですから。
まだ連合加盟の労働者が働く大企業などには法人減税という美味しいものが与えられているのですから、それである程度の賃上げもできるでしょうが、その恩恵が連合以外の組織にどのくらい波及するのか?年金は?社会保障全体は?
社会保障は財政削減の聖域ではないとされている。
10%への2年間にこのような実態の中でどう大きく経済が好転するといえるのだろうか?

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
今年もテーブルヤシの花の枝が伸びて小さな花芽が膨らんできました。
花と言っても形は実のような丸い形をしています。黄色く膨らんで中心に茶色の穴が開いているような花です。それがだんだんと黒色に近い紫になって散っていきます。
花数は一つの花の枝に50ほどあるかな・・・・・
厄介なのが花が散るとそれがべとべとの粘液が出ます。蜜なのでしょうか?
今では1メートルを超える高さに生長しましたが、買ってきたときは5センチほどの苗でした。
あれから何年過ぎたか。。。。。立派に育っています。
先日病院の待合室で見たテーブルヤシは床から天井まで伸びていました。
我が家のテーブルヤシもそろそろ一回り大きな鉢に植え替えかな。
先日妻が銀行からサンスベリアの苗をもらってきました。
ちゃんとした鉢に植え替えてあげようと思います。出窓で日光浴をしていますが、あまり日に当てたらダメかな?
また大きく生長してくれると嬉しいです。
生長と言えば、500円玉ほどのサボテンが大きくなって、去年花を咲かせました。
名前は忘れたのですが、沖縄の方で生垣にも使われる黄色い花が咲く木の苗を秋に買ってきましたが、この木も10数メートルに伸びるという。。。。。鉢植えで盆栽のごとく育てたい。。。。。
こうして花たちと付き合っている間に僕は年齢を重ねるのですが、なるべく長く付き合いたいですなぁ。。。。
結婚をして子供が生まれたころにもらった金の生る木が子供と一緒に大きく育ちました。

クリスマスも終わりスーパーはお正月料理一色になりました。
いつも買う沢庵がいつもの場所にない。。。。。店の人に聞いたら隅の方へ移したとのこと。
毎日の食事の準備もしにくくなりました。何よりも値段がだいぶ上がっているような実感があります。
だんだんとあわただしくなってくると買い物も大変ですなぁ。。。。。
去年に真の昆布巻きに使うソフトタイプの身欠きにしんが売り切れて探すのに苦労しました。
という事で、今年は早めに買ってきました。あまり日持ちしないのでなるべく早く昆布巻きをつくりたいと思います。
ソフトタイプの身欠きにしんは硬い乾燥をしたものを米のとぎ汁で戻す手間がはぶっけて良いです。
でも、やはり味は落ちるかな?ニシンの風味が違うような気がします。
何でも一度乾燥させたものはうまいですからなぁ。。。。

【2018年】ツイッターつぶやき
国債の売買不成立は「2001~13年には1日もなく、昨年も2日だけだ。半年間で6回もあるのは、やはり異例である。値がつかないのは買い手がいないからで、国債市場はもはや死んだも同然だ。」(日刊ゲンダイ
安倍政権になってから売買不成立がはじまっている。今年は7回でしたっけ?
日銀が国債を買い取り、満期償還になればその金で新たな国債を買い取ればどこかうまくいくように感じるが、これはどう見ても財政ファイナンスということになります。
来年度の予算は100兆円を超える(財源には税収や預金保険機構が管理する剰余金などの税外収入を充て、不足分を補う新規国債の発行額を32.7兆円:イター)そうですが、国債発行も日銀が引き受けてくれる。
「日銀の株買いは非常事態への対抗策だったが、それでも導入時から株価をゆがめるとの批判は少なくなかった。
ところが13年春に黒田東彦総裁を担いだ日銀は、“異次元緩和”の名のもとに、国債やJリート(上場不動産投信)に加え、ETFも年1兆円ペースで買い入れを開始。物価目標達成までの2年程度の期限付きだったはずの措置は、14年10月の追加緩和で年3兆円、16年7月には年6兆円と、景気指標が改善する間に気前よく拡大されて5年半超にも及ぶ。」(現代ビジネス
アベノミクスは景気拡大もずっと「道半ば」とごまかしてきた。最後の砦は日銀に国債を買い取らせながらそして国民生活を犠牲にしながらの公共事業、強靭化対策と株価維持しかなくなっている。
日銀を財布として擬制の経済拡大を言い続けるのが今の政府ではないか?
この中で以前から日銀の金融緩和の副作用が言われ出口についての疑義が出ている。
国債や株の買い入れはのんきにできるが、しかし国際も動かず株も売れば今のアベノミクスの成果といわれるものが消えてしまう。これが出口のむずかしさなのでしょうが、日銀が出口に向かうことができるのは日本経済が飛躍的な発展をするしかないでしょう。でもそのような芽は見えない。
と京オリンピックまで、大阪万博までと引き延ばしていくのかもしれません。その中で憲法改正でしょう。

【2019年】ツイッターつぶやき
24日に日韓首脳会談という記事を書いたが、安倍総理は日韓基本条約という「国と国との約束。。。。」を強調して日本側の主張とした。この安倍総理の発言を多くのマスコミが報道したわけですが、聯合ニュースによると、文大統領が発現中発言中に日本側が記者団を退席させていたという。韓国側の抗議に対して日本側は、
「意図的ではなく、(経緯を)調べて追加で釈明する内容があれば知らせる」と説明したという。(引用)
これでは日本の報道の自由度はさらに下がっていくでしょう。
それは日本国民がどれだけ会談内容を知ることができているのかの問題でもあります。
そもそも「国と国との約束」にしても、2018年12月の朝日新聞の報道によると、中国強制連行被害者と和解で解決した鹿島、西松建設の令を取って、
「具体的な請求権について、債務者側の自発的な対応を妨げない」
として、解釈的には、「当事者同士が交渉で解決することは構わない」という解釈ができるそうです。ですから個人へ賠償請求はできるということになっています。もちろん今回は韓国の大法院が出てきていますが、日本企業と被害者である元徴用工は誠意をもって話し合いをすべきでしょう。しかしこの話し合いでらちが明かないから大法院まで裁判が進んだのかもしれませんが。
安倍総理も「国と国との約束。。。。」は国内感情としては受け入れられますが、今後の日韓関係を考えれば、韓国司法に介入ハゼ傷、韓国政府も司法には介入できないでしょう。
日韓両国が折り合いを示すべきです。

【2020年】ツイッターつぶやき
コキアもすっかり紅葉も終わって枯れました。
他の鉢のコキアからたくさんの実をとっておきましたのでそれを撒きました。
たぶんその実の中に種がると思われます。実のまま撒いても大丈夫だと思います。
一昨年も同じようにして芽が出ましたので。
3月か4月ごろだったか?ひょろっとした弱弱しい芽が出てくると思います。
新芽は弱弱しいですが生長するとほうき草というぐらいですから硬い茎となります。
楽しみです。

【2021年】ツイッターつぶやき
今日は床屋に行って帰りにコンビニに寄ろうと思ったのですが、髪を短く刈ったら寒くてコンビニに行く勇気がなくなり帰ってきました。
全国的に冷え込んでいるようですね。日本海側は大雪のよう。。。。。
新潟方面で雪が降ると関東は空っ風が吹きます。乾燥した冷たい北風が吹きつけます。寒さだけではなくこの空っ風が厄介でのどが痛くなります。
年末年始は東京も咲いて最低気温が1度ほどになるそうで元日は氷点下になるようです。
幸い天気は良さそうなので初日の出を見れそうです。
そういえば空っ風が吹き年末年始の連休になれば富士山がきれいです。
冬本番。。。。。
寒さは苦手ですが冬至も過ぎると「寒い」という言葉もどこか明るくなります。
2月の立春まで1カ月少し。
正月だ七草だ鏡開きだと言っている間に節分。
毎年1月は早く過ぎ去ります。
28日から買い物をして30,31日で御節づくりをします。何か楽しみがないとだめですね。
年末年始はあまり好きではないですが、御節づくりなど楽しんで過ごせば冬本番も気持ちを楽に過ごせそうです。

【2022年】ツイッターつぶやき
24日はもちろん25日もスーパーはクリスマス用の食品でいっぱいでした。
そして今日。。。。。
一夜にしてスーパーの中は正月の食品でいっぱいでした。
スーパーの方は昨夜忙しかったんじゃないかな。
漬物を置いてあった棚は少額のかまぼこやだて巻きなど冷蔵物になっていました。
1週間のうちにクリスマスと正月がやってくる忙しさ。

【2023年】ツイッターつぶやき
ニンニクの味噌漬けを作りました。
御節づくりもそろそろですが、さすがにニンニクの味噌漬けはお説料理ではありません。
先日知人からニンニクを大量にもらったのがり芽が出はじめてしまいました。
ニンニクもそうは料理で使いませんからなぁ。。。。。
昨夜は皮をむかない丸ごとをガスレンジでじっくり焼いて味噌をつけて食べました。
口は匂うし、部屋中ニンニク臭くなり、寒さの中、窓を全開にして風を通しました。
隣の家は臭かったかなぁ。。。。。
みそには鰹節を入れて、味つけは甘くしました。
どのくらい漬け込んだらよいのか?
冷蔵庫で1週間ほど漬け込みたいと思います。
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「12月25日という日」

2024年12月25日 08時03分34秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
東京晴れ一時曇り。
コーヒーショップに娘と一緒行ったら、おばあさんのグループばかり。
そういえばこの前コヒーショップにいったら、おじいさんとおばあさんばかりがいて 糖尿など 話しをしていました。どんより。。。ハッハッハッハ

【2004年】
寒いです。。。
クリスマスも終わればあとは年越し準備ですね。
何年前だったか、年末に銀行へ行き忘れてしまい金がなくて悲惨な正月を過ごしたことがあります。今年は忘れないようにしよう。
銀行といえば、何で年末年始に休むんだろ?交通機関やさまざまな生活に欠かせないところは営業しているのに。それに自分の金をおろすにも手数料をとられるときがあるし。銀行と同じようなものに役所がある。夜間や祝休日は休むし、税金を使って業務をしているのに手数料を取る。
役所や銀行は民間(個人)に強い発言力や力を持っているが、こういうところに限って殿様商売である。
こちらのHPは年末年始も営業する予定ですよぉ。。。(笑)

【2005年】
湿度計を見たら湿度10%
唇も乾き咳をしている人も多いです。一雨欲しいのですが、幸か不幸か年末年始は良い天気らしい。。。。
クリスマスも終わりいよいよ正月の準備ですなぁ。。。。
スーパーも正月用商品に変わっていくでしょう。なんとなくいろいろなものが高くなっているような気がするのですが気のせいかな?
スポーツジムも1ヶ月になりました。
体重は変わりないのですが、体脂肪率が減っています。このまま筋肉がついて体脂肪が減ればいいのですが。しかし体脂肪も、僕の場合内臓脂肪が多いので落とすのは大変らしいです。血液中の中性脂肪や内臓脂肪は、皮下脂肪による肥満よりダイエットは難しいとトレーナーの方も言っていました。
このままのペースで続ければ、基礎代謝が高くなり(筋肉質になり)脂肪がつきにくくなるそうです。それには長い時間がかかりそう。。。
夫婦そろってジム通いをはじめたので、体脂肪計を買ってきました。
この体脂肪計は優れものでいろいろなデーターが出てきます。「体年齢」というものもあり、さっそく見たらなんと42歳!!だいぶ自信がつきました。妻は?。。。夕螺家の門外不出の極秘機密です(笑)

【2006年】
昨夜はクリスマスのお祝い?もできなかったので、今夜、ささやかに執り行いました。クリスチャンではないのですが、一応縁起物ですから。。。でも、キリスト教の宗派もいろいろとあるようですが、平和を望む心は好きです。
毎年ご飯を用意して混ぜご飯やチラシ寿司にしたりしていました(ううう。。。日本的クリスマスパーティー)
こういうのも芸がないと思い今年は、フランスパンのガーリックトーストをカリカリに焼いてシチューと一緒に食べました。好評でした。あとは市販のオードブル。そしてケーキ。それにしてもクリスマスにケーキというのは誰が発明したんだろ?
大量に発売されているオーソドックスなクリスマスケーキというのはうまいと思ったことがない。高いし。。。。子供の頃は、硬いバタークリームを乗せたケーキを楽しみにしていたけど、これに比べれば格段においしいけど。
おいしいケーキ屋さんがあるのですが、そこのケーキはやはり高いです。。。。
スーパに買い物に行ったら、ほとんどのクリスマス関連の食品はなくなり、店員さんが忙しく何かを並べていました。なんだろと近づいたら正月用品でした。明日からは正月用品で賑やかになりますね。。。
それにしても、もう来週はお正月ですなァ。。。。
「成長型経済」とかいう政策方針には悪いけど、財布の紐を締めたいと思います。まぁ、子どもたちの楽しみは極力協力するけど。。。。
経済成長をいうが、GDPの伸び率はそうは小泉政権の6年間でもそうは高くないようだ。改革と言っても成長型の経済と言っても、庶民生活は切り詰められるだけではなかったか?
今のままでは、淋しいクリスマスや正月を続けなければならないでしょう。何も金の問題というだけではなくて、心が明るく暮らせるという意味で。。。

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
もう来週の土曜日は正月ですなぁ。。。。。
くれになると10大ニュースなどとやっていますが、昔に比べるとこの「10大ニュース」という言葉や記事などもあまり聞かないような気がするのですが?
社会の中におきる事件も昔は殺人事件といえばものすごいニュースでしたが、今は日常茶飯事になってきて殺人事件がない日が少ないような。それだけ大きな事件が頻発をしていれば改めて「10大ニュース」などと発表するまでもなく、また10では収まりきれないのかもしれません。
政治も同じで1年を振り返れば記憶に残るのはスキャンダルばかり。もちろん生活が悪化をしていくそれなりの政治の動きはあったのですが、記憶に残る政治の動きはやはりスキャンダル。
10大ニュースというのは良いことも含まれるわけですが、この良いこともまた記憶に残る大きなものはなかった。
それなりに社会は動いているのですが、どこか記憶に残らないという平坦な1年。10大ニュースというのは、生活や社会にメリハリがあるから事10大ニュースとしていろいろと振り返り考えたりするのでしょう。もちろんこのメリハリのなさは平凡とは違う。非凡だけのメリハリのなさ。。。。後退していく中のメリハリのなさ。。。。。なのでしょう。
こういう中には夢を持つことができない。社会を見つめて怒りどうにかしなくてはいけないといきまくこともできない。後退期ですなぁ。
後退期にはあきらめも出るということです。あきらめの心理の中には10大ニュースなどはどうでも良くなる。
でもまぁ・・・・・社会の中に棲息していかねばならないのですからそうは言ってもいられない。
個人として楽しむ工夫をしながらそしてその心を大切にしながら、その個人と社会の接点を見つめる中から何かを発見をして働きかけていきましょう。個人の力は弱いですが集まれば強くもなる。この集めるのもまた個人と社会の接点がいやおう無しに投げかけるものです。その中での個人と個人との小さな接点を!!その意味でのネットの役割は大きいと思います。良くも悪くもネットの力は無視できなくなっていますからね。こうしてどこのオヤジかわからない僕が文章を書いている。昔なら考えられないことでした。僕が書いたものをたくさんの人に読んでもらうなんて。その逆としてたくさんの肩の書いたものを読むことができる。
うれしいことですね。
あと1週間。。。。。日が沈んでまた日は昇る。今年が終わって来年がやってくる。けじめとしては切り替えをしながらも12月31日から元旦へ続く毎日をこうして見つめたいと思います。

【2011年】ツイッターつぶやき
東電の一般社員は、特に現業社員は被災地や原発事故の影響のあるところでも日夜労働をしている。原発が止まることでの電力不足を止まっていた火力発電所の復旧を急ぐ中やはり一生懸命に労働をしていた。この前ドライブに行ったら山間の谷の高い場所にある送電線にゴンドラでぶら下がって寒さの中保守点検をしていたしどこかで日夜電力を守るために労働をしている。
この労働をしている一般社員の賃金を下げろとかマスコミはもちろんネット上でも大きく叫ぶ人たちがいる。
一般社員は上に書いたような労働の対価(厳密に言えば労働力を売った対価)を賃金として受け取っているのである。それを賃下げは当たり前だというならばそれは人の労働に対する軽視だろう。東電の原発事故の賠償については重要な問題だが、それに対して労働の対価まで引き下げろというのは労働というものへの冒涜である。賃金はとことん引き下げろ、それでも今までのように働けという言動は見苦しい。
東電の社員のボーナスは減額された。しかしその金は目に見えた賠償という形で被害者にどのように届いただろうか?一方では東電は料金値上げを企業としての責任と権利だとして料金引き上げをする。国にはもっと金を出せという。結局は社員のボーナスの減額の鐘も東電という企業を守るために使われているのではないか?
昨日テレビの再放送で湾岸署の青島刑事が「事件は会議室で起きているのではない!現場で起きているんだ!!」と叫んでいましたが、まさに事故の対処や復旧そして日常的な電力の確保と送電は現場で起きているのであり、そこには一般社員が労働をしているのです。企業は被害者への賠償とともにこの現場で働いている社員を守らねばならないのです。国も。そして国民も。社会に価値を生み出している労働というものをあまりにも軽視した社会になり不労所得や会議室の人間が潤う社会になっています。ここに根本的な矛盾を感じますし実際この矛盾が経済をおかしくしています。
東電一般社員特に現業社員への感情的な敵視や賃金を下げろといった暴言は排除すべきでしょう。
東電社員の賃金が高すぎる?そう言う方はあなたの賃金が低すぎるのです。東電社員の賃金を下げたからといってあなたの賃金が上がるわけではなくて、そして被害者に回るという保証もないのです。今の社会の格差は人為的に作られているものです。契約社員という階層を増やしたのは自民党政権ですがこの政策によって派遣社員という階層がふやされて正社員と相対的な児湯不安と低賃金が作られたのです。ここに東電社員の賃金は高すぎるという意識が出ているのです。

【2012年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2013年】ツイッターつぶやき
今朝の朝日新聞に「今こそ政治を話そう 宗教国家日本」というエッセイがありました。
このエッセイを読んで感じたのは、今の総保守の政治の中で日本人はこれまで発展させてきたものの未来性を見失ってきているいるのではないかと思います。総保守の時代ですからその保守が何を未来に求めているのかははっきりとしてきています。しかしそれが国民意識を代表するかといえばそうではない。今の自民党内閣が政策面において支持されて誕生をしたかといえばそうではなくて保守二大政党制の矛盾として民主党がだめだったから自民党といったものでしかなかった。国民意識をある程度理解したと思われた民主党への政権交代もふたを開ければやはり自民党と同じだった。ここに国民意識を代表するひとつの柱がなくなってしまったのである。もちろん原発事故からの脱原発の意識は広がりましたし、秘密保護法でも多くの反対意識が広がりました。社会のさまざまな動きでの矛盾も意識され始められています。しかしそれらの国民意識はそれどれの課題の中でばらばらにおかれ、そのばらばらに見える課題の根底にあるものを探しあぐねている状況でしょう。
社民党や共産党もこのばらばらに置かれている国民意識を統一するための政治勢力も弱く同時にやはりこの政党もここばらばらの課題に動かされている状況は否めないでしょう。
その中に保守からの宗教的とも言える観念的な精神論的とも言えるような国民統治のための国民意識が作られていく。それはわかりやすいですし感情的でもありますから多くの国民は動かされる。政策自体には反対でも動かされる。政治の話も中国や北朝鮮そして今では韓国も含めてその批判の中に日本の主張の正当性を置く。しかし日本がすばらしい国であるかは政策を見れば口をふさぐ。それが国を愛することだと。
昔もよく考えれば自民党の圧倒的多数の長期政権だったはずです。保守政治だったわけです。その中で社会党と共産党の革新が対峙した。社会党と共産党の対立もありましたが、共通項もありその共通項が独自に反自民という形を作り出した。その中心となった柱が理念的には社会主義でしたが、現実の運動は「改良」でした。自民党の暴走を阻止して国民生活を豊かにする方向性を示し、労働組合や市民運動そして幅広い知識層や有識者の運動などに結びついた。改良を通して始めて国民の運動は広がりを見せて社会制度などを具体的に改良した。もちろん保守勢力もその改良を受け止める福祉国家論・平和と民主主義に進まざるを得ない状況があった。
そのような全体の改良運動に国民意識も統一された。
こう見ると今求められているものは、社民・共産の連携ですしその柱となる理念は社会民主主義しかないでしょう。もちろん共産党は党名変更など社会党の失敗を教訓にする必要がありますし、共産主義を言い続けてもいい。しかし現実の社会を動かすには改良としての社会民主主義を言えばいいわけです。この理念の下にさまざまなばらばらになっている国民意識を統一しながら改良をしていく。この改良の成果をを国民に示しながら理念である社会民主主義の姿を明らかにしていく。
国民生活の実態は悲惨さを増していく一方です。その中で苦しんでいる。改良の課題はたくさんあります。やはりもう一度国民生活が第一、平和が第一、民主主義と自由が第一と訴え続けるしかない筈です。そこには労働組合や市民団体そして知識人・文化人などの力が必要です。「力」といっても国民を助けるためという意識ではなくて思想や文化の発展に協力が必要だとしなければ成らないでしょう。主婦や中小企業の方も同じです。
これがある程度形として見えてくれば今のような国民意識も変化していくでしょう。その変化が今の政治を変えるでしょう。

【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
消費増税分はすべて社会保障の充実に使うという当初の目的は果たせているでしょうか?
民主党政権末期から消費増税分を社会保障だけでなくという動きも出ていたし、2014年の消費増税が行われても現実は社会保障の後退となっている。そもそも年金制度改革も小泉政権時には100年は大丈夫と言われていたが現実は危機が叫ばれている。
もう言った実態も出ている中で、消費税の逆進性が言われている。
年金生活や社会保障給付の充実が仮にされたとしても、消費増税による生活の低下は免れない。
ワーキングプアーという言葉が数年前によく言われていたが、その改善がなされずにいまだに低所得層は増え続けている。相対的貧困率の改善が言われているが、手取り賃金となると減少している。この中での消費増税である。
低賃金化は進む中でその定収入に合わせる形で生活保護支給額が削減されようとしている。
格差の拡大は低賃金層が増えるにしたがって、社会の富をより多く得る階層や企業などにばらまかれる。同時に更に中間層への増税や残業代不払いが行われようとしている。
現在の政治の根本理念は、自己責任と公助から自助へである。年金支給の減額や年金受給年齢の引き上げは公助の切り捨てです。これを補うのが自助で、人生100歳が言われて70歳半ばまで働けとなる。働けないなら家族同士で助け合えと憲法も改悪される。
高齢化社会に備えた年金積立金は株式投資にまわされて損失が出れば年金額にも響くともいわれ、逆に利益が出てもその活用はできない。年金積立金を市場から引き揚げれば株価が下がり損をする不労所得者や企業が出てしまうから。
まぁ。この現状で企業が元気になって大幅賃上げがなされ、税収も増えて社会保障も充実される結果があればまだよいほうだが、巨大企業の不祥事が続いたり企業にため込まれるカネは莫大になっている。それが国民生活には還元されないで、アメリカへの投資などになっていくでしょう。国の税収も援助という名目で湯水のごとくまき散らされている。これが元凶になりさらに社会保障は切り捨てられるという負のスパイラルになっている。
円安誘導は輸入品目の値段を引き上げて悪い物価高を引き起こしている。祖の大元である日銀も手詰まりで、軟着陸の出口は望めなくなっている。にっちもさっちもいかなくて日銀が出口に向かわざるを得ない状態になれば、金利上昇による国民負担がされるでしょう。
とりあえずは2019年の消費増税は、10%なら計算しやすいでしょうなんて馬鹿げたものに笑っているのではなくてどうにか食い止めなければなりません。どうにかアベノミクスと日銀緩和から抜け出さねばなりません。税は中間層の1000万円から増税なんていうのではなくて、富裕層や企業から吸い上げねばならないでしょう。アベノミクスの陰の部分にある政治とカネにも踏み込む必要がある。選挙が終わればミソギは済んだとして、民間企業なら解雇にもなるようなことが平然となされるような事ではお先真っ暗である。

【2018年】ツイッターつぶやき
株価が800円以上下落しています。
アメリカも650ドル以上株価が下がっています。
どうも、日米株安?という印象を受けます。
株を売られるわけですからドルも売られる?
ドルインデックスは下がっています。
円高が進むわけですから自動車などの輸出産業は株価を下げますから日本の株価の下落にもうなづけます。
アメリカは中国との貿易戦争を強めていますし、国家財政の危機から連邦政府の一部機関が閉鎖をされているとか。。。。。
アメリカの衰退(これは中国などの発展という相対的なものも)が言われ続けていますが、これはドルの信頼を減少させるでしょう。
日本の円は強いといわれていますが、どうも円が強いという部分よりもドル安による相対的な円高なのかもしれません。
円高の進み具合よりも株価の下落が先行するかも?
19000円割れは?
日本経済に盆も正月もそしてクリスマスもないようですなぁ。。。。。
もちろん庶民生活は来年はひどくなることが目に見えていますから期待は薄くなっているのですが、株価が最後の砦である安倍政権化の経済も怪しくなるのかもしれません。
こういった中、日銀は緩和を続けるのでしょうか?
天気も年末年始は大寒波だそうです。
寒いですなぁ。。。。。

【2019年】ツイッターつぶやき
安倍内閣が成長戦略の柱としてきたIRの事業をめぐり前内閣府副大臣のIR担当であった自民党衆議員秋元容疑者が収賄の疑いで逮捕された。そして今日になり、やはり自民党の白須賀衆議員の事務所に家宅捜査が入った。
秋元容疑者は二会派のようですが、二階幹事長は「党として大変残念」と述べるにとどまり、自民党内ではIR全体に悪い印象を与えているとみている。
IR事態ギャンブル依存症との関連が言われ、ある意味賭博ですからもともと良い印象はない者でした。しかし成長戦略として法案が通ってしまった。
国民の目からは政治と賭博の関連性という視点で見てしまうことになるでしょう。
安倍内閣は現内閣で2人の閣僚が辞任している。そして前内閣とはいえ副大臣が逮捕された。
安倍内閣では総理大臣のモリカケ問題や桜を見る会にしても疑惑が噴き出ている。そして多くの閣僚の疑惑や辞任が多くあった。そして公文書問題などが噴き出ていた。
安倍内閣においての政治の腐敗が目に見えてきているといえるでしょう。
経済政策や社会保障政策でのほころびが出て、外交でも多くの国に訪問はしているがその成果というものは見えない。対韓国を見ても悪化していくように見える。
もう。すでに安倍内閣への期待はできない状態で、期待が失望に変わり、あきれられるような状態でしょう。
しかし、数の力は依然とありますから安倍内閣の政治は続いていく。そこが国民の悲劇です。

【2020年】ツイッターつぶやき
東京 12月25日
新規感染者   884人
感染者累計 54902人
入院      2,139 人
軽症・中等症  2,058 人
重症        81 人
宿泊療養     985 人
自宅療養    2,143 人
入院・療養等調整中1,287 人
死亡       597 人
退院等(療養期間経過を含む) 47,751 人
陽性率     7.9%
≪以上東京都ホームページ≫
重症者数の増加が止まりません。それに伴い死亡者数も急増しています。
入院者は中東省と重症者で2139人ですが、宿泊療養、自宅待機、入院等調整中の入院できない方が4415人。
この状態がピークなのかと言えば、陽性率が7.9%と高いですから。まだ検査を受けていない市中感染者が相当数いることになりますから、この陽性率が下がらないことには高止まりあるいはさらに新規感染者数は増加していくと思います。
そこにイギリスにおける変種のコロナが上陸しそうで、その感染力は現在よりも高いといわれています。羽田でどのくらい水際作戦が成功するか?やっと政府はイギリスへの短期渡航者が帰国した場合2週間の大気免除を中止しましたが遅すぎかもしれません。第一波の中国からの水際作戦の失敗と同じになる可能性が心配です。
Go Toも28日から中止ですが、すでに多数の方の移動がはじまっているでしょう。

【2021年】ツイッターつぶやき
クリスマスも終わりましたなぁ。。。。
クリスマスといっても別段代わりにない1日を送っているのですが、でも社会の流れに流されてケーキぐらいはと思い作りました。たまにはケーキ作りも楽しいのでクリスマスを機会に楽しみました。
ケーキの材料を買いに駅前のスーパーに行ったついでに宝くじを買ってきました。
年末ジャンボ10億円はいらないので東京都の初夢宝くじを買ってきました。スクラッチも10枚だけ買ったのですが200円が1枚。。。。
ハハハ・・・・結局散財になるのですね・・・・・
明日はのんびりして27日は幼児用事がるので28日から正月の支度です。
今年もおせち料理ぐらいは作ろうと思います。
1年が早いですなぁ。。。。。

【2022年】ツイッターつぶやき
クリスマスも終わり明日から少しづつ正月の支度です。
とは言っても金もないので質素に。
質素というのは数万もする御節料理なんて買わないで手作り。
手作りといっても松前漬けなんてかき混ぜて冷蔵庫で保管するようなものがありますからそういうものを使います。
1週間はあっという間ですなぁ。

【2023年】ツイッターつぶやき
日銀総裁は、2%目標の達成に近づいているとしたようですが、賃上げのスピードは遅いですし、2%目標に含まれない悪性の物価高は賃上げを吸い上げ、それに輪をかけて国家が税等で吸い上げる。個人消費は伸びずに、企業は賃金も含めたコスト増に対して値上げを抑えざるを得なくなっているようです。
2%目標は、経済の好循環により達成されるのですが、経済が落ち込んでいる中で、賃上げと本来のインフレとしての物価上昇が出てこない。経済の好循環を作る材料がない中で、悪性の物価高による2%を求めること自体が矛盾でしょう。
コメント
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「12月24日という日」

2024年12月24日 07時55分22秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
  《Merry X'mas》
イブ、どうお過ごしでしょうか?
さっき買い物にスーパーへ行ってきました。駐車場もいっぱいでした。
いろいろと買ったのですが、財布の中身程度には収まるだろうとレジに行ったら冷や汗が出ました。財布の中には100円玉しか残らないようなぴったりの買い物。。。。
タバコを2個買ったら財布が空っぽでした。
こんなに高いわけはないと思ったのですが、やはりイブともなると商品も高めなのかな?
今夜は、息子も妻も遅くなるというし、娘と二人寂しくイブをやります。

【2004年】
(記事なし)

【2005年】
メリー・クリスマス!

                       楽しいイブを!!

東京は晴れた空のイブです。
ココのところまとまった雨がありません。空気も乾燥をし土もからからです。強い空っ風に土が舞い上がります。

【2006年】
家族でアン肝を食べに行ってきました。
去年は日帰りでしたが、今年は1泊してゆっくりと。。。。
宿を予約をして別注文でアン肝をたのみましたが、幹事役の僕としては(笑)アン肝を忘れられては家族から大ヒンシュクをかいますので何度も確認。。。ううう
4人で6人前を頼み堪能して来ました。
でも、今年のアン肝は、どこか味というのかコクが薄い。あのアン肝特有の味が薄いのです。アン肝ツウの妻が、今年はいまいちね。。。と。予約したときに1人前の値段が安いとは思ったのですが。。。去年に食べた料理屋さんのは、1人前2500円ぐらいしたのですが、今回は半分強の値段でした。アン肝といっても違いがあるのかもしれません。
まぁ、うまいにはうまかったのでよかったです。
温泉にも浸かったし、ゆっくりとした家族の忘年会にもなりました。
でも、朝、息子と行った露天風呂は悲惨でした。寒くて長い渡り廊下を渡り、洗い場は外にあったので凍えてしまった。息子が震えながらひげを剃っていた(笑)
でも、源泉かけ流しの湯!!
気持ちよかったです。
クリスマスイブ。。。。
どうお過ごしでしたか?
我が家は息子がバイトだというので明日ささやかにケーキでも買って食います。

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
夜空を見上げてごらん
そこにはサンタではなくて
君のことを好きな人が見つめてくれている

すやすやと夢を見てごらん
そこにはサンタではなくて
君のことを好きな人が現れるから

そして明日を見てごらん
そこにはサンタのプレゼントではなくて
君のことを好きな人が笑顔で立っているから

見上げてごらん
      見てごらん
そこにはサンタでなくて・・・・

【2011年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2012年】ツイッターつぶやき
ぼうっと眺めた日常に心がふと動いたときのその心の切り取り。。。。コメントに一言いかがですか?
コメントいただいたものは本文中に入れさせていただきます。


同じ一日(26)「日中は気温も上がり暖かでした。公園のベンチで爺様二人が日向ぼっこしながら缶酎ハイを呑んでいた。。。。明日は立春」(2月3日)

同じ一日(25)「日差しの暖かさ。風は春の色。。。。。春近し」(1月30日)

同じ一日(24)「今を一緒に生きていることの大切さ。。。。どこかでつながっている」(1月27日)

同じ一日(23)「今朝、ベランダの鉢植えの水を上げようとしたら鳥が一羽逃げて行った。あの羽の色は。。。。。鶯だよなぁ。。。。もうすぐ梅も咲く」(1月26日)

同じ一日(22)「夜の晩酌に黒松剣菱を飲んでいる。そういえば。。。。むかし、先輩に連れられて飲みに行くとその先輩が『剣菱あるかぁ?』と店員さんに訊いていつも剣菱を飲んでいたっけ。。。。。酒の味」(1月24日)

同じ一日(21)「暖かい日差し。ぼうっと、ベランダで鉢植えの花たちの芽生えを想像する。。。。春も近い」(1月21日)

同じ一日(20)「南房総にドライブに行った。晴れて風もなく、海も静かで暖かでした。。。。菜の花のつぼみ」(1月19日)

同じ一日(19)「凍った雪を避けながらとぼとぼと下を向いて歩いてた。すると100メートルほど先の路地からおばちゃん達の声がして冬空に鳴り響いた。おばちゃんの大群が出てくるのか。。。。。ドキッとしながら歩いて行くと出てきたのはたった三人だった。。。。。冬青空」(1月17日)

同じ一日(18)「静まりかえる街。時よりザクザクと雪を踏みしめる音がする。しばらくするとシャリンシャリンとチェーンを巻いた車が通っていく。静けさがひとしお。。。。雪の残る東京」(1月15日)

同じ一日(17)「日が少しだけのびたなぁ~と感じた。これからは春が少しづつ顔を出してくる。。。。植木鉢の春の兆し」(1月13日)

同じ一日(16)「公道から少し狭い道に入った。そこに1台の駐車してある車がありハンドルのあたりにヘルメットらしきものが置いてある。どうも変な色のヘルメットだと思いながら近づくと転寝する爺様の禿げ頭だった。。。。朝日がまぶしい」(1月10日)

同じ一日(15)「公園の片隅に誰が植えたのか水仙の花の株がある。先日やっと花の芽が咲きそうになっていたが誰かがちぎって持って行ってしまった。。。。散歩道なのに」(1月 8日)

同じ一日(14)「爺様が乗る自転車が僕の車の前をふらふらしてる。そのうちにスーッと車の前を横切っていった。危ないし頭に来たからクラクションをプッ!!そのあとお年寄りは大切にしないとと反省。しかしよく考えたら僕もそろそろお年寄りなのである。。。。対等な年寄り」(1月 7日)

同じ一日(13)「正月休みも今日で終わり。スーパーは家族連れでいっぱいでした。小さな女の子が今日はパパが一緒なのでずっとパパと呼びかけていた。しかしこのパパは高い酒が置いてある棚を眺めて買ってはもらえぬ酒を眺めている。。。。。終わる正月休み」(1月 6日)

同じ一日(12)「風邪でうなされながら初夢を見た。何のことか忘れたが、これをやるにはこっちをやらねば、こっちをやるにはまずはこれからと三つ巴の堂々巡りだった。。。。今年も悩みそう」(1月 3日)

同じ一日(11)「目が覚めるとまぶしい日差しがさしていた。町会の氏神様に初詣に行く。氏神様、暇そうでした。。。。。。。のどかさや」(元旦)

同じ一日(10)「紅白も終わり、ゆく年くる年を見て静まり返った寝床に入ると、どこの寺かわからないがかすかに除夜の鐘の音が聞こえてくる。。。。寝床の除夜の鐘」(12月31日)

同じ一日(9)「夕食後コーヒーを淹れる。コーヒー飲む人~と訊いたら子供たちも飲む!と。幼い子供時代が過ぎ去ったんだと実感。コーヒーのうまさを知るようになった子供たち。。。。僕は白髪」(12月30日)

同じ一日(8)「朝、起きたら朝日がまぶしかった。今日は大掃除。明日は雨だから中止だなと思いつつ寝たのだが。。。。天気予報はずれ」(12月29日)

同じ一日(7)「スーパーに味付けの稲荷寿司の皮を買いに行く。いつもの棚にない。店員さんに訊いたけどないという。あきらめきれずにうろうろ探したら、あるじゃん!。。。。正月用品に並べ替え」(12月28日)

同じ一日(6)「夕方のスーパーが混雑していました。レジに並ぼうとして見渡すと1列だけ並ぶ人の数が少ない。レジはあのおばちゃんだった。。。。。年末ののんびり」(12月26日)

同じ一日(5)「クリスマスのイルミネーションの美しさって悲しみや切なさではないかな。。。。。。刹那」(12月25日)

同じ一日(4)「空を見上げる。クリスマスも正月も宗教行事ではなくて年中行事。いつも空を見つめている。。。。イヴ」(2012年12月24日)

同じ一日(3)「洗濯が終わった。しかしどうやって干したらいいんだろ。昨日の洗濯物が乾いていない。。。。どんよりした寒波の空」(12月23日)

同じ一日(2)「小さな公園横のミモザに花のつぼみが出はじめました。名も知らぬ木に猫柳のようなフワフワのつぼみが出てきました。春の支度」(12月22日)

同じ一日(1)
「スーパー横の公園のベンチで爺様が二人、のんきにタバコを吸っていたので仲間に入れてもらった。。。。冬至の薄日」(12月21日)

民主党代表選がある。
海江田さんと馬淵さんとの選挙になるようですが、新聞などを読めば各グループへの働き掛けによる票集めに終始しているような印象。
この三年、特に野田政権の総括らしさが伝わってこない。一般党員や支持者は何を望んでいるのか。。。
総括のないところに新しい国民を引き付けるような新執行部は出てこないでしょう。
参議院選に向けて風を待つ。。。。
この風に喜んだのが政策的な支持の薄い自民党だったわけで、自民党政治の批判、自民党政治に戻してはいけないは消え去った。そこでまた民主党の風待ち。。。。これが二大政党制ですね。
社民党も党首を取り換えろという議論が出ているようですが、結局は総括のない頭の取り換えでは。。。。。なぜ社民との政策的なものは支持されるのに、政策的に支持されない自民党が選挙に勝つのか。。。。ここのジレンマがあるわけですが、うまい手はないですね。離党議員も出ているし。その離党議員が何を思ったのでしょうか?やはりうまい手だったのでしょうか?
しかし、そうは目に見えた成果が出るわけではありませんが、一つの政治政策としての党は捨ててはならない。
民主党の政策等への復帰と社民党の政策の広がりと指示。。。。

【2013年】ツイッターつぶやき
ロイターの記事の見出しに「消費増税に向けて政策総動員か」という言葉があった。
「政策総動員」の政策はじかに国民生活に影響するものです(もちろん今の政府の行うものは生活の低下です)から要否増税へ向けて、というよりも消費増税も成長戦略の中のひとつですから成長路線の中に国民が総動員させられるということにもつながるでしょう。
そしてそのための国民の精神面に求めるのが国を愛することでしょう。
そしてそれらを推し進める原動力が数の力という国民的議論の余地を残さない国会運営です。それはもちろん民主主義の縮小に結びつきます。
日銀も巻き込んだ経済的総動員体制。
国民への経済状況の発言は景気は回復をしている。賃金を上げる。必ず来年はアベノミクスの成果がはっきり出るだろうというものです。しかし実態は更なる日銀の緩和策ですし、それを基盤にするかのように赤字国債発行量は増え、緩和策の「成果」としての通貨安は貿易収支と経常収支の赤字化に。個人消費はあがっているといわれるが高級品が飛ぶように売れるだけであり、一般国民の消費は消費増税前の駆け込み需要や今はクリスマス・年末年始の需要増でしかなく、その消費の現状から企業の設備投資は思わしくなく、海外への投資が主となる。ここに経済の明るさが国民生活にあるとはいえないだろう。追い討ちをかけるように労働の規制緩和(たとえば多少の賃上げがあってもホワイトカラーエグゼプションのように中間層も賃上げ分を取られる)は進む。
こう見ると経済での国民総動員は国民に生活の低下を我慢しろというものでしかないといわざるを得ない。
経済的な我慢だけではなくて企業救済とそこからの成長戦略のために原発も再稼動をさせようとしている。国民の安全もまた安全神話というものに動員される。
結局はこのような国民総動員は経済矛盾を広げる危険性をはらんでいる。もし失敗をしたら次は経済的国民総玉砕でしょうか?日本のためにも危険なリスク政策は変更しなければならないでしょう。

【2014年】ツイッターつぶやき
安倍政権発足からこの2年間での日経平均と日経平均ドル建ての比較がある。
日本株を買っているのは半分以上が海外投資家といわれる。
その海外投資家はドル建てで日本の株式市場を分析する。
円高ならば日本株はより高く、円安ならばより安く見るでしょう。もちろん円高化円安化でこの日経平均と日経平均ドル建てでは乖離しますが、これが10年ほどの関係を見るとある程度並行していることが現実の株価を反映するでしょう。どうにか2014年初頭までは海外投資家のアベノミクスへの期待が反映されますが、ここにきて日経平均の急激な上げとドル建てでの株価がそうは上がっていない現象が出ています。この円建ての日経平均が円安により急上昇を続けるとしてもドル建てでそれに並行して上がっていかなければ海外の投資家の日本株への魅力(日本経済)が薄れていくこととなります。
日本経済へのすなわちアベノミクスへの期待から失望につながる可能性が出てきているという事でしょうか?

