夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2018年 2月14日