【2015年】
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
12月の初めごろ、天井に黒いシミのようなものがあったのでよく見ると小さな蜘蛛だった。
殺すのもかわいそうなのでそのままにしておいて。
すると時々糸を垂らしてするすると天井から降りてくるようになった。床までは降りずに1メートルぐらいの高さでぶらぶらしている。丸くなって虫が来るのを待っているのでしょうか。
あれから10日ぐらいたつが相変わらず時々蜘蛛の糸を垂らしてくれる。
今日はパソコン横に降りてきて椅子に座る僕の横でぶらぶらしいる。
蜘蛛の糸。。。。
たしかにすがりたいことはたくさんあるが、どうもあまりにも細すぎて頼りなさそうだ。
気持ちだけ受け取っておくことにする。
そういえば、子供ころ、お袋が夜の蜘蛛はいいと言いながら降りてきた小さな蜘蛛をがま口の中に入れた。不思議に思ってお袋に何でと聞いたら、こうして降りてきた蜘蛛をがま口の中に入れると金がたまるんだよと言っていた。
しかしがま口を開けてはいないのに翌朝には消えているのである。
お袋は今もって金持ちにはなっていない。

【2017年】ツイッターつぶやき
メリークリスマス♬
という事で我が町で一番おいしいケーキ屋さんにってきました。
駅ビルに入っているケーキ屋さんは有名な店で美味しいのですが、今日行って行ったケーキ屋さんは町中から外れた他に店などない不便なところにあります。ですから車でたくさんの方が買いに来ていました。
このケーキ屋さんは平日の昼間でも案外お客が多くてたくさん売れています。たくさん売れるというのはやはりおいしいのです。まぁ、変わった物を売っていると行列ができるというものは案外ありますが、味でたくさん売れるというのはすごいですね。
今日はイブですから予約のケーキの引き取りやら我が家のように小さなケーキを買う人で大変な賑わいでした。駐車場に入りきれない車の行列。。。。駐車場管理のお爺ちゃんでは間に合わない。店の前の一般道は幹線道路の方にまで車が渋滞。そこに路線バスまでが入ってきたが停留所に止めるのも一苦労。
ところで、皆さんはケーキを食膳に食べますか?食後ですか?妻は食後じゃ腹いっぱいになるから先に食べようよ派です。他の家族は「えええ・・・・」と引いてしまいます。やはり食後ですよねぇ?

【2018年】ツイッターつぶやき
夜空を見上げてごらん
そこにはサンタではなくて
君のことを好きな人が見つめてくれている

すやすやと夢を見てごらん
そこにはサンタではなくて
君のことを好きな人が現れるから

そして明日を見てごらん
そこにはサンタのプレゼントではなくて
君のことを好きな人が笑顔で立っているから

見上げてごらん
      見てごらん
そこにはサンタでなくて・・・・
           (2010年12月24日)


gooお題「クリスマスの思い出は?」
生まれてお宮参りとか七五三では神社にお世話になり、初もうでも神社にお世話になる。
結婚式は教会のお世話になり、あの世への旅立ちではお寺にお世話になる。
派手目の年中行事といえば、キリスト教でしょうか?
というわけでわが家も毎年クリスマスをするわけです。
子供のころのクリスマスの思い出というと。。。。。。
硬いバタークリームと果物らしきものの砂糖漬けが乗ったケーキですかねぇ~
スポンジにはいちごジャムぐらいしか挟んでなかったような記憶があります。
それでも1年に1度のケーキですから楽しみでした。
プレゼントは毎年大きな長靴に入ったお菓子🎵
今もあるのかなとスーパーで探しても見当たりません。
中には駄菓子のような小さいお菓子がたくさん詰まっていて楽しかったです。
おやじが機嫌がいいときはブリキの電車のおもちゃも時々。
そういえばおいしいケーキは叔母が時々買ってきてくれました。硬いバタークリームではないフワフワのイチゴショート。クリスマスで大量生産するケーキはバタークリームだったのか?昔は保存の仕方も遅れていたのでしょう。
今も、おいしいケーキ屋さんでもクリスマスのケーキとなるとうまくない。。。。。

【2019年】ツイッターつぶやき
1年数か月ぶりに首脳会談らしい日韓首脳会談が開かれました。
夕方のニュースをいくつか見ましたが、安倍総理の「国と国との約束」の発言だけが強調されていました。印象としては安倍総理が強く韓国に主張をして文大統領が今後検討するように思えます。しかし聯合ニュースを見れば、文大統領は輸出規制について解除を強く安倍総理の決断を求めたといいます。日韓の話し合いとしてはアメリカの意向が強く働いた経過はありますが、GSOMIAでは韓国は譲歩をしました。しかし日本側は輸出規制の理由を安全保障上の問題として譲りませんでした。韓国が譲歩したGSOMIAこそ日本の安全保障に欠かせない者であり底を勧告が譲ったわけです。ですから文大統領にしてみれば中国において対北朝鮮問題を中国も含めて討議している席ですから日本側の譲歩を安全保障上の問題として日本に強く求めたことには理由があるでしょう。日本は経済制裁的な輸出規制で韓国が困っているからGSOMIAで韓国が譲歩したとみるならば国際政治上大きな過ちです。
もともとは徴用工問題があったからという面はありますが、その解決のために経済制裁的な輸出規制を行ったことについては日本側に非があるでしょう。力による解決を日本は行ってしまいました。慰安婦問題も含めて韓国が求めているのは日本側の政治姿勢です。

【2020年】ツイッターつぶやき
     メリーXmas 🎄



   ≪手作り感すごすぎ・・・・≫
写真は恥ずかしいのでやめようと思ったのですが、まぁ、縁起物ですから・・・・・
スポンジの間にはチョコレートクリームにクルミ・マカデミア・アーモンド・カシュナッツを砕いて入れます。
周りは甘さ控えめの生クリームで、上の方はパイナップルのみじjん切りを混ぜたクリームです。
見た目より味で勝負

【2021年】ツイッターつぶやき
11月の物価前月比が0.5%上昇したようです。
原油高や円安が原因だそうで、経済が好転したことからのインフレとは違います。
こういう物価上昇は悪性のものです。
12月クリスマスやら正月でさらに物価上昇が起きるでしょう。
しかし国民一人当たりのGDPは減少しているようです。
これは個人消費の伸びがないことにもよるかもしれません。
経済は混迷する。

【2022年】ツイッターつぶやき
クリスマスイブ。
冬至が過ぎてクリスマスそしてあと1週間で正月ですなぁ。
なんとなく平和なのどかな2週間がやってくるような気持にさせられますが、それが過ぎて現実の生活を思えば、増税の中の生活が待ち受ける。
日本経済は、ここにきて円高に進んでいますが、ロイターによるとこれまでの円安は貿易赤字の膨張にあるとしています。
アベノミクスと日銀緩和は円安誘導となり、この円安は輸出産業に有利だとしました。そこから経済の立て直しが言われていましたが、それは国内産業にとっては円安での輸入を考えれば企業は苦しくなる。
輸出産業がどのくらい有利に輸出を増加させているのかはわかりませんが、貿易赤字が膨張するような状態になっているのでしょう。
為替による経済の利益は株価などにも現れますが、実体経済が落ち込んでいれば円の力も落ちて円安傾向になるでしょう。来年は貿易赤字がさらに進むとされています。
防衛費増で敵基地攻撃の武器を買いますから、その分煙を売ってドルを買わねばならない。

【2023年】ツイッターつぶやき
クリスマスイブ。。。。。
駅前の肉屋さんに🍗を買いに行きました。
もう80を過ぎたと思われるご主人がのんびりと店を開いている最中。
チキンは午後何時に出来上がるかわからない様子。
ひな鳥の小さいローストチキンで美味しいのでが諦めました。
そういえば去年も同じだったなぁ。。。。
仕方ないのでスーパーへ。
チキンが1500円。。。。ウウウ
色々なオードブルのようなものを買ったりしたらびっくりするほどの値段でした。
帰宅後昼飯を食べて昼寝をして。。。
むくッと起きてケーキを作りました。
夕螺家特製コーヒー味のクリームに、刻んだナッツやドライフルーツを入れます。
トッピングは柿とキーウィを小さく切ったものとその上にベリー類を。
そして毎年のようにフランスパンでガーリックトースト。
コメント
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「12月23日という日」

2024年12月23日 08時08分28秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
冬至
仕事で遅くなり夜は外食。なんとなく暖かくなってきました。暖かくなると雨?でも、夜空は星がきれいでした。
冬の楽しみは、星を見ること。富士山が遠くに見えること。
これから年末年始は東京の空も澄み渡ってきれいでしょうね。
今日からこの「夕螺のつれづれノート」も冬です。
冬至って、冬に至るという意味かな?
ということは今日から冬ということですよね?
季節もそうですし、すべていろいろな物や事象の境目は難しいものです。秋と冬のようにどこからどこが秋で冬なのか?でも必ず秋という季節はありますし、冬という季節もある。その境目が難しいだけです。
秋から冬へは、秋らしさが少なくなっていくと同時に冬らしさが顔を出す。そしてだんだん冬らしさが強くなっていき、秋らしさは限りなく少なくなる。量的な変化です。しかしこの量的変化は質的な変化となり冬という季節が来る。
それが冬至という最も日照時間が少ないときなのでしょう。
そしれしばらくは冬が続き、そのうちに春らしさが顔をのぞく。。。。。
季節。。。。冬は嫌いですが楽しいですね。

暗 鬼文春文庫乃南 アサ  著主人公法子は、あまり気がすすまなかったが一枚の見合い写真を見せられる。写真を見ると紀子のタイプ。
見合い相手は大きな屋敷を構える家で親子4代で住んでいる。このような旧家そして大家族の中に入るという不安はあったものの、法子は見合い相手の和人の優しさにひかれ、家族にも会う中でその不安を解消して結婚をする。
しかしこんなどこにも不安のない家族にもだんだんと不思議さや疑念が出てくる。この小説のサスペンスとしてのこわさは、この非の打ち所のない家族の恐ろしい実態が表れてくるということだけではなく、その恐ろしい家族関係の中に引きづり込まれていき、その恐ろしさの中で法子自身が幸せな気分になり、恐ろしさを恐ろしさと思えなくなって家族の一員となっていくところにある。
家族というのは、社会という外界とつながりはあるにしても家というひとつの塀に囲まれた人間集団でできている。その意味ではその中に外の人間から見たらおもしろい人間関係を見ることができるかもしれない。嫁が苦しむというのも、単なる人間関係というものだけではなく、家そのものからくるものに苦しめられるのではないかと思う。
和人の家族は異常である。その家族の一員となろうとする嫁紀子は、その異常さの中に引き込まれていくが、ある意味では、嫁がその嫁ぎ先の人間、家族になっていく過程を見れば普通の結婚だったのかもしれない。多少の以上には慣れていく。。。。
こんな家族という人間関係を思い知らされるような感想がありました。
しかし、この小説は、和人の家族の異常さを単なる異常と描くのではなく、そこには特殊なキノコやサボテンによるドラッグがある。異常な中にも幸せで暮らす家族、しかしこの幸せはドラッグから成り立っている。自分たちの家族を正当化することができるのもこのドラッグである。
この意味ではこの小説は正面から家族を考えさせることを目的としない。やはりサスペンスという域を出ない。読む者そして家族を持つ者にしてみれば、この家族が正常な生活者でありながら異常な家族関係を築いているのではなく、ドラッグというものの力を借りてその異常さがあるという点で救われる。
そうとはいえ、ドラッグに侵された和人の家族をサスペンスの世界と安心はしていられない。
今は家族が家族を殺すという事件が後を絶たないし、家族の人間関係がおかしくなっていることは事実である。このように書くと、昔ながらのよき日本の家族制度がなくなったからだと短絡的に考える人間もいるがそうではない。家族という人間集団も外的なものに支配をされる。社会の中にある経済的な過度の競争、貧困などによるものは大きい。また、エログロナンセンスも氾濫をさせている。この中で家族の人間集団も壊されているのだと思う。
昔ながらの日本的な家族制度。。。これも家父長制的な社会の悪い影響を受けてその考え方に犯された家族制度である。異常な家族である。民主主義が発達すれば家族制度も変わる。

【2004年】
明日は我が家のクリスマスでもと思っています。
イチゴも出てきていますし手作りケーキもいいかな。スポンジケーキはスーパーのものにしようか。だいぶ昔にスポンジケーキも手作りにしたことがありました。焼き具合はうまくいったのでわくわくしたのですが、その後がよくなかった。。。。だいぶ冷めたと思って作りはじめたら生クリームが溶け出してしまいました。やはり粗熱が残っていたものと思います。悲惨なケーキになってしまった。
それ以来手作りケーキは作っていません。
普段食べる食事は適当に作ってもそれなりにおいしいのですが、ケーキというものはやはり基本ができていないとだめですね。。。
所々の家にイルミネーションがともっています。はじめは1件ほどでしたが、数年の間に増えました。夜の帰宅のとき見えると楽しいです。
そういう我が家も出窓に小さなツリーを出したことがありましたが、なんか恥ずかしくなってやめてしまいました。派手なデコレーションもいいですが窓に小さな飾りが見えるというのもきれいなものです。雪国に雪が降り積もり、その出窓から暖かい光が。。。というのはきれいだろうなぁ。こんな空想をするのも雪のない東京だからこそできるのかな?雪国は大変ですからね。
そういえば新潟地震で被害にあわれた地方も雪が降り始めたようですね。。。。

【2005年】
冬至
今日からこの日記も冬です。
本屋さんへ駆け込んだら、ありましたありました。。。。銀色夏生さんの「庭ができました」が!!今日発売です。
檸檬の木も植えられていましたね。初期の詩集に檸檬の木の下で。。。というよおうな甘酸っぱい詩が幾編かあったのを覚えています。好きな木や葉がたくさん植えられ、クローバーを摘んできて植えたり野の草花も大切にしているようです。家をたてる前の取りは荒れ放題だったという写真もありましたが、整地をしても片隅に昔の木を残して木の下の草や南天をそのまま残す区画を作ってありましたが、それがまた味があり好きです。昔のものを少し残すところなどはえらいです!(笑)
それにしてもすごい集中力ですなぁ。。。。感性も。。。
きっと庭やガーデニングの好きな方はもちろん庭造りのプロの方が見ても興味深い庭ではないかと思います。
庭というのは時間がたたないとしっとりと落ち着いた雰囲気が出ないものですが、木だけではなくて育つのが早い草花をうまく使うことでこの嫉妬りさが出ています。

【2006年】
「ハヅキさんのこと」
            講談社
            川上 弘美  著
表題作「ハヅキさんのこと」を含めた1999年から2005年までに書かれた短編集です。
先に読んだ短編集「ざらざら」とほぼ同時期の作品です。「ざらざら」は雑誌クーネルに連載されたものを出版されましたが、「ハヅキさんのこと」は、他の様々な雑誌に載せた作品です。同じように「エッセイという体裁をとった小説」(あとがき)という面では共通しています。
「ざらざら」の感想でも書きましたが、この2冊は両方をお読みになることをお薦めします。
とはいえ、同じような「エッセイという体裁をとった小説」としても、「ざらざら」は、どちらかというと結婚前の恋愛の中の別れや男女関係を描いていますが、「ハヅキさんのこと」は、「後半の『階段』から『だめなものは』までの11篇」(あとがきより)は除き、どちらかといえば、結婚後の別れや夫婦関係を描くものが多いと思います。これは、同時期の長編「真鶴」につながっていきます。
『ネオンサイン』は、「今朝私は48歳になった。」という言葉からはじまります。川上さんご自身も1958年生まれですから48歳です。48歳になった「私」は、娘と暮らし、鈴木くんという恋人がいる。そんな「私」の平凡な1日は過ぎていく。恋人の鈴木くんという名前からして平凡である。48歳になった日の川上さんの心の中を小説として描いたものなのでしょう。
川上さんの様々な作品を読むと、夫婦間としての男女をいろいろな形で書いていますが、その中でも2つの特徴があります。
夫婦間の関係は破綻をして恋人がいる女性。何らかの理由で逃げていってしまった夫に取り残されたような女性。
どちらも高校生ぐらいの息子や娘がいる。
もちろんこの小説の設定そのものが実際の川上さんご自身の生活かといえば違いもあるのでしょうが、一人の女性として初老を感じる年齢に近づき、過ぎた時間の中で一つの家族、夫婦関係が残っており、50歳も近い女性の目で特に夫婦間の男女としての関係や一人の女としての自分を見つめる心は描かれているのだと思います。
先に読んだ「ざらざら」の『トリスを飲んで』という短編には、娘から見た両親という夫婦関係を見ることができます。「トリスを飲んでハワイに行こう」。。。むかし、ハワイというのははるかな夢のような島。。。そんな古いテレビコマーシャルを僕も覚えがあるが、この両親は50を過ぎているだろう。子から見た両親の夫婦関係は霧の中。「ハヅキさんのこと」には『ネオンサイン』『かすみ草』『森』など、この50歳前後の夫婦関係を書いている。『誤解』の初枝もそうだろう。
子には見えない両親という夫婦関係。
子というのは、両親の30歳前後の姿から覚えがある。それ以前は霧の中であり、夫婦関係も含めて一人の男、一人の女というものも霧の中で、やはりお父さん、お母さんなのである。「トリスを飲んで」にはこの娘の目を描いている。しかし「ハヅキさんのこと」という短編集には、この年老いてゆく男や女という一人の人間が見える。
これは対をなすのではないでしょうか?
川上さんのお年としてから見つめた自分という一人の女の内面を実際の生活を記すのではなくてもその題材を借りて心の中を描いているという意味においてエッセイなのかもしれません。それがあとがきにある「虚と実のあいわいにあるなんだかわからないものが知らず知らずにに現れているのが、(中略)文章を書くとはなるほどそのようなものなのだったと、いまさらながら合点しているところなのである。」という言葉になるのではないかと思います。
今の60歳代は元気である。心も体も若い。40代後半という年齢では、こういう母を持っているかもしれない。「蛇を踏む」という作品では、主人公はもう少し若いが母との葛藤を描いていると思いますが、「誤解」も同じようなものを感じます。どちらも激しい心の動きを描きます。違いは、この母親も「誤解」では語っているということです。40代後半になると自分自身の子が成長し母という面が強くなります。「蛇を踏む」では、娘から見た母への葛藤ですが、今は自分自身がその母になっているわけですから、「誤解」その他の作品において母にも語らせられるというものもでてくるのではないでしょうか。そしてその中にはその時の夫婦関係もあり一人の女もいるわけです。今の川上さんの心がその年齢において描かれるわけです。
こう見ると、短編集という形をとったエッセイなのです。
40歳代後半。。。
母もいて娘や息子もいる。母でもあり娘でもある。その意味で中途半端である。それは、母でもあり一人の女でもあるということで、その二面性に戸惑う。それよりももっと深い一人の人間というものもある。
「でも、どのひとも、ほんとうに生きているひととして認識していなかった。生きて、自分と同じように雑多な時間を過ごしているのだとは、考えていなかった。」(「センセイの鞄」より)
子から見た両親は、お父さん、お母さんという切り取られた人間を見ているのであり、○男○子という生きている人間を見ているのだろうか?40歳後半はそれが見えてくる。自分というものを通してなんとなく分かってくる。その自分を見つめたとき、死はそうは近くもないがそうは遠くもないという中途半端さを感じる。人生を振り返ったりこれから先を思う。そうは短くはないがそうも長くはないこれからを。
結局雑多な時間を過ごしていくのでしょうが。。。
40歳後半の女性の心の激しさは、「真鶴」という長編となっていったのだと思います。

冬至
東京のイチョウの木も葉を落とし、木々も裸になりました。
この日記も今日から冬です。
空っ風が吹く冬の乾燥した空気というのは好きではありませんが、こうも天気がはっきりしないのも困ります。
風邪はひと段落ですが。。。

【2007年】
冬至
冬に至るということで。。。
この日記も今日から冬です。

ううう。。。忘年会・・・・

【2008年】
この前、ラーメン屋さんの厨房の中が見えて思った。
寸胴の大きな鍋と火力。。。油通しの大きな油鍋。
プロの技は道具という面があるなぁと。
家庭料理は家庭料理。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
今日は冬至です

冬至になると心がぱっと明るくなります

11月から12月の寒さが苦手です

今年は暖かくて楽でしたが

日が短くなる中の寒さは苦手です

8月も下旬になるとはっきりと日が短くなるのを感じ

そのうちに5時ともなると暗くなる

部屋の電気をつけても明るくならない部屋

そんな夕暮れになっていく

そして寒さを感じるようになり。。。。。

冬至になるとトンネルを抜けたよう

クリスマスや正月は嫌いだけど

これから日が伸びるんだという喜びの行事

その点では心が浮き立ちます

寒さはこれからが本番で

真冬ですからね

でも日が伸びていくのを感じると

寒さもまたよいものです

春という言葉が近づいてきます

カボチャを食って柚子湯に入りました

でも今日は暖かかった。。。

【2011年】ツイッターつぶやき
社会保障のための消費税の増税や復興財源のための所得税の増税が行われようとしているが、今朝の朝日新聞9面を読むと株の配当や売却益というのは相当な額でその税金も大きい。しかし小泉政権時に証券優遇税制というものが始まってその税額の下がっているという。株式も大口の個人株主もいるだろうが企業や銀行など株の持ち合いもしているわけですからその投資額から見ても証券優遇税制によりだいぶ設けているのではないかと思う。
復興財源では法人税の税率アップも言われていたが、結局は以前から約属されていた減税を一時ストップさせるぐらいに終わりそうである。
また所得税にしてもこれまで高額所得者への減税(税率の下げ)が行われてきて金持ち優遇の税制度となっている。この中で税の所得再配分というものは機能しなくなっているという。
アメリカでは格差に対する反対デモが行われていたが、日本は不労所得の減税や所得税の優遇やら格差の現実を思い知らされる現実がある。
その中で、社会保障のためとか復興だとか庶民への大きな負担を求めてくる。

【2012年】ツイッターつぶやき
◎鶏モモ焼き
ボールに赤ワイン・醤油・蜂蜜・レモンの絞り汁・ニンニク一かけら(スライス)・タイム5本ほどを入れてかき回して鶏モモを漬け込みます。
2時間ほど漬け込んだら耐熱皿に乗せて漬けこんでいたタレのニンニクとタイムを肉の上に乗せます。『スピードオーブン』(レンジのメーカーによって名称が違うと思うのですが、オーブンと電子レンジが一緒に機能するもの)で250度で20分ほど焼きます。
その間にフライパンにバターを入れて溶かし、小麦粉を適量入れて焦げないように少し炒めます。そこに先ほどの漬け汁を少しづつ入れて、ワインのアルコールを飛ばして少しとろみがついたら火を消します。
ここに焼きあがった鶏を入れてたれを絡ませます。
◎手作りケーキ
市販のスポンジを使いました。
生クリームに砂糖(我が家はオリゴ糖)を入れて硬めにホイップします。
ミックスのドライフルーツをみじんに切り、やはりミックスの無塩ナッツをミキサーで粒粒感がだいぶ残るほどに細かくします。
ホイップした生クリームをスポンジの間に入れる分だけ別のボールにとり、上のドライフルーツとナッツを入れてかき回します。
スポンジの下に上の生クリームを乗せ、薄くスライスしたイチゴを敷き詰めます。
上のスポンジを乗せて後は普通のケーキのように生クリームを塗ります。
少しだけ生クリームを残しておいてインスタントのコーヒーを溶かしたものを入れて絞り用のビニールに入れます。我が家はインスタントがないので普通のアイスコーヒー。
あとはイチゴを飾り、コーヒー味の生クリームで飾り付けをします。
鶏モモもケーキもおいしかったです。
鶏モモは柔らかくて赤ワインのソースがしつこくなくて美味かったです。
ケーキは、ドライフルーツやナッツの粒粒感が味のアクセントになり、ほんのりしたコーヒー味が奄美の飽きを防ぎます。
イブは仕事が入り家族皆がそろうのも今夜だけなので早めのメリクリ。。。。。

朝日新聞に「衆院選ツイッター460万件分析」という記事があった。
その調査方法は、約60語を選定して「前向き」「後ろ向き」な言葉を分けて自民・民主そして第三極へのツイートを分析したという。
選挙結果は自民圧勝でしたが、自民党の政策を支持するという意見は少なく、民主党が悪いといった中身となっている。
この点については、民主党への「後ろ向き」なツイートが多く、自民党への「前向き」なツイートは少ないものの「後ろ向き」のツイートも少なかった。しかし自民党に関してのツイート自体はダントツに多かった。そしてこれは自民党の発言はツイッター上の話題としてのものだった。「前向き」か「後ろ向き」かの判別ができないツイートが多かった。
なんとなくこのツイッタのツイートの現状と選挙結果は一致するような気がする。
維新の会も橋下市長の発言をめぐってのツイートが多かったと思うが、やはりツイッター上の話題として多かったのだと思う。
こう見ると案外ツイッター上での議論とマスコミの世論調査とは一致するのかもしれない。
ただツイッターは自分がフォローする人とその人がリツイートした人を中心とした意見を多く読むわけですから、なかなか全体は見渡せないですね。
ただ、マスコミの世論調査とは違い、例えば民主党の支持率が下がっているというだけではなくて、民主党はだめだという中身の生の声がある程度伝わってくるわけです。その意味での中身の問題が案外複雑なのかもしれません。その点で調査でも「前向き」か「後ろ向き」かの判別ができないツイートが多かったという事になるのかもしれません。

【2013年】ツイッターつぶやき
安倍総理が「努力した者が報われる社会」を言いますが、この土台には日本社会に平等さによる自由が必要ですし報いるための民主主義が必要です。何も理想を国に求めるのではありませんが、そのための国家の理念はもち続けなければならないはずです。
同じ能力があってもそこでの競争には生れ落ちる家庭による格差(ハンデー)があってはならないでしょう。もちろん昔から貧乏をしても立身出世をした努力家はいるしそれをたたえもします。しかし国家が補償する努力したものは報われるというのはこのような人を言うのではないのです。平均的な生活を受けられることなのです。平等に。
学歴や仮定状況に左右される社会、親の因果が子に祟る社会ではではだめですね。
そして努力したという中身は0か1かではないはずですし、敗者復活戦が補償されねばならない。
それが平均的な努力での報われる社会です。
日本社会はこの国家が責任を負うべき国民が努力すれば報われる条件という土台を縮小をしてそれも公助から自助へと向かいます。この土台を縮小する中での「努力をするものが報われる」どういうことでしょうか?
逆に捕らえれば今報われない人々は努力が足りないからだといって片付けられてしまう社会です。そこに国の責任はなくなります。そうすると努力しなかった人々という定義づけから助ける必要はないといった論理に進みます。

【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2015年】ツイッターつぶやき
今日は冬至。。。。ということでカボチャを買ってきました。
家族が煮つけはあまり食いたくないというのでポタージュにしてみました。
カボチャは皮をむいてラップをかけて8分ほど電子レンジでチン。
玉ねぎ半分を細かくみじん切り。
鍋にバターを入れて解けたら玉ねぎのみじん切りを入れてよく炒め、塩コショウで下味。
玉ねぎがしんなりとしてきたら少量の水とコンソメスープの素を入れて少し煮詰めます。
そこにゆでたカボチャを入れてつぶしながら炒めます。つぶしすぎないようにコロッとところどころにカボチャが残るほどに。
つぶし終わったら少しづつ生クリームを入れながらペースト状にしていきます。とろみ具合を見ながら牛乳を入れて塩コショウで味を調えて少し煮てから火を止めます。
少し冷ましてから食べるときにまた牛乳を入れて温めます。

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
やっと冬至になりました。
立冬から12月中旬までは苦手な季節です。日も短くなりだんだんと寒くなり心細くなります。
12月下旬の当時過ぎはクリスマスやら正月がやってきて忙しくてカネもかかりますが、冬至が過ぎたという気持ちも楽になり忙しさも楽しめるようになります。
今夜は冬至という事でかぼちゃの煮つけと柚子湯。
ラジオでお寺の冬至の行事をやっていましたが、もしかしたら宗教や暮らしの中での行事というものがたくさんあるかもしれませんね。食い物もカボチャだけではないかも。。。。。
こういったものを調べるのも楽しいかもしれません。
行事などがあれば、クリスマスより冬至の方がワクワクしますね。

ロイターに「中国も出る2.0の衝撃」という記事があった。
これは経済の発展における経済の自由な活動をどう見るべきかを教えてくれる。
「見えざる手」と「見える手」という言葉で表現をされているが、「見えざる手」はもちろん新自由主義での経済の自由を言っている。しかし「見えざる手」によって経済は好転し発展するという論理はすでに破たんをしている。結論を一言で表現すれば、富はますます少数の人々の手に移っていき格差が拡大をしてそれが経済の発展に対する足かせ【桎梏】となるという事である。経済は自由に行動する人により営まれるが、結果は経済の自由な活動の桎梏となる。この矛盾が「見えざる手」の結末である。
外需によりどうにか息をついているアベノミクスの現実はどうだろうか。結局は積極財政として国家の公共事業によるカンフル剤に頼り、国内消費の低迷は軍事費として穴埋めされようとしている。勿論外国人観光客の消費にも。日銀の金融緩和は失敗だったというのがおおよその声になってきて、現実として出口が見えない状況である。
一方における「見える手」とは何か?
今の中国は昔のような教条的な社会主義(共産主義)ではないが、一定の計画経済を導入している。経済矛盾が大きくなりそうになればそこを改善できることが計画経済の一部である。もちろん5か年計画というものは最大の計画経済である。
この間中国のバブル崩壊や成長の鈍化を経済学者など入っていたが、この間の成長維持を見ればある程度成功していると言えるでしょうし、日本を抜いて経済対国家している。アメリカの混迷は相対的に中国の経済力を発展させるでしょう。この中で日本政府も一帯一路路線に協力を申し出なければならない状態となった。
政治的自由は中国の状態というのはまだ発展途上でしょう。しかし日本やアメリカが政治的自由を発揮しているかと言えば現実は後退をしている状況でさらに加速しそうである。
中国も統制社会でしょうが、日本も国民を統制する社会となっている。経済を統制するばかりではなくて政治的な国民統制という形をとる。
経済の自由が国民の自由を発展させるでしょう。国民生活を犠牲にした格差拡大が経済の自由を高めることにはならない。国民の経済の自由、これは生活の自由ですが、これを押さえつけるには必ず政治的自由の後退を必要とする。結果は社会の発展の桎梏となる。

【2018年】ツイッターつぶやき
木枯らしの吹く公園のベンチに座っていた
いつもなら子供を連れたお母さんたちや
日向を楽しむおばあちゃんが
のんびりとした時間を楽しんでいる時間なのに
なぜか僕一人だけがベンチに座っていた
足元には木枯らしが吹き付けていた
一枚の枯葉が小さなつむじ風に乗っていた
クルクル。。。クルクル。。。。
いつもなら一瞬にして消えてしまうつむじ風なのに
いつまでも僕の足元を回っていた
気が付くと、少し大きいつむじ風
大きくてどこか優しいつむじ風
大きくて力強いつむじ風が。。。
僕の周りを回っていた
僕は楽しくなって立ち上がり
真似をして少しくるくると回ってみた
クルクル。。。クルクル。。。。
僕は右足のつま先だけで回れるようになっていた
僕は楽しくて楽しくて。。。。
「こんにちは」、「こんにちは」。。。
「こんにちは」、「こんにちは」。。。
いつの間にか4人の家族と一緒に
クルクルクルクル回っていた
「こんにちは。。。!」
僕も弾む声で答えた
「ハハハ・・・・こんにちは」
「こんにちは。。。。」
僕はその家族と楽しく回りながら挨拶をし続けた
どのくらい時間がたったのだろう
4人の家族はいきなり高く舞い上がった
僕も必死で舞い上がった
空を1週したとき
「あなたは来てはいけないよ」と言われた
そう言い残してつむじ風たちは
高い空の上に舞い上がっていく
気がつくと僕はまた。。。。
公園のベンチに座っていた
すごく寂しかった。。。
空を見上げて涙が出た
そのとき。。。。。
高い空の上からかわいい声が
「おじさん、もうすぐだよ」
「もうすぐ春の家族がやってくるよぉ。。。」
           (旧ホームページより)

【2019年】ツイッターつぶやき
年末の土日は買い物はよしたほうがいいと毎年思うのですが、夕飯の買い物ぐらいはしなくてはいけないので今日もつい買い物に行ってしまいました。
道路も混みあっていてスーパーの駐車場に駐車するのも一苦労です。みんな殺気立って空きの駐車場を探す。イライラするので運転も荒っぽい。
店内は、大根1本棚から取るにも人を避けながらで苦労する。
いつもの棚にいつものものが並んでいない。正月用品が鎮座していていつもの物を探すのに苦労する。
レジは混んでいて長い行列。エレベーターも2回待ち。カートまでエレベーターに乗ってくるんで後ろに並んでいると入る隙間がない。
毎年毎年同じ風景が繰り返される。
帰り道、やけに渋滞しているなぁと思ったら百円ショップの駐車場待ち。
クラクションの音が鳴り響く。

【2020年】ツイッターつぶやき
新規国債発行43兆6千億円。
財政再建は捨てられました。
消費増税は社会保障のためというものもチャラに。
これ以上の消費増税を考えているのでしょう。近い将来に。。。。
赤字国債は借金といわれるが、その借金の金を使う人間と返済する人間が分離をしています。コロナ下で企業の救済が進められますが、この間ずっと法人税は減税をされています。借金を返すために行われるのが消費増税です。

【2021年】ツイッターつぶやき
大阪で家族3人のオミクロン株の感染が出た。
海外への渡航歴もなく濃厚接触者でもなかったことから市中感染と判断されました。
海外からの帰国者への水際対策もやはり手薄だったようですね。これまでの大きな波を見ればやはりかと感じました。市中感染は時間の問題だったのかもしれません。今回は大阪でしたが大都市圏をはじめどこで市中感染が広がるかわかりません。
ここで大切なのはこれまでもこのブログで何回も書いてきたように検査を多くやるしかないのです。
親の方は教師だそうですが学校での感染が心配されます。
この3人以外にも4人の感染があったようですが、この4人は先の3人との接触はなかったそうですから別の市中感染と考えられます。
ワクチンについても両親は2回接種済みだったようです。
ワクチンの接種証明アプリもよれよれの状態で始まったようですが、ワクチン自体の信頼性も低下しています。
沖縄でもアメリカ軍基地からの広がりが心配されはじめています。
群馬でクラスターがありました。
年明けにどうなるんでしょ。
年末年始の連休ですからこれをどう生かすかですね。ワクチン証明で出かける人が多くなればオミクロンも全国に広がる危険性があります。

【2022年】ツイッターつぶやき
数の力による国会の形骸化と民主主義の後退は、政治が力による国民統合に移っていく。
マイナンバーカードは任意であったが、現実は健康保険証を無くすというものとなり、来年からは紙の保険証では初診料などで6円ほど負担増を行うようです。これは健康保険の負担の平等を蔑ろにするものです。金額がわずかだという問題ではなく健康保険証をマイナンバーに紐づけする強制です。
力による恫喝は、何も強制はしていないと言いつつ、現実は強制につながる。
メリットは2万円のポイントだけです。
金で釣るというのもえげつない強制です。
岸田内閣は数の力を力の政治に具体化する危険な内閣です。

【2023年】ツイッターつぶやき
久しぶりに用事があり都心の方に出かけてきました。
電車に乗ると今の若い人は背が伸びたなと思います。女性でも僕より背が高い。
でも、少し前までは、女性よりも少しは背が高かったのですが。
どうも僕が縮んだんだとわかりました。
先日妻の付き合いで病院に行ったのですが、暇なのでぶらぶらしながら歩いていると体重計と慎重をはかる機会がありましたので、背をはかってみました。何と2センチも低くなっている。
背が縮む原因は、背骨の間の軟骨のようなものが薄くなるためだと言われている。
たしかにこれでは背が縮んだことになる。
しかし背が低くなるのは背骨の曲がり具合なのかとも思う。
ウウウ。。。。。
老化が進んでいる。
小さくなった婆ちゃんや爺ちゃんを見るが、そういう自分が間もなく来るのかもしれない。
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「12月22日という日」

2024年12月22日 22時05分21秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
東京晴天。暖かくて気持ちがいいです。
午前中冬物を買いにユニクロに行ってきました。もうフリースも流行らなくて着ていると少し恥ずかしかったのでダウンのコートなどかって来ました。コート2枚にセーター2枚、その他いろいろかって1万円少しでした。。。。
妻は少し高いものでも買ったらと言うのですが、安いものを2着買ったほうが着まわしができますからね。。。。
それに、フリースじゃないけど2年もすれば流行りも終わりますから。
ハムスターが病気みたいです。
医者にと思うのですが、、、、

【2004年】
床屋に行ってきました。
何だかおやじさんの気分がもうひとつのらないようでした。女将さんが先に他の客の頭を刈っていたのですが、僕のほうが早く終わった。。。。
仕事が早いのか雑だったのか。。。。
クリスマスケーキを作りました。ううう。。。。ん、今ひとつきれいにできない。まぁ、素人らしさもまたいいだろう。花屋さんにきれいなツリーの植木がありましたので買いました。もう売れ残りのようで木が傾いていた。1200円。。。。
買い物帰りに和菓子屋さんの前を通ったら店の人の暇そうなあくびを見てしまった。洋菓子屋と和菓子屋の落差はこの時期大きいですね。

【2005年】
朝起きてハムスターのスズの小屋を見たら、回し車の前で死んでいました。2年少し生きました。2年少しでもハムスターにとってはもうおばあちゃん。。。最近動きが鈍くてウンチやおしっこも上手にできず御尻が汚くなっていました。そんな中、東京の寒さもきつかったですからね。。。。
寝る前に「スズ。。。」と声をかけたときはねぐらから出てきたのですが。
ハムスターは元気そうにしていてもあっという間に死んでしまいます。
布団に入いる前に何気なく「スズはもう何年生きたかな?」と家族で話していたのですが、虫の知らせというのでしょうか、多分そのときにスズは死んでさよならを言いに来てくれたのかと思ってます。
かわいい女の子のハムスターでした。。。。。
明日の午前中、これまで飼っていたハチ君、レオ君のお墓の横に埋めようかと思います。
悲しいです。。。もうハムスターは飼わないことにした。。。。
せめてクリスマスまで生きればよかったのに。。。。

【2006年】
冬至
東京のイチョウの木も葉を落とし、木々も裸になりました。
この日記も今日から冬です。
空っ風が吹く冬の乾燥した空気というのは好きではありませんが、こうも天気がはっきりしないのも困ります。
風邪はひと段落ですが。。。

【2007年】
今夜も忘年会でした。。。。
今年もあと1週間ですなぁ。
そろそろ今年をふり帰るという事もとは思うのですが、今年も平凡に始まり平凡に終わりそうです。そのうち少し思い出しながらと思います。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
林檎を箱で買いました。
おいしい蜜入り林檎!!箱を開けて食べ始めたらたしかに蜜の入ったまずまずおいしい林檎が。しかし・・・・下段に入っていた林檎は蜜も入っていない普通の林檎でした。今はあまり聞かなくなった「上げ底」というのが昔ありましたが、今も同じようなことがはじまったのかなと思いました。
デフレによる値下げ競争は従業員の賃金をはじめとした経費削減などで行われてきましたが、やはりデフレが進んでくると「安かろう悪かろう(まずかろう)」として品質などが落とされてくるのかもしれません。今までよく行ったファ〇レスにもあまり行かなくなりました。
一方では値段は高いがおいしいものやよいものがあります。
消費者物価(指数)はほんの少し上がったそうで、デフレの脱却傾向かとも見えれますが、それはECOポイントやECO減税効果も大きかったようですが、少しづつ物価は上がる傾向にきているのかもしれません。クリスマス・正月商戦ははじまりものの値段は上がっているように感じますし、普段は節約をしている生活ですがクリスマスなどには金を使うといった消費者心理もありますからね。
このような生活上のものに上乗せするかのように子供手当ての財源で税の控除などによる増税が出てきましたし、一方では法人税減税が約束されこれから財源を考えるといいます。たぶん何かしらの増税があるのではないでしょうか?タバコ税は禁煙運動に便乗して上がりましたし、今後は同じような論理で環境税のようなものも。そして最終的には消費税です。
高齢化社会を一つの理由にしたり、民主党は事業仕分けもやったとか言う理由で増税は仕方ないものというものがマスコミの中にもありますし、そのようない意識は今後広げ「られる」事でしょう。先行きがわからないままの雇用増や個人所得の上昇、福祉や年金の今後などは見えないままに増税だけが一人歩きすることでしょう。
消費者物価が少しづつ上がっていくその上増税。。。。。本格的な生活の後退局面に入っていくのかもしれません。

【2011年】ツイッターつぶやき
知人から大きな白菜をもらった。
四分の一に切ってもまだでかい。
昨夜はベーコンを痛めてからお湯を入れてさっとひと煮立ち白菜を茹でて市販のクリームシチューのルーを入れて白菜シチューにしました。
今夜はさっと茹でて冷まし、からし、醤油そして砂糖のたれで和えてみました。少し鰹節をかけるとおいしいかもしれません。
料理の話と言えるような料理ではないのですが、旬のもののおいしさはどのような料理にしてもおいしいですなぁ。。。。。
白菜は九州産のものです。。。。。

点というのは面積も持たずに目にも見えない、点と点を結べば線ができるがその線も面積を持たずに目にも見えない。点も線もそれ自体は無なのである。しかし複雑な形やいろいろな材質でできたオブジェには重心という点は必ず存在をする。点それ自体は無なのだが形あるものに内在することにより存在する。内在するが重心といったような特異な条件が与えられることにより点は存在をする。人が「ある点」として指定するという特異な条件で点は存在する。
神というのも神そのものが存在するのではなくて神は無なのである。しかし人の心にある特異な条件で神を意識するとその意識したところに神は存在をする。人が時な条件で意識しなければ神は存在をしないということは人の心が神を作りだしているからである。人の心とは脳細胞の働きやそこに入ってくる様々な情報というある形として存在をする。だから人それぞれが神を意識する場合、ある宗派という基本はあるだろうがそれぞれの人の心によって違う神が現れるのである。人それぞれによってオブジェは違うから。
重心という特異な点はどのような形ある物にも存在をするから重点そのものというものがありそうだし、同じように神そのものがありそうだが、やはり重点も神も形あるものがなければ無なのである。よって重心そのものや神そのものは存在をしない。存在をするのは形あるものだけである。

なんだかこんがらがってきました。。。。おやすみなさい(笑)

【2012年】ツイッターつぶやき
朝日新聞7面に「波聞風聞」という記事がある。今回のテーマは「財政拡大路線」。
1000兆円という借金は取り返しがつかない水準になっており、「もはや日本経済にソフトランディング(軟着陸)はない。リセットして若者世代に渡すしかない」と。
外国の投資家の日本売りが。。。。
自民との次期政権は「財政拡大路線」で日銀に2%のインフレ目標を強引に飲ませ、日銀の国債買取をさらに増やそうとしている。少し前まではこの日銀の国債買取は禁じ手だといったものがあったように思うが、これを強引に行わせようとしている。
これは資金を金融市場に流して新たな国債発行で国の借金を増やせるという事でもあり、借金の歯止めを外しての財政拡大策という事です。外国への国債は少ないとはいえ金融市場の反乱、日本売りがあれば金利は上がるようですから国内の国債を引き受けているところにも金利は上がる。そして財政破綻に。
しかし一方ではこの危機を乗り越えるために国民へのしわ寄せが行われるわけで、経済全体が破たんすることでもあります。
財政規律が問われているそうです。
しかし財政の規律目は必ず社会保障などへのしわ寄せがくる。
「社会の設計を工夫すること。。。」で克服といいますが、これが国民へのしわ寄せでは。
国民の貯金は銀行などへ。銀行はその金で国債を買う。銀行からの利息はほぼゼロ。銀行の国債での利益は相対的に大きくなる。国債は国民の借金だから貯金している国民が負担する。金を貸している人が借金を払うというこのような構造をどうにかしなければならないでしょう。まさに社会の設計図を見直さないと。

【2013年】ツイッターつぶやき
どうも円安傾向が今後も続くのではないかという意見が多くなっている。110円ぐらいから120円弱までの意見。
これはもちろんアベノミクスと日銀の金融政策の持続によるものですし、アメリカの緩和縮小(出口)が進むという中でのアメリカ経済の回復をそこに見る期待感からドル高になりそれはもちろん円安となる。
同時にもうひとつ重要な円安要因がこの間のアベノミクスで作られ始めているのではないかと思われる。日本は経済の落ち込みと国際競争に勝つため、労働者の賃金をコストととらえてその賃金コストを抑えて利益拡大をしてきた。これがいくら経済法則から逸脱したものとしても一時的には企業の利益を保証するものだったでしょう。企業の活動の活発化からの通貨高ではなくて日本の通貨高はこの低賃金から生まれ企業の利益として通貨高になっていたのではないか。しかしここに来て安倍政権すら賃上げの必要性を言うようになっているわけで、これまでと同じように賃下げで企業利益を守ることへの限界が見えてきたのではないか?それだけ矛盾が拡大してしまった。しかしいまさら早急には賃上げも進まずその効果も出ないほどの矛盾に陥っているのかもしれない。そこに円安での輸入産品の価格が上がるわけですからそれは悪性の物価高を生む。国家全体がこの悪性の物価高にあえぐようになり、貿易収支や経常収支も赤字化の傾向が出てきて双子の赤字どころか三つ子の赤字傾向という矛盾を引き起こす。経済は停滞をするでしょう。この停滞は国力の低下につながります。そうならばもちろんこのような国が行う量的緩和は激しい通貨安を引き起こすかもしれません。
金融政策としての円安誘導が国力低下による本来の経済法則による円安に転化する危険性。これがアベノミクスではないでしょうか?
国民は精神的にもアベノミクスの政治的側面により自粛せざるを得ずそれは萎縮へと進む危険性がある。その精神的な落ち込みは経済に反作用を起こすでしょう。安倍政権はこれに対して国を愛することという精神面での国民統治を行おうとしていますし、オリンピックを始め国民の精神的盛り上がりをそこに求めようとします。そして最近では日本という国はすばらしいといった富士山の世界遺産や日本食の文化遺産を強調します。しかしこれらの観念論が経済矛盾という唯物論を消し去ることができるでしょうか?経済はもちろん人の営みの中にありますから精神面からの反作用がありますが、基本はは経済という下部構造(土台)が精神面の上部構造を規定するでしょう。社会の片隅そして一人ひとりの国民の弱いところから精神的な矛盾を引き起こしていくでしょう。

【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
用事があり大宮の方へ行ってきました。
ちょうど昼時に用事も終わりますので、近くに美味しいラーメン屋さんはない者かと検索をしてから行ってみました。
丸源さんという店の「肉そば」という変わったラーメンです。
このラーメン屋さんは全国展開をしているみたいですので知っている方も多いと思いますが僕は初めてでした。
柔らかな豚のバラ肉を上に乗せた面というのは以前から好きでした。家でも豚バラ肉を濃い口しょうゆで煮つけておいてしろ出汁のスープのうどんに乗せるものをよく作ります。蕎麦でもうまいです。
ばら豚肉が乗ったラーメンというものは食ったことがなかったので興味津々でした。
美味しかったです。。。。。
醤油の風味も良くてバラ肉とよく合います。上に乗せた紅葉おろしが良いアクセントでした。玉ねぎのスライスも乗っていたような。甘味が出ます。
今日はこの肉そばと半チャーハン・餃子3個のセットを頼みましたが、餃子もジューシーでした。チャーハンは熱した鉄の皿に醤油のようなタレ(もしかしてチャーシューのたれ?)で炒めたご飯を乗せて、叉焼らしき肉のそぼろ状のものを乗せ、長ネギのみじん切りも。店員さんが運んでくると溶き卵をジュッと鉄板の中へ流し込み自分で仕上げます。楽しさもありますね。
たくさんのチェーン店がラーメン屋さんにはありますが、店員さんも感じが良く(変にマニュアル化が見えない)お気に入りの店になりました。

昨日書いた「経済の自由」の関連です。
ニューズウイークの記事に決断が早い中国、でもプチ躍進が悲劇を生んでいるという記事の中に
「民主主義の日本はとかく決定が遅い。その間に中国は先へ先へと進んで行ってしまう。日本の遅さにはうんざりするが、その一方で軽やかに前進する中国はどうしようもない失敗を犯してしまうという問題があるのも事実だ。」 (上記リンクページより引用)
これに対する僕のツイート
「民主主義があるから決定が遅いというのは間違いです。民主主義があるから正しい結論が出るのです。日本でも決められない政治批判があり、この民主主義の理解を間違えた。民主主義がなくてスキャンダル暴露合戦や失言騒動で国会は機能しなくなった。そして今の自民党政治が。決められる政治が民主的か?」
民主主義についての考え方がねじ曲がると社会は変な方向に向かいます。
このことについてまた考えたいと思いますので覚書として。

【2018年】ツイッターつぶやき
来年のことを言うと鬼が笑うそうですが、どうも今のような政治経済においては鬼すら鳴くような悲惨な社会になってしまうのかもしれません。
そういえば、昔は年末になれば政治経済面での「今年の10大ニュース」とか、「来年を占う」的な番組が多くありましたが最近はなくなっていますね。
そんな中、ブルムバーグに黒田日銀は来年試練の1年に、消費増税や海外リスクへの対応迫られるという記事がありました。
「消費税率の引き上げ、海外リスクの増大、物価の低迷、長引く緩和の副作用の累積など多くの課題への対応を迫られるからだ。」 (引用)
日銀の金融政策で経済の好転があるわけはないです。そのうえ日銀緩和は貨幣量が足りないという誤った視点での政策でしたし。金融政策の成果がもしあったとしても上記に引用したような日銀のリスクのすべてが今の安倍内閣の政策によって引き起こされているわけです。政府の政策の過ちにより日銀が尻拭いをするというシナリオにも無理があるでしょう。
消費増税は100%政府の責任です。
海外リスクも外交に無関係ではないでしょう。
物価の低迷は、言い換えればアベノミクスという政策上の失敗により経済の好転が起きないから物価も上がらないということです。
緩和の副作用は経済の好転がないところに原因があるでしょう。
来年も日銀はこの手あの手を右往左往するでしょう。しかしカンフル剤だけで経済が元気になるわけがないです。
引き締めに向かわざるを得ない情勢になるかもしれないですね。
引き締めになれば国民生活にも悪影響が出るでしょう。しかしこのまま水膨れの経済が続いても、国民に民を押し付ける安倍政治が続いても国民は四苦八苦をする。ならば引き締めによるアベノミクスの方向転換を考えることも一つの方向性でしょう。

【2019年】ツイッターつぶやき
日銀の金融政策は限界にきていると以前から言われていた。
アベノミクスの車の両輪である片方がパンクしそうである。
残るのは財政出動しかなくなっている。それは景気の下支えのために官民合わせて26兆円の経済対策となり、国は年度中としては3年ぶりの赤字国債を発行せざるを得なくなっている。
来年度予算の税収は大きく見積もっているが、結局は歳入不足となり赤字国債の発行は避けられないでしょう。
財政赤字解消のためともいわれていた消費増税も、景気の下支え、個人消費の維持のために思うように税収増にはつながらない。法人税は企業の経営不振からさらに減額するでしょう。
アベノミクスは財政出動による経済の下支え経費がかさんでいくばかりです。
アベノミクスは途中から国民の知らないところで変質した。財政再建は赤字国債を発行していないと変質をし、今年はついに赤字国債を。そして積極財政は企業の利益に誘導される。

【2020年】ツイッターつぶやき
以下ツイッターから
日本の医療体制。。。。。
アメリカやヨーロッパでは日本の10倍以上の感染者が出ていてそれに医療体制が対応をしている。もちろん逼迫をしているのかもしれないが。しかし日本の入院者数ですでに医療のひっ迫が言われているのはなぜでしょうか?
入院患者数は少ないにしても、自宅療養や待機そして入院の調整中の方が多数いる。それを受け入れられない日本の医療体制に現在の医療危機が現れているのかもしれない。
もちろん現在コロナと闘っている医療従事者や保健所職員は自身の感染危機と向かい合いながら限界に近い中で命を守るために努力をしているでしょう
コロナの感染拡大以前から総合病院などでは医師や看護師の激務が言われていた。そこにコロナ感染拡大が現れたのですから素人目から見ても過酷さがわかる
ですから、現在の医療機器は医療従事者の責任ではなくて日本の医療体制の脆弱性が現れていると見たほうがいいと思います。
病院なども一つの企業ですから最大の利益を求めます。しかし日本の企業経営は最小の人員で最大の利益を考える。そこに病院経営も例外ではないでしょう。
ベッド数に対する看護師の人数の割合(一人の看護師が何人の入院患者を担当しているか)では日本は低いと思います。そこにコロナ感染者が入ってきますからね
そして感染症対策としては専門病院はどうなっているのでしょうか?個々の病院が個々に対応せざるを得ないように見えます。それは保健所にも?
もちろん今現在に至ってからこれまでの医療体制がどうであったかなど問題にしても仕方ないと思いますが、過去の医療体制を引きずりながら現在の医療体制の危機が出ていて、それが医療従事者の実態になっていることは確かです。その医療従事者に対して国は何ができるかですね。
今朝、テレビを観ていたら、看護師不足を補うために応援に行く看護師には特別な手当てがつくが、そこの病院の看護師はボーナスがカットされている中で何の支援もないと。都知事は子供を動員して医療従事者に感謝の年賀状運動という精神論。
Go Toの延長ではたしか1兆円以上の予算が。
総理大臣をはじめ与党の政治家は、自ら決定したコロナ感染拡大防止の呼びかけも守らず、大企業救済のGo Toで税金をばらまく。経済効果は一般労働者には届かずに失業やときには自殺へと。Go Toは感染拡大の要因であるという意見を無視。
この中で今後も重症者は増加する傾向。
医療従事者はさらに過酷に
国民は総理大臣の言動を見るし、金には弱いですから政府の政策に飛びつくでしょう。只飯を食えるのですから
しかし医療崩壊は医療従事者の心を消耗させるでしょう。悲しいと思います
しかしそれは国民にとっては命を守ってもらえなくなるということでもあります
二極化する日本。国民と政府の乖離です
医療従事者をはじめ勤労国民の多くは、政府と一部国民のために尻拭いという自助努力をさせられる。
一億総玉砕という敗戦。

【2021年】ツイッターつぶやき
昨日作ったかぼちゃのいとこ煮が半分ほど残っていました。そろそろ食べないとやばいと思いリメイクを。
かぼちゃの皮を取って潰したら砂糖と牛乳とマヨネーズを入れてかき混ぜ小豆は粒を残して混ぜ合わせました。
案外おいしかったです。
混ぜ合わせた時に少し緩くなりますがしばらく冷蔵庫で冷やしたら固まりました。
料理のリメークというのはあまりやったことがないのですが、楽しいですね。
先日は里芋の煮付けを作り残りを天婦羅にしましたがこれもおいしかったです。

【2022年】ツイッターつぶやき
中国でコロナウィルスの感染が拡大しているようです。
若い人たちがサッカーワールドカップの映像を見てマスクもしていないで人がたくさん観戦してるのを見て自分たちも同じように自由になりたいと思ったらしいというニュースがありました。またわずかな感染者でも都市を閉鎖することにうんざりしていたのかもしれません。また外国企業が中国の感染防止策により利益が減少することの不満があったようです。
この中で感染防止策が緩くなったようですが、その後すぐに感染が爆発的に広がった。
感染拡大に実態はわかりませんが、感染を防止する方向に向かっているようです。
新華社のニュースを読みましたが、吸引式のワクチンや免疫力を高める漢方のような薬が出ているようです。
日本のワクチン接種は5回目まで進んでいます。接種期間もだんだんと短くなりワクチン漬けになっています。感染防止策は社会的規制はほとんどなくなりました。その中でまた新たな波が。ワクチンは感染予防ではなくて重症化死亡しないためだと変化しました。
こう見ると日本でのワクチンも中国の漢方もそうは変わらないような気がします。
やはりいろいろな病気をしないように免疫力をつけることがコロナ感染も防ぎ軽症化するでしょう。日本でのワクチンはコロナに対する直接的なワクチンです。中国の漢方は免疫力をつけるもの。
日本には漢方も発達していますが、発酵食品などもあります。いろいろな食材をバランスよく食べることが必要ですね。
日本ではワクチンの有料化が進むようです。そしてインフルエンザと違って季節性のものではありませんから年に数回接種が必要でしょう。
ワクチンにも限界が来ているように見えます。

【2023年】ツイッターつぶやき
冬至。
かぼちゃを食べて柚子湯に入って。。。。。
苦手な11月も過ぎて12月もあっという間に過ぎようとしています。
毎年11月から12月初めは心が沈むのですが、今年は忙しい日々が続いているので、その苦手という意識も消えてていました。
毎年苦手な季節が過ぎて冬至になるとパッと心も晴れます。しかし忙しくて苦手な季節を忘れていたので、今年の当時はパッと心が晴れません。このまま6月までは忙しさが続く。
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「12月21日という日」

2024年12月21日 08時06分25秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
明日は冬至ですね。。。
かぼちゃを食べないと。。。ハハハ
こちらのサイトは、明日から冬の日記となります。もう冬の真っ盛りですが、冬至を季節の変わり目としました。
僕のように冬が嫌いな人間にしてみると、冬至をすぎてこれから日が少しづつ伸びていくと思うと救われます。
こちらの掲示板に日記を書いてきましたが、明日の22日からは日記ページに書くことにしました。
これからもよろしくです。。。

【2004年】
冬至
今日からこの日記も冬。。。。寒くなりました。そろそろマフラーでも出そう。
この寒い夜。帰宅途中のコンビニの前に高校生ぐらいの女の子3人が座り込んでたむろしてました。それでまた歩いてシャッターの降りたドラッグストアーに着たらやはり3人が座り込んでいました。こんな風景は夏にはよく見たのですが、この寒いのに若い人はすごいです。

【2005年】
この数日に比べると暖かでした。とはいえもう冬本番です。
明日は冬至。この日記も冬になります。もう木々も丸裸で、落葉が一番遅いと思われる銀杏も裸になりました。
冬至と言えば「ゆず湯」
商品名です。柚子を細かくして果肉から皮、種までも乾燥させたもので、紙のバックに入っています。これをお風呂の中に入れるのですが、香りもよいしほんのりとお湯も黄色くなります。温まります。お湯が黄色くなるので発色剤でも入っているのかと思い包装の袋を見たら、そういった添加物は一切入っていないようです。
冬になるとスーパーの店頭に並びます。
しかし果物売り場の棚にあるので、勘違いをしてゆず湯として飲んでしまわないかなぁと思ったりもします。
発売元もこだま食品という食品会社ですからぁ。。。。ハハハ
飲んではだめとは書いていないようなのですが、一応飲まないです。
スポーツジムも冬になってからはじめたので行くまでが億劫です。帰りも寒いので風邪ひかないように気をつけたいです。でも、体を動かした後は体もぽかぽかで気持ちがよいです。冬に汗をかくというのはめったにないことですから冬にも体を動かして汗をかくというのはよいのかもしれません。体が軽くなったし、だるさもなく、時々立ち暗みもあったものがなくなりました。

【2006年】
個人の独裁者の政権が倒れたとき、一般庶民の生活に対してのその独裁者の贅沢な生活が浮き彫りになるというのは珍しくない。
一般庶民の困窮と権力・富を手に入れたものとのギャップは、その時代の末期の現れである。
これは、何も個人の独裁政権の話だけではない。今の格差拡大や企業優先の中での一般庶民の困窮化というシステム事態も同じである。富と権力を手に入れると、必ずオゴリがでる。そのオゴリは目に余るものとなる。一方には一般庶民の犯罪が目に余るものとなる。社会は停滞をする。この停滞を「安定生長」などというごまかしの言葉を使ったとしても、停滞は停滞である。
この時代をどうするのか。。。それは、長い歴史の中で、民主主義や個人を大切にする一般国民が多いヨーロッパからまた提起をされるのではないか?
そのとき、日本はヘラヘラしているのだろうか?

【2007年】
昨日買ったシャツを着てみたのですが。。。。
最近はMサイズなのですが、だいぶ前まではLサイズでした。
サイズの寸法変更があってからMサイズになったのですが、これがまた中途半端でして、帯に短したすきに流し。
でも、どういうわけか袖の長さはちょうどよいのですが、丈が短い?ということは足や腕は短いが胴は長いという事?丈がちょうどよいものを買うと多分袖が長すぎてめくるようになると思います。
今の若い人は手足が長くなりましたからなぁ。。。
昔の日本人体型の僕としては今のサイズは合わなくなってきてしまった。

明日は冬至。
イチョウの葉も落ちて公園の風景もすっかり冬です。
明日からこの日記は冬にはいります。
日中は暖かで気持ちが良かったのですが、朝晩はやはり寒い。

【2008年】
冬至です。古式にのっとりかぼちゃを食べて柚子湯に入りました。それにしても暖かな日でした。南よりの春一番のような風でした。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
台所のシステムキッチンの工事をしています。
システムキッチンの床をはいで配管やガス管も付け替えるのですが、見ていると建てた当時の様子が見えます。床下などというのは工事のコンクリートや木屑の破片がたくさんあり、配管などはその屑のような物でちょいと支えてある程度。まぁ、それでこの20数年なんともなく使っていたわけですからそのぐらいの工事で十分なのでしょう。
壁の工事やらも素人目から見ると大丈夫かなと思うような材料と付け方なのですが、仕上がってみるときれいになるものなのですからそれで十分なのでしょう。強度を保たせるところはきちんと、そうでもないところは経費を削りながら仕上げていく。これが職人技なのでしょう。
工事は遅々として進まないようですが、配管やガス管は漏れがないようにしっかりと仕上げていき時間を使う。そして出来上がっている製品はパパッと備え付けて約束の期日には出来上がる。これが職人技なのでしょう。
配管やガス管がきちんと寸法どおりに曲げたり伸ばしたり。電機の敗戦もひょいとブレーカーから伸ばしてくる。見た目がきれいです。雑なようでそこは雑ではない。仕上がってみるとなるほどと素人をうなずかせる。どんな道具を使うか部品を使うかを瞬時に決めていく。大雑把なようで出来上がればその部品や工具の力がきちんとした形になる。これが職人技なのでしょう。
なんだか笑いながら作業をするし、時々「いけねぇ~」「それ忘れてた」なんて言い合いながらも最後は出来上がっていく。それが職人技なのでしょう。
素人目から見て判断するというのは、いろいろなところでやってしまうものです。職人さんや技術者あるいは専門家といった人々に限らずも、物を買いに行った店の店員さんや食堂の親父さんなどなどお客として素人目で接するわけですが、そのときに文句の一つ言いたくなるような事もあるのですが、そこが素人目なのでしょう。待ってればきちんとやってくれる。ま、もちろん当たり外れはあるのですから外れにあたってしまうときもあります。これは仕方ないとあきらめるしかないのですが、あたりの場合はその技に見とれていればいいわけです。「大丈夫かなぁ。。。。」と思いながらも。

【2011年】ツイッターつぶやき
アメリカを中心とした先進資本主義国での冷戦後の新自由主義は、政治的にアメリカが言う「正義」や「自由」がどのようなものであったかが浮き彫りになり中東やアラブが正義の戦争というもので疲弊をし、それはアメリカ経済の疲弊にもつながり国民に厭戦気分を醸し出している。経済は国家財政の破たんが言われ始め金融不安が増大をして国民生活は格差を拡大している。
これは今の先進資本主義国が世界の中心から落ち始めていることを意味している。その一方ではまだその力は弱いが中国や韓国の力が増してきて市場の場としての発展途上国の力が付き始めている。先進国はこの途上国の市場に依拠せざるを得なくなり国内経済の空洞化と雇用不安を伴いながら経済進出を行わざるを得なくなっている。
今朝の朝日新聞によれば、旧ソビエトの独立国家共同体CISがユーラシア連合をめざし経済・安保で再結集し、メコン川流域6カ国のメコン地域サミットが大メコン川流域開発計画首脳会議が貧困削減など共同宣言を発表してその中に中国も参加をしている。アジアにはアメリカのTPPに警戒感を示す動きがASEANの中からも出てきておりそこにも中国の影響力が大きくなりつつある。東アジアという地域でも極東ロシアは無視できなくなり、北朝鮮の経済動向も今後どう展開するかわからない。世界規模でも途上国会議は力を今後は強めるだろう。
経済のブロック化や共同体は戦争の危険性をはらみながらも先進国に経済的にはまだ依拠しながらも対抗するものとして作用をすることは自然な流れだろう。
先進国に対抗する経済圏や共同体の動きはアメリカの政治的経済的世界戦略を否定することによりアメリカ中心の新自由主義の破たんを強めるのではないか。もちろん中国やロシアがアメリカ的な支配戦略を露骨に表せばまた違った状況が生まれて戦争の危機は大きくなるが。
中国やロシアは社会主義の経験をしている。その経験から市場経済を受け入れて新自由主義に代わる新たな指針を示せるかどうかに世界の安定はかかっているのではないか。その指針は途上国としての連帯から貧困をどのようにとらえるかでもみえる中から生まれる社会民主主義でなければならないはずです。国内的にも国際的にも格差を広げざるを得ない新自由主義に歯止めをかけるためには貧困問題の解決が大きな戦略となり、それ自体が新自由主義に野対抗するものとなる中に多くの途上国を結集をさせる力を生むだろう。貧困問題解決こそが観念論的な自由や正義を真の自由や正義に発展させる土台となるだろう。
一方ではアメリカでは格差に対する怒りが爆発をして大規模なデモになり、ヨーロッパではその自由主義的金融共同体という経済的な意味での共同体が崩れ始めている。日本は原発事故を通して国家というものを考えざるを得ない状況を生み出し、それは国家がすすめる増税などを通して国家批判は強まり企業の在り方も考え直さざるを得ないようになっている。もちろん失業や雇用形態そして格差の拡大による貧困問題が大きく表れてきている。
この国内問題から新自由主義は内政という形においても先進国内部から違った社会を求める勢力が拡大せざるを得ないだろう。それはもちろん社会民主主義を意識したものにならざるを得ないだろう。
先進国でも世界においても何かしらの違った社会を求める中での社会民主主義は、今の資本主義を否定をしながらも社会の中における企業の役割の位置づけを変えて市場などをコントロールする形での資本主義の最高段階となるだろう。資本主義らしくない資本主義社会。それは資本主義の量的発展から質的な発展として現れざるを得ないだろう。

【2012年】ツイッターつぶやき
野田内閣の時もそうでしたが選挙後の安倍総裁に言葉にもあるように、デフレ脱却=インフレという言い方が強くなっている。しかしデフレの脱却がインフレなのだろうか?
デフレから一気にインフレなんてことはあり得るのだろうか?
たとえばデフレ状態の中で消費が増えるなどして少し物価上昇の気配が出てくるとき、これをインフレと呼ぶ経済学者はいるだろうか?少しだけ物価が上がってきた状態はインフレではなくて消費拡大による景気の回復という一面を持っているというだけではないか?
物価が下がり続けている原因は、生産性の向上からの商品価値自体の下落です。同じ労働力量を使っても生産性が向上してより多くの商品が市場に出れば商品価値自体が下がっているわけですから値段は下がっていきます。この値段を下げる作用は競争にあるわけですが、いくら競争とは言え価値以下への値下げは行えないはずです。しかし競争は激化するわけですから外国の安い労働力を目当てに生産工場をその外国に持って行ったり国内の労働者の賃金を引き下げていく。このギリギリのところで商品の値段は価値以下になっていく。
今のデフレの現状はこういうことでしょう。
同時に生産性の向上は市場により多くの商品を流すことですから需要供給面からしても値段は下がっていく。ここに競争の激化があるわけで、さらに商品価格値下げ競争で価格は下げざるを得なくなり、更なる生産性の向上を労働賃金の引き下げに頼る。
ある工業製品の生産には原材料や設備エネルギーが必要です。そしてそこに結び付く労働力が必要です。生産性の向上は、これら不変資本や可変資本の値下げを社会的に行う。原材料も安く、設備も安く、エネルギーも安くそして労働力も安く。。。。。そうすると商品価格の値段の下落は連鎖的になり、労働力の消費での総体としての賃金が下がれば市場での消費は冷える。
このような経済的な矛盾の中に市場においての自然な法則的な景気回復などは起こる要素がないわけです。そこでデフレの脱却イコールインフレ論が出る。もちろん景気回復も怪しいわけですから市場においてその法則からはインフレはなおさら起こらないので政策インフレを起こそうとする。日銀の緩和政策に是悪露金利を導入して資金を市場にばらまこうとし、それも限界が出れば今回のように日銀の量的緩和が行われる。これは本来の自由主義ではないのです。本来の自由主義経済ではないから必ず失敗をします。インフレ傾向は金融市場に現れて商品市場はさらに冷え込むでしょう。ここに更なる市場でのデフレと金融市場でのインフレ傾向が同時に現れるでしょう。ある意味のスタグフレーションです。
ここに更なる経済危機が訪れる。
インフレ傾向の金融市場内部のバブル崩壊。商品市場(商業)の恐慌寸前に金融恐慌の危険がはらんでいます。経済の完全なマヒ状態です。

【2013年】ツイッターつぶやき
10万円か、100万円か、1000万円か。。。。。個人差があるにしてもその貯金を一気に使い果たす快楽は相当な喜びでしょう。それは当てもない給料が上がるという前提でそれを信じきっているならその快楽と喜びは本物でしょう。
安倍総理と自民党と公明党のはしゃぎすぎとも言える快楽と喜びもまた国家の、国民の貯金を経済が回復して企業の業績が上がって利益が出て労働者の賃金も上がってそしてそれは国家の借金も減らすという当てもない前提によるはしゃぎすぎにまでいたる貯金を一気に使い果たす快楽と喜びではないでしょうか?ですから安倍総理が国民に対してそして海外に対して自信に満ちて今の日本の経済を誇るのも本物かもしれません。
しかし財界はそんな甘いせつな的な快楽と喜びは信用していないでしょう。ですから財布の紐は締めて子を産まない金は使わない。賃上げや当てもない設備投資などには使わないのです。そこでいきなり国が日銀に国際を引き取らせて日銀が途方もない貨幣をばら撒いてくれるのですから財界も破顔を持って向かいいれるでしょう。しかしどうやってその金を活用すればよいのか。。。。手っ取り早いのが株や金融商品そして海外の国際も含めた投資なのです。株価が上がれば含み益が増えて経営の好調さを演出できるわけですから。ここでの破顔での快楽と喜びも本物でしょう。
でも、国民はそうは行きませんね。。。。。
もちろん賃金も上がるかもしれないという期待感を持ちながらも、最近ではこの期待感に疑念を持ちつつあります。現実には賃上げも一部での企業で、どうも労働の規制緩和はますます正社員数を減らしていき、いつ不安定雇用に落ちるかわからない。体を壊したりして働けなくなってもどうも社会保障は公助から自助になっているわけですから生活の不安定性は増大するし最悪生活保護でと思っても蒼白には許してくれなくなっている。女房でも働いてくれれば!しかし日本の女性の低賃金は最悪の状態である。親の自立も年金制度や公的健康保険や介護保険も負担が増えそうで公助から共助となり子である自分の個人的負担は増えそうで、まさか親に早く死ねともいえない。でも、親の年金は魅力的だなぁ。。。。と。
結局は安倍総理や自民党・公明党がはしゃいで国民の貯金を使い果たそうとしているわけです。その金は企業や富裕層に回ってギャンブル資本主義(ねずみ講的金集め)はいつか破綻する。そうすれば国民は企業や富裕層を助けるためにまた金を使う。
こういう状態に日本があるとするなら、国が国民の貯金を使い果たす快楽や喜び、そして財界が破笑で日銀資金を活用する実態をどう見るべきでしょうか?勤労国民として。。。。。マジで行われる「貯金を一気に使い果たす快楽」社会。
この「貯金を一気に使い果たす快楽」は、何も金だけではないのです。平和主義や民主主義や福祉国家といった国民の権利も戦後作り上げたものを一気に使い果たしていく快楽や喜びになっている。
ここらで日本の勤労国民あるいはマスコミそして有識者が自分のためにも孫子のためにもマジで日本を見つめなおさねばならないでしょう。。。。。

【2014年】ツイッターつぶやき
ハフィントンポストに「「安定した雇用」という幻想。~雇用のリスクは誰が負うべきか?~」という記事がある。
安定した雇用は安定した賃金を生む。安定した雇用は年功序列型賃金とセットとなって。
この日本型ともいえる雇用形態と賃金形態が企業にとってリスクなのでしょうか?しかし日本の高度成長を支えたのがこの安定した雇用(過去規制)と年功序列型賃金であったという事です。もちろんこの安定した雇用と年功序列型賃金は労働者側の要求により総評が中心となって守られてきたともいえる。
しかし派遣労働関連の方によりその派遣社員の職種範囲の拡大が続く中で、この雇用の安定は損なわれはじめそれは同時に賃金の低下傾向をも引き起こした。それが日本型の失われた20年ともつながりいまだにその影響は続いている。アベノミクスにおいて慌てふためいて賃上げの必要性が言われはじめましたが、雇用の不安定さをさらに増大させるような動き(雇用統計で100万人の雇用が増えたとはいえ不安定雇用が増えて正規雇用が増えない現状)が起きているわけですからさらに日本の景気の立ち直りを遅くしていくでしょう。
安定した雇用と年功序列型賃金が日本型ともいえるとするならば、不安定雇用の増大と低賃金化もまた日本型不況を生み出しています。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
男の手料理というほどのものではありませんが、久しぶりにピーマンの味噌炒めをつくりました。
細切りピーマンを味噌で炒めるだけなのですが美味しいです。
味噌は、味噌・砂糖・みりん・酒・七味唐辛子でよく練っておきます。
さっと炒めたピーマンに合わせみそを入れて少し水分がなくなれば出来上がりです。
このピーマンの味噌炒めを炊き立てのご飯に乗せながら食べるのですが、これがおいしいのです。
再考最高のご飯の友。。。。。ご飯が進みます。
勿論日本酒のおつまみにも。

【2018年】ツイッターつぶやき
昨日は早起きをして西伊豆にドライブに出かけました。
ドライブといっても観光地は何度か言って行っていますのでどこもよらずにおいしいものを目当てに。
とは言っても晴れて暖かでしたので駿河湾を挟んだ富士山や海岸の景観などを楽しむことができました。海を挟んだ富士山というのもまた美しいですね。
美味しいもの目当てのドライブの目玉は「塩(潮)鰹」。
正月の縁起ものですから今週から正月休みに入るまでに売られるようです。1本買ってこようと思ったのですが、ものすごく塩辛いものですから食いきれないと困るのでビニールパックされた半身にしてしまいました。1本買ったものとビニールパックされたもの。。。。ううう・・・・ん、味は同じなのか?すごく後悔をしています。
夕飯の時に焼いてみましたが油ものっていてうまかったです。でも、塩分がキツイッ~。。。。。小さな一切れでごはんなら何杯も食えます。日本酒の肴にチビチビかじりました。よく噛むと鰹の風味が出てきて日本酒に合います。
塩分を抜くにはすし酢を作って一晩ぐらい漬けておくといいというのでやってみました。鰹の生臭さを消すためにゆずの皮を少し入れました。今朝つまみ食いをしたら案外うまいです。今夜の酒の肴。。。。。。
塩鰹のふりかけのようなものもありましたので買ってきました。お茶漬けに最高です。
塩鰹以外のドライブの目的の一つが「塩鰹うどん」と「桜葉もち」。
塩鰹うどんはたぶん釜揚げをしたうどんをどんぶりに入れて焼いた塩鰹をほぐした乗せ、海苔、ワカメだったか?、鰹節、カイワレ大根、かまぼこなどを乗せただけのもののようです。おばあちゃんが「豪快にかき回して食べな」というのでさっそく豪快にかき混ぜたら上に乗っていたものがわからなくなりました。熱い釜揚げのうどんと塩鰹の塩分がいいですなぁ。。。。。
「桜葉もち」は塩鰹の田子町から少し車を走らせた松崎も美術館近くにある桜味堂。店内で一つ食べましたがおいしいです。粒が残った餅で餡子を包み、桜の葉の塩漬けを2枚でサンドしたような和菓子です。桜の葉の香りと塩辛さがいい。。。。。
8個入って1080円です。
あとは西伊豆に向かう県道に合った牛乳屋さんで濃くておいしい牛乳を飲んだり(かーねびに登録しようと思っていたのに忘れた)、戸田に立ち寄りタカアシガニの爪や肩の部分だけを買って帰り巻いた。まるまる1匹あるいは太い足というのは持ち帰りはできないようで、食堂で食うしかないようです。幻のカニ。。。。。一度は1匹食ってみたいですなぁ。
平日のドライブはいいですね。観光地もすいているし帰りの高速道の渋滞もひどくないし。

【2019年】ツイッターつぶやき
もうすぐ正月ですなぁ。。。。。
またお節料理づくりに。
2月のガス料金を見るとびっくりしますが、ガスの使用量も上がります。
コンビニも元日ぐらいは休みになるところも出るそうですし、いつも行くスーパーも正月の休みが多くなるそうです。正月といってもいくつかあるスーパーの内一つぐらいは開いていましたが、今年は少し多めに買い出しをしておく必要がありそうです。
政府は働き方改革といっていますが、現実は消費の減少だと思います。客が少なければ店を開けていてもねぁ。。。。
今日は実家のほうへ出かけますが、近くの生鮮食品をそろえたスーパーがありますので少し買い出しをしてきます。といってもまだ黒豆とか昆布とか田づくりとか乾物中心ですが。
今年も8品作る予定です。29日から3日間でささっと。。。。。
明日は冬至ですからカボチャとか柚子も買ってこよう。

【2020年】ツイッターつぶやき
さっき、風呂に入ろうと衣類を脱いでいたら、なんと5枚も着こんでいました。
寒いと1枚づつ着るものを増やして。。。。。
東京も冷え込んでいます。わが家は毎年暖房はほぼ炬燵一つですから。とは言っても脱衣場に電気ストーブぐらいはありますが。
今日は冬至。
カボチャを煮て柚子湯の入りました。
毎年冬至になるとほっとします。あとは年越しで1カ月もすれば春ですからなぁ。。。。。
冬至前の寒さには眉を寄せて耐えていますが、寒さはこれから本番ですが「寒い」という声もどこか明るくなります。
コロナ騒ぎでこの1年は早かったですねぇ。

【2021年】ツイッターつぶやき
明日は冬至なのでカボチャを買ってきたのですが、今年は小豆と一緒に似てみようと思い小豆も買ってきました。一晩水に漬けておくものと思っていたのですが、大納言小豆は水に漬けてはいけないそうです。
コトコトと煮るしかない。。。。。
カボチャなどの野菜と小豆と一緒に煮たものを「いとこ煮」というらしいですが、いとこ=従兄(従妹)?なぜ?
「甥 甥」で従妹らしいですが。。。。。
かぼちゃは夏野菜といわれていますが、なぜ冬至に?
神様にお供えしたものを調理するそうですが、カボチャは日持ちがしますね。でも夏野菜ですからなぁ。現代は保存方法が発達していますが昔はどうしたんでしょ?
まぁ、とりあえず明日はいとこ煮を作ります。
冬至が過ぎるとクリスマスでケーキ作りの予定。そしてすぐにおせち料理づくり。。。。。ウウウ

【2022年】ツイッターつぶやき
命あるもの
六道輪廻を繰り返す
地獄に行って
針の山を歩くのは苦しい
餓鬼となって
人糞を食らうのは苦しい
修羅となって
血で血を洗うのは真っ平だ
畜生世界で野良犬もつらいだろう
人の世に生まれ
思い憂うのもつらいものがある
天に生まれれても
死を憂うだろう
六道輪廻にさまようのは
命あるものの定め

しかし解脱して
仏の世界は無でしかない
思いを起こせば憂いが生じる
思いのない世界は無である
無の世界は退屈だろう
天に生まれれば
思い煩うこともないかもしれないが
唯一の憂いが死とは苦しい

と、なれば
人の世が一番よいのかもしれない
思い憂うから苦もあるが
思い憂うからこそ楽があり
思い煩うから執着もあるが
思い煩うからこそ楽しみもある
だから人は六道輪廻の中に
少しづつ発展をする
この発展は人の世にしかない
発展は永遠に終着駅はないが
終着駅に向かい続けるのが
人の世の定めだろう

六道輪廻は
人の心に。。。。

現実と心
現実世界から降り注ぐ粒子
心が焼きついてしまうようだね

(昔書いたものです)

【2023年】ツイッターつぶやき
東京の粗大ごみ処理場が火事になり粗大ごみが山になっているそうです。原因は処理過程でリチウムイオン電池が発火したためだそうです。破損する時に発火する素材が燃えてしまうようですね。
リチウムイオン電池はスマホなどやおもちゃなどいろいろなものに使われていて謝って粗大ゴミに出してしまうと危ない。回収も進んでいるそうですが、粗大ごみに紛れ込んでしまうことは避けられないのでしょう。
リチウムイオン電池は電気自動車やハイブリッド車にも使われているそうですが、事故などで破損した場合は危ないのでしょうか?事故で燃えたというニュースは聞いたことがありませんが。しかし電気自動車のリチウム電池の処分は社会問題化しそうですね。
コメント
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「12月20日という日」

2024年12月20日 07時52分47秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
寒い一日でした。北関東は大雪注意報。北関東からの冷たい空っ風が東京にも来ます。窓ががたがたいうほど強い風。。。。
暖かくして寝なくては。。。。

【2004年】
「いとしい」
        幻灯舎文庫
        川上 弘美  著
川上さんの長編小説です。
語り手のマリエには姉のユリエがいる。
父親は早く死に、二人目の父親は春画の絵描きであった。幼いマリエとユリエはその春画を見て二人で真似をする。マリエは長く伸ばされたユリエの髪に絡まってしまう。美しくもどこか性を感じる書き出しである。
マリエとユリは成長していく。
マリエは大鳩女子高等学校の先生となる。
「ミドリ子のとりとめのなさは、大鳩女子高等学校のとりとめのなさに似ている。」ミドリ子はマリエの生徒である。
このとりとめのない人間はミドリ子だけではない。マリエユリエ姉妹もとりとめがない。作品中にはたくさんの登場人物が出てくる。母親、父親、二人目の父親、その弟子のチダと春画モデルのマキ・アキラ、ミドリ子の兄紅朗、ユリエの夫オトヒコ、ミドリ子に思いを寄せる鈴本鈴朗。すべてがとりとめのない人間である。
とりとめのない人間が集まっているのでこの作品もとりとめのないままに進む。このとりとめのない人間たちの恋・愛をとりとめもなく描いていく。母親とユリエそしてミドリ子はチダに恋をし、後にミドリ子の恋は兄の紅朗へ、そしてマリエも紅朗に恋をする。チダと鈴本鈴朗はミドリ子に恋をし、ユリエはまたオトヒコに恋をする。マキとアキラは死ぬが寝床持参の幽霊となり集画のポーズをきめる。
「とりとめのない」という言葉は、まとまらないというような意味であるらしいが、つかみどころがないとか自然のままに流れるというような意味にもこの作品からの印象として受ける。
登場人物のそれぞれの恋や愛は、通常の小説のように心ときめいたような劇的な恋や愛ではない。やはりとりとめのないままに引き合う恋や愛である。恋する気持ちや愛する気持ちにはつかみどころがなく、自然な肉体関係がある。常識的な恋や愛とは違うものがそこには描かれる。だからとりとめもないのである。
この作品の題は「いとしい」であるが、登場人物それぞれの恋や愛は、単純に恋や愛とは呼べずに、このいとしいではないのか?男女間のいとしさという心の動きがとりとめがないのである。だからこの作品は、大人の恋や愛を表現したものではなく、とりとめのないいとしさを表現したものと思われる。ここではなぜ恋をしたかなぜ愛したかは問題とならない。いとしさから引き合う心の動きが自然なままに表される。いとしさという心の動きは、心そのものであるからつかみどころがないのである。
「オトヒコ君は食べ物を食べたいから食べるのではなく、食べなければならないから食べるのでした」
実際の社会に生きる人間の恋や愛は、その人間を取り巻くさまざまな社会的な条件にかかわりながらあります。いとしいという感情は、これらの社会性のすべてを抜きにした純粋なものかもしれません。社会性に縛られないで好きにならざるを得ない、愛せざるを得ないそんな感情。
いとしいという言葉は深いものがあります。
自分が幸せになりたいとか、いい暮らしがしたいとかの打算が入らないからいとしさにとらわれたらその先はどうなるのかわかりません。心中に走ることもあるでしょう。社会的な批判を浴びることもあるような恋や愛になることもある。倫理にはずれることも。「いとしい」に登場する人物たちの恋は幸せとはいいがたい。しかしその恋に走ってしまうのはいとしさにあるのでしょう。
社会性からあるときには離れたものとしてのいとしいという感情は、心の葛藤を生みます。川上さんの不思議な世界はこの心の葛藤を具現化したものではないかと思います。いとしさを感じる対象は男女間だけではなく、人の中でも同姓にむかうこともあり、近親者に向かうこともある。森羅万象のすべてのものに向うこともある。ここにも川上さんの作品の不思議さが出るのではないでしょうか。
心の中は意識に逆らってさまざまにめまぐるしく変化をします。川上さんの作品中の変化は特徴ですが、これを心の動きとしてとらえてはどうか。。。。
「いとしい」を読んでさまざまな憶測もしてしまいます。
この意味で「いとしい」は、僕にとっては川上さんの作品の中でも重要かと思います。

明日は冬至。この日記も冬になります。
少しづつ日が延びていくのだと思うと気分も晴れますし、寒さも我慢できそうです。
そういえばまだ大掃除の日程も決まっていません。台所の換気扇がだいぶ古くなってきたので交換しました。この時期の出費は痛い。。。でも、大掃除での換気扇掃除は省けるのでうれしいです。
だいぶたまってきた女性作家の本。どこか片付けるところを探さねば。山積みにしてあるのでまた参照したいようなときに見つけにくいです。
娘が年末年始のテレビ番組が載っている雑誌を買ってきました。12月ももう下旬、何だかだんだんせわしなくなります。

【2005年】
(記事なし)

【2006年】
昨日も今日も。。。。関東は「晴れます!!」というテレビの天気予報。
まぁ、まったくのはずれというわけではないけど。。。。
嬉しくなって布団を干すぞ!!と思ったら晴れ間はほんの一時。今日も午後遅くなって少しの晴れ間。今日は台所近くの出窓のカーテンを洗濯。どうにか乾いたけど、天気予報に期待したほどには晴れ間は少なかった。
だいぶ前にテレビで天気予報を売る会社があると聞いたが、やはり正確な天気予報を得るには金を出さなくてはならないようだ。テレビでは今日の天気、さえあまり宛にはならない。。。
最近、スーパーなどで「アルカリイオン水」という洗剤をみる。または、アルカリイオン水に重曹を入れたものもある。
界面活性剤不使用とあるので安心かなと思い、重曹の入ったアルカリイオン水を買ってきた。シュッシュッと吹きかけて風呂の浴槽を洗ったらヌメリなどはきれいに落ちるようだった。でも、一応注意書きを見ると、洗剤と同じように使ったほうが良いように思ったのでよく水で流した。まったくの水のようなので気楽に使えそうだが一応は気をつけよう。。。。
レンジ回りにも使ったけど案外油も落ちるようです。
昨夜は忘年会でした。。。。
酔っ払って快速(急行)電車に乗ったら、眠ってしまい2駅先まで行ってしまいました。あわてて戻りました。それにしても確か8時過ぎに電車に乗ったはずなのに気づいたときには10時になっていた。2駅先に行ったにしても2時間はかからないはず?
ううう。。。。空白の2時間(笑)
もしかして終点まで行ってまた戻ってまた行過ぎた?
酔っ払ってわけが分からん。。。ううう
まぁ、無事に家には帰りつけたのでよかったけど。。。ガッハッハッハ・・・・

【2007年】
夕方、車まで10分ほどのところに安い洋服やさんが出来たので行こうとしたら、娘も行くというので一緒に行きました。
なんと僕の買おうとしたシャツが。。。。。むっフッフッフ・・・・1000円しない。2枚買い帰ろうとしたら娘も買うというので見て歩きました。
長袖Tシャツ2枚、ジーパン、モコモコのトレーナーのようなもの、ダウンのジャンパー・・・・うううう
ハハハ・・・それでもちょうど1万円ぴったりでした!!
うん?僕の物は2000円という事は。。。。。ハハハ
ううう・・・・

【2008年】
鍋焼きうどんの具は半熟卵と分厚い衣の海老天が入っていないとだめだ

春のオルガン
                            新潮文庫
                   湯本 香樹実  著
1995年徳間書店より初版発行。2008年新潮文庫より文庫化
文庫で読みました。文庫版には湯本さんの「あとがき」がありますが、初めの作品を改稿しての文庫化だそうです。大幅に改稿されたのか?
小学校6年生ごろだったろうか?
親戚が集まり雑談の中に僕の将来について両親や親戚が話していた。何も深刻な問題ではなくて「どんな職業に就くか」「勉強しろ」といった軽い雑談だった。「硬い職業」に就かなければと大人の常識の中の話だった。その夜、寝床に入ってからその大人たちの話を思い出した。そして空想した。学校を出て「硬い職業」に就いた僕がいた。いつか結婚をするのだろうか?子供がいる家庭があるかな。そして僕も両親のように年をとるんだろうなぁ。。。。そしてその空想の先に恐ろしい未来を見た。「僕もいつか死ぬんだろうなぁ」と。
漠然とした空想は必ずやって来る現実としての死に結びついた。
その夜、僕はまったく寝付けなくなってしまった。
そのときからだったと思う。本を読み出したのは。
もちろんそれ以後は平々凡々と死などを忘れて漫然と生きてきたのだが、ある時一瞬この小学校のときの死の恐れを思い出すことがある。死は人をまじめにさせます。あせっても仕方ないが何かをしなければ。。。。かといって僕のような人間は何もできない。でも、死は必ずやって来る。
湯本さんの作品は何冊か読みましたが、湯本さんのどの作品もこの人の死が出てきます。湯本作品は、死を見つめる中にその死と生きる人の接点が描かれます。「春のオルガン」は、ジャンルとしては児童文学に入るのかもしれませんが、青年期も含めて子供や青年に死を見つめさせる中に問いかける湯本さんがいる。死は人をまじめにさせると先に書きましたが、どの作品を読んでも人の死を通した今生きる自分を考えさせてくれる作品です。
主人公の桐木トモミは、小学校の卒業式も終わり中学校入学前の春休みを過ごします。おじいちゃんと両親そして弟のテツと暮らします。おばあちゃんは病気の末に亡くなりました。
どことなく僕が子供のころのような風景を感じる時代を感じます。その風景に大人としての僕は自分を重ねてしまい、その郷愁の中に読みすすめました。それは湯本さんご自身の郷愁でもあるのかもしれません。自分が子供だった頃。。。。そして今こうして生きている自分がいる。子供の頃に空想した通りかは別にしてこうして遠い未来としての空想の中の自分がここに生きている。この感じ方を通してこの児童文学は大人にとってもいま生きる自分を見つめなおすことができる作品ではないかと思います。
どこの家庭も絵に描いたような幸せな生活の中にあることはない。そして子供にとってはその家庭を作っているのは大人の家族である。子供である自分が大人の世界を知っていく中に子供の精神的な成長があるわけです。トモミは、そんな大人の世界が見えてくる年齢です。
大人の社会は学校の教育で教えられるような社会ではない。大人といってもその社会の中に生きてその常識の中に生きる。この真の大人社会を見つめることも成長となるでしょう。
では、人の死という避けられない事実、大人の両親が作る過程、世間という社会の中に生きる現実の大人の姿。。。。これを見つめる中にいるトモミ。そのトモミ自身もその大人の社会を知りはいっていく苦しさをどう受けとめたらいいのか?
これがこの作品の主題となるわけです。
トモミは、病室で危篤状態の祖母の苦しみを見て、おばあちゃんは早く死んだほうがいいよと思ってしまう。そしてその気持ちどおりに祖母がすぐに亡くなる。もちろんトモミは祖母が早く死ねばいいなどとは思っておらず、その苦しむ姿に怖さと救いを求めるの中からのやさしさである。しかしトモミはその自分の心がわからずに祖母の死を自分のせいと思い悩む。
隣家との境に塀を作ったが、隣家への遠慮から敷地の内側にそうとう余裕をあけて作った。しかしとなりの老人はそれをよいことに桐木家の境から入り込んだところに自らも塀を作る。この大人のずる賢さと損得勘定。これは大人社会を象徴しているだろう。それに対してトモミの母は怒り、その怒り方が家庭生活の中にも入ってくる。そんな妻を持つ父は嫌気を覚えてアパートを借り手で提起家にはたまにしか帰らなくなる。祖父は。。。。春の庭先に古いオルガンを出して直そうとする。そのオルガンはトモミの母親が小さい頃に使っていたもの。弟のテツは、母親の怒りを見て、隣の爺さんを懲らしめようと隣家に死んだ猫を入れる。
知美の家庭とトモミを取り巻く社会。幸せな家庭とはいえない。トモミの心の中は揺れ動く。何も解決されない中に心は不安定である。しかし変質者がトモミの胸をつかんだ。心に何の解決も見出せないが、体は大人になっていく。
作品の前半はこんなトモミの姿が描かれます。
そして中学校入学をする前の2週間ほどの春休みという時間の流れの中にトモミが見つけ出したものは。それはこの作品をぜひ読んでいただきたいと思います。
祖父は何も語らずにゴミ置き場になっているところに捨てられたバスの中でトモミやテツと一晩を過ごす。そこに集まる捨て猫が死ぬ。
その死んだ捨て猫をテツが隣家の庭にまた入れようとするが、爺さんに見つかる。怒った爺さんが倒れてしまう。それを見たトモミとテツの怖さ。猫という死を利用しようとしたこと。爺さんも生きているということ。
母親が父のアパートに寝ている。トモミが今まで見たこともないようなきれいな母親が寝ている。なぜ?父は家に帰る。なぜ?
2週間という時の流れの中に祖父が直そうとした春のオルガンは二度と鳴ることはなかった。
トモミは言う。。。。
「どうしようもないことってあるよね」(217ページ)
そう。。。。大人になっていくというのは、どうしようもないことを知ることだったのかもしれません。
人の死も人の行いも。
でも、これはあるがままに受けとめると同時にそのどうしようもないことを悲しみとして受けとめることではないかと思います。悲しみを意識するとそこに人の持つ温かみを求めます。怒りや自己嫌悪、ねたみや優越感。。。。。こういう感情としてどうしようもないことを受けとめるならそこに解決はありません。悲しみと受け取ることだけが暖かさを求められます。
そして。。。。
「どうしようもないかもしれないことのために戦うのが、勇気ってもんでしょ」(217ページ)
この勇気も悲しみの中にしか見出せないものかもしれません。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
出稼ぎといっては言葉は悪いが、野球選手やサッカー選手が国外で活躍をされ高額の所得を得ています。日本でも同じような所得は得られるのでしょうが、外国で活躍をしたいというものが強いし本場で活躍できれば評価も高くなります。このようなものはスポーツ選手だけではなくてノーベル賞を受賞された学者もアメリカの大学の研究機関であったりします。また、寿司職人の方が日本食ブームということもありますが国外で活躍をされているとか。中小企業も今はその技術力を生かして中国に進出をしている。
今朝の朝日新聞を読んだら、中国の賃金水準は高くなり、中国国内では日本人の給与水準に割安感が出始めているといいます。逆に中国人の才能ある労働力は日本がほしがるようにもなっているそうです。
優れた人材作りは将来的には国内に高い技術力を作り上げていきます。そしてそれは経済に現れてその国の発展にもつながります。この視点から見て、優れた日本人あるいは優れた技術そのものが国外にその活路を求めて出て行く。そして国内でも優れた外国人を求めていく。これは経済のグローバル化というものにもあるのでしょうが、このような現象がなぜ現れてきてしまったかが問題なわけです。日本の将来を見れば。加速度的に日本は衰退をしてしまいます。
大企業はその生き残りや利潤確保のために労働力を買い叩きます。それは高い技術力や能力を持つ人にも及びます。中小企業も大企業にその生産されたものを買い叩かれる。縮小経済による生き残り策は、国家の政策によって保障される。このような状態ならば、中国の優れた人材も日本を敬遠するでしょう。日本人も逃げて出稼ぎに行く。中小企業も中国に移る。
その中で高齢化社会だと言って、高福祉高負担がささやかれる。しかし高負担の必要性は言われ消費税増税がまな板に乗せられようとするが、将来の高福祉のビジョンが何も国民の目には見えず。見えるのは国家財政の窮乏の中でも法人税減税という企業中心主義である。高い福祉を求め高い租税を拒むのは許されないといいますが、高い福祉のビジョンがどこにあるのか。税金も払わないで福祉を受ける食い逃げとまで言われるが、下手をすれば今の日本の現状は、高い租税を求めて福祉はないがしろという食い逃げのほうが心配になる現状である。
高福祉高負担は、高負担を企業が認めることにもある。経営責任を明確にする中での経営破たんの責任を役員や株主までもが負うような厳しさがなければ国民は高い租税に納得しないだろう。
二大政党制はその矛盾を表し国民は無党派層がどんどん増えている。企業の生き残りは激しくなり、国民の疲弊は強まる。民主主義は形骸化していく。自由の夢は削がれる。そのうちに日本人の夢は中国企業に採用させていただくこと!!となっていくだろう。日本人は案外柔軟だからそれはできる。一方において国家はいつまでも中国の民主化を言って批判が先行していく。このちぐはぐさ。。。。。。強がりと政治不在による衰退は国民に自虐さを生んでいく。

   消費税租税滞納状況 (国税庁)

今はどのくらい累積があるのだろ?
時間があるときにまた最近のものを調べて見たいと思うのですが。。。。

【2011年】ツイッターつぶやき
昼下がりの静かな電車に乗った。窓から差し込む日差しが暖かい。
座席はほぼふさがっていたが一つだけあいていたので座って本を開いた。
電車は鉄橋を渡って駅に着いた。
数人の人が下りていく。そこに入ってきたのだ。。。。ううう
三人のおばちゃんがどやどやと入ってきて僕の前の席に並んで座った。そして機関銃のようなおしゃべりが始まったのだ。3人そろえばやかましい。。。おばちゃん。絵に描いたようなおばちゃんたちが一人ひとり機関銃を放つのだからすごいことになる。
「今の若い女の子はどうしようもないわよね・・・・」
「そうそう、若い男の子の方が素直よ・・・・・」
「そうよねぇ・・・うちの嫁なんかも同じよぅ!!」
「そういえばあそこの奥さん・・・・」
「えっ?どこのどこの!」
「ああ、あそこの奥さんよね・・・・」
永遠と話題は移り変わり永遠に口が動く。回遊魚は泳いでいないと酸素を補給できないそうだがおばちゃんたちはしゃべっていないと空気を吸えない。
もう本は読めない。。。。。
僕の隣に座って新聞を読んでいた親父も経済新聞をたたんでカバンから携帯を出してイヤホーンで音楽を聴き始めた。
どんよりと数駅おばちゃんたちの口の動きに目を奪われていたら、一人のおばちゃんがじゃぁまたねと降りて行った。残されたおばちゃん二人はしばし静かになった。
しかしそこに隣の車両から一人のおばちゃんがどたどたと入ってきた。
「隣の車両に乗っていたのよ!混んでいたもんでこっちに来れなかったの。ごめんなさいね」
とまた三人がそろってしまった。
「今も話していたんだけどさぁ。。。。」
またおしゃべりが始まった。
ううう。。。。

【2012年】ツイッターつぶやき
日銀が金融緩和を決定したという。
すでに限りなくゼロ金利なわけですから、そこで量的金融緩和?
銀行から国債を買い取ってその資金を金融市場に流す。このこと一つ見ても選挙後の自民党安倍総裁の発言から円安・株高が起きていますがこれは安定性に欠けるものだという証明でしょう。
量的金融緩和は、この円安・株高を支える形になるのでしょうか?
何の経済的基盤がない株価や政策インフレからくる円安にいくら資金を投入してもここから国民生活には恩恵は回らないでしょう。
結局はデフレ克服から雇用の増加や国民生活の向上というものは無視をされたもので、デフレ環境は変わらない中での人為的インフレが。もしかしたらインフレターゲット自体無理なのでは?そして円高がすぐにやってくる。株価インフレ?バブル的な投棄?

【2013年】ツイッターつぶやき
今夜はしゃぶしゃぶでした。。。。。
男の手料理といえるものではないですがしゃぶしゃぶにはうどんですね。〆のうどんは味覇にきざみ長ネギとコショウをおわんに入れてそこにしゃぶしゃぶの出しの出たスープを入れます。もちろんうどんはしゃぶしゃぶの残りの湯でゆでます。
かなりおいしくてうどんが進みます。

「デフレではないがデフレ脱却でもない」日本経済。
政府月例報告で「デフレ」という言葉(表現)を削除したという。しかしデフレ脱却を意味することではないと。
これはどういうことかといえば経済が順調に回復しているということではなくてアベノミクス事態にデフレの危機が内在していると見たほうがよいのでしょう。
デフレという表現を削除したのも消費者物価が上昇していることを見ての判断です。しかしこのデフレを物価からしか見ない皮相的な見方でしかなく、デフレの原因を見ないから悪性の物価高でもデフレからの脱却となる。この悪性の物価高こそがデフレ圧力を内在しているのです。
このデフレ圧力を回避するために政府は政労使の会議を開き合意文書を作成して『「経済の好転を企業収益の拡大につなげ、それを賃金上昇につなげていくことが必要」と強調した』という。
そして日銀は追加緩和を続けざるを得なくなっておりアメリカが緩和の縮小に向かう中日本はその出口が見えない状況にある。
しかし「経済の好転を企業収益の拡大につなげ」というが日本は双子の赤字化または三つ子の赤字化に向かっている。円安と消費増税は個人消費にかげりをきたし、何よりもアベノミクス自体が最近では中間層への負担増を加え始めて社会保障は後退をさせ、今日も高速道の割引の廃止のニュースもあったが社会サービスの値上げ、公共料金の値上げが加わる。企業も利益拡大のための『賃金コスト論』廃止きれないでしょう。
このような状況の中での『デフレ』削除は政権の国民に対する欺瞞となりかねない。

【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2015年】
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
日米同盟が狙うのは中国の孤立化であるかないかは今のところ判断はできない。経済戦争は同盟内にも起きる。
個々の国々の対立は対立だけではなく強調にある。対立のためには協調が必要であるといってもよいだろう。
しかしこのような混沌とした世界がどこに向かうか、集約されていくのかは歴史の法則に沿って行くだろう。法則は偶然により貫徹される。超保守とも思われる安倍総理がロシアとの関係において今回の会談のように、ロシアから見れば日本の歴史手変化に向かう。これは偶然であると同時にその偶然がロシアとの平和条約という必然に向かったのである。
世界全体の歴史の法則性からどこに向かっているのか?
それは衰退するアメリカ後の世界の模索が始まっているということである。
ヨーロッパは内部に混沌さがありながらもその維持を図っていくでしょう。中国やロシアもアメリカ語を考えている。途上国のアメリカ離れも進むでしょう。
その中において日本も例外ではない。
日本の改憲勢力もアメリカ後を考えているでしょう。
日本は北方領土の解決をロシアとの良好な解決に求めた。これはそうならざるを得ないから安倍総理はそこに向かったのである。これと同じように尖閣諸島や竹島問題もその解決はロシアとの交渉と同じように進まざるを得ないでしょう。
尖閣諸島の地下資源や水産資源の共同開発。竹島の日韓親善の島化など、そのような解決しかないのである。
そうしないとアメリカ後における日本は孤立をするでしょう。
日本は戦後の秩序の中で改憲は絶対にしてはならない。
アンリかごの経済圏としては、極東アジアの力が大きくなるでしょう。
そこには日本・中国・ロシア。朝鮮半島がある。そこにASEANが統合していくでしょう。
これが日本の発展の条件である。
アメリカの軍事行動には限界が来ている。それは経済問題である。
世界の憲兵はもう世界に必要ないのである。
アメリカ後を考えた場合どうしても欠かせないのが平和主義である。
ロシア・中国・韓国との領土問題そして北朝鮮問題の平和的解決が世界の平和主義の見本となるでしょう。その意味においても極東が世界の中心となる。

【2017年】ツイッターつぶやき
今年の夏植えた元気のなかったインパチェンスを鉢植えにして窓際の暖かいところに置いています。
夏の間につけていた葉っぱや花は落ちて新芽が伸びています。10日に一つぐらい小さな花も咲きます。
最近の東京の寒さにもだいじょうぶなようなので春まで元気に育ってほしいです。
今年の夏は元気がなかった分来年の春から夏にかけて元気に花を咲かせてくれると嬉しいです。
去年は冬の間ヒャクニチソウの芽を室内で育てていたら、5月ぐらいまで元気に育ち外に植えたらたくさんの花を咲かせました。
冬の間一輪づつでもいいから花を楽しめるのはうれしいです。
インパチェンスがあと2,3日中には花を咲かせると思います。

新幹線に台車の亀裂が見つかったという。写真を見ると大きな亀裂ですね。
そのまま走り続ければ大事故につながったという事で重大インシデントにされた。
新幹線も安全神話というものがあるが、この神話は福島原発の事故での安全神話と同じ性質のものではないかと思う。
福島原発事故では津波が予測されていたし非常電源の問題も出ていた。
新幹線の台車亀裂では止めることをせずに走り続けさせた。
このような企業体質が日本には存在をしている。
今年は企業の不祥事が続いたが、これもまた企業体質でしょう。
過労死問題をはじめ、ブラック企業というものが表面化をしてそれも巨大企業にも及ぶようになっている。今年の流行語大賞に選ばれても不思議ではないと思ったが、さすがにこのような流行語はまずいという事でしょうか。
日銀の独立性は失われ、銀行の収益は圧迫されてリストラ騒ぎ。
政治と政治家の劣化もそして官僚の劣化も見られる。違法性の高い天下りがまだ完了の中に残っており、忖度は官僚の資質のようなものと見えるようになってきた。政治家とカネは政務活動費も含めて首相への疑惑にまで広がっている。
日本経済は国際的な景気の回復により持ち直されはじめているという。安倍内閣も豹変をして中国の一帯一路にすがるようになってきた。中国との競争に敗れたとは言わないが中国への依拠は確実でしょう。
政治面ではアメリカへの従属がはっきり見えてきた。沖縄の基地や地位協定の問題に対して日本は何もできず、日米同盟では完全に戦争を拒否できなくなるまでにアメリカへの追随を許した。
この国や企業の体質を見ると、いよいよ日本はデフレ不況に陥ったと見たほうがいいでしょう。
物価が下がり続けるという意味でのデフレだけではなくて、そのデフレをインフレに向けようとするバカげた経済対策によりデフレだけではないデフレ不況に落ち込んだという事です。
だからこそ企業はブラック化もいとわずに先の見えない目先の利益に走り、政府は社会保障の切り下げと増税に走り始めた。
これが現在の日本という国の体質になってしまった。体質改善は行えない決められる政治がある。
この国家の体質の中で国民の意識や心も大きな変化が出ている。
ヘイトというものが言論の自由だというような論理も出ていた。ヘイトでも、バカ、死ねでも言論の自由というおかしな減少と裏腹にものが言えない状態もつくられた。企業も国も力により社会を動かすことが正当化された。国民もヘイトやバカ死ねという力で社会が動かされるようになった。
沖縄でのヘリコプターからの窓枠落下にしても、そんなところに学校があるのが悪いというような論法が大手を振って語られる。
この現在の国の体質を正当化させるのが改憲でしょう。

【2018年】ツイッターつぶやき
昨日は妻と東京都美術館で行われているムンク展ー共鳴する魂の叫びを観に行きました。うん、鑑賞というほど絵には疎い僕ですから「観に行った」というよりも「叫び」を「見に行った」という程度です。
時々有名な絵が来ると妻と見に行っています。
ムンクの若いころの自画像を見ると端正な顔立ちであの「叫び」を書いた人?と一瞬戸惑いました。写真も多く映していて。今でいう自撮りをしたものがたくさん残っているそうです。写真も素敵な青年です。
19歳から若いころは自画像を多く書き家族の肖像も残しています。お父さんが今?で新聞のようなものに目を通した絵は家族の暖かさを案じます。
このような絵からなぜ「叫び」のような絵が生まれてくるのか?
ムンク展ではこの辺の変化がムンクの生活を通して見えてくるのではないかと思いました。
少年のころに母親を亡くし姉を亡くす。たしか妹も若い時に亡くなっていたか。
ムンクと死は切り離して考えることはできないようです。
家族の暖かさを感じる肖像画が死というものが忍び込むことにより暗い絵となっていきます。臨終の絵では死神のような顔が出てきて、壁には霊のような顔が浮かび上がる。
「叫び」というタイトルの由来を
「ムンク自身は「自然をつらぬく叫びを聞いた」と語っています」(朝日新聞
「自然を貫く叫び」これの大きな存在が死でしょう。雲は血です。
ムンクの心にもう一つ影を落とした「自然の叫び」が愛と性でしょう。一人の女性との出会いと苦悩そして別れ。嫉妬や妄想などが渦巻く世界。
ムンクは酒浸りの生活になったそうです。
そこからムンクの絵も幻想的な象徴的なものになったのではないかと思います。
立ち直ったムンクは身近な人の肖像画を描く。自画像も書きますが晩年の部屋にたたずむムンクは先に書いた父親の肖像に近いものがあります。
ムンク展はムンクだけの絵を展示してあります。見ごたえがありますよ。絵のわからない僕でも楽しめました。
ムンクは多くの文章を残しているそうですが、絵について残した言葉を集めた本を買ってきました。
第三水曜日は65歳以上のシルバーは無料です。多くの年配者が見に来ていました。

【2019年】ツイッターつぶやき
静かに陽が昇る
冷たい太陽
僕は窓の空を見る
四角い空は輝き
高く薄い雲は漂う
四角い空を電線が切り
電線は北風に震える
木立の小枝は空に向かい
静かに北風に揺れる
北風は南に向う。。。
僕は吸い寄せられるように
窓を開けベランダに出た
四角い空は大きく広がり
行く雲はゆっくりと流れる
心は行く雲。。。
北風が僕を包み渦となる
渦は広がり僕の翼となった
北風の翼は
冷たい空気を切って舞いあがる
北風は南に向う。。。
心は行く雲。。。
(何の記事も思いつかないので昔のホームページから。)

【2020年】ツイッターつぶやき
コロナ下の経済を考える場合、その経済の根本となるのは、医療や生活に必要なインフラをどのように守るかにあると思います。ここが守れなかったら社会活動そのものが成り立ちませんから経済も破綻をします。
コロナからこの基本的なインフラなどを守るにはGo Toのような経済活動は税金のバラマキでの効果は一時的にあるでしょうが、結果は現在の様に感染拡大が起きてまた飲食や旅行業などは成り立たなくなります。そしてその感染拡大は社会のインフラや医療を支える労働者にも広がる危険性を帯びています。
かといって社会インフラを守るだけでは経済は成り立たないことも事実です。
Go Toのような感染拡大を起こしながらの税金のバラマキが間違いならどのような方法があるのか?
その一つが人の移動による密集を少なくするために分散が必要です。
一番よい例が日本では年休を自由に取得できない代わりに連休が多いですね。するとその中でGo Toなどを行えば必ず連休中に人が密集します。連休に仕事が休みになっても遊びで人が密集してしまう。この人の密をなくすには分散が必要でしょう。
日本の労働者は休暇が10日から20日ありますがそれを消化できずに連休で楽しむ。これを連休をなくして休暇を25日か35日にして完全消化をすることによって旅行なども人の移動や密が分散されるでしょう。もちろん夏のバカンスや年末年始はなくすことができませんが、それをどうにか分散をさせる必要があります。夏休みなら7月から8月に分散をして休暇を取得するようなシステムが必要です。
また土日の人の密集もありますが、役所や銀行そして企業は何も一斉に土日に休まなくてもいいんです。むしろ年中無休にした方が社会は効率的になります。シフト制などにより出社の人数をお抑えながら分散することが必要です。
学校も少人数教育が進むでしょう。
無理でしょうか?
でも、社会インフラを守る企業はすでにこういう分散した働き化をしているのです。
人の分散が行えれば繁華街の人でも分散されるでしょうし、通勤電車の混雑も少しはよくなるでしょう。観光地も宿泊施設も。
これぐらい行う準備がないと社会は疲弊していくでしょう。

【2021年】ツイッターつぶやき
以下ツイッターからです。
煙草税の実態
同じように高い税率であるビールに比べてもかなり高い税率で、ウイスキーと比べれば2倍以上の税率です
この高い税金に対しても消費税が加算される
580円の煙草の内357円が税金です。そこに消費税が加わり約400円の税
これを利用しているのが禁煙運動
いしだ壱成さんの困窮生活と離婚が報道されましたが、その中で困窮生活でのたばこ代3万円が問題視されています。
しかしたばこ代が問題だとみてしまいますが、本来のたばこ代は3万円の中の40%弱でしょう。60%以上が税金でそこに10%の消費税。
批判としては生活が困窮しているならタバコを吸うなに近いものがあります。ここが禁煙を貧困層から進めようという意図があるのです。
しかし働いているサラリーマンの平均的なお小遣いから見れ3万円のたばこ代の負担はどうでしょう?貧困がどうのという問題ではないでしょう。
禁煙運動は高い税率を利用して禁煙を進めています。タバコを吸わない方は別に問題にもならないのでしょうが、タバコに比べれば税率は少しは低いとしても非喫煙者でもビールを2本飲めばたばこ1箱以上の消費となりその税額はかなりの負担です。貧乏人はビールを飲むなとなります。
非喫煙者から見れば喫煙者は高い税金を取られて馬鹿ではないかと見えるでしょうが、同じ嗜好品でもビールを飲めば喫煙者と同じ立場です。
喫煙者を馬鹿にしている場合ではないですね。
金がないなら嗜好品であるタバコもビールもやめろと言うに等しい社会。

【2022年】ツイッターつぶやき
日銀は長期金利の許容変動幅をプラスマイナス5%0.5%にした。これは利上げではなく出口に向かうことではないとした。
しかしすぐに長期金利は0.46%に上昇をし、132円と円高にもなった。そして株価は一時900円下がった。
利上げではないとするが実質的には利上げとなったのでしょう。
日銀は利上げではないからこれからも物価目標2%に向けて金融緩和は続けるという。
経済の好循環からのインフレを目標とするが、実質的な長期金利利上げ5%は引き締め効果をもたらす。互いに矛盾し合ったものが混とんとしはじめる。
日銀が出口に向かうには経済が低調なので向かうことはできない。しかし円安が続く中でさらに経済の足を引っ張る。そこで利上げが必要となるが金利を上げることもできない。
ズルズルと長期金利の許容変動幅という言葉で利上げ傾向が続く。
もともと経済は低調なのですからデフレ圧力は高まるでしょう。

【2023年】ツイッターつぶやき
先日も書いたのですが、知人から庭でなった柚子を大量にもらいました。
さっそく柚子ジャムを作り毎朝ヨーグルトの入れています。
皮を千切りにして冷凍しました。正月のお雑煮に入れたいとお見ます。
先日春菊のかき揚げそばを作ったのですが、その上にも少し散らしました。
昨夜は残っていた塩鮭をほぐして炊き立てゴハンにまぶしましたが、そこに柚子の皮を細かく切って一緒に混ぜてみました。
残った実はジュースにして飲んだり、風呂に入れています。
そういえば明後日は当時ですなぁ。
少しもったいないですがゆず風呂にします。
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「12月19日という日」

2024年12月19日 07時49分21秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
もうだいぶ乗っているので新しい車がほしいです。
そういえば、このところ釣りに行ってないなぁ。そろそろカレイのシーズンです

【2004年】
先月の初め、新宿の紀伊国屋書店に本を買いに行ったのですが、紀伊国屋ホールで面白そうな演劇がありましたので前売り券を買い、今日観てきました。
NYLON100℃という劇団の「消失」という演劇です。
NHKの新撰組に出演していた八嶋さんと大倉さんが出ています。
世界戦争の後のロシア?が舞台です。戦争とテロによってまた空爆が始まる。。。。今の世界を批判しているのでしょうか?「消失」は記憶の消失ですが、そこでは愛の記憶も消失されます。悲しいお話でした。
しかし、猿人は絶滅したが、その後5万年後に新たな人類が現れたと。今の人類がおろかにも絶滅してもまた5万年後に新たなもっと頭のいい人類が現れるのか。。。。政府の八嶋演じるスパイが謝るところが素敵でした。
昨日の日記で、診察をちょろまかした印刷局の公務員を国家の問題として書きましたが、少し飛躍しすぎかと思ったのですが、新聞の社説で同じようなものを読みました。同じ視点であったことに安心しました。
その社説には「現場力」がなくなっていることが機器だというようなことが書いてありました。管理する人間たちのうちにいいかげんな人がいてもまじめな管理する人と現場で汗を流す人達がいれば大丈夫だった日本も、今はその現場力が怪しくなっているとのことです。
現場力は、未来に希望があるからこそ少しぐらいの矛盾があっても頑張れる。しかし未来に希望が持てなくなった社会にはこの力が働かないのだと思います。
「消失」のように5万年後の新しい人類に気体をしなくてもいい。今の人類が頑張ればいいのである。悲観的にならなくてもいい。しかし今を直視しなくてはならない。

【2005年】
昨日に引き続き風の強い寒い一日でした。寒気団もやっと移動しそうです。
日本海側や関西方面も大雪だそうですが、こう大雪が降ったんではホワイトクリスマスを楽しみにするなんて風流味はなくなりますね。
空っ風ビュービュー。。。
外食でした。
いつもの中華屋さんへ。この前は団体の忘年会客で入れなかったのですが、今夜はだいじょうぶでした。広東の家庭料理のようで、豪華食材を使った料理はなく手ごろな値段で楽しめます。中華というとギトギトな印象があるのですが、家庭料理は野菜や豆腐なども多くあんがいヘルシーです。脂はありそうですが、ウーロン茶をたくさん飲めばだいじょうぶかな?とはいえ酒を飲んでしまう。。。ビールの後に健康酒を飲みました。今夜は人参と棗の酒。今も体がぽかぽかしてます。人参は高血圧の人にはよくないと聞いた覚えがあるのですが、僕は平常値!ロックで飲むのですが、酒の分量が多くてあんがい効きます。

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
「サリサリくん」(2回目感想)
              河出書房新社
              銀色 夏生  著
表紙は、「サリサリくん」とカタカナで、その上に小さく「さりさりくん」と。表紙を開けると表題がまたあり「さりさりくん」となっていますし、本文中も「さりさりくん」です。しかし出版社などが書かれたページには「サリサリくん」とありますから、この作品の正式な表題は「サリサリくん」ということになりますね。(ちなみに銀色夏生のカタカナや平仮名書きは、ギンイロ ナツ「ヲ」です。平仮名サインも「を」です)
銀色夏生さんのイラストと手書きの文字による絵本です。
絵本というのは銀色夏生さんの作品中でもこの1冊だけです。
さりさりくんは、気分よく散歩をしています。でも乱暴者のゴムタに意地悪をされそう。。。
さりさりくんというぐらいですから男の子?でも、夏生さんが描く多くの登場人物の中には、どことなく男の子のような女の子でもあり、女の子のような男の子でもあるような。どこか中性的なものを感じます。これも夏生さんの内面的なものかな。。。。さりさりくんは小学校1年生ぐらい。でも、子供のような青年でもあり、青年のような子供でもある。これもまた夏生さんの内面でしょうか。。。。
そんなさりさりくんは、ゴムタから逃げて丘の上に立つ。そこに同じクラスのスイムくんと会う。すぐに二人は友達に。。。。
どこかのんびりしていていろいろな物が大好きなさりさりくんと、研究をすることが大好きなスイム君。そんな二人に幼い恋というのか大好きな友達同士の素敵な雰囲気を感じますが、初期の作品の中には、単純に好きとか嫌いと考える子と難しく考える子というような二人も出てきますが、これは夏生さんの中にある恋愛感や友人関係の感じ方でもあるのでしょう。性格や考え方の道筋が違っていても心が一致できる喜びというようなものだと思います。または、夏生さんご自身の内面にある二面性といってもよいのではないでしょうか?
そんな二人は落ちていた禁断の木の実を食べる。
好きなもの。。。。心の中にある好きなものが浮かぶ。
さりさりくんは、スイカとかお団子とか。。。。
スイムくんは、興味深い植物たちが。。。
心の中に浮かぶ好きなものはこんなにも違う二人ですが、二人は考えます。
「ぼくらは、やっぱり、おたがいのこころ以外のものをつかってしあわせになってもそれは、ほんとうのしあわせじゃないんだね」
と。
こうして二人で歩くのが一番好きとも。。。。
人は人同士違いはあります。違いがあるのが当たり前、でもなんで違った人を好きになるんでしょうか?一緒に歩きたいから。。。。。
一緒に歩きたいという気持ちが一緒ならば、心に浮かぶいろいろ好きな「物」は違ってもいいはずで、っそれはお互いに尊重しあえる。自由な二人の関係ですね。
でも、やっぱり日常の中を一緒に歩くんだから、時々は好きな「物」を二人で楽しまなくっちゃ。さりさりくんとスイムくんは、ピクニックに行ったりたくさんのホットケーキを二人で焼いたり。。。。。。
この人生観。。。。
今も夏生さんは語り続けています。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
新聞を廃品として出してしまい記事の中身が曖昧なのですが、血中のコレステロール値が高いほうがよいのか低いほうがいいのかを医療関係者の中でも議論されているらしいです。
コレステロール値が低すぎるとがんなどの病気になりやすいと以前にも聞いたことがありますし、逆に高すぎれば血管も詰ってしまう。要するに基準値の幅が問題ということなのでしょう。しかしこの基準値の幅を決めるのがまた難しいのかもしれませんね。
でも、よく考えればいろいろなコレステロール値が絡む病気も他の因子が必ずあるはずでコレステロール値だけでは判断できないものでしょう。結局は煙草と肺がんの問題と同じで、これといったはっきりした統計的なものがあるわけではなくて、いろいろな因子を総合したものは出てこないということでは?
悪玉コレステロールは嫌われ者ですが、悪玉にしてもそれなりの役割はあるはずですからなぁ。。。。。
今の医療は予防医学を取り入れるようになったことはよいことと思いますが、喫煙を病気として取り扱うことも感じますが、メタボとかコレステロール値だとか。。。。下手をすれば病気にさせられて薬まで飲まされるのでは?
血管が詰るのも怖いですがかといって基準値が低い中で薬を飲むのも不安です。
運動と食生活ですなぁ。。。。。でも、これができない世の中のでもある。ストレスもあるし。これができない中で薬に頼らせる仕組み。産業医も働き方にまで口は出せない。予防医学も働き方にまで口は出さない。その上に立った予防医学では?

【2011年】ツイッターつぶやき
正岡子規からの近代俳句俳句において写生を重んじる。
心の感情や思いをそのままに句にすることは避けて写生をせよと?
写生は目に見えたものをはじめ五感で感じ取ったものを言葉で言い表すことでしょう。
これに対して写生だけではなく心そのものを苦にする俳句も?
たしかに写生だけでは物足りないものを感じるのかもしれない。
しかし。。。この写生の中身がどうなっているのかで写生の位置づけが決まるのではないか。
ふとある風景に心が動いたとする。
この風景を写生をして俳句とする。
この場合ただ景色を写し取っただけではつまらない句になるだろう。
だから写生とはその風景を写し取ることではない。
一つの風景といってもその中にはたくさんのものが集まっている。
そのたくさんなものの中から何を写し取るのか。。。。ここに俳句を詠む難しさが出る。
たくさんのものから何を選んで17文字にするか。この詠む過程に心が動く。
ふと心が動いた時の心の状態はなんだったのだろう。。。
たとえばさみしさかと思ったときにたくさんのものからその心を移すものを探す。
それを組み合わせたり言葉を選んで17文字に表現をする。これが写生ということだろう。
結局は写生とは心の写生であり、それを目の前の風景を借りて目に見えるもにする。
写生の俳句も結局は心を表現しているのだ。
だから俳句は詩というものとなる。俳句と詩は言葉を選ぶという面では同じだが俳句は四季折々のものを通してそのもの自体の言語性において表現をする。

【2012年】ツイッターつぶやき
まずはツイッターから

(返信)人が肉を食ってもその肉自体が人の肉になるわけではない。肉は消化をされて栄養成分に分けられ人の血肉になる。そして余分なものは排泄される。知識も暗記のようにそのまま他の人の知識になるわけではなくて一度栄養成分に消化をされる。その消化とは抽象化だ。
社会の中で起きている現実を一度抽象化をして本質やその法則性を見つめてからもう一度現実の仕組みを分析することが求められているのだ。自民がだめだから民主、民主がだめだから自民。。。これでは国民は成長しない。二大政党を一度抽象化をしてその本質を分析してより発展した政治の法則を活かすこと
発展性を見ないで現実の社会を否定すると、単純に時間を戻すようなことにつながる場合がある。自民がだめだから民主、民主がだめだから自民。。。自民党政治に否定としての民主党政治は一つの発展だった。民主党政治の失敗はその総括からさらなる発展に結び付けねばならない。時計の針を逆に回しては。
時計の針を逆に回した今回の選挙結果。それは何もたんに自民党に帰ったというだけではなくて、やはり時計の針を逆に回した政策をとるような自民党政府になった。よく考えればほぼ政治は自民党だけになったのだ。政党はいろいろとあるが。改憲、統治の仕方が一致した。。。統治の仕方としての公務員改革
では、国民は時計の針を逆に回した選挙結果を支持したのか?実態は『「自民の政策を支持」はわずか7%で「民主政権に失望」が81%を占めた』http://t.co/1RlwwSm2だろう。自民がだめだから民主、民主がだめだから自民。。。という消化しきれないウ〇コなのである。
社会の中で起きている現実を一度抽象化をして本質やその法則性を見つめてからもう一度現実の仕組みを分析することという時計の針を正常に回す未来志向の発展性のないものは、消化しきれないウ〇コなのである。消化しきれないものは、国と国民意識との乖離となる。悲惨な社会。。。。
自民がだめだから民主、民主がだめだから自民。。。
ある方のツイートに今の選挙を見ると「お仕置き型選挙」だと表現されていた。自民がだめだから民主、民主がだめだから自民。。。とはまさに「お仕置き型選挙」といえるものでしょう。国民が唯一政治家に頭を下げてもらい主人公となるのは選挙だけですから、その主権の行使に誇りを持つことは大切なのですが、それが民主党がだめだから、自民党がだめだから落とすといった「お仕置き型選挙」ではだめでしょう。この典型が今回の選挙での『「自民の政策を支持」はわずか7%で「民主政権に失望」が81%を占めた』という事です。
政策を支持されない中で自民党が圧倒的な多数を得て今後の政治の方向が出るわけですから、政治と国民意識の乖離は進んだとみてよいでしょう。しかしこの乖離を国民自身が選んでしまったところに愚民扱いした論調が出るのだと思いますが、しかし二大政党制が保守の二大政党制として進み、さらに野田内閣では民自公の合意という大統一に政策は進んだわけですかし、マスコミの論調でも争点なき選挙あるいはマニフェストが消えたというといったものがあり、国民の選択肢は狭められました。この中での二者択一的なものを迫られたわけですから仕方ないわけです。
自民党が圧倒的な数の力を得た反面それが良かったという国民は57%で、無党派層となると41%です。二者択一的に選んだがそれが良かったのかとなると微妙な数字でしょう。ここにも政治と国民意識の乖離が見えます。

【2013年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2015年】
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
喫煙者が知るか知らないかは別としてたばこにはたばこ特別税が含まれている。
これはJR救済のために喫煙者が納めている税金である。平成28年度は1428(億円)が見込まれている。
この特別税が始まったころ喫煙者からは怒りとため息が漏れたが、当時も禁煙運動が盛んでしたからそうは反対の声は聞こえず、逆に喫煙者が減る(禁煙)だろうぐらいのものだった。
しかし今度は東電の福島原発事故での賠償金などを国民負担にするといった政策に対してはマスコミも疑問視をしているでしょう。ツイッター上でも多くの声が読み取れる。
煙草とJR救済については何の関連性もない。喫煙者はJRぐらいは駅のホームに喫煙場所ぐらいつくるだろうなどと甘い考えもしたが、いつの間にか喫煙場所はなくなった。
踏んだり蹴ったりである。
ここでこのたばこ特別税と賠償金国民負担を比べたりするのではないが、国というのは相当理不尽なものであっても法制化すれば何でもやるということである。そこには正当な論理はなくても。
この国民負担をたばこ税でやると言ったらどのくらいの人が疑問視するだろうか?
「喫煙者はまだタバコ吸うの?」なんて揶揄されるのが落ちである。
まぁ、ここでそういう方をどうのというわけではない。
この国民負担で困る人というのは、今の格差社会において毎日1円でも電気代を節約しようとしている人に大きな負担がかかるのです。これはたばこ特別税での喫煙者と同じということです。
国民負担は毎月にすればそうは大きな額ではないので、多くの人はそうは声を上げないでしょう。
しかし理不尽さを考えれば声となる。
今もたばこ税についてはもっと増税しろという声が大きい。しかしそういう困るのは喫煙者という意識が、今回の国民負担を許すことにつながるのです。

以下、今日のツイートのまとめです。一部誤字修正あり。
世界は狭くなっておりそこでの独占企業の生き残り競争は激化している。世界が狭くなっているというのは、商品市場が狭くなっているということで、だからこそ競争は熾烈になる。
商品市場が狭くなる要因は、いくつかあるでしょう。一つは生産性の向上により大量生産が飛躍的に伸びているということである。ロボットなどにより同じ労働力量でより多くの商品が生産されるようになるということである。極端に言えば、今まで100社あればいいところ70社でよくなる
二つ目は生産性が高くなり商品量は増えるのだが、世界中であるいは国内も同じだが、その商品の消費を損なうほどに格差が拡大をして貧困が(相対的にも絶対的にも)増えればその商品の消費ができなくなるということである。豊富な商品量の裏にその商品を消費できない貧困である。
三つめが生産性の向上により商品価値が下がるということである。ロボットなどにより商品生産に必要となる労働力量が減少すれば商品価値が下がる。労働価値説を言わなくても、手作り時代より機械化された今のほうが商品価値は下がって価格の下落が生じている事実。
商品価値の下落からの市場価格の下落は、同じ商品量を生産している場合は、企業の利潤率を下げることになるでしょう。そこで企業は拡大再生産を行って利潤を維持しようとするでしょう。すると、一つ目として書いた商品量の増加が爆発的になります。
世界中の商品量の過剰傾向により拡大再生産が行えなくなれば(低成長やマイナス成長)、企業は利潤率の確保のために労働者を解雇するようになり、同時に生産手段(工場など)の縮小を行う。また経済法則に矛盾するような賃下げや雇用者数を減らすための強労働にまで進んでいく。
これが日本で端的に表れていた「失われた10年あるいは20年」なのである。すると先に二つ目として書いた格差の拡大による貧困が生まれてさらに商品の消費を減少させていく現象が深刻となっていく。これがデフレと言われるものである。失われた20年はデフレスパイラルなのである。
アベノミクスはこのデフレスパイラルに浮かぶ泥船なのである。
デフレスパイラルは、これまで書いてきた3つの理由により、商品市場における流通貨幣量の減少となる。貨幣量の減少は全体的なものとしてあらわれるわけではない。企業やそこに貸し付けを行う銀行などの貨幣(企業の内部留保や日銀の都市銀行への準備金)としての資本は増大する。
銀行や保険会社などの金融関連資本そして企業の内部留保はその使い道がなくなる。企業の利益は商品販売などという本業に頼らずに金融商品による利益に依拠するようになる。
商品市場におけるデフレスパイラルは商品市場の恐慌を引き起こす。同時に銀行や企業の余剰貨幣資本が金融商品に頼るようになるといつかバブル化してはじけて金融恐慌を引き起こす。
この二つの恐慌という爆弾がいつ爆発するかわからないのが今の先進国です。
資本主義はこの爆発から戦争が不可避となる。この経済矛盾が上部構造である政治に作用をして世界中で強権的な時には極右化した政権が生まれていく。
しかし資本主義はこの戦争という矛盾を止揚する方法を持つ。
それは社会民主主義という資本主義の最高段階である。
社会民主主義は、これまで書いてきた3つの矛盾を解決できるでしょう。すると恐慌の回避から戦争の必然性をなくすことができるのである。
戦争とは商品市場の分捕り合いです。現在は植民地主義は世界的に否定をされていますから、さらに戦争回避は有利です。
社会民主主義は社会主義か?
この判断は多くの説が存在をし、アメリカなどから見れば今の日本でさえ社会主義である。またヨーロッパの社会民主主義政権は極端な資本主義である。
社会民主主義は、資本主義政権から見ると私有財産を残すことから資本主義のはずです。共産主義国から見ると、共産主義の過程において私有財産を残すことから共産主義ではない資本主義の残存物を多く残す社会となります。
ですから社会民主主義は資本主義であるということです。
しかし今の社会民主主義と社会主義の最大の欠点は、平和主義がないことです。
日本はこれまで多くの社会民主主義的政策が野党や労働団体そして市民によって行われる過程にあった。そして憲法という形においても戦後70年の事実の中でも一定の平和主義を作り上げた。日本の世界に対する貢献は、この社会民主主義的政策と平和主義を広げることにあります。
日本人は自虐的になる必要はない。日本のこれまでの政策と平和主義を世界に発信すれば尊敬に値する国となっていくでしょう。これが崩れていく中で逆に日本人は未来志向から後ろ向きになった自虐に陥るのです。

【2017年】ツイッターつぶやき
昨日、用事があり朝車で出かけた。
幹線道路を避けてわき道に入った。でもこの道は信号機がたくさんありひどいときは一つひとつの信号で止まることもある。朝でしたのでそれほどでもなかったのですが、それでも時々信号につかまりました。
信号待ちをしているとき、ちらっとバックミラーを見たら女性が運転している。バックミラーに移る女性は何できれいに見えるんでしょ(笑)
するとすっぴんらしき顔に化粧をはじめた。
クリームのようなものを塗りはじめる。
信号が青になったので走り出すとまた二つ目の信号につかまる。
やはり後ろの車の女性は化粧をしている。
ファンデーションというのでしょうか、血色がよくなりました。
また青になり。。。。
こんなことが4回ほど続き、大きな幹線道路にぶつかり信号待ち。
この信号は長いのですが、女性は目のあたりを書いて口紅を。
最後の仕上げだと思いますが、目はパッチリしてさらにきれいな顔立ちとなりました。
「おおお・・・・・」と、心の中で関心をしていると信号が青になった。
残念ながら僕は直進。女性は左折してしまいました。
以前、電車の中で化粧を1から仕上げまでを見たことがありますが、重たい瞼もすっきりと・・・・
化粧というのはすごいもんですね。

今日は実家に行ってきました。
帰り道、実家に行ったときには時々立ち寄るスーパーがあります。今日も魚が食いたいので立ち寄りました。
寿司のネタもおいしくいろいろな魚を置いています。
何にしようかと考えながら目についたのがアンコウ。。。。。
どこ産だろと見たら山口県産。新潟県の甘海老と一緒に買ってきました。
アンコウはもちろんアンコウ汁に。茨城県ではドブ汁というアンコウの鍋がありますが、この前キムチ鍋も食べたので今日は汁に。
アンコウを自らいて煮立てたら白菜などの野菜を入れて火が通ったら味噌を。
この味噌ですが、アンコウの肝をつぶして酒でのばし味噌を入れて練っておきます。このアンコウの肝いり味噌をこさないでそのまま入れるのがミソ。
人に立ちしたら出来上がりです。長ネギと七味唐辛子を入れて。
体が温まりました。
関東ではアンコウと言えば茨城ですが、西の方では山口なのでしょうか?
山口のアンコウは少し小さいのかな?だからというわけかはわかりませんが、ちゃんと七つ道具がすべて入っていました。アンコウも捨てるところがないと言いますが、いろいろな部位がそれぞれ食感も違い美味しいです。
コラーゲンたっぷり・・・・・
そういえば、甘海老もおいしかったです。子持ちの甘海老は久しぶりでした。甘さのあるプチプチ感が最高です。料理屋で食べると高いと思いますが、今夜は一人8匹づつ。
アンコウも甘海老も、堪能しました。。。。。

【2018年】ツイッターつぶやき
2018年 8月31日(金)「もう働けない・・・・バス運転手」
「もう働けない。。。バス運転手」ではバスの運転手さんの労働実態について書いていましたが、今度は岩国バスの若い社長が客からの苦情に対してハンマーで運転士殴っていいという答えをしたそうです。
企業が従業員を大切にしないというのは、ブラック企業という言葉も多くなっていましたし、今後の外国人労働者受け入れについての政府の考え方を見ても珍しいことではありませんが、ハンマーで殴ってもいいという言葉は従業員を人間として見ていないという表れではないかと思います。地方のバスは厳しい経営状況にあることはわかりますが、経営状況をよくするために従業員を大切にしないことは間違いでしょう。客が本社なり営業所に怒鳴り込んで運転手に土下座して謝らせろと言ったら土下座させる企業体質なのかと疑います。客から苦情が来れば従業員をできる限り守りながら間違いをただすことが企業の役目でしょう。

川上弘美さんの東京日記が更新されました。
今回は「チャーリイの日々」。。。。。
今年「アルジャーノンに花束を」がドラマ化されましたが、昔読んだイメージが崩れないようドラマはみませんでした。ほかの文学作品もそうですが、映画やドラマになっても見ないようにしています。その作品や俳優さんのイメージが頭に残ってしまいますもんね。映画やドラマになった瞬間にそれは原作から離れた一つの作品になってしまうのだと思っています。
川上さんの「センセイの手紙」はテレビで見てしまいましたが。。。。。
川上さんはドラマ化するならばどの俳優がぴったりするかずっと考えていらっしゃるようです。
天才との落差のある演技ができる俳優。。。。。
あるいは身近な人からも探しているようでしたが、酒を飲めば天才になるというような方も。。。。
結局原作は原作でドラマはドラマとなってしまうのだと思います。うん、たぶん、川上さんも永遠にチャーリイ役の俳優は見つからないのかも。。。。。
今年のドラマでのチャーリイ役のユウスケ・サンタマリアさんについてのコメントはありませんでした。
「アルジャーノンに花束を」は文庫本でも出ていますが、作品に引きつかれるのはチャーリイの「日記」ですね。最初のページで「うん?」と。。。。。。
そしてラストでも。。。。
心温まりそして悲しい作品です。

【2019年】ツイッターつぶやき
日本企業は内部留保も含め利益をあげているように見える。
もちろんアベノミクスと日銀緩和の中でこの利益は伸びているのはたしかです。しかしその利益の源泉がどこにあるのか?本業の伸びによって得られている利益なのか。
しかし今朝の朝日新聞の見出しだけを拾い集めてみると、
・かんぽ顧客意に沿わない契約約20万人
・楽天の送料無料公取委懸念
・卸売市場ネット・直販の逆風
・昭和電工が日立化成買収へ
・日立の医療機器事業富士フイルムが買収
・日立家禄発電建設から撤退
・造船所売却検討三菱重工が発表
・輸出また前年割れ収支も赤字
・21年度の採用「若干減速」か
・自殺三菱電機社員のメモ公開 上司から「殺すからな」
・11月の韓国人客前年比65%減少
・来年度予算消費増税や世界経済の下ブレ 臨時・特別の処置
そのほかネット上に記事を読んでも経済の実態についての悪い記事ばかり。去年から景気は下降気味だったのかもしれない中での消費増税という愚策。そして労働者の手取り賃金低下と社会保障費負担増。社会保障の後退へ。
政府の経済の好転という言葉はまさに大本営発表だったのかもしれない。
日本企業は大丈夫なのか?

【2020年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの東京日記が更新されました。
10月コロナの感染が三度拡大傾向を示した。。。
川上さんもオンライン飲み会。
僕はオンラインなどというものがどうしたらよいかもわからないのですが、先日花の写真を写そうとスマホのカメラをいじっていたら、なんか変なところをタッチしたようで、画面に僕の顔がアップで現れてびっくりした。どう見てもオンラインで去らせるような写り具合ではない。やはり女ライン飲み会なんて無理。
川上さんはトイレの窓から見えた満月の話をしようとしたがどうも話題とならない。
気が晴れない川上さん。オンライン飲み会も何か物足りなく。。。。。
この前ツイッターに書いたのですが、コロナウィルスは会話の中での飛沫から感染するらしいですが、コロナ以前は互いに飛沫を飛ばしながら飲み会をしていたということで、酒の席での人間関係はこの飛沫の交換あるいは飛沫の中にいる菌やウィルの交換によって成り立つのではないかと思う。なんか気持ち悪いがそうなら仕方がない。オンラインはこれができないので物足りなさを感じるのかも。
気の晴れない川上さんは生筋子をお取り寄せして手作りイクラ。。。。。
食欲でも気が晴れない。。。。
夢を見る。。。。。
トイレの窓から自分がそんな自分を見ている。。。。。

【2021年】ツイッターつぶやき
成人してからの人生のパートナーといえば第一に婚姻関係を思い浮かべます。
しかし最近は昔当たり前だった男女間のパートナーに限定されない同性のパートナーも社会的に認知されはじめています。もちろん婚姻関係を結ばないパートナーも多くなっていると思います。
婚姻としてのパートナーとして同性でも法的な婚姻関係を認める方向にも動いています。
最近になってなぜこのような同性婚が表に出てきたのでしょうか。昔から同性愛者は存在をしてそれを画して苦しんできたことは事実でそのある意味隠されていたものが表に出されるようになってきたのでしょう。
人生のパートナーという面では性的な関係が中心に見てしまいますが、ともに相手を愛しながら生きていく人と人との関係ももちろんあります。そして社会の中に生きていればあらゆる困難もありますからそれを一緒に克服して生き続ける関係でもあります。この面では男女間のパートナーも同性のパートナーも何ら変わることはないでしょう。
性的なパートナーから離れて共に生きていくためのパートナー、共に生きていきたいと互いに思うパートナーを考えると、やはり最近表に出てきたフェミニズムがあります。女性が差別を受けずに男と変わらずに生きていくことを求めます。同性のパートナーにしても男女間のパートナーにしても、人生を共に生きていくパートナだという認識が深まれば男女平等も当然要求されるでしょう。しかしこの要求は何も女性からだけのものではなく男性にとっても平等を求めるものです。
社会の土台は経済です。最近は共働きでなければゆとりがある生活ができない社会になりました。この社会で生きていくパートナの認識も経済の在り方に規定されるでしょう。
この経済に規定された社会的な条件に従ってパートナーも規定されるなら、男女間のパートナーでも同性のパートナでも互いに信頼できる相手と生きていくことを選ぶことが求められるでしょう。婚姻関係は社会的に法的規定されているものですからなくならないと思いますが、法的にも社会的にもパートナーと認められる社会が求められるでしょう。その中で性別に関係のないパートナー関係が生まれるかもしれません。ここでは何も性的な同性愛をも超えるものが出るかもしれません。
そこでフェミニズムにも変化が出てくるでしょう。

【2022年】ツイッターつぶやき
岸田総理は1兆円の増税などによる防衛費倍増を決めてすき焼きを食いながらこれで年を越せると安心したようです。
しかし年末になり物価高倒産ともいえる倒産が増加しそうだと。庶民の暮らしはこの年末を乗り越えるために経済的困窮の弁護士による相談窓口ができたそうです。
今日スーパーに買い物に行ったらもう正月用品が並んでいましたが、カニ売り場に行くと5000円以上の値札が付いたものが並んでいました。
年末はカニに限らずすべての食品が値上がりしますから美味しい牛肉ですき焼きとはいかないです。
賃上げは経済の好循環のためといわれていますが、賃上げ分が防衛費増のための財源となってしまいます。政府は国民生活から乖離したところでうごめく。。。。。

【2023年】ツイッターつぶやき
日銀の植田総裁が、粘り強く金融緩和を継続するとした。
出口には、賃上げと物価の好循環を見ていくと。
しかし、賃上げは増税と物価高にもっていかれる。
賃金は、企業による搾取か、国による収奪かの違いです。
物価高はすでに悪性化している。どこの好循環の材料があるのか。
失われた40年へ。。。。。
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「12月18日という日」

2024年12月18日 07時47分47秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
日差しも強く、暖かな一日でした。
布団も干して今夜はぬくぬくです。
大掃除第一弾!!
家中の蛍光灯のカバーを磨き蛍光灯も取り替えました。やはり明るさが違いますね。。。。
大掃除も一度にやると大変だと思いはじめたのですが大変でした。それに蛍光灯といってもバカにならず、家中の蛍光灯を取り替えたらものすごい値段でびっくりしてしまいました。
とほほ。。。。
蛍光灯もスリムタイプというものを子供部屋で使っているのですが、これは長持ちしていいです。しかし値段も高い。。。
結局は普通の蛍光灯と経費は同じなのかな?まあ、取り替える手間が少なくていいということでしょうか。

【2004年】
お札の印刷所で新札のお宝番号をかすめた人達がいたという。
貨幣は国の最も重要な信用なはずなのだけど。。。。
国民生活の犠牲だけが進み、こういう腐敗が進むこと事態や、力のある人などがいいかげんなことをしはじめたとき国が衰退しはじめている証拠ではないのかと思う。
まだ日本には高い技術がありかねもあると安心する部分はあるが、衰退は加速度的に進むことがある。なんとなく戦後国民がウサギ小屋のような家に住むエコノミックアニマルと欧米の国民に馬鹿にされながらも一生懸命に働いた遺産を今食い潰しているような気がしてならない。年金積立金も、ささやかな金融資産も。。。。
年末だというのに暗いニュースばかりである。

【2005年】
北風ピューピュー。。。
きのう床屋(今、この言葉が差別用語なようです?理容室と書かなければならないのか?)に行って髪が短くなったぶん寒さが身にしみます。
風が強いと体感温度はそうとう下がるようですが、江戸の空っ風は骨に染み入る様な冷たさです。
ジムの帰り、「ヘックッシュン」!くしゃみ一つ。。。
というわけで今夜は鍋でした。
いつもは水炊きですが今夜は味噌味のスープにしてみました。豚のバラ肉や鶏肉中心の鍋ですから濃い目の味噌がうまい!きし麺を入れてみました。
そろそろスーパーも込み合ってきました。カートがたりないほどです。
クリスマス用のオードブルなどが少し出始めていました。まだ早いだろうになァ。。。グループでの忘年会代わりのパーティーもあるのかな?今の若い人たちは。
カジュアルっぽいコートを買いました。定価1万円が6千円。たしかに着る物は安くなりましたね。昔子供の頃は、ジャンパーを買うにしても二周りも大きな物を買ってもらい、袖を折ってもらいながら3,4年は着ていましたが、今は大きなものを袖を折ってきている子など見たことがないですなぁ。
もう限界に来ていた掃除機も買い換えました。少し高めの物を買いました。
なんだか今日一日を見ても金が出た。。。
正月まで怖いです。

【2006年】
クリスマスも近づき、年の暮れの雰囲気が出てきます。
気のせいかな?
少し食料品の値段が上がったかな?
これから1万円札をくずすとあっという間になくなってしまいます。財布の紐を締めよう。締めてちょうどふだんの出費になる。まぁ、ふだんももちろん質素な暮らしですけど。
個人消費に協力したいのは山々ですが、ない袖は振れない。。。。
去年の正月用に買った梅の寄せ植えの梅の莟が出てきました。
出窓に移したのですが、早く咲き終わっちゃうかな?寄せ植えの菊も裂き始めています。菊は遅すぎ?
まぁ、今年も咲いてくれることは嬉しいです。春には植え替えてみよう。。。

【2007年】
小さかった金魚がだいぶでかくなってきました。
大切にすれば長生きするので楽しみですが、どのくらい大きくなるんだろ?今は60センチの水槽でも余裕があるのですが、もっと大きくなったらたいへんだよなぁ。。。。
もう1匹は、浮き袋の病気らしくさかさまで泳いでいます。詳しい人に訊いたのですが、この病気は薬では治らないそうでして。。。。でも、すぐに死ぬような病気でもなさそうです。さかさまになりながらも餌を必死に食べています。一時はずっと動かなくなりやせてきたのですが、最近は動くようになりました。
ベランダの花たちもそうですが、生き物を育てるというのはたいへんですなぁ。。。この「育てる」というのがキーワードでして、人の手をかけないとそのままでは生きていられないということです。まったくの自然の状態で生きている生き物を育てるとはいいませんよね。
金魚は人の手によって狭い水槽に生きる。鉢植えの花は小さな鉢に根を張って生きている。人間の子もいろいろと小さな「器」に閉じ込めて育てる(笑)
ゼラニュームの鉢が4つあったのですが、去年植え替えのときに底の浅い鉢に植えてしまい失敗しました。なんだか今のままでは限界のようなので植え替えて見ました。ゼラニュームは一年中元気なので、今の季節でも大丈夫かな?

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
     拝啓 川上弘美様

日記を拝読させていただきました。
加齢臭と古本の匂いは同じ成分でできているという言葉に「うんん・・・・ん」と何か意味深いものを感じました。加齢臭を漂わせる人も古本のようなものですからなぁ。古本というのもまた古くなって年老いていく人のようなもんですなぁ。同じ匂いというのは鼻でかぐ匂いもあれば感覚というものもあります。
年をとってくると頭の中も心も古本のようで、積み重なったものの中から染み出てくるようなにおいがあり、古本からも古い何かが染み出てきます。この染み出るものが同じ匂いなのでしょうし成分なのでしょうか。
うん、たしかに忌み嫌うような匂いではないですね。
かといって加齢臭を染み出しながら闊歩するのも魅力ではないわけでして。。。。
シンミリと落ち着いた雰囲気の中に加齢臭を染み出させます。
 
          敬具

国も経費削減に忙しそうです。
加齢臭を染み出しながら生きながらえる高齢化社会もまた経費扱いから見られますが、古本に手を伸ばしてニコッと息を吸い込んでくれる若い方もいらっしゃることでしょう。古本も古本なりに匂いを発していきたいと思います。

灰色の空が低く降りてきて
心がぽっかりと
真空のような寂しさに
包まれたとき
あのメロディーを思い出すよ
雨が降ったら聴いてみる
あのメロディーを
いやメロディーではないのかもしれない
あのメロディーのような君のつぶやきを
雨が降ったら聴いてみる
あのメロディーを
冬の雪混じりの雨でもその冷たい雨でも
僕の心は静かにつぶやきの雨に包まれる

【2011年】ツイッターつぶやき
今朝の朝日新聞読書欄に、森達也著「僕のお父さんは東電の社員です」(現代書館)という本が紹介されていた。
僕はこの本自体は読んでいませんから中身はわかりませんが、中島岳志さんの書評を読み感じたものがあります。
元毎日新聞論説委員の方の「東電は人々のことを考えているのか」という文章に対してゆうだい君という小学生が「突然ですが、僕のお父さんは東電の社員です」という書き出しに始まり、「読んでみて、無責任だと思いました」という語ったという。このゆうだい君の言葉に多くの子供たちが反応して議論が白熱をしたという。それをまとめた本のようです。(以上引用は朝日新聞12面より)
この中で東電や国が悪いという意見も出れば、その反面電力依存の生活に自分たちの生活を見直して節電などを考える。そして東電バッシングの中に一人一人の東電社員や家族がいることをとらえて電力依存という自分と東電社員へのバッシングを考える。著者である森さんは子供たちに接してその議論から子供たちに謝る。これまで原発問題に対して何も発言してこなかったことを。。。。。
原発事故に対しては個人ではない国や企業の組織としての責任がある。その責任について国や東電が悪いという一定の責任論は避けられないだろう。これはバッシングという無責任な批判や非難ではなくて今後の対策を見据えたうえでの責任論でなければならないわけです。しかし人はその感情的なものから批判のための批判としてバッシングに走る。それが一人一人の社員やその家族へのものにも広がっていく。このような批判や非難からは何も生まれないことは明らかだろう。
しかしこのようなバッシング的な批判や非難をする個人へもお前たちは今まで電力依存(それは原発依存でもある)にあったのに自分たちの責任も考えずに東電や国を批判できるのかといったやはりバッシング的批判や非難をする人々も出てくる。
著者森さんが子供たちに対して一人の大人として今まで原発問題に対して発言しなかったことを謝罪をしますが、もちろんこれは大人すべての子供たちへの責任です。たしかにこの中には電力依存をした一人一人についてもその何らかの責任はあるわけです。しかし事故そのものが個人責任ではない国や東電という組織としての責任を考えるべきとするなら、これまでの原発依存というものも個人の問題ではなくて社会全体の意識としてとらえねばならないだろう。ですから国や東電批判をする人々すべてに対して個人的なバッシングをすることがどんなに誤ったものがあるかがはっきりします。
個人レベルとしても確かに原発についてはそうは考えていなかったという人が多いと思いますが、その人たちはもしかしたら核兵器のことを真剣に考えていたかもしれなし、核以外の政治や経済などから今の日本の矛盾を考えていたかもしれない。原発問題をあまり考えていなかったのに今になって反原発を言うものはおかしいという批判や非難をする人がすべての日本の矛盾を考えていたのかとなると疑問だろう。人それぞれは違う形で日本を考えていたのであり、その中に原発事故が起きて日本の矛盾がそこに噴き出たというだけで、そこにバッシングではない正しい批判をすることは間違いでも非難されるものではないのである。常に社会矛盾を何かしらの形で考えていた人は、その何かしらの視点で原発事故について本質的なものを考えられるのである。
バッシング的な個人批判やその裏側にある自虐的な個人への反批判というものを排除しなければならない。この上に立って原発事故の責任論と将来を語ることからしか子供たちへの大人の責任は果たせないだろう。

【2012年】ツイッターつぶやき
民主党は敗北の総括もないままに次の代表を決める選挙を行うらしい。
たしかに野田代表が辞任すると言い出したのですから次を決めなくてはならないのですが、次の代表を決めるという事は次に国民にうったえるものを決めるに等しいでしょう。しかしその代表選挙の中身では、
『代表選挙を巡って党内では、議席の数が衆議院を上回ることになった参議院を中心に、「来年の参議院選挙に向けて、若いリーダーのもとで、党の立て直しを急ぐ必要がある」などとして、細野政策調査会長の立候補に期待する意見が出ています。
一方で「挙党態勢を確立するためには、代表や閣僚の経験者が、安定した党運営を行うことが望ましい」などとして、前原国家戦略担当大臣や岡田副総理らを推す声も出ていて』 (NHK)
といった具合である。
しかも急を要する代表選とはいえ両院議員で決めて一般党員やサポーターの選挙はないらしい。今回の大敗北で一番声を聞くべきは一般党員や前回大勝利した選挙を支えたサポーターではないか?
朝日新聞の記事によると、「民主党内を覆ったのは反省の弁よりも「筋肉質の民主党」という言葉だった。一部の議員だけが民主党を担ってきたという「純化路線」の意識」の現れではないかという見方も出ている。
小沢グループやその後11人の議員が離党し、選挙では大敗をして多くの議員を失った。。。。
これを筋肉質の党になったという総括はどういう意識から出てくるのでしょうか?国民の信頼を失ったという事ですし、多くの党員やサポーターの気持ちを蔑にしながらのまさに「純化」路線です。
民主党が筋肉質ではなかったというのは、今の党の中心にいる人々が筋肉質でなかったのです。本来ならば多くの国民が支持をして党の勢力が大きくなりまさに筋肉質の党になる可能性を秘めていた。しかし消費増税からはじまり最後は民自公路線という裏切りをやってしまい、国民生活を見つめたときの自民党との争点を消滅させてしまった。そしてとどめは野田総理の感情的情によるそして独りよがりの言葉上の男気で解散。このような流れを変えられなかった党の中心にいた人々。
まさに筋肉質の党を逃してしまったのは中心的な人々と党の体質でしょう。
生き残った人々は確かに選挙で生き残ったのですからそれなりの政治力はあるでしょう。
しかし、筋肉質になったというよりも家臣を捨てて生き延びて参議院という城に逃げ込んだ落ち武者にすぎないでしょう。
もう一度今の会見の危機や自民党政治による政財界癒着が心配される中、民主党はないをすべきでしょうか?国民が訊きたいことはここなのです。

【2013年】ツイッターつぶやき
16日のブログに次のように書きました。
「原発が停止をして火力発電の燃料費が経営を圧迫しているとも言われていますし、それが貿易収支や経常収支の赤字化の要因にもなっているといわれます。確かに燃料消費費は上がっているのかもしれませんが、燃料費の負担増はアベノミクスと日銀の量的緩和による円安に原因の多くがあるはずです。貿易収支や経常収支の赤字化の原因も円安にあるという分析もできるでしょう。この上に立って安倍政権の成長戦略があるわけですが、成長を続けるには再稼動も必要となるわけです。」
今日の日経新聞の「貿易赤字、原発停止より円安主因 赤字定着の懸念」という記事にも次のように書かれています。
『「全原発停止による鉱物性燃料の輸入額の押し上げは、年間で4兆円程度」とみる。一方で、今年1月~11月の貿易赤字の累計額は10兆1672億円と、原発停止による燃料輸入の増加よりも大きくなっている。宮前氏は「赤字額の残りの6兆円分は、日本経済の構造的問題だ」と指摘する。』
もちろん円安というこの「構造的問題」アベノミクスと日銀の維持原料的緩和にあるといえるでしょう。
日本企業の海外生産はその商品が日本に多く入れば入るほど輸入となりますし円安ですから貿易赤字拡大につながる。日本国籍の企業の利益が円安の効果につながるという矛盾した結果を生んでいます。同時に一方では株価にしても円安の定着傾向を示すが投資家の刺激にはなりにくくなり更なる緩和を求められる。円安も一部輸出産業に恩恵があるだけで輸出額と日本企業の製品の輸入の拡大で国内の経済効果はそれほど上がらない。
結局は貿易赤字の拡大と経常収支の赤字化が始まり、国家財政は国内の成長戦略にばら撒かれたりASEANへの2兆円融資など海外にもばら撒かれる中で赤字化は進む。双子の赤字そして三つ子の赤字化が定着をしていく。
その尻拭いを国民生活の低下に負わせるわけです。

【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
東京は毎日寒さの更新をしています。今朝は初めてマイナスの気温だったとか。。。。。
今朝、車に乗って温度計を見たら2度でした。
こう寒さがきつくなると暖かいものが食べたくなります。
という事で、昨夜はまたキムチ鍋にしました。そして〆のリゾット。。。。
市販されているキムチ鍋のスープに好みの具材を入れるだけですから簡単です。具材で欠かせないのが豚肉。やはりキムチ鍋には豚肉です。そして油揚げ。もちろん白菜のキムチ。
スープ自体が辛いうえにキムチも入れるのですからさらに辛くなりますが個の辛さが寒い夜にはいいですね。そして日本酒。鍋を囲む場所は炬燵。。。。。天国です。
残りのスープにご飯を入れてスライスしたトマトを乗せ、その上にとろけるチーズをたっぷり入れてひと煮たち。ふたをしてチーズがとろければ出来上がり。このリゾットがまた楽しみです。
食い終わったら柚子湯にザブンと。。。。。。。
湯冷めしないように炬燵に潜り刑事もののテレビを観る・・・・
炬燵の中で正月の手作りおせちメニューを考えながら。。。。
日本の冬ですなぁ。。。。

田作り、なます、昆布巻き、黒豆、松前漬け、チャーシュー、だて巻き、煮しめ
毎年恒例手作りおせち。
今年は正月が来るという雰囲気が出ません。
年間を通していろいろな行事がありますからね。クリスマスの方が若い方たちにはたのしみかも。そして最近ではハロウィンなんてものも。
正月も休みが続くというだけで、楽しみは旅行とかかな?
正月はカネもかかるし準備もあわただしいし。クリスマスが終わってさぁ準備はきついですなぁ。
さて、買い出しはいつにするかな。。。。。
でも、この手作りおせちづくりが正月の楽しみの一つかも。

【2018年】ツイッターつぶやき
先日ほうき草というものを書きました。
ほうき草(コキア)の紅葉も終わったので箒を作ったのですが、だいぶ感想もして細かな枝や葉っぱが落ちてきました。大きなビニール袋に入れたたいて全部落としました。すると・・・・・箒として残ったのは三分の一ぐらいになっていました…・トホホ
それでもどうにか箒の機能は保てそうです。
さっそくキーボードを掃除したらきれいに埃が取れました。
来年も芽が出たら追加をして太いほうきにしようかと思います。
昔使っていた部屋を掃除する箒とコキアの箒とは違うのでしょうか?

【2019年】ツイッターつぶやき
先日ほうき草というものを書きました。
ほうき草(コキア)の紅葉も終わったので箒を作ったのですが、だいぶ感想乾燥もして細かな枝や葉っぱが落ちてきました。大きなビニール袋に入れたたいて全部落としました。すると・・・・・箒として残ったのは三分の一ぐらいになっていました…・トホホ
それでもどうにか箒の機能は保てそうです。
さっそくキーボードを掃除したらきれいに埃が取れました。
来年も芽が出たら追加をして太いほうきにしようかと思います。
昔使っていた部屋を掃除する箒とコキアの箒とは違うのでしょうか?

五輪チケットについては皆さん大変苦労しているようですし、チケットの当然当選自体がものすごく不透明ですね。
企業のコマーシャルで五輪招待といったようなものがありますが、企業枠やらいろいろと優先枠があるのでしょう。
その中でオリンピックチケットについても総理枠とか議員枠とかあるのではないかという疑惑が出ています。
これに対して毎日新聞によると内閣は、
「答えることは困難」とする答弁書を決定した。理由については「『首相枠、官邸枠および議員枠』の意味するところが明らかではない」(引用)
と答えている。
総理枠などがあるのか?という質問に「『首相枠、官邸枠および議員枠』の意味するところが明らかではない」では答えになっていませんし、総理枠があるのかという質問はすごく単純な質問で、あるかないかははっきりしているわけです。
「『首相枠、官邸枠および議員枠』の意味するところが明らかではない」というこの答え方は、桜を見る会に反社の人が来ていたことに対して政府は「反社の定義は困難」と閣議決定をしている。それに輪をかけて、政府が反社の定義がわからないなら企業が反社対策をどうすればいいのかに対して警察に相談でもすればという態度です。桜を見る会に参加した反社の人の判断は野党は警察に相談しなければならないという爆笑的なことになる。
やはり毎日新聞によると、「お答えを差し控える」という答弁が激増しているようです。
答弁を差し控えたり、とでもないはぐらかしをして答えない今の内閣は、国民にとっては闇の中の内閣と言えるでしょう。
この闇は、公文書の改ざんや隠ぺいそしてシュレッダーにも現れていて、国家に提出される文書はのり弁。
相当国民は情報においても隔離されています。その隔離の中でオリンピックチケットも桜を見る会の招待客と同じように総理枠疑惑に置かれるならそれは一部の人に対する私利私欲につながっているという疑惑にもなる。
闇に隠れながら政治がえこひいきしたり一部の人のための利益誘導を行うようになればもう政治は終わりです。

【2020年】ツイッターつぶやき
以下ツイッターから
専門家は専門家ですからその専門分野の発言力はある。しかしその専門分野の知識とその人の思考回路(哲学)とは別物で、思考回路が狂っていると専門知識の組み立ても狂ってくるのではないかと思う。
だからある時は専門外のおやじの方がまともなことを言う。
その専門家の典型が政治家ですね。どう見ても思考回路が狂っているとしか見えないときがある。その時政治の専門家は政治屋となって政治を忘れる。
その政治家と固く結ばれすぎた官僚という専門家もそしてマスコミも知識人も芋づる式に志向が狂ってくる。
案外それに気づく人も出ているよう。
禁煙運動の専門家も同じで、医療などの専門知識があるのですから専門家なのですが、喫煙の危険性を訴えるにとどまっていればいいのに禁煙を知識や力で強制するようになると完璧にその思考回路は狂ってくる。行き着く先は低所得化を利用してたばこ増税で強制禁煙を正義とする思考回路に。
経済の専門家も専門知識がある。しかし企業の利益が増加し株価が上がれば賃金も上がり社会保障も豊かになるという教科書的な知識が実は思考回路が狂っている場合があるし逆立ちをすることがある。政治政策を狂わせ金融政策を狂わせてしまった。
その他教育でも社会科学でもすべての社会全体の中での専門知識のある専門家が思考回路を狂わせていく。
あらゆる分野の専門家の思考回路が狂ってくるというのは、その中での思考回路(哲学)の共通性があるからでしょう。思考回路(哲学)が根っことなります。この根っこからたくさんの専門家というあだ花が咲き乱れる。
国民はその生活実感から子育てや老後の生活からその花があだ花であることに気付く。
だから専門外のおやじやおばちゃんや遊びまくっている若い人の方がまともなことを考えるのです
でも国民は権威に弱いし専門家という言葉に弱い
その権威や専門家に力を当て、その力がまた国民を弱くする
とは言ってもそのような専門家は社会実態から自壊していくでしょう。専門家もまともな思考回路に
もちろんそこには思考回路が正常なたくさんの専門家がいる。。。。。
おやじやおばちゃんや若い人たちは生活実態を見る専門家です。この専門知識を生かしましょう。しかし狂った思考回路の専門家のように自ら狂ってしまってはいけない。
感情的にならずに正直に。。。。
正常な専門家が必ず結びつくようになる。

【2021年】ツイッターつぶやき
夜の高速道路を飛ばして帰宅しました。
歳をとると夜の運転は怖いのでなるべく走らないようにしているのですが、今夜は仕方なく走りました。でもすいていて気持ちよく走れました。
でも、疲れますなぁ。。。。。。
早く寝よ・・・・

【2022年】ツイッターつぶやき
「鎌倉殿と13人」が最終回でしたね。
義時がどのような形で死ぬのかが話題となりましたが、毒殺のようでもありましたが、最後は政子が薬を与えず見送った形でした。鎌倉に北条の武士政権を作り上げた義時と政子。血にぬられた鎌倉政権を終わりにして義房の時代に。義時は御成敗式目を作り政治的基盤を作る。これが義時と政子の思い描く政権だったのでしょう。しかしその過程に多くの殺戮が。。。。。。
義時の役割が終わり命も終わる。
この義時の役割とは何だったのか。武力と策略に長けた武将が天下を取る話と勘違いする人が多いのかもしれません。しかし義時の役割は、公家(貴族)社会を倒して武士政権を作り上げることでした。ですから承久の乱は階級闘争の革命でした。貴族社会から武士社会へは歴史の発展です。当時の市民は武士階級に支配されながらも土地を開拓していく。地方自治のようなもので地方に経済が発展していく。ですから義時はこの経済の発展とその政治を作り上げていく礎だった。
政子は、歴史上義時は上皇を追放した極悪人、私は悪女だったとされると。義時はそれを否定し政子もそれでよいのだと。歴史上は天皇家に逆らった極悪人兄弟となるが、現実は武家社会を作り上げ歴史を社会を発展させた兄弟だった。
最終回がはじまる前に次の大河ドラマの主人公家康(松本潤)が出てくる。東鑑を愛読する家康。
義時から400年後に武士国家を仕上げた。次の大河ドラマはこの仕上げを見ることになりますね。
もちろんその政権は武士による封建社会ですから今から思えばひどい社会です。しかし社会を一段階発展させたことには間違いない。
徳川政権は300年続き封建社会の限界を迎える。武士は商人の経済的支配下に置かれる。
それが前後する大河ドラマである渋沢栄一を描いた「青天を衝け」で大政奉還をする義信の姿に。
明治維新はさらに資本主義という封建制を否定した社会を作り上げる。
その資本主義は軍事国家という矛盾を抱えながら経済的にも限界が来ている。
一つの発展段階を終えようとしている。
次の社会は社会民主主義となるでしょう。

【2023年】ツイッターつぶやき
テレビニュースを見ていたら、30年ぶりの郵便料金の値上げが来年秋から行われるようです。
料金の値上げはまだそうは昔ではないような気がするのですけど?
僕は手紙といえば、役所関係等の事務的なものを年に数枚出すぐらいですのでそうはいたくありませんが、郵便料金が値上げされれば企業の負担も多くなりますから何らかの形で僕たち消費者にも影響が出るかもしれません。
企業の郵便使用はさらに減るでしょうね。インターネットで通知を知らせることが増えてご利用明細なんか来なくなっていますからそれがさらに進むでしょう。
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「12月17日という日」

2024年12月17日 08時07分03秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
寒いです。。。。
さすがにコタツひとつでは厳しい。。。。
公園の木々も葉を落としきって裸になってしまいました。公園を管理する職人さんたちが枯葉をたくさん集めてトラックに乗せていました。なんだかその姿に見入ってしまいました。

【2004年】
ホームページトップの「ちんまりと」に「テーブルから1メートル30センチ・・・・・」を書いたが、ほんとにテーブルからずっと離れて通路の真ん中に椅子に座る女がいた。僕がトイレに行こうとしたらじゃまで仕方ない。なんか不思議な人がいるものです。腕や首が伸びたというのは「うそばなし」ですが。。。。
木枯らしか・・・・寒い風が吹いています。
昨夜遅く帰宅したのですが、ふたご座流星群がまだ見れるかと空を見上げました。残念ながら流れ星は見えなかったのですが、星がたくさん見えました。なぜ冬の星はあんなに瞬くのだろ?

【2005年】
ひと月ぶりにぶらっと出かけました。
今年最後のぶらり旅をどこにしようかと迷ったのですが、神奈川県伊勢原市の山の中にある日向薬師と大山阿夫利神社の行きました。
日向薬師は奈良時代創建、阿夫利神社はなんと紀元前の崇神天皇の時代創建だそうで、由緒あるお寺や神社です。仏教は7世紀の頃に日本にやってきたものだそうですが、神社の歴史は日本古来からあったものでしょうから遅くても弥生時代頃にまでさかのぼるのではないかと思います。歴史学では、崇神天皇は実在した天皇のはじめではないかといわれ、5世紀の古墳時代ともいわれています。この伊勢原という土地は古代から栄えていたものなのでしょう。
東名高速の厚木インターで降り、山道に入っていきました。
ほんとはバス通りを走る予定だったのですが、カーナビは近回りを選んだようで、市内からすぐにはずれて山道に入ってしまいました。民家があるにはあるがほとんど車がすれ違えないような道で、その道はだんだんと山の中に入ります。ほんと、心細くなりました。1時間ほどで日向薬師に着きましたが、どうも山をぐるっと廻るようにしてたどり着いたようです。
日向薬師は山に囲まれたお寺でした。
木々には枯れた葉がたくさんまだついていたのですが、風が吹くたびにかさかさと鳴りながら落ちてきました。そんな木々に囲まれてかやぶきの屋根の本堂がありました。境内は深閑としてやはりかさかさと落ちる枯葉の音だけがひびいていました。残念ながら宝物間は閉まっていて見ることができませんでした。重要文化財の仏像があるのですが。。。本尊の薬師如来は、正月や4月にご開帳されるようです。
        枯れ木の葉 降らせし風に 薬師堂
日向薬師から大山阿夫利神社に向いました。
カーナビはまたしても林道を案内します。
しばらく走ったら、「この先許可者以外通行禁止」
バックでしばらく戻り、民家のある里に下りてからまた登りました。亜夫利神社は、下社までケーブルカーで登ります。上社は大山の頂上です。ハイキングの格好でないと上社まではいけないので下社だけをお参りしようと思いケーブルカーの駅に向いました。しかしケーブルカーに乗るにも長い階段を登らなくてはなりません。階段の両脇は土産物屋さんになっていました。なんとなく金毘羅さんの規模を小さくしたような雰囲気でした。
さて階段を登りケーブルカーに乗ったら、娘が気持ちが悪いと寝転がってしまいました。下社まで行ったのはいいですが、結局はお参りもできずそのまま下山。
娘が動けないというので階段をおんぶして下りようと思ったけど10段も下りないないうちに息が切れ足腰が砕けてしまった。ジム通いの効果がない。。。もう娘も重くなってるからなぁ。。。
どうにか下の駐車場まで降りて車に乗り込みかえりました。
どうも娘は気圧の変化などでの貧血だったようです。
今年最後のぶらり旅。。。。
娘をおんぶするとは思わなかったです。娘も恥ずかしかったろうに。。。それだけ気分が悪かったのでしょう。

やはりタバコ1本1円の増税になるらしい。
その税収を児童手当拡充にあてるという。
そもそも20本入りのタバコ1箱270円の中にどれだけの税金が含まれているのか?
国タバコ税。。。。。。 62.52円
タバコ特別税。。。。。16.40円
県タバコ税。。。。。。 19.38円
市町村タバコ税。。。 59.54円
消費税等。。。。。。。 12.85円
    計   。。。。170.69円
(茨城県税務課タバコ税)平成15年度
ううう。。。。
1本1円の増税がどこの税収になるかわからないが、1箱290円になり、190.69円の税金を払うことになるのか?
それでは国全体四方自治体全体ではどのぐらいの税収になっているのか?
タバコ税(国税)。。。。。。9032億円
タバコ特別税(国税)。。。2411億円
道府県。。。。。。。。。。。 2778億円
市町村。。。。。。。。。。。 8538億円
      計。。。。。。。 11316億円
(総務省か?)平成15年度
ううう。。。
タバコ特別税は、たぶん国鉄債務を減らすためのものだと思うが、今回の児童手当に当てるというものも、タバコ税の目的税化である。
タバコ税だから世間に迷惑をかけているんだから上げてもよいだろうという短絡的な考えをしていたら、今うわさされる消費税の目的税化がすんなりと通ってしまうだろう。消費税を上げる代わりにほんの少しの%は福祉目的税にするとか。

【2006年】
いろいろとノロウイルスのニュースが出てきています。
よく聞いていると、2,3日で腹痛(下痢)と吐き気は消えるとあります。この前の下痢と吐き気はやはりノロウイルスだったのかもしれません。
命を落としたり重症にはならないようなので安心ですが、今年はすごい勢いで感染が広がっているようです。
ウイルスの恐怖は以前から言われていましたが、ノロウイルスもいつ怖いウイルスに変化するかもしれませんね。
そういえば、蛇口につけている浄水器のフィルターの交換時期なので交換したのですが、水の出る部分を見てドキッとしました。黒いカビのようなものがびっしりつついていました。。。この状態の水を使っていてノロウイルス程度の下痢ですんだことは不幸中の幸いかもしれません。
水の出る部分は、日常使っていても目に入らないところですから気をつけなければなりません。

【2007年】
昨夜はごろっとコタツの中で寝てしまった。。。。
アロエの花が咲きそうです。
今頃の季節に咲くのでしょうか?
暖かい部屋の中へ入れたほうがいいのかと迷っています。
今、ちょっと調べたら(いつもお世話になっている季節の花300というサイト)、花は今がシーズンだそうです。鉢植えのアロエは咲きにくいそうですが、我が家の鉢植えに花が咲くというのはラッキーかもしれません。
ずっと花など咲かなかったのですが、今年初めての花です。毎年咲くようになるかな。。。
いよいよ忙しい週に入りました。。。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
(5)で見た
A社は100人あたりの商品の生産性は年間5万個とする。
B社は100人あたり10万個。
C社は100人あたり15万個。
というひとつの産業内のこの3社を別の角度から見ることにする。
A社は、不変資本(設備や原材料など)と可変資本(労働力を買うための賃金)に投資をして生産を行うわけですが、100人あたりという労働力が5万個という商品量に価値移転させる不変資本量は少ない。一方C社は同じ100人あたりの労働力が15万個の商品を生産するために不変資本量は多くなる。すると100人あたりの労働力への賃金である可変資本量は同じでも不変資本量は大きな違いを見せる。同じ可変資本量に対して不変資本量が大きくなる割合として資本の有機的な組成が高くなるわけですが、これは企業活動から見ると一つの生産拡大となります。
また、C社は圧倒的にその商品価値を安く生産できるわけですから(5)で診たように平均的な市場での価値(価格)で商品を売らなくても値下げをして市場での独占化を行うことができます。独占化はより多く生産された商品を売りさばくことにも有効なわけですから、商品を値引きしたとしてもそれは利潤の拡大となります。この独占化傾向は、C社がもう一つ同じような工場をつくる動機ともなります。ここに生産拡大というものが強くなります。
(5)でも書いたようにAB両社もこれに追いつけ追い越せと生産性を上げながら生産拡大を行います。
商品がより多く生産される拡大再生産されるというものは資本主義経済法則の一つの現れです。
ちなみにこの生産拡大によるより多く市場に出された商品価値(価格)はどうなるかというと、100人あたりの生産性の拡大の中では、その生産拡大は不変資本量の増加という形で現れることを上に書きましたし、C社がもう一つ工場を作り新たな100人という労働力を増やしたとしても100人あたりというものには変わりはなく資本の有機的な組成は変化しません。労働の過程の中により多くの不変資本が新たな商品に価値移転(機械の減価償却や原材料の消費など)されるわけですが、この不変資本は価値移転されるだけであり新たな価値を生み出すものではありません。新たな価値を生み出すのは、不変資本を商品という形に価値移転させる過程においての労働力量にほかなりません。ですから商品の価値は、不変資本量がどのくらい価値移転されたかというものにプラスされて労働過程でどのくらいの労働力量が消費されたかにあり、新たな価値創造として残るのは労働力の消費という形での価値の増加という商品価値となります。
C社が以前はB社と同じ生産性にあり、生産性の工場により現在の生産性に高まったと過程をしてみると、以前は100人の労働力量で10万個の商品を生産していたのですが、今は15万個になった。しかし商品に新たな価値としてプラスされたのは同じ100人の労働力なわけですから、以前の10万個の商品価値と現在の15万個の商品価値は同じとなります。これを一つあたりの商品価値としてみると、一つあたりの商品価値は以前より価値を減らしたということになり、市場における商品価値はsがっていく傾向を示します。価値どおりに売られれば商品は相当安くなります。
この商品の価値の低下による低価格化葉もまた資本主義的生産の法則性となります。これで資本主義の市場においての商品の低価格化と商品量の爆発的な生産拡大が資本主義的経済法則の必然であり法則性だということがいえると思います。
ではこの資本主義的生産がどのような帰結をもたらすのかということになります。

詩人銀色夏生さんが今年作ったレーベルsummer born recordsから発売になった山元バンド「ハイネ//神聖な思い」を買いました。
作詞作曲は銀色夏生さんです。
歌は銀色夏生さんのお嬢さんKーK(本では「かーか」)。
プロではない素朴な可憐な歌声が印象的でした。
静かなメロディーが流れるように続きます。
初めて聴いてこの詩とメロディーが流れるなんとなく懐かしいような世界は何だろ?と考えていたら、昔よく聴いていたインド音楽。素朴な楽器が流れるように音をかなで歌は語るように続く。これとよく似た作品ではないかな?と。大昔語り部がいて叙事詩を歌うように伝えた語り物。
詩人が書く歌詞ではない詩を一つのメロディが単純に流れる。。。。現代の語り部というのか語り物なのかもしれません。
詩はまたゆっくりと読みたいと思います。そしてまたCDを聴くといっそう何かが心に問いかけるものがはっきりするかもしれません。

一昨日の「自然水中水準(2)」では賃金高や雇用者数との関係から利潤率への影響が語られているといった中身について書きましたが、利潤率は労働力を買う場合にもその価値によって買うわけですから他の原材料を買うのと同じで利潤を得るには価値通りの値段で買ってそれを消費して商品をつくる中で得られるものです。今は労働力も買いたたかれて安く雇用売ることが企業の利益だといった謝ったものがはびこるようになってしまいました。しかし利潤率の一定化と商品価値(市場での価格)は下がるのが法則だといった視点で考えるべきかと思います。
以下、以前書いたものの再録ですが、長いのであくまでも自分自身のおさらいとしてこちらに乗せます。(まとまらずにわかりにくいです。自分でイライラする(笑))

「労働の生産性の向上は商品の価格を下げる。社会的合理性は賃金を下げる。
これはデフレと勘違いをされますが、社会的な経済政策の変更によっては社会の発展となるわけです。
そこにはもう少しなぜ商品価格は下がる傾向になるのか、賃金はなぜ下がる傾向になるのかを見なくてはならない。 」
と書きました。
ある商品を生産するには生産手段と労働力が結びつかねばなりません。企業は生産手段と労働力を買うわけですが、それは生産手段を買うための不変資本と労働力を買うための可変資本を投資します。ここでは生産手段も労働力もその価値どうりに支払われます。
労働の生産性が高まるというのは、より少ない労働力でより多くの商品を生産することにあります。そのために機械化は進み生産システムは合理化されます。例えば、ある企業が今までは1000人の労働力を使って年間10万個の商品を作っていたとします。この中で生産性が高まり、極端な数字ですが、年間20万個の商品を生産できるようになったとします。すると可変し本領資本量は変化しませんが不変資本は新たな工場や機械を導入したり原材料も2倍になるわけですから可変資本に対して不変資本は大きくなります。または市場を見て20万個の商品は過剰という見通しを立て今までのように10万個の商品を生産するとなると必要な労働力は500人と半減をします。
ここで何がおきるかといえばこのような労働の生産性の向上は不変資本に対する可変資本量の変化として現れます。この変化は生産のための不変資本と可変資本の有機的組成を変化させます。
この企業は市場に倍の20万個の商品を出すか、同じ10万個の商品を出して500人首を切るかを選択するわけです。
このような中で何がおきるかといえば、上の企業と同じ商品を生産する産業があるわけですが、その産業全体で同じことが行われるわけですから、市場にはあふれるような商品が投げ出されるか、その産業内においての労働力の削減が行われるわけです。商品の過剰生産か失業が不可避的になります。そしてこの生産性の向上は、国内、現在では全世界において行われ、資本主義生産は過剰生産と失業という矛盾を引き起こさざるを得ません。
次はこの矛盾を引き起こす原動力となるものが何かをみなければなりません。
労働の生産性は同じ労働力量に対してより多くの商品を生産し時には過剰生産というものも生み出し、もしくは労働の生産性が高まる中でその商品量を同じにしたとするならばそこに必要な労働力量は過剰になり時には失業を生み出すと書きました。
もちろん市場における好景気時はその商品の消費量は個人消費という形でより多く消費をされ同時に設備投資という中での消費も盛んになります。しかしこの好景気にも個人消費には限度があり、設備投資をされた不変資本は最終的には大衆消費財として個人消費のための商品に価値移転されるわけですからこの設備投資という消費も限界になる。やはりこの帰結の中に過剰生産と失業はすでに内包しているわけです。
常に過剰生産傾向と失業傾向は生産性の向上の中において必然性を含んでいます。
このように一つの矛盾を引き起こす生産性の向上がなぜ急速にすすむのでしょうか?
よく言われるのは生産性の向上はあたらいい商品をよりやすく生産をして国民生活を豊かにすることが目的であり、だからこそ人々は生産性の向上に取り組んでいくのだと。しかしこれは動機と結果が逆転した結果論にほかなりません。労働自体は生活を豊かにすることは間違いはないので、人々が労働することからこそ国民は豊かになるわけです。ここでは新しい機能性に優れた商品を生み出すといったようなことは、何も生産性の向上に関係なく生まれていきます。ただ安い商品を作り出すことが動機なわけです。これが動機ですから安い商品を市場に流通させることが生産性向上の原動力なわけです。目的なわけです。この目的と結果は一致するとは限りません。国民生活を豊かにするというものは直接の目的ではないからある場合にはこれが結果として出てくることは限らないのです。ここに過剰生産と失業という結果が同時に出てくるし、労働の生産性の向上が一つの矛盾として現れます。
生産性の向上というその動機と目的は商品価値を下げるということです。そしてそれは競争に支配されいます。この競争はより多くの利潤獲得と生き残りの競争です。これが生産性を急速に推し進める原動力です。
より多くの利潤の獲得といった場合、市場の中で見えやすいという点では、ある商品の中である企業が作る商品の性能や機能性そしてデザインなどといったもので売り上げに変化がおきます。しかしこれらの付加価値はその商品の使用価値の高まりによるもので価値自体が高くなったわけではない。同じ労働力を消費した商品は使用価値を高めることはあっても価値は高めない。今年爆発的な売り上げをした自動車は、他の企業が同じものを売り出すと価格が下がった。価格が下がったというのは、価値が下がったというのではなくて使用価値が特別なものであったがそれが特別なものでなくなったからの価格下落で、その自動車の価格が価値に近づいたということです。自動車産業全体の同じグレードの車はその価値によって価格が決まるというのが基本で、長い市場の流れの中に価値は基本的なものであることは経験としても見ることができるでしょう。
商品はどのぐらいの労働力量を消費したかでその価値は決まる。そして労働力を消費している過程である労働が商品という形を形成したり他にはない上のような付加価値もつける中に使用価値を形付けるという労働価値説から商品をよりやすく生産をし、利潤を高めるという中の競走を見なくてはいけない。

ある商品をつくる産業内にABCという3社があったとする。この3社は生産性の違いがある。
A社は100人あたりの商品の生産性は年間5万個とする。
B社は100人あたり10万個。
C社は100人あたり15万個。
少し極端な数字ですがその生産性の違いをわかりやすくしておきます。
上の生産性は労働力を「100人あたり」としての比率であり、3社にはとうぜん生産規模は異なります。また、商品のデザインなどという使用価値はここでは考えずにその商品の価値はどのくらいの労働力を必要としたかの労働価値説としてその生産性を考えます。そしてその労働力は価値どおりに買われ賃金として支払われ3社共に同じ額とします。
この3社で生産された商品が市場に出ます。
一つひとつの商品の価値は市場価格として現れます。当然にA社の商品は市場において高くなり、C社の商品は安くなります。B社の商品が平均的な価格となります。各社の生産規模の違いなどもあり市場の中での商品量の中で市場価格がB社が生産した商品の価格に一致したと過程をします。それを仮に10万個の商品の価格を100億円とします。
するとどういうことがおきるかといえば、100人あたりの労働力としては、A社は同じ労働力を使ったにもかかわらず5万個の商品50億円の売り上げしかありません。それに比べてC社は15万個150億円の売り上げが出るわけです。同じ労働力量を使ってもその売り上げに大きな差が出ます。平均的なB社は10万個の商品で100億円の売り上げがありますが、この平均的なB社を基準に見ると、A社は生産性が極端に低く、C社はそうとう高い生産性となります。
各社の商品の価値は市場の中で平均的な価値に落ち着きそのある商品の価値を決定する。するとA社の利潤は低く、C社の利潤は高くなり、B社が平均的となります。しかしここで注意をしなくてはいけないのは、生産性が低いとはいえA社はけっして「赤字」ではない。ただ会社としての利潤が低いだけであり、労働者には何の責任もないし賃下げ理由にはならないことは後の議論には必要となります。
同じ労働力を消費しながらも市場においての利潤が異なる。一つひとつの商品価値は、C社は低いにもかかわらず平均的なB社と市場では同じ価格として売れる。この平均的な価値と本来の価値との差額を特別な剰余価値としてC社は手に入れるわけです。
この中においてA社はもちろんB社もC社と同じ生産性に高めようとします。C社は今以上に生産性を高めようとします。利潤追求のために。。。。
これが資本主義的競争なわけであり、商品をより安く大量に生産していくという原動力なわけです。
A社は100人あたりの商品の生産性は年間5万個とする。
B社は100人あたり10万個。
C社は100人あたり15万個。
というひとつの産業内のこの3社を別の角度から見ることにする。
A社は、不変資本(設備や原材料など)と可変資本(労働力を買うための賃金)に投資をして生産を行うわけですが、100人あたりという労働力が5万個という商品量に価値移転させる不変資本量は少ない。一方C社は同じ100人あたりの労働力が15万個の商品を生産するために不変資本量は多くなる。すると100人あたりの労働力への賃金である可変資本量は同じでも不変資本量は大きな違いを見せる。同じ可変資本量に対して不変資本量が大きくなる割合として資本の有機的な組成が高くなるわけですが、これは企業活動から見ると一つの生産拡大となります。
また、C社は圧倒的にその商品価値を安く生産できるわけですから(5)で診たように平均的な市場での価値(価格)で商品を売らなくても値下げをして市場での独占化を行うことができます。独占化はより多く生産された商品を売りさばくことにも有効なわけですから、商品を値引きしたとしてもそれは利潤の拡大となります。この独占化傾向は、C社がもう一つ同じような工場をつくる動機ともなります。ここに生産拡大というものが強くなります。
(5)でも書いたようにAB両社もこれに追いつけ追い越せと生産性を上げながら生産拡大を行います。
商品がより多く生産される拡大再生産されるというものは資本主義経済法則の一つの現れです。
ちなみにこの生産拡大によるより多く市場に出された商品価値(価格)はどうなるかというと、100人あたりの生産性の拡大の中では、その生産拡大は不変資本量の増加という形で現れることを上に書きましたし、C社がもう一つ工場を作り新たな100人という労働力を増やしたとしても100人あたりというものには変わりはなく資本の有機的な組成は変化しません。労働の過程の中により多くの不変資本が新たな商品に価値移転(機械の減価償却や原材料の消費など)されるわけですが、この不変資本は価値移転されるだけであり新たな価値を生み出すものではありません。新たな価値を生み出すのは、不変資本を商品という形に価値移転させる過程においての労働力量にほかなりません。ですから商品の価値は、不変資本量がどのくらい価値移転されたかというものにプラスされて労働過程でどのくらいの労働力量が消費されたかにあり、新たな価値創造として残るのは労働力の消費という形での価値の増加という商品価値となります。
C社が以前はB社と同じ生産性にあり、生産性の工場により現在の生産性に高まったと過程をしてみると、以前は100人の労働力量で10万個の商品を生産していたのですが、今は15万個になった。しかし商品に新たな価値としてプラスされたのは同じ100人の労働力なわけですから、以前の10万個の商品価値と現在の15万個の商品価値は同じとなります。これを一つあたりの商品価値としてみると、一つあたりの商品価値は以前より価値を減らしたということになり、市場における商品価値はsがっていく傾向を示します。価値どおりに売られれば商品は相当安くなります。
この商品の価値の低下による低価格化葉もまた資本主義的生産の法則性となります。これで資本主義の市場においての商品の低価格化と商品量の爆発的な生産拡大が資本主義的経済法則の必然であり法則性だということがいえると思います。
ではこの資本主義的生産がどのような帰結をもたらすのかということになります。
A社は100人あたりの商品の生産性は年間5万個とする。
B社は100人あたり10万個。
C社は100人あたり15万個。
(6)でも触れましたが、この労働の生産性の違いから生じる商品の市場価格がその価値からはなれて平均の価格形成としての特別な剰余価値を与える中での各社の利潤率はC社が一番高くA社が一番低くなる事を見ました。そしてここに資本主義的競争の原動力がある事を見ました。
この中でA社はもちろんB者もその生産性を向上させようとします。そしてC社と並ぶ生産性を得たと仮定します(C社の生産性は現在のある限界内にあり停滞するとします)。するとこのある商品を生産する産業内には平均な利潤が確定します。各社はそれぞれ100人当たり15万個の商品を生産することができるのですから、この産業をX産業とすれば
X産業は100人あたりの生産性は45万個
となります。
仮に10年前のX産業の生産性は低くてA社並みだったとすれば、X産業はこの10年で同じ労働力量(100人あたり)での商品の生産数が15万個から45万個の増加したこととなります。10年前と現在でも不変資本量と可変し本領の投資される資本は同じとすれば、それを分母として商品の総(100人あたりの労働力に対してですが)売上を分子にした場合、ある利潤率が決まります(追記:分子分母反対だったかな?)。しかしこの生産性の違いにより何が異なるかといえば、生産された商品量にあります。ある一定の利潤を得るには、10年前は15万個生産をしていたが今では45万個を生産している。そうすると商品1個あたりを見るとその価格は3分の1になります。X産業では同じ利潤を得るのにより多くの商品を市場に出さねばならなくなったということです。
同時に特別な剰余価値を得られなくなっているわけですから市場価格は価値に一致してきます。
資本主義生産とその資本主義的競争がもたらす一つの帰結は、市場における商品量の増加と一つあたりの商品の価格は価値に一致をして低下するということです。
これは資本主義生産の無政府性として現れざるを得ません。
X産業では、より多くの利潤を求めようとすれば工場の新設や市場の独占化のために各社の潰しあいに頼らざるを得なくなります。これがまた資本主義競争として行われるようになります。そしてまたこの工場の新設の競争がさらに市場に送る商品量の増加とも結びつくことが起こります。しかしここでは先にも書いたように特別な剰余価値を得られなくなっていますから、企業の利潤率は上がりません。生産性の向上のない中に工場の新設だけでは利潤額は上がるが利潤率は高まらない。ここに企業あるいはX産業そのものにまず停滞感が現れます。
一方商品量は市場の中により多く出されるわけですしその商品量は無政府性の中にあり一度過剰感が出てくると各社の中では値下げ競争もはじまります。値下げといっても赤字になるわけではないが、利潤低下であると同時に剰余価値率の低下として現れ始めて企業の停滞感はさらに深まります。
その産業では株価が下落をして資金が他の産業に流れていくでしょう。今資本をより吸収する産業の育成とか言われていますが、それはこのことからはじまる一つの帰結菜わけです。
しかし以上のような現象が他の産業にも波及をしていくならば、一つの社会そのものが不況という形をとり始めます。

【2011年】ツイッターつぶやき
昨日野田総理が福島原発の事故そのものの収束宣言を行った。
今朝の新聞でもこの発言を大きく取り上げて終息宣言をするには早すぎるのではないかという疑問も投げかけられていた。また、この収束宣言の定義もなんとなくあやふやな状態である。
これは福島原発の事故の事故そのものの定義のあやふやさからも出る収束宣言の定義のあやふやさではないか。
福島原発の事故とはどのようなものか?
核燃料の冷却装置が働かなくなり燃料棒がメルトダウンを(チャイナーシンドロームの一歩手前?)お越し制御不能の状態になったことが事故そのものではないか?その中で付帯的な事故として水蒸気爆発や汚染水の海への流出そしてその中で核種が体験や海水に拡散して汚染を広げた。この現象面だけが事故ではないのであり、根本は核燃料の制御不能が事故なのである。現在冷温停止状態になっているから核燃料は制御されている?ただ水を大量にぶっかけているから低温になっているだけではないか?これを核燃料の制御とは言わないだろう。核燃料が制御できる状態でなければまだ事故は続いているのである。
野田総理の発言はなぜそんなに急いだのだろうか?
事故の終息宣言を出さなければ原発周辺の死の町を除染(年間外部被ばく量20シーベルトという異常な数値まで)除染をして人を町に戻すことを行うためだろう。これは東電や国の賠償金を減らす作用があるだろう。同時に汚染のひどい地域の除染は金をばらまく道具でもある。
そして上のことにも関連をするがもう一つの急ぎ収束宣言をする理由は、「自己が収束しないと日本に対する信頼が失われ続ける」というある閣僚の言葉(朝日新聞17日朝刊2面より引用)にあるように対外的なものとしての安心づくりがあったのだろう。
しかしこの住民や海外を安心させるために収束宣言を急ぐというのは本末転倒した論理である。
「知らぬが仏」ということわざがある。事実だとしてもそれを知らせることによりその人が不安がったりするから知らせぬことも仏の心だといったことわざかと思いますが、日本人はこのような意識をたくさん持つ。今回の原発事故においても、低レベル放射線の影響は判明しないと言いながらもすぐに健康を損なう数値ではないとか、根拠に疑問が残る500ベクレルの基準値を出して基準値内だから安全だよという。今回の事故収束宣言もこの知らぬが仏的な論法で政治が動いたということではないか?
人々(国民)に安心を与えなければならない。このような言葉がどこにも反乱をしている。まさに知らぬが仏的な論法である。もちろんそれでも政治家としての立派な志からの知らぬが仏ならまだ救いようがあるが、そうではないでしょう。。。。東電を守るためとか。。。
知らぬが仏と得意顔をしたとき、内外から批判が高まったらどうするのだろう。なおさら政府と日本という国の信頼が失われるのではないか?

【2012年】ツイッターつぶやき
選挙の結果が出ましたねぇ。。。。まずはツイッターから。

東京新聞:小選挙区の宿命 自民得票4割、議席8割:政治(TOKYO Web) http://t.co/pdh7Pi7E
引っ込みがつかなくなって突き進む政治。。。。。
<1票の格差>2.425倍 2倍超は72選挙区(毎日新聞) - Y!ニュース http://t.co/3wgFHp6N「最高裁から違憲状態と判決を受けたまま衆院選が実施されたのは1983年の中曽根康弘内閣以来」「2度目の異例の事態」。。。。次の内閣は選挙管理内閣でしょう。
安倍総裁「危機突破内閣」に、石破幹事長は留任(読売新聞) - Y!ニュース http://t.co/6WbVSMx0「危機突破内閣」の代位の仕事は、違憲状態の選挙ですから合憲的な選挙をまず行うこと。
「第一の仕事は」
憲法と国民生活や安全は車の両輪。。。。。。
野田総理は、「情」の政治だったような気がする。「争点なき選挙」とも言われていたが、ほんとは争点はたくさんあった。しかしこの争点も情や感情に流される中に見えなくなっていたのかもしれない。国民も。まずはこの情や感情などから離れた政治の再構築でしょう。
最大の弊害は、民自公という二大政党制の放棄による大多数勢力の結集だった。そして小選挙区制という選挙の結果は大多数勢力が出来上がった。今の社会で争点はたくさんあったが、民自公という政治に争点がぼやけてしまった。二大政党制の間に争点がなくなってしまっただけだ。
選挙は二大政党制を崩壊させて圧倒的多数派を作り上げる。政治勢力的には国会内の争点はぼやかされるでしょう。国民の中には生活や原発など要求はもちろんまだ存在する。国会と国民意識の間における溝は深まるだろう。ますます国民同士の連帯が求められるだろう。この連帯をつくる政党の結集が必要です
55年体制下では常に多数であった自民党と少数派であった社会党や共産党であったが、自民党の暴走を食い止め、平和主義や経済発展を国民生活にも波及させる役割を持っていた。それがなぜできたかというと国会勢力+労働組合や穏健的な市民運動というものがあったからだろう。
世論作りは各政党もマスコミも行うだろう。しかしこの「世論作り」が情や感情であってはならない。政党の中にはこの状や感情による世論作りにしか頼れないところがあるだろう。言い換えればごまかしの政治である。一方には本当のことを言うしかない政党もあるだろう。国民の実態から。
国民も自らの生活の実態から政治を動かすものを見つめなければならないだろう。考える力の必要性は何も子供の教育だけではない。大人自らがその力を持たないと。。。。特に今回も若い方の投票率が低かったようですし、若い方たちの力が必要です。未来は若い人たちのものです。
世代間格差や官民格差という感情的なものに流されるのではなくて、まずは自分自身の働き方や賃金そしてそれらの中に置かれる生活そのものを見つめるべきです。オヤジやおばちゃんも見つめるべきで、爺ちゃんやばあちゃんも見つめる。そこで一致点が出てくるでしょう。そしてみんなでそれを声にする。
この国民の声を吸い上げる政党はどこか。。。。それは少数派政党でしかなくなっている。

今回の選挙は違憲状態のままに行われ、解散前の民自公合意という二大政党制の本来の在り方からも逸脱した大統一的な大多数派勢力の中においての解散でした。この中で失われた民意は大きいでしょう。民主党が大勝したところまでさかのぼりみるとすれば消費増税もそうですし、原発事故後の脱原発の国民意識も再稼働に向かっていった。民主党の自民党化とも言われていましたし、脱自民党政治という国民意識自体という民意も失われた。
大多数派勢力の国会と民意の乖離がすすんだと見るべきではないでしょうか?
このような民主党の政治的混迷や自民党化により、今回の選挙では民主党は保守層の支持も失いリベラル支持層にも愛想をつかれ、そして無党派層にもそっぽを向かれて大敗して自公そして政策的に共通する維新の会やみんなの党という大多数勢力が出来上がった。
これは小選挙区制度という矛盾からも「東京新聞:小選挙区の宿命 自民得票4割、議席8割:政治(TOKYO Web) http://t.co/pdh7Pi7E」という状態が出て、自民党支持が増えたとはいえ議席の8割も与えるような私事ではなかったが、結局は国会内勢力としては大多数派をつくりだした。この点からも国会は民意と乖離したものとなる。もちろん民主党の勝利の時も同じようなことが起こったのだが、この時はマニフェスト政治の支持が広がる中での政策的な結果としてマスコミの論調も自民党政治からの脱却でしたし、民意もそこにあり、国民の総意という結果に近いものが選挙結果となっていたと思います。しかし今回は改憲や原発維持など疑問が残りつつの自民党勝利だったわけです。今回はマニフェストはなかった。民自公による争点がぼけてしまう大多数派政治の流れの中にありました。
総与党政治が現れるかもしれません。
国会のほぼ全会一致での会見の提案が出てくるかもしれませんね。民主党が大連合的になり、自・民公+維新の会・みんなの会・未来の党?
この時民意はどのような形をとるか。。。。。
視点は、憲法も国民生活に密着するものですから、この国民生活の中からもう一度政治的争点をつくりだすしかないでしょう。何も国民が争点をつくりだすのではなくて、経済法則とそれへの経済政策の矛盾自体が争点を生み出していくでしょう。その中には原発問題も含まれます。それへの細かな対応が必要なだけです。

【2013年】ツイッターつぶやき
株価の値上がりを見て刑期の回復状態を言う短絡的な見方もありますが、円安誘導による輸出産業の株価値上がりに反応して株価が上がっているわけですから政策的な色合いの強い株価ではないでしょうか。
この株価は企業の利益にもつながりますから表面的な景気判断は高くなるでしょう。
日銀の短観(ロイター)が発表されて大企業から中小企業まで各企業の業況判断が改善されたという。しかしこの業況と実際の景気は一致しないというのが現状ではないでしょうか?消費の拡大も言われていますが、個人消費も消費増税前の駆け込み需要や高額商品の消費拡大が強いでしょうし、企業の設備投資も積極性が出ていない。消費増税に向けての不安材料も出ている。公共事業による需要も一時的なものでしょう。そして企業は大幅な賃上げには消極的ですし、労働の規制緩和は低賃金層を増やす。ですからアベノミクスが掲げるデフレからの脱却でも層は物価の伸びが見られないし、それは現在でも消費の低迷からのデフレ圧力が続いているということでもあります。円安によるエネルギーや原材料費そして食品(減量も含む)が高騰している中でそれを価格に転嫁しにくい状況も生まれるでしょう。それはいつか企業の重荷になり、消費増税はそれを決定的にするでしょう。
高見ると一時的な業況判断と実際の景気の回復の実感とは乖離したものではないでしょうか?
中小企業は大企業の下請けの不安から独立しようとしている。
株価は為替に支配されて不安定になりそれは企業の業績からの株価と乖離する。
ここにひとつのアベノミクスの限界を示すようになっているのではないでしょうか。安倍総理は新たな日銀の金融緩和を求めざるを得なくなるでしょうし、実際にそれを口にしている。日銀の金融緩和の出口は景気の回復時だと。。。。。しかし現実は景気の回復とはならずにその出口は見えない。円安・株安とはならないか?株価維持のためにどこまで円安を求めるのか。現在の円安状態の恒常化においての株安は新たな経済矛盾となるでしょう。

【2014年】ツイッターつぶやき
今年の春闘に引き続き来年も管制の賃上げに向けて政労使が協議に入っている。政府は成長戦略のために財界に賃上げを呼びかけ財界もそれに応える。連合も賃上げに向けてベースアップを要求するだろう。
しかしこの賃上げに対する財界の原資はどのようにつくられるか?
「賃上げ後押しへ法人税減税先行」として賃上げの原資を法人減税によって確保するという動きがあるようだ。もちろんそのまま減税分が賃上げに結びつくかといえば、春闘は企業の業績が優先されるわけだから輸出産業と内需関連企業の差は出るだろう。一定の法人減税の率が定められているわけだから、賃上げした分を減税をするというわけではないだろう。
この官製の間接的とはいえ税を使った賃上げの財源はどこから持ってくるのか?
それは消費増税10%を先送りしたのだからと歳出削減が行われるが、その削減したものの一部が法人減税=官製賃上げと結びつく。歳出削減が来年度予算でどこが大きく削られるかは今のところ分からないが、これまでの政策の延長として見れば社会保障だろう。
同時に「介護報酬引き下げへ」という動きがある。
介護職場の低賃金の是正が言われているが、介護報酬の引き下げはさらにこの介護労働者の賃上げを困難にするでしょう。
一方における官製賃上げと一方におけるさらなる賃下げという構図が出来上がる可能性がある。
社会保障の削減は国民生活の低下や負担増に結びつく。
もちろん春闘における賃上げ自体は歓迎する。しかしその賃上げが官製賃上げとして間接的であっても税によるものとすればそれには反対をせざるを得ない。

【2015年】
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
先日新しい電子レンジを買いましたが、一昨日冷凍食品のスパゲティーを温めようとしたら、食べる時にまだ凍っている部分が出てきました。
ちゃんと袋の温め時間を見てチンしたのですが・・・・・・
冷凍食品のボタンもありますが、これは解凍のためですよね。。。。
30年前に買った壊れてしまったレンジはちゃんと美味しく解凍・温めができていました。
可笑しいなぁと思いながらさらに2分ほど沈チンしたら食べられるようになりましたが、名でだろなんでだろ?とスパゲティーを食べながら考え込んでしまいました。
そういえば、新しいレンジにはターンテーブルがないのです。
そういえば、弁当用の食品を温めようとしたらやはり全然ダメ。
やはりクルクルがないとだめなのでしょうか?
ターンテーブルがないとレンジ内部も掃除をしやすくて良いのですが、もしかしたらそうじをしやすいという便利さやいろいろな機能も加わる反面逆に使い勝手が悪くなっているのかなと思ってしまいました。

【2018年】ツイッターつぶやき
ロイターによるとIMFが日本の消費増税に対して
「消費税率引き上げの増収分をより多く債務返済に回せるよう、対策の期限を設定して一時的なものにとどめる必要があると強調」(引用)
と、考え方を示したという。
消費税はその逆進性から低所得層に厳しい痛みのある税制です。消費増税直後は2014年の増税時にも経済の落ち込みがありましたが、これを防ぐための緩衝材が必要ということでしょう。
しかしこの緩衝材にしても政府の打ち出しているものは混乱を招くと危惧されています。緩衝材というよりも電子マネーの普及を行うことが目的のようなものもあります。
低所得層だけではなくて萎む中間層の生活にも大きな影響が出るでしょう。
5万円のテレビを買ったら5千円の税。。。。この五千円を他のものに消費をした方が経済はうまくいくでしょう。債務返済ではないアメリカから莫大な戦闘機を買うよりも。
円安誘導によりすでに国民は食料品やエネルギーは高く買わされている。悪性の物価高の上に増税ではいくら緩衝材を置いても長期的にみれば経済は落ち込むでしょう。

【2019年】ツイッターつぶやき
鯖の水煮缶が残っていたので鯖コロッケを作りました。
ボールにサバの水煮缶のサバを入れて中骨を取り除いてほぐします。
蒸したジャガイモをつぶして鯖と混ぜます。
下味は塩コショウ、砂糖、鶏がらスープの素、隠し味程度のカレー粉です。
カレー粉を少々入れると鯖の臭みが消えます。
あとは普通のコロッケと同じように衣をつけて揚げるだけです。
食い終わってから思いついたのですが、小麦粉だけをまぶして焼いてもいいかなと。塩とかケチャップとか合うかな……
家族には好評でした。大きなコロッケを二つづつ完食。

川上弘美さんの「東京日記」が更新されました。
しゅっ!。。。。。
東京の空気がいきなり入ってくるとき、時には嫌な感覚。
「YOUは何しに日本へ?」。。。いやな感覚ですなぁ。
ポーランドの空気が東京の空気に入れ替わっていく。
旅の終わり。
若いとき、1週間ぐらい奈良や京都の旅行をして東京に帰った時のさみしさや東京の匂い。
思い出します。
晴れ女に、雨女。そして「暑さ女」?
たしか東京も10月ごろは暑いもありましたね。。。。。

【2020年】ツイッターつぶやき
東京の新規感染者822人。
検査数が増加したから感染者数も増加したとも言われていますが、陽性率が高い状態ですから、逆にもっとたくさんの検査を行って陽性者を見つけなければいけないのです。
東京都はすでに感染状況を「感染が拡大していると思われる」と最高レベルの判断をしてきました。そして今日医療提供体制を「体制が逼迫していると思われる」と最高レベルに引き上げました。これにより緊急事態宣言を出すレベルとなりました。
実質不要不急の外出を控えるよう呼びかけがはじまっています。
東京が即時GO Toの中止であるべきことはもちろんですが、Go Toどころか東京に入れない、出ない取組が必要になっています。
このままでは正月前後に相当な数の新規感染者が出ることを心配する声も出ています。
昨日は重症者が9名ほど減ったと報道されていましたが、回復というよりも死亡者数が10人増加しています。
これから2週間が大切だと昨日のブログにも書きましたが、この間の取組が正月後の感染者数に現れるでしょう。菅総理の高級ステーキ会食が問題になっていますが、政府はすでに危機管理ができない状態なのかもしれません。
国民は大変なことになってしまっていると自主行動をとるしかないですね。限界はありますが。。。。これは政府が言う自己責任ではない。

【2021年】ツイッターつぶやき
日銀は大規模な金融緩和を継続するようです。
欧米やイギリスでも金融正常化の方向に進み利上げするようです。
その中で日本だけが金融緩和を維持する。
欧米ではコロナ対策の影響もありインフレが進んだために金融緩和から利上げに進むようですが、日本はコロナ対策でも国民生活支援にはあまり金をまわしていませんし、円安による輸入品目の値上げがあってもなかなか価格に転嫁できなようです。ですからインフレ傾向が起きずに金融緩和を続ける。
金利が高い通貨を買って円を売ることからさらに円安が進むかもしれない。
円安による経済への圧迫がさらに悪化するはずですが、日銀はそこを低金利ですから企業に有利な形で資金の支援をすることで乗り切ろうとしている。
しかしこれでは企業は日銀に支えられるが、国民生活はさらに円安による物価上昇傾向にさらされます。生活必需品が一気に値上がりすることは否定できないでしょう。
結局アベノミクスから何の変化もなく企業へカネは集まり国民生活は貧困化していく。
もちろん今後も大幅な賃上げや社会保障の充実はないです。
欧米も金利を上げれば引き締めになりますから株から国債に金が流れるかもしれませんので脆弱な経済では利上げに耐えきれなくなるかもしれません。
正常な経済活動では有り余る貨幣が回転しなくなります。すると貨幣量の問題ではなくて貨幣の回転の問題ですからカネ余り現象に。貨幣量に関係なくデフレ不況です。。。。。。

【2022年】ツイッターつぶやき
防衛費増による1兆円増税では、その一部は実質的な所得増税になるようで、その負担増を岸田総理は賃上げで負担感が無いようにすると。
しかし賃上げの必要性はどこに置いていたのか。
円安誘導により、そして最近のドル高により輸入品目の値上がりに対する賃上げだったはず。そこから経済の好循環を目指していたはず。
生活が苦しいから賃上げが必要なのだが、賃上げをしたらその一部は増税で吸い上げる。
支離滅裂になってきました。
訪米時かG20かどうかわかりませんが、バイデンさんと何を約束し次の訪米で何を報告するのか。なんて勘ぐってしまいます。岸田総理のドタバタ政治は防衛上の危機よりも大きなものを突き付けられているのでしょう。

【2023年】ツイッターつぶやき
「どうする家康」が終わりましたね。
今の言葉で言えば、戦争のない国がつくられました。
戦争で日本が統一国家に。
今の時代も武力により世界的な地位を得ようとしています。
アメリカのウクライナやイスラエル支援も同じです。
こうした戦争による平和という思想は危険ですね。
どうする家康も同じ思想で見れば危険です。
封建制社会と今の時代を同じレベルで見たらだめです。
家康に学ぶとして戦争をはじめたらおしまいです。
封建制時代は人間の思想や社会は遅れていました。
勿論貴族社会を倒したのは進歩ですから家康の行ったことは偉大です。
これと戦争での平和を一緒にしては間違いです。
江戸幕府も武力によって倒れました。慶喜は将軍としての最後は日本を救いましたが。
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「12月16日という日」

2024年12月16日 14時05分43秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
『ホリー・ガーデン』
新潮文庫
江國 香織  著

江國さんは、あとがきに「余分なこと、無駄なこと、役に立たないこと。そういうものばかりでできている小説を書きたかった。」と書いていますが、読むものにしてみると、ページをめくるたびにといっていいほどその「余分なこと、無駄なこと」な日常や言葉中にドキッとするものがあり、けして「余分なこと、無駄なこと」ではない。
登場する二人の幼馴染の女性それぞれの恋も、不倫であり、設定としては一人の女性としてみれば人生の中での重大事である。
「きらきらひかる」では、同性愛の夫と、アルコール中毒の妻という、世間一般から見たら「異常」な恋を描いているが、「ホリー・ガーデン」の二人の女性、これも世間一般から見たら(テレビのワイドショウーで慣れているとはいえ)やはり特別な恋愛であり、不倫小説として盛り上がる小説は書けるだろうと思う。
しかし江國さんは、これらの世間一般の常識から外れた恋をごく自然に、さらりと書き、読者はこの「異常」を忘れ、まるで純愛小説でも読んでいるように感じてしまう。ここに江國さんの作品の魅力があると思う。
これは、江國さんが「異常さ」のあるものをさらりと書いてしまうという技法のうまさや「異常さ」を正当化するようないやらしさがないというだけではなく、その奥底にある人が人を好きになる、愛するという純粋なもの、それが毅然として流れていること、これこそが江國さんの作品の魅力となるのだと思う。
たとえば、子供や少年少女が、相手の社会的なものというすべての殻を見ないで純粋に好きになるというようなそんな純粋なものが江國さんの作品にはある。もちろん登場する人々は大人であり、社会という殻にがんじがらめにされている人々である。不倫という二人の女性、あるいは「きらきらひかる」の中の同性愛やアルコール中毒、これらはすべて社会の中では「異常」として見られる。これほどの社会的な殻の中でもそれぞれの登場人物は純粋でいられる。まるで子供や少年少女のように。。。。。
「ホリー・ガーデン」においては、この純粋なものは、恋愛小説でありながら二人の幼馴染という女性の中にある。
不倫相手、そのほかの二人の女性を取り囲む男たち、これらの男たちには顔がない。漠然とした顔しか見えない。二人の女性にとっては、これらの男たちは「余分なもの、無駄なこと」なのかもしれない。「余分なこと、無駄なこと」というと変だが、この「余分なこと、無駄なこと」とは、ある意味では「日常」であり、二人の女性の中に流れる日常という時間のひとコマに男がいるような気がする。
男との恋愛を含めた仕事などの雑多な日常という時間の流れのなかに、二人の女性の間にある、お互いを心配しあったり喧嘩をしたりと、二人の中には、友情というには足りない、それ以上の純粋な間柄を感じる。愛情なのか。。。。
純粋さも「余分なこと、無駄なこと」という日常を通して感じられる。
「きらきらひかる」の中で、同性愛やアルコール中毒という「異常さ」をお互いの両親から責められるが、二人にとっては、このような社会の殻の中での常識は、「余分なこと、無駄なこと」である。しかしその中でお互いの純粋な愛情を確認する。
「ホリー・ガーデン」の中の二人の女性は、お互いの不倫相手を快く思っていない。お互いに「余分なもの、無駄なもの」的な感覚で見る。しかしこれを通じて二人の女性の間に純粋なお互いを思いやるものが見える。夫婦間も同じで、いろいろな社会から受けるわずらわしさなどをお互いに対処しあったりしている中に、純粋な思いやる心や愛情が現れているのかもしれません。
江國さんは、匂いや色、手触りなど、五感をうまく使った表現が多く有りますが、日常の中で何気ないことが心を揺さぶることがあります。「余分なこと、無駄なこと」と見えるのかもしれませんが、案外この日常が必要でもあり、「余分な時間ほど美しい時間はない」のかもしれません。

昨日の日記の日付、間違っていましたね。。。。
午前中、布団でも干そうかとベランダまで布団を持っていくと、すうっと日が蔭ったりしていらいらしました。午後からは雲もなくなりよい天気です。布団を無事干せそうです。
しかし風が強い。。。。寒い風です。
家にいると、コーヒーとタバコが増えてしまいます。
コーヒー好きの僕は一日にどのくらい飲むだろう。。。まあ、コーヒーとタバコが僕のエネルギー源かも?

【2004年】
(記事なし)

【2005年】
肉じゃがを煮てます。
東京も寒い日が続き暖かいものが恋しくなります。
凍る月。。。。
スポーツジムに行ってきました。
今日から筋トレが2ラウンド。。。。さすがに辛い。どうも上半身が弱いようで、同じ回数トレーニングしても辛さは倍なような気がする。足腰は昔サッカーをやっていたのでその名残が残っているのかな?
筋トレが終わったらウォーキングマシーン。30分ほど歩いたらものすごい汗でした。隣の人を見たらランニングをしているのにそうは汗をかいていない。何で僕だけこんなに汗をかくんだろ?最後にインストラクターの人と昔で言えば整理体操にあたるストレッチをやるんだが、それですら汗が噴出す。
帰ってから体重を量ったら1キロ痩せていました。僕のような体系は痩せる必要もないんだけど。。。体重を減らさないぶん筋肉をつけなくてはならないのかな?それで筋トレが2ラウンド?
隣のスタジオでは、おばちゃんたちが太極拳をやっていた。
汗もかかずに涼しい顔をしてやっていました。中国の映像で太極拳をしているお年寄りに肥満はいない。あんがい効果があるのか。。。。楽そうです。

【2006年】
12月も中旬となってしまいました。
もう来週はクリスマスですからね。。。ううう
のんきな僕もなんだかせっつかれているような気持ちになります。大掃除はどこから手を付けたらよいのか。。。まぁ、目に付いたところからやり、見たくないところは見ないようにするしかありません。

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
ある商品をつくる産業内にABCという3社があったとする。この3社は生産性の違いがある。
A社は100人あたりの商品の生産性は年間5万個とする。
B社は100人あたり10万個。
C社は100人あたり15万個。
少し極端な数字ですがその生産性の違いをわかりやすくしておきます。
上の生産性は労働力を「100人あたり」としての比率であり、3社にはとうぜん生産規模は異なります。また、商品のデザインなどという使用価値はここでは考えずにその商品の価値はどのくらいの労働力を必要としたかの労働価値説としてその生産性を考えます。そしてその労働力は価値どおりに買われ賃金として支払われ3社共に同じ額とします。
この3社で生産された商品が市場に出ます。
一つひとつの商品の価値は市場価格として現れます。当然にA社の商品は市場において高くなり、C社の商品は安くなります。B社の商品が平均的な価格となります。各社の生産規模の違いなどもあり市場の中での商品量の中で市場価格がB社が生産した商品の価格に一致したと過程をします。それを仮に10万個の商品の価格を100億円とします。
するとどういうことがおきるかといえば、100人あたりの労働力としては、A社は同じ労働力を使ったにもかかわらず5万個の商品50億円の売り上げしかありません。それに比べてC社は15万個150億円の売り上げが出るわけです。同じ労働力量を使ってもその売り上げに大きな差が出ます。平均的なB社は10万個の商品で100億円の売り上げがありますが、この平均的なB社を基準に見ると、A社は生産性が極端に低く、C社はそうとう高い生産性となります。
各社の商品の価値は市場の中で平均的な価値に落ち着きそのある商品の価値を決定する。するとA社の利潤は低く、C社の利潤は高くなり、B社が平均的となります。しかしここで注意をしなくてはいけないのは、生産性が低いとはいえA社はけっして「赤字」ではない。ただ会社としての利潤が低いだけであり、労働者には何の責任もないし賃下げ理由にはならないことは後の議論には必要となります。
同じ労働力を消費しながらも市場においての利潤が異なる。一つひとつの商品価値は、C社は低いにもかかわらず平均的なB社と市場では同じ価格として売れる。この平均的な価値と本来の価値との差額を特別な剰余価値としてC社は手に入れるわけです。
この中においてA社はもちろんB社もC社と同じ生産性に高めようとします。C社は今以上に生産性を高めようとします。利潤追求のために。。。。
これが資本主義的競争なわけであり、商品をより安く大量に生産していくという原動力なわけです。

一昨日の「自然水中(2)」では賃金高や雇用者数との関係から利潤率への影響が語られているといった中身について書きましたが、利潤率は労働力を買う場合にもその価値によって買うわけですから他の原材料を買うのと同じで利潤を得るには価値通りの値段で買ってそれを消費して商品をつくる中で得られるものです。今は労働力も買いたたかれて安く雇用売ることが企業の利益だといった謝ったものがはびこるようになってしまいました。しかし利潤率の一定化と商品価値(市場での価格)は下がるのが法則だといった視点で考えるべきかと思います。
以下、以前書いたものの再録ですが、長いのであくまでも自分自身のおさらいとしてこちらに乗せます。(まとまらずにわかりにくいです。自分でイライラする(笑))

「労働の生産性の向上は商品の価格を下げる。社会的合理性は賃金を下げる。
これはデフレと勘違いをされますが、社会的な経済政策の変更によっては社会の発展となるわけです。
そこにはもう少しなぜ商品価格は下がる傾向になるのか、賃金はなぜ下がる傾向になるのかを見なくてはならない。 」
と書きました。
ある商品を生産するには生産手段と労働力が結びつかねばなりません。企業は生産手段と労働力を買うわけですが、それは生産手段を買うための不変資本と労働力を買うための可変資本を投資します。ここでは生産手段も労働力もその価値どうりに支払われます。
労働の生産性が高まるというのは、より少ない労働力でより多くの商品を生産することにあります。そのために機械化は進み生産システムは合理化されます。例えば、ある企業が今までは1000人の労働力を使って年間10万個の商品を作っていたとします。この中で生産性が高まり、極端な数字ですが、年間20万個の商品を生産できるようになったとします。すると可変し本領資本量は変化しませんが不変資本は新たな工場や機械を導入したり原材料も2倍になるわけですから可変資本に対して不変資本は大きくなります。または市場を見て20万個の商品は過剰という見通しを立て今までのように10万個の商品を生産するとなると必要な労働力は500人と半減をします。
ここで何がおきるかといえばこのような労働の生産性の向上は不変資本に対する可変資本量の変化として現れます。この変化は生産のための不変資本と可変資本の有機的組成を変化させます。
この企業は市場に倍の20万個の商品を出すか、同じ10万個の商品を出して500人首を切るかを選択するわけです。
このような中で何がおきるかといえば、上の企業と同じ商品を生産する産業があるわけですが、その産業全体で同じことが行われるわけですから、市場にはあふれるような商品が投げ出されるか、その産業内においての労働力の削減が行われるわけです。商品の過剰生産か失業が不可避的になります。そしてこの生産性の向上は、国内、現在では全世界において行われ、資本主義生産は過剰生産と失業という矛盾を引き起こさざるを得ません。
次はこの矛盾を引き起こす原動力となるものが何かをみなければなりません。
労働の生産性は同じ労働力量に対してより多くの商品を生産し時には過剰生産というものも生み出し、もしくは労働の生産性が高まる中でその商品量を同じにしたとするならばそこに必要な労働力量は過剰になり時には失業を生み出すと書きました。
もちろん市場における好景気時はその商品の消費量は個人消費という形でより多く消費をされ同時に設備投資という中での消費も盛んになります。しかしこの好景気にも個人消費には限度があり、設備投資をされた不変資本は最終的には大衆消費財として個人消費のための商品に価値移転されるわけですからこの設備投資という消費も限界になる。やはりこの帰結の中に過剰生産と失業はすでに内包しているわけです。
常に過剰生産傾向と失業傾向は生産性の向上の中において必然性を含んでいます。
このように一つの矛盾を引き起こす生産性の向上がなぜ急速にすすむのでしょうか?
よく言われるのは生産性の向上はあたらいい商品をよりやすく生産をして国民生活を豊かにすることが目的であり、だからこそ人々は生産性の向上に取り組んでいくのだと。しかしこれは動機と結果が逆転した結果論にほかなりません。労働自体は生活を豊かにすることは間違いはないので、人々が労働することからこそ国民は豊かになるわけです。ここでは新しい機能性に優れた商品を生み出すといったようなことは、何も生産性の向上に関係なく生まれていきます。ただ安い商品を作り出すことが動機なわけです。これが動機ですから安い商品を市場に流通させることが生産性向上の原動力なわけです。目的なわけです。この目的と結果は一致するとは限りません。国民生活を豊かにするというものは直接の目的ではないからある場合にはこれが結果として出てくることは限らないのです。ここに過剰生産と失業という結果が同時に出てくるし、労働の生産性の向上が一つの矛盾として現れます。
生産性の向上というその動機と目的は商品価値を下げるということです。そしてそれは競争に支配されいます。この競争はより多くの利潤獲得と生き残りの競争です。これが生産性を急速に推し進める原動力です。
より多くの利潤の獲得といった場合、市場の中で見えやすいという点では、ある商品の中である企業が作る商品の性能や機能性そしてデザインなどといったもので売り上げに変化がおきます。しかしこれらの付加価値はその商品の使用価値の高まりによるもので価値自体が高くなったわけではない。同じ労働力を消費した商品は使用価値を高めることはあっても価値は高めない。今年爆発的な売り上げをした自動車は、他の企業が同じものを売り出すと価格が下がった。価格が下がったというのは、価値が下がったというのではなくて使用価値が特別なものであったがそれが特別なものでなくなったからの価格下落で、その自動車の価格が価値に近づいたということです。自動車産業全体の同じグレードの車はその価値によって価格が決まるというのが基本で、長い市場の流れの中に価値は基本的なものであることは経験としても見ることができるでしょう。
商品はどのぐらいの労働力量を消費したかでその価値は決まる。そして労働力を消費している過程である労働が商品という形を形成したり他にはない上のような付加価値もつける中に使用価値を形付けるという労働価値説から商品をよりやすく生産をし、利潤を高めるという中の競走を見なくてはいけない。

ある商品をつくる産業内にABCという3社があったとする。この3社は生産性の違いがある。
A社は100人あたりの商品の生産性は年間5万個とする。
B社は100人あたり10万個。
C社は100人あたり15万個。
少し極端な数字ですがその生産性の違いをわかりやすくしておきます。
上の生産性は労働力を「100人あたり」としての比率であり、3社にはとうぜん生産規模は異なります。また、商品のデザインなどという使用価値はここでは考えずにその商品の価値はどのくらいの労働力を必要としたかの労働価値説としてその生産性を考えます。そしてその労働力は価値どおりに買われ賃金として支払われ3社共に同じ額とします。
この3社で生産された商品が市場に出ます。
一つひとつの商品の価値は市場価格として現れます。当然にA社の商品は市場において高くなり、C社の商品は安くなります。B社の商品が平均的な価格となります。各社の生産規模の違いなどもあり市場の中での商品量の中で市場価格がB社が生産した商品の価格に一致したと過程をします。それを仮に10万個の商品の価格を100億円とします。
するとどういうことがおきるかといえば、100人あたりの労働力としては、A社は同じ労働力を使ったにもかかわらず5万個の商品50億円の売り上げしかありません。それに比べてC社は15万個150億円の売り上げが出るわけです。同じ労働力量を使ってもその売り上げに大きな差が出ます。平均的なB社は10万個の商品で100億円の売り上げがありますが、この平均的なB社を基準に見ると、A社は生産性が極端に低く、C社はそうとう高い生産性となります。
各社の商品の価値は市場の中で平均的な価値に落ち着きそのある商品の価値を決定する。するとA社の利潤は低く、C社の利潤は高くなり、B社が平均的となります。しかしここで注意をしなくてはいけないのは、生産性が低いとはいえA社はけっして「赤字」ではない。ただ会社としての利潤が低いだけであり、労働者には何の責任もないし賃下げ理由にはならないことは後の議論には必要となります。
同じ労働力を消費しながらも市場においての利潤が異なる。一つひとつの商品価値は、C社は低いにもかかわらず平均的なB社と市場では同じ価格として売れる。この平均的な価値と本来の価値との差額を特別な剰余価値としてC社は手に入れるわけです。
この中においてA社はもちろんB社もC社と同じ生産性に高めようとします。C社は今以上に生産性を高めようとします。利潤追求のために。。。。
これが資本主義的競争なわけであり、商品をより安く大量に生産していくという原動力なわけです。
A社は100人あたりの商品の生産性は年間5万個とする。
B社は100人あたり10万個。
C社は100人あたり15万個。
というひとつの産業内のこの3社を別の角度から見ることにする。
A社は、不変資本(設備や原材料など)と可変資本(労働力を買うための賃金)に投資をして生産を行うわけですが、100人あたりという労働力が5万個という商品量に価値移転させる不変資本量は少ない。一方C社は同じ100人あたりの労働力が15万個の商品を生産するために不変資本量は多くなる。すると100人あたりの労働力への賃金である可変資本量は同じでも不変資本量は大きな違いを見せる。同じ可変資本量に対して不変資本量が大きくなる割合として資本の有機的な組成が高くなるわけですが、これは企業活動から見ると一つの生産拡大となります。
また、C社は圧倒的にその商品価値を安く生産できるわけですから(5)で診たように平均的な市場での価値(価格)で商品を売らなくても値下げをして市場での独占化を行うことができます。独占化はより多く生産された商品を売りさばくことにも有効なわけですから、商品を値引きしたとしてもそれは利潤の拡大となります。この独占化傾向は、C社がもう一つ同じような工場をつくる動機ともなります。ここに生産拡大というものが強くなります。
(5)でも書いたようにAB両社もこれに追いつけ追い越せと生産性を上げながら生産拡大を行います。
商品がより多く生産される拡大再生産されるというものは資本主義経済法則の一つの現れです。
ちなみにこの生産拡大によるより多く市場に出された商品価値(価格)はどうなるかというと、100人あたりの生産性の拡大の中では、その生産拡大は不変資本量の増加という形で現れることを上に書きましたし、C社がもう一つ工場を作り新たな100人という労働力を増やしたとしても100人あたりというものには変わりはなく資本の有機的な組成は変化しません。労働の過程の中により多くの不変資本が新たな商品に価値移転(機械の減価償却や原材料の消費など)されるわけですが、この不変資本は価値移転されるだけであり新たな価値を生み出すものではありません。新たな価値を生み出すのは、不変資本を商品という形に価値移転させる過程においての労働力量にほかなりません。ですから商品の価値は、不変資本量がどのくらい価値移転されたかというものにプラスされて労働過程でどのくらいの労働力量が消費されたかにあり、新たな価値創造として残るのは労働力の消費という形での価値の増加という商品価値となります。
C社が以前はB社と同じ生産性にあり、生産性の工場により現在の生産性に高まったと過程をしてみると、以前は100人の労働力量で10万個の商品を生産していたのですが、今は15万個になった。しかし商品に新たな価値としてプラスされたのは同じ100人の労働力なわけですから、以前の10万個の商品価値と現在の15万個の商品価値は同じとなります。これを一つあたりの商品価値としてみると、一つあたりの商品価値は以前より価値を減らしたということになり、市場における商品価値はsがっていく傾向を示します。価値どおりに売られれば商品は相当安くなります。
この商品の価値の低下による低価格化葉もまた資本主義的生産の法則性となります。これで資本主義の市場においての商品の低価格化と商品量の爆発的な生産拡大が資本主義的経済法則の必然であり法則性だということがいえると思います。
ではこの資本主義的生産がどのような帰結をもたらすのかということになります。
A社は100人あたりの商品の生産性は年間5万個とする。
B社は100人あたり10万個。
C社は100人あたり15万個。
(6)でも触れましたが、この労働の生産性の違いから生じる商品の市場価格がその価値からはなれて平均の価格形成としての特別な剰余価値を与える中での各社の利潤率はC社が一番高くA社が一番低くなる事を見ました。そしてここに資本主義的競争の原動力がある事を見ました。
この中でA社はもちろんB者もその生産性を向上させようとします。そしてC社と並ぶ生産性を得たと仮定します(C社の生産性は現在のある限界内にあり停滞するとします)。するとこのある商品を生産する産業内には平均な利潤が確定します。各社はそれぞれ100人当たり15万個の商品を生産することができるのですから、この産業をX産業とすれば
X産業は100人あたりの生産性は45万個
となります。
仮に10年前のX産業の生産性は低くてA社並みだったとすれば、X産業はこの10年で同じ労働力量(100人あたり)での商品の生産数が15万個から45万個の増加したこととなります。10年前と現在でも不変資本量と可変し本領の投資される資本は同じとすれば、それを分母として商品の総(100人あたりの労働力に対してですが)売上を分子にした場合、ある利潤率が決まります(追記:分子分母反対だったかな?)。しかしこの生産性の違いにより何が異なるかといえば、生産された商品量にあります。ある一定の利潤を得るには、10年前は15万個生産をしていたが今では45万個を生産している。そうすると商品1個あたりを見るとその価格は3分の1になります。X産業では同じ利潤を得るのにより多くの商品を市場に出さねばならなくなったということです。
同時に特別な剰余価値を得られなくなっているわけですから市場価格は価値に一致してきます。
資本主義生産とその資本主義的競争がもたらす一つの帰結は、市場における商品量の増加と一つあたりの商品の価格は価値に一致をして低下するということです。
これは資本主義生産の無政府性として現れざるを得ません。
X産業では、より多くの利潤を求めようとすれば工場の新設や市場の独占化のために各社の潰しあいに頼らざるを得なくなります。これがまた資本主義競争として行われるようになります。そしてまたこの工場の新設の競争がさらに市場に送る商品量の増加とも結びつくことが起こります。しかしここでは先にも書いたように特別な剰余価値を得られなくなっていますから、企業の利潤率は上がりません。生産性の向上のない中に工場の新設だけでは利潤額は上がるが利潤率は高まらない。ここに企業あるいはX産業そのものにまず停滞感が現れます。
一方商品量は市場の中により多く出されるわけですしその商品量は無政府性の中にあり一度過剰感が出てくると各社の中では値下げ競争もはじまります。値下げといっても赤字になるわけではないが、利潤低下であると同時に剰余価値率の低下として現れ始めて企業の停滞感はさらに深まります。
その産業では株価が下落をして資金が他の産業に流れていくでしょう。今資本をより吸収する産業の育成とか言われていますが、それはこのことからはじまる一つの帰結菜わけです。
しかし以上のような現象が他の産業にも波及をしていくならば、一つの社会そのものが不況という形をとり始めます。

【2011年】ツイッターつぶやき
朝日新聞朝刊16面の社説の下の「記者有論」欄に「高校教育 最低限の学びくらいは」という記事があった。以前から小学生から大学生まで学力不足が言われていたがこの記事も今の高校や大学の実態を書いている。高校の進学率は98%そして大学は「全入」時代。本来はより多くの青年たちが高い学力を得る教育環境にあるということだろうが、現実は学力の低下につながっているということだろう。
記事の中に「学校間格差を縮めて学びの内容を充実させるべき」と書かれているが、学力といった者だけでとらえるような格差ではなくて、今の社会全般に広がっている格差の一つの現れが教育や学力に出ているのではないか。学歴社会という言葉を今はあまり聞かなくなったが、今もみんなが高校を出る世の中なのだからその上の大学を出ないとだめと学力社会は進み、大学という利潤目的の面もそこに絡んできて全入となるわけです。
もう小学校の内からその学力で将来が見えてしまう世の中。。。。
昔は大学に進学はできないような高校でも卒業をして一生懸命に働けば家を持ちそうはぜいたくはできないが生活ができる中に夢もあった。その中に学習意欲もそれなりのレベルで存在をして学力をつけた。せめて高校ぐらいは出ていないと。。。。というものが今やせめて大学という名のついたところを出ていないと。。。。となっているのかもしれない。大学の良し悪しは就職率が重視をされているのではないか。そして企業の意識は?大学の勉強は3年生までで後の1年は就活。
このような中に学力の低下も出ているのではないか?よい私立小学校や中学、よい私立高校そしてゴールは良い大学。このためには学力もあるが親の生活レベルによる学校以外の学習塾などが。そしてその受験テクニック。。。。出題の傾向と対策。
学力は暗記力になってしまう。
同じく朝日新聞1面には、学校の教科書が変わるという。原発事故を受けて教科書の記載も「安全神話 覆された」と加筆。これ自体は良いことと思うが、今まで原発は絶対安全と「記憶」していたものが「安全神話は覆された」と暗記することに変わるだけの教育なら学力も上がるわけはないわけです。大人(専門家)は「どう教えるか」の中身を変化させて教えると。子供ははいとそれを暗記する。大人は原発事故をめぐって原発の在り方で右往左往しているわけで、それも金が絡んだり利権が絡んだりしているわけです。子供は知らないわけですから「なぜ?」を考えないでしょうし大人はどこまでこの「なぜ?」を教えられるか。あるいは考える自由を与えられるか。。。。。
子供も中学ぐらいになれば社会の中をある程度見ることができる。昔はこの中で社会を考えることが素晴らしいこととも得た時代だった。考えて間違った行動もあったし、正しい行動もたくさんあった。その中で議論をして考えた。この間げることが色々と知りたいものを増やして学習をして結果学力もある程度付けた。人の学習は独習が主なのです。独習といっても学校の勉強を自宅でするというのではなくて、社会と向かい合い考えて勉強をするということです。
子供たちにはこの独習する環境をたくさん持たせないとだめなような気がします。そうすると社会批判は増えて従順な人間は減っていきます。困る人たちがたくさんいるでしょう。しかしこれしか学力は発達しないのです。社会批判は良いことで考えることは良いと外国では見るとすれば、日本はこれを害だという。

【2012年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2013年】ツイッターつぶやき
東電を始め電力会社の原発再稼動が急がれようとしている。
電力はこの冬も原発ゼロでもまかなえるでしょうが、それにもかかわらずなぜ再稼動が急がされるのでしょうか?
朝日新聞朝刊に「東電破綻回避へ一心同体 金融機関」という記事があるが、東電には金融機関からの融資が入っており、左記リンクページの図を見ても多くの無担保融資もある。このような状態ですから東電救済=金融機関救済にもつながるのでしょう。そのために東電の破綻は回避して黒字化をしなければならない。その中に原発の再稼動もある。
他の電力会社も再稼動を急いでいますがやはり黒字化あるいは利益拡大のためと見ることができる。
原発が停止をして火力発電の燃料費が経営を圧迫しているとも言われていますし、それが貿易収支や経常収支の赤字化の要因にもなっているといわれます。確かに燃料消費費は上がっているのかもしれませんが、燃料費の負担増はアベノミクスと日銀の量的緩和による円安に原因の多くがあるはずです。貿易収支や経常収支の赤字化の原因も円安にあるという分析もできるでしょう。この上に立って安倍政権の成長戦略があるわけですが、成長を続けるには再稼動も必要となるわけです。
国民意識は脱原発でした。そして現実に原発ゼロが続いているわけです。そこに再稼動を言い出すのはまったくの成長路線という安倍政権の経済政策だけであり、安全性などは後回しになった再稼動の要請なわけです。
再稼動も成長戦略に組み込まれている。
消費増税は社会保障の充実(社会保障に使う)というものでしたが、いつの間にかこれも成長戦略に組み込まれた財源となりました。生活保護に対する政策に顕著に現れていますし、年金改革にも影響をします。
安倍政権は賃上げを呼びかけますが具体的な展望があるわけではなくて依然として低賃金化は進んでいます。財界は安倍総理のこの要請に応えてボーナスのアップを言っていますが現実は「冬ボーナス、「減る」が「増える」より多かった 日経モニター調査から浮かんだ現状」という現状のようですし格差が広がっているともいえます。同時に中間層(年収1000万あるいは1200万の層以上)の所得税の増加につながることも出ていますし、ホワイトカラーエグゼンプションも進められようとしています。そのほか労働の規制緩和は進められてますます不安定雇用の増加が行われようとしています。そして一方における法人税関連の「減税」が。
こう見るとすべてが成長戦略に国民生活の低下や安全の低下が組み込まれているのではないかと思います。
もちろんそこには政治上の強力な統治が置かれます。

【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
ツイッターから
なんだか・・・・・力の社会になってきました。良いか悪いかではなくて力が強いか弱いかでの解決。
日本は二大政党制に一時向かいましたが、その二大政党制の崩壊原因の一つが「決められない政治」だったと思います。国会内はスキャンダル合戦になったり。そして決められる政治が自民党の圧勝でした。
決められない政治とは、民主主義の欠如ですね。というのか、政治哲学が政治家の中にあるかどうかですね。数の力で国会が動いたり、政治家個人の力が一般人を抑え込んだり、、、、もちろん報道カメラの前では謙虚ですが、それでも本音が出て「失言」連発とか。
企業もブラック化をして、そのブラック化の背景にあるのが企業の力です。
このような社会が当たり前になると、良いか悪いかではなくて損得勘定や感情の流れるままに力を行使するようになる。社会の隅々にこの力による論理がはびこります。もちろんネット上も例外ではない。
でも、この力による社会システムは、寄生性を持つものであり、普通の人々がいなくなると存在できなくなる。一般庶民から富を吸い上げて寄生をしてもその庶民が疲弊をしてしまうと寄生もできなくなる。
タクシードライバーへの暴行記事を見ても、タクシードライバーは企業に縛られているから反撃できないわけで、そこに暴行する客は寄生をして料金を払わない。このような構図が政治や経済にまで波及してるのでしょう。

春菊のかき揚げがどうしても食べたくなり支度をしていたら小麦粉がない。。。。。
どうしても食べたいのでコンビニに行ってくると言ったら、妻が他の料理にしようとネットで調べ始めました。
という事で春菊のナムルというあっさり形となってしまいました。
旬愚句は食べやすい大きさに切ってさっと湯通し。
水であく抜きをして水分を取り、塩、ごま油、おろしニンニクで味付け。
簡単でした。
でも、春菊の風味が強いのでごま油の風味が消えてしまったような・・・・・
でも、美味しかったです。日本酒・・・・アハハハ

【2018年】ツイッターつぶやき
寒くなりましたが、こう寒いと暖かいものが食べたくなります。時々自宅でもカレーうどんを作るのですが体が温まりますね。
今日は朝からだいぶ遠出をしましたがちょうど昼飯時になったので埼玉県杉戸の道の駅アグリパークによりました。
ここのレストランが好きで以前から時々立ち寄っています。
ここはカレーが特徴的で、新鮮な野菜がたっぷりのカレーです。
やはり寒いのでカレーうどんを食べました。
カレーうどんですから和風にアレンジしています。辛さもそうはきつくありませんがちょうどよい辛さです。
食い終わったら福引券をくれましたのでやってみましたがティッシュでした。。

【2019年】ツイッターつぶやき
安倍総理がどんどん財布の紐を開いてと呼び掛けているようです。
デフレマインドを払拭?
なんだか総理の言葉としては笑うに笑えぬ言葉です。
デフレ不況が続く中で10月に無理やり消費増税を思ない、消費減を防ぐためにポイント制度などを導入してさらに26兆円もの景気刺激策を行わなくてはならない実態。何のための消費増税だったかのわからなくなっているんでしょ。
大幅な賃上げのない中で、政府・日銀による円安誘導で食料品が大幅に値上げされ、社会保障費の負担はどんどんと上がっている。そして社会保障自体は縮小していく。
ない袖は振れませんなぁ。。。。。。
デフレマインドを払拭する問心の問題ではなくて唯物論的に個人消費は落ち込んで節約に走らざるを得ないのです。
このような個人消費を落ち込ませておいて景気刺激策でまた企業にカネをばらまいても、消費が伸びる展望がないならば企業も設備投資はしないでしょう。今の企業の設備投資は景気の拡大のためではなくて、企業間のつぶし合いの中での自己保身だけです。
こちらのサイトを見ますと、サラリーマンの平均的な小遣いは4万円弱のようです。既婚者となると3万円前後。
20代のサラリーマンの1回の昼飯代が平均541円、飲み代13041円。
30台になると、それぞれ592円そして9447円だそうです。
安倍総理が言うように毎回二次会までは付き合えませんね。
この実態の中で、よくデフレマインドを払拭してなどと言えますなぁ。
安倍総理をはじめ、政府は生活実態を見ないようにしているのかもしれません。

【2020年】ツイッターつぶやき
何週間ぐらい前だろう?現在の感染拡大を第三の波かそうでないかの判断がなかなか出なかったが、さらに感染拡大傾向が出てきて大都市圏が第三の波であるというものが確実になり、Go Toへの疑問も大きくなっていた。それでもGo Toは続き11月の三連休をはじめとした行楽の季節は出かける人が多かった。しかしそれ以後は全国的な感染拡大があり自粛意識が高まり自治体でも注意喚起が大きくなってきた。
すると11月の下旬の人出から3週間の間に感染は拡大をして現在があるわけですから、もしかしたら感染の増加はピークに近づいているかもしれない。ですからGo Toは感染拡大と関係ないとしきた勝負の三週間と言っていた時期は、皮肉にも感染拡大の時期となった。
政府は28日からGo Toの一時中止をするといいますからそれまでの2週間が勝負の週となるでしょう。政府がのらりくらりとしていますが確実の国民の中には危機意識が出ています。これで感染が下げ傾向になれば、さらに正月休みとGo To一時中止でぐっと感染者は減るでしょう。
しかし今の情勢ではGo To中止も骨抜きですし、高止まりとなる可能性があります。そして年末年始に人手があればさらなる感染拡大となるでしょう。
政府の対策は常に2,3週間遅くなっていますね。

【2021年】ツイッターつぶやき
1株100円の株があり、為替が100円ならアメリカ人は1ドルで1株買える。
1株100円に変化がなく、為替が120円になったらアメリカ人は1ドルで1.2株買える。
しかし1株100円の株を為替が100円の時に買ったアメリカ人はそれを売っても0.8ドルしか得られない。
日本経済が好景気なら1株100円の株が120円に上がれば、アメリカ人は1ドルで1株しか買えなくなるが、100円で買っていたアメリカ人は売る場合には1ドルで売れる。
日本経済が落ち込むと1株100円で勝った買ったアメリカ人は損を少なくしようとして株を売る。1ドルで多くの株を買えるはずのアメリカ人も買わなくなる。
今は株価も実体経済を反映しないのでわかりませんが、最後は経済状態という一体経済ですからね。
(まちがってるかな?)

【2022年】ツイッターつぶやき
自衛隊自体が憲法違反とされる中、専守防衛により解釈改憲を行ってきたが今度は敵基地攻撃能力を正当化させた。
長い年月専守防衛を討議されてきたものが閣議決定で蔑ろにされた。
民主党政権前後の与野党伯仲時代、スキャンダル国会で「決められない政治」という批判が出ていた。この批判の中で生まれたのが安倍政権です。
安部自民党は決められる政治という期待の中で選挙に勝ち続けた。
しかしこの決められる政治は民主主義を無視した多数の力として今の岸田内閣において戦争の準備に行きついた。
安倍政権の時から決められる政治に危惧を持っていたが、この決められる政治とは、民主主義の中で十分な政策討議がされて決定に至ることで、この決定に誤りがあった場合は少数意見であるプランBに素早く移行できるものでなければならない。しかしこの決められる政治が悪用されたとき、国会内の討議を蔑ろにして数の力による決定となりそれには民主主義とは邪魔な存在となる。
日本だけではなく、先進国から自由と民主主義という言葉が聞こえなくなった。
経済や軍事の多数派形成による派遣。
それは中東におけるイスラエルそしてヨーロッパにおけるウクライナの存在を産み、それはアジアにおける日本がつくられようとしている。日本の存在価値は経済から軍事に軸足を移していく。アメリカの戦略として。

【2023年】ツイッターつぶやき
今年は苦手な11月もさっと過ぎて、12月もあと2週間ですなぁ。
何かと忙しかったので11月は苦手だなんて言ってられなかったのかも。
来週はクリスマスで、再来週はお正月。
そろそろおせち料理を考えねば。
いそがしさは年を越えそうです。
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「12月15日という日」

2024年12月15日 08時20分52秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2023年】ツイッターつぶやき
東京は、夕方まで寒い風が吹いていましたが、さっき、ベランダに出たら生暖かい西風が吹いていました。ベランダに出た瞬間弱い暖房の風のようでした。部屋の中の方が寒い。
週間予報では明日は22度ぐらいまで気温が上がるそうでしたが、予報が外れて19度だそうです。
11月の気候でしょうか。
しかし月曜日からは最低気温が1度から3度らしい。。。。。
体がおかしくなりますなぁ。
でも、暖かい日が1日でもあると嬉しいものです。
来週は夏至冬至です。。。。

≪過去の記事≫

【2003年】
昼食は、久しぶりに喫茶店のナポリタンを食べました。
ケチャップ味でピーマンの苦味が利き、あの赤い皮のハムが。。。。
たまに食べるとおいしいです。

(記事の一部を削除させていただきました)

【2004年】
寒いのでモツ鍋にしました。
肉団子・モツ・キャベツ・薬味として生姜とニラのシンプルなものです。相変わらずキャベツは高めです。
あと、アジのソース焼き。
アジの切り身を小麦粉をつけて焼き、ウスターソースと砂糖スープの素そして水少々のタレを絡めます。このアジのソース焼きは、僕にとってはおふくろの味。子供の頃よく食べました。とは言え昔は生のアジは高かったので味の干物でした。しょっぱかったです。。。
アジを焼いてウスターソースとは合わないようですがこれがまた美味いです。

【2005年】
外食
時々行く中華やさんによったら貸切の宴会中。。。
忘年会シーズンですなぁ。。。
仕方ないからラーメン屋さんでビールを飲んで帰って来ました。
東京も冬は星がきれいです。火星が黄色くピカピカ光っていました。三星もきれいでした。
「百鬼園日記」も半分ほど読みました。
海軍師範学校の講師をやり、内職にドイツ語本の翻訳をやり、祖母や母、三人の子を育て、祖母は生きるか死ぬかの病気をし、子供達は替わりばんこに風邪を引く。大正の世は今と違って気楽に祖母を入院させるような時代ではなく、医者も往診。看護婦まで自宅に呼び看護をさせるそんな時代。百閒は借金をする。この辺の事情は随筆にも見られます。長男の小学校入学を控え動き回る。友人の相談にも乗る。
30歳そこそこの百閒は四苦八苦。
妻は50銭の金もないという。学校に行く電車賃すらない。百閒は金策に行く。借金の利子は雪だるまのよう。
百閒は四苦八苦。。。
しかし百閒は気楽そう(ほんとは首も廻らないほどに悩むが)。

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
朝のうちは寒かったですが日中は風もなく暖かでした。
冬は日が短く太陽も低いですが、ベランダの屋根があると太陽が低いぶん日差しがその屋根に邪魔をされずに部屋の中まで差し込み暖かいです。縁側でもあれば日向ぼっこでもしたいです。
昨日、珈琲ショップに行ったら、向かいの席に70を過ぎたおじいちゃんとおばあちゃんが座っていました。はじめはご夫妻かなと思っていたのですが、もれ聞こえる話はどうもご夫婦ではなさそうでした。<リンク>
なんだか若いカップルのようにしっかりと目を合わせながら楽しくお話しをしていました。お二人とも素敵な笑顔でした。そのおじいちゃんがまたハンサムでして。。。。若い頃はもてただろうなぁと。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
街を歩いていたらいきなり一人の人間らしきものが近寄ってきて「お前は!」と大きな声で指さしたかと思ったらすぐに「バカだ!」といって去っていった。去り行く後姿をみていたら今度は他のオヤジやらおばさんやらに同じ言葉を繰り返していた。そしたら後ろからやはり人間らしきものが「そうだ!言論の自由だ!!表現の自由だ!」と叫んでいた。
あるオヤジが僕のところにきて
「言論の自由や表現の自由はいらないですなぁ」といった。
僕は
「いや、まぁ。。。。。その・・・・・」
と言葉を濁しながら
「いらないというのはあのような言葉ばを人に投げつける言論の自由や表現の自由といったものは必要ないということでしょうか」
「まぁ、そういうことですが、あれを自由だと言うことは自由を汚して自由自体を規制されたり自己規制を強いられるでしょう」
「なるほど。。。。。」
おばちゃんがやってきて言った
「そうなのよ!こうして自由とは何かを話しすることが今の言論の自由に大切なのよ」
「自由だといって人のことを非難しているだけでは自身の自由が本物かどうかが見えなくなりますなぁ」
「そうだ!言論の自由だ!!」オヤジやおばちゃんは叫んだ。。。。。

【2011年】ツイッターつぶやき
今、公務員の給与や様々な待遇について恵まれているとか国の借金を見たときに賃下げすべきとかいろいろ言われています。民間給与に比べてこれだけ高いとか言われて賃下げをすべきとも。しかしバブル時期のような民間の給与が高くなった時に公務員は人事院勧告では賃上げ率を下げられひどい場合にはその勧告すら守られなかった時期もあったと記憶しています。公務員の声は「民間並みの賃上げ」でした。この時に民間の労働者が「公務員給与をあげろ!」と積極的に言った人はそうは多くない。
もちろん当時から国の予算(財源)や借金あるいは三公社五現業の「親方日の丸」が問題視されていましたが、公務員の給与が高すぎて国の財源が狂ったというわけではなくて、国鉄ひとつとっても整備新幹線があった。
今は民間給与が減ってきて逆に相対的に公務員の給与が高くなっている現象が出ている。もちろんこれは民間級の平均値なわけでして、「公務員並み」やそれ以上受け取っているサラリーマンはいるわけです。
このような民間と公務員との比較はいつも出てくるものです。特に今のような時代は公務員に目が行く。公務員の賃金を下げるといって自分の給与が上がるものではないのに。そして消費税率などの増税幅が小さくなるわけでもないのに。結局は足の引っ張り合いなのです。この足の引っ張り合い自体がマイナス思考という泥沼を作ってしまう。公務員も民間もそろってこれからも賃下げや労働条件の悪化もされていくわけで、マイナス思考はこれを促進する作用しか持たないのです。
バブルの頃、公務員は「民間並みの給与を」とは言いましたが民間の給与を下げるとは言わなかった。民間は春闘をはじめとして70年代後半に大幅賃上げをした。公務員もある程度民間準拠として賃上げがあった。80年代初頭でも賃上げ率は減ったものの賃上げはあった。このようなプラス思考に写らないと労働者は民間も公務員も疲弊をするばかりです。同時の我慢のマイナス思考ではないプラス思考が国内の経済も好転させるでしょう。税収も増えるでしょう。
企業は競争の中で自分の会社だけ個の賃上げはできない。ならばこの競争を廃する国家による制度が必要になる。それが5%程度の労働力を買ったとき(賃金)にも消費税を企業は支払い、一部は労働者の益税にして消費を促し、一部を国家財政として社会保障などに回すべきなのです。

【2012年】ツイッターつぶやき
「2010年5月に第1子を出産したとされる女性の54.1%が、出産前後に仕事を辞めたことが13日、厚生労働省の「21世紀出生児縦断調査結果」で分かった。このうちフルタイム勤務だった人の35.3%が「仕事を続けたかったが、育児との両立が難しい」を理由に挙げた。また、10.5%で「解雇、退職勧奨」が行われていた。」
財政や待機児童問題、保育所の不足や料金など、子育ての支援は言われるが、子育てと仕事の両立が難しいのは政府による制度的なものだけではかたずかないことがこの記事でわかります。「10.5%で「解雇、退職勧奨」が行われていた。」というところはまさに企業責任が問われるところです。
男女共同参画社会に関する世論調査結果では「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきだ」という考え方について、賛成は51.6%、反対は45.1%だった。」
このような意識も子育てと仕事が両立しないという事から。

【2013年】ツイッターつぶやき
何回かブログで日本は自粛・萎縮する社会になるのではないかと書きましたが、国家が主導する国が統制経済でも国家独占資本主義に成れの果てでもそれが過度に作用をすると国民の自主性が減少して自由な発想や行動も減少していくでしょう。この政治的作用による萎縮は経済にもまた逆作用をして経済の萎縮がさらに進む。
自由主義国家といわれるのも理想的な自由と民主主義のある国家体制ではないことは明らかですが、常に理念としてはこの自由や民主主義が根底にあって萎縮する社会を修正していくものである。司会政治的統制が進むとこの自由と民主主義の理念が崩れて修正作用が利かなくなります。今の日本が自由主義の理念を忘れて一時的な統制の利益を求めるのか、そのことで国際競争に勝とうとするのか、あるいは自由主義的な理念を保ちながら世界の発展に寄与するのか。その姿勢によっては日本は大きく世界の中での位置づけも変わってくるでしょう。何よりも経済の安定と発展に影響を及ぼすでしょう。
萎縮する社会は国をも萎縮させる。もちろん反比例をして観念論がはやり軍事は強力となる。

【2014年】ツイッターつぶやき
自民党が今回の総選挙で勝ったのかといえば、マスコミの予想の300議席以上には届かったし議席は減らしている。
むしろ自民党離れは進みつつあるのかもしれない。しかし野党に有力な党はなく民主党も保守二大政党制に固執する中で存在感を伸ばせなかった。
自民党の議席数は自民党しか期待を持つ政党がなかったという事でしょう。もちろん期待はこの間の2年間で崩れているはずだがやはりほかに期待感を持てる政党がなかったという事が大きい。
しかしこの期待感とは何か?
アベノミクスの修正あるいは平和や外交の問題などでの修正を求められているのではないか?自民党に変わってほしいという期待。
自民党自体も10%への消費増税の先延ばしを決めているわけで、自ら修正を余儀なくされているという事である。
同時に自民党がそうは議席数を減らさず与党としては三分の二を越えたが、株価を見るとどうだろうか?272円下落をしている。アベノミクスに失望しはじめt外国投資家。。。
このような中で安倍総理はこれまでの経済政策を変更はしない。
安倍政権は予算編成加速、歳出絞り込みが財政再建の試金石。。。歳出削減はどこから?一方における法人減税とNISAの減税枠拡大。国民生活から見たアベノミクスの本質が見えてくるでしょう。
この中に二回目の国民の期待はどう失望に変わっていくか。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
こちらのブログを読んでの感想です。
「通貨とは、その国の経済力や労働力や信用の元に通用するものであり、経済が拡大すれば通貨も増刷しなければデフレになってしまう。コメが10俵生産していた田畑で、生産性が向上して100俵取れるようになった場合、通貨も10倍発行しないとデフレになってしまう。
逆に、大不作で100俵取れてた田畑から10俵しかコメが取れなかった場合は、コメが高騰して10倍に値上がりしてしまう。そのような時は国は通貨を回収してバランスを取らなければならない。バブルの発生も日本経済が停滞しているにもかかわらず金をばらまけば、株や土地などが値上がりしてしまって資産インフレになってしまった。」
(上記ブログより引用)
この引用させていただいた部分は経済学では重要な部分で、その考え方次第では経済を停滞させる元となります。その意味で引用させていただき僕の考え方を書かせていただきます。
まずデフレとは何か、インフレとは何かを見ると、デフレとは物価が下がることで、インフレとは物価が騰がることですが、この物価が低い・高いというのは何を基準にしているのでしょうか?
「コメが10俵生産していた田畑で、生産性が向上して100俵取れるようになった場合、通貨も10倍発行しないとデフレになってしまう。」
コメの生産の生産性が上がればコメの値段は下がります。これは生産性の向上により同じ労働力量で10倍のコメが生産されるのですから米1票当たりの価値は下がります。これは経済法則です。その時にコメの値段を維持するために通貨を10倍発行したらどうなるでしょうか?
価値の低下をきたしたコメがその価値の10倍の値段で売られるわけですから、それは10倍のインフレを作り出してしまうでしょう。「通貨も10倍発行しないとデフレになってしまう」という言葉を訊けばデフレはダメだという短絡的な考え方を受け入れてしまいますが、しかし現実はコメの値段が10倍も高騰するインフレをきたすのだという事を忘れてしまうのです。
コメの実際の価値とインフレによる10倍の貨幣量【価格】の差額はコメの生産者の懐に入ってしまい、逆に最終消費者は10倍の貨幣を払ってそのコメの生産者の懐を潤すことになる。インフレとともにその矛盾は貨幣の滞留あるいは回転を鈍くさせてしまう。それは「金余り」という現象を起こすでしょう。という事は、10倍の貨幣を発行することによりその貨幣量に等しい金余りが生じてしまうことになる。
同時に最終消費者は貨幣の不足が生じるでしょう。
以上の経済矛盾が顕在化することがデフレです。
最終消費者は10倍ものコメの量を同じ価格で消費することは懐の貨幣量からして困難になります。すると、米の消費を維持できないのですから、コメは過剰傾向を示して価格は下がっていくでしょう。最終消費者の懐にある貨幣量で消費できる量は元の10俵になっていくでしょう。これが「大不作で100俵取れてた田畑から10俵しかコメが取れなかった場合」に等しい状態を作り出します。価格は下がり続けてこの価格の下落がデフレというものにつながるでしょう。
コメの価格はその価値に等しくなっていくでしょう。しかし、その時先の生産性の向上により米の価値は10分の1に下がっているわけですから、10俵売ってもコメの生産者に入る貨幣量は10分の1になる。不況が本格化する。
コメの生産者の競争があり続けるから。弱い生産者は脱落していく。
勿論価格の下げが続けば消費も戻るから不況には陥らないという面もあります。コメの例ではわかりにくいですからある商品を生産する産業としてみたらどうでしょうか?
不況に陥れば倒産をする企業が出たり、生き残った企業でも人員削減や賃下げが起きるでしょう。すると最終消費者の懐の貨幣量の総額は減るわけですから、消費が戻ることを困難にします。
コメでいえば田んぼ、企業でいえば生産設備の過剰という資本の過剰が生じる。生産者や企業がため込んだ貨幣資本も過剰になる。
ここでも「金余り」が生じるのです。
「コメが10俵生産していた田畑で、生産性が向上して100俵取れるようになった場合、通貨も10倍発行しないとデフレになってしまう。
逆に、大不作で100俵取れてた田畑から10俵しかコメが取れなかった場合」

どちらにしても「金余り」が生じるのです。
この金余りはもちろん貨幣量による。いくら貨幣量を増加させても経済は好転せずに、貨幣は吹き溜まってしまう。
そこで大切なのは貨幣の量的変化ではなくて質的変化です。それは貨幣の回転を速めるという事です。
今の日本のように貨幣が株式や企業の内部留保に吹き溜まっている状況が量的緩和の副作用です。この金余りを作り出すのではなくて、勤労国民などに貨幣が循環する社会システムが必要なのです。その中で生産と消費のバランスが均衡化してそれは貨幣の回転を速めるでしょう。
GDPも貨幣量だけではなくて貨幣の回転がそれを高めるでしょう。

gooお題「年賀状手書き派?パソコン派?」
表の宛名は手書きで、裏はパソコンで印刷。
パソコンで印刷しますが、一言手書きで書き加えるスペースをつくっておいてそこに手書きで一言。
パソコン以前はワープロもありましたが、どうもあのギザギザ文字が嫌で「プリントごっこ」を使っていました。正月のイラストはイラスト帳から切り取りはって、「賀正」や「あけましておめでとうございます」はやはりイラスト帳から。そしてやはり手書きで一言欠けるスペースを残しておきました。
プリントごっこ・・・・・
楽しかったですね。
昔のガリ版のような紙にイラストや文字を乗せて、プリントごっこの機械にフラッシュをねじ込みバチン通すとぴかっと光って原稿の出来上がり。
その原稿にインクが混ざらないようにスポンジを細く張る。そのスポンジで囲われたところに好きなインクを流していく。
あとはその原稿の下に年賀状を入れてグイッ押して印刷。力加減が難しかった。。。。
案外版画に似た風合いがありました。
ここ10年は年賀状にも関心が薄れて送っていただいた方にはお返事を出すだけになりました。1年ごとにいただく枚数は減るのは必然。。。。
子供たちに来る年賀状は楽しみです。結婚の知らせや出産や・・・・文章も若い方のはつらつさがあります。昔を思い出しますなぁ。。。。。
でも、子供も最近ではメールやらラインやらで、見せてもらえない(笑)
枚数が減って、最近は切っても当たらなくなりました。
こちらにプリントごっこの詳しいサイトがありました。

【2018年】ツイッターつぶやき
政府日銀は物価を上げようとしている。物価が上がることは経済が好転した証だから。しかし逆立ちをして物価が上がれば経済が好転すると勘違いをしている。
アベノミクスと日銀緩和の結果は、企業や富裕層へカネが吹きたまり、株価のバブルである。
物価を上げることを人為的に行えるのだろう?原油高になれば物価は上がるから原油安を先進国は警戒する。輸入に頼る日本までが円安誘導による原油高を期待する。
こんな経済学はないはずでしょう。
ITが言われて事務やサービス業も含めて人員削減を行おうとしている。企業は常により低コストで大量生産を目指す。資本主義初期から機械化を進めてそのためのエネルギーを開発してきた。より少ない労働力でより多くの商品を生産することは生産性向上という競争として行われてきた。この競争がまた新たなより優れた機械や生産工程を作ってきた。
しかしこの生産性の向上は、生産した商品がすべて売れていればよいが、過剰生産傾向を生むことになる。
この時企業は値下げをして過剰気味の商品を売りさばこうとするでしょう。しかし企業は値下げをしても利益を上げる。商品は生産性の向上によりその商品価値を減らしているわけですから商品の価格は勝ちに近づくだけでしょう。しかし企業は利潤率を低下させていく。生産性の悪い競争企業は倒産するか廃業(資本の移動)をする。その企業の労働者は失業するでしょう。生き残った企業の労働者も人員減が行われるでしょう。
日本全体の産業でこのような状態となれば物価が下がり続ける不況となるでしょう。失業者の増加や低賃金化はさらにこのデフレ不況を進めるでしょう。
今の日本は完全雇用だといわれていますが、それは労働力の減少によるものであり、低賃金化は進み更により低賃金の外国人労働者を入れる。景気が良くなったから企業の設備投資も伸びて労働力不足が生じているわけではない。
今も日本はデフレ不況にあるのではないかと思います。
その中で企業と政府はIT革命として労働力を減らす生産性の向上を行おうとしている。
すると商品やサービスは価値低下を起こしてより価格を低下させていくでしょう。はじめのうちはIT化をいち早く行った企業の利益(特別剰余価値)は大きくなりますが、IT化それが広く行われるようになると全体的な値下げ競争となるでしょう。日本はデフレ不況の中にあるのですから。
労働力不足中でも失業は増大して低賃金化が進むでしょう。
しかし以上の状態は強欲的な資本主義がこのまま続くことによります。
生産性の向上として機械化、IT化により商品やサービスの価格が下がることというはより多くの商品やサービスを国民は受け取ることができる条件となります。そして生産性の向上が失業者や長時間労働者を作り出すのではなくて労働者の労働時間短縮の条件ともなるのです。
これは政治によってどちらを選ぶのかができるものです。生産性の向上が労働者を苦しめるように放置するのか、労働者の豊かさや労働時間の短縮を作り出すのか。。。。。

【2019年】ツイッターつぶやき
もう、何年ぐらい前でしょう。カーナビが出はじめたのは。
地図に弱い僕はすぐに興味を持ち始めたのですが、そのころのカーナビはいつの間にか海や田んぼの中を走りだしたり急カーブが続く道路ではとんでもない山の中を走っていました。
だんだんカーナビもどうにか使い物になってきたようなので買いましたが、今のように車の距離計に連動しなくてタイヤの4分の1ほどを磁化をして車内のセンサーで感知して距離を測っていました。やはり時々とんでもないところを走って気になって仕方なかったです。時にはカーナビを見つめてしまい危ないかなと思ったりもしました。
そして今は自動運転がはじまりました。
ネットで自動運転の動画などを見たりしますが、上記した初期のカーナビのような現状ではないかと思います。
自動運転も高速道路での追い越しができるようになったといいます。
しかしガラガラの高速道路で前に低速で走る車がいるようなまれに見る好条件で自動運転車が追い抜きをする。どう見ても自動運転を必要とする状態ではないですね。ウインカーを出して追い抜けばいいだけで、そんなに危険を伴うわけでもないし、神経を使うような運転操作ではない。高い金を出して自動運転も必要ないでしょう。しかも一般道をいつもは走っているのですから。
カーナビも物珍しさでもありましたが、自動運転も物珍しさからのものでしかないのかもしれません。自動運転で空いた高速道路で遊ぶのも面白いかもしれませんが。必要かといえばそうでもない。まだ初期のカーナビのほうが使う価値はあったのかも。
しかし自動運転技術そのものが無駄だということではありません。
カーナビと同じように将来はスマホをしながら、寝ながら目的地に行けるようになるでしょう。そしてその発展のためにも現在の技術の活用が必要でしょう。
ある意味、まだやっと実際の道路で実験ができるようになった段階でしょうね。その実験を車のユーザーが行うわけです。そこにはユーザーに大きなリスクが伴いますね。
法的にも自己が起きれば、メーカーの責任ではなくて運転者の責任です。事故が起きて「となるはずではないか!」といってもいろいろな条件が満たなければメーカーの責任は問えない。ですから道交法も変わらないでしょう。
追い越しをするにも車のメッセージを読んで許可するボタンを押して。。。。。。
リスクが大きいです。それよりウインカーを出して自分で車線変更したほうが良い。
自動運転の技術の一つに事故防止の役目があります。
今は自動運転車よりも人の間違いや錯覚などでの事故の防止ができる車を作る段階ではないでしょうか?
自動運転もドライバーが寝ていないかスマホをしていないかを感知するようですが、追い越しをさせるよりもこの技術を普及させることのほうが先でしょう。
また、発展途上の自動運転車が多く走り出すと思わぬ渋滞などが起きることがあるでしょう。もちろん自動運転車と人間ドライバーとの事故も増えるでしょう。人間ドライバー側が悪いとされますね。きっと。
ハード面の発展と同時にソフト面で考えられる困難の研究や防止技術も大切になってくるでしょう。

【2020年】ツイッターつぶやき
昨日の続きのようなものです。以下、ツイッターから。。。
年末年始は仕事を休む人が多いですから、東京の空も毎年きれいになります。そして通勤電車もガラガラですね。
これは人の移動や密を避ける効果があります。その時にGo Toトラベルを中止することも効果があるでしょう。
それは感染拡大防止になります。
しかし・・・・
Go Toトラベルを中止してもそれを利用しなければ自由に旅行等ができます。不要不急の外出の自粛要請は出ていませんから。
すると、Go Toトラベル中止でどのくらいの効果があるかわかりません。
今後Go Toトラベルのキャンセルがどのくらい出て人の移動が減るかを見ないといけない。
しかし・・・・
ある程度経済的余裕のある人は旅行に出かける。余裕のない人はキャンセルして出かけられない。
これは経済格差による人の移動の「分散」でしかない。
たばこ増税による禁煙と同じで、経済的に余裕のない人は不本意ながら禁煙で、余裕のある人は気にもしないで喫煙できると。
そこで・・・・・
年末年始に旅行に出かけることを規制して感染拡大を防止するにして、所得格差によって出かける人出かけられない人に分散する理不尽さと、Go To中止の効果が薄まることが起きることに間違いはないでしょう。
また・・・・・
旅行に出かけられないにしても、Go Toイートやイベントは中止ではない?のですから、例えば東京やその周辺の高級ホテルなどに人が移動することがまた考えられる。
この連続ツイートの親記事にある「君子豹変 小人革面」
菅総理は「君子豹変」したか、「小人革面」でしかないのかを考えると、菅総理は本気で国民全体の事を考えて突然急変したという君子豹変ではなく、支持率もあるでしょうし専門家や医師会の要請もあり、表面だけ(上っ面だけ)変えただけでしょう
1月11日以降2週間までが勝負の週となるでしょう。
企業が長い連休となり、国民がGo Toキャンペーン全体を自ら自粛するようであれば感染拡大はある程度抑えられるでしょう。
一方、GO Toトラベルが抜け穴ばかりならば感染は高い水準で維持されるでしょう。
どちらにしても・・・・
どちらにしても、今の様に感染が拡大してしまってからの中止はあまりにも遅かったのです。感染拡大防止の面でも、経済のさらなる混乱からしても。。。。
そして何よりも年末年始にかけては重症者や死亡者が増加し続ける危険性と医療崩壊の危惧が残ります。

【2021年】ツイッターつぶやき
大雪本格的な寒さに。
冬らしくなりました。
昨日の朝は雨が一時霙になりました。
熊も穴にこもる季節。
僕は炬燵にこもって昼寝。

【2022年】ツイッターつぶやき
岸田内閣は防衛費倍増を言い1兆円の増税を言い出した。
法人税と煙草税などの増税を言っていたが、どうも法人税の増税は財界の反発もあり無理なようです。残るは取りやすいタバコ税ですが、法人増税分をどこから取るか。やはり取りやすいところから取るでしょう。自動車税の増税という一部報道もありますが、酒税など国民生活に関連するところから取るでしょうね。それが「国民の責任」という言葉に出ています。
しかしこの1兆円の増税だけではなく、3兆円の財源が問題でしょう。
これについては具体的な報道がありませんが、これまでの自民党政治を見れば企業にばらまく税を少なくするということはしないで社会保障など国民生活に依依拠するところが削られるでしょう。すでに復興財源を回すようです。
このように増税も税の使い道としての財源も国民生活に影響すると思われますが、社会的福祉の後退として現れるでしょう。
しかし以上の増税や財源の問題以上に危ないのが平和そのものです。
これまで敵基地の攻撃能力を持つことが進められましたが、今後はトマホークの配備など専守防衛から逸脱した武器を持つようになり、そのためにも防衛費の倍増が必要とされます。
憲法はおろか、どうにか合憲と解釈改憲を行った中身の専守防衛も捨てようとしています。
アメリカの軍事態勢の一部として日本はいざとなればアメリカ防衛のために戦争を行わざるを得ないようになっています。安保条約は軍事同盟になりましたから。
保守派は日本を守ることが最大の福祉だといった論理を持っていますが、そこには必ず軍事力でという枕詞が付きます。そうではなく平和こそが災害の福祉なんです。平和を維持していく政治が求められていますが、岸田内閣はこれを露骨に崩していきます。
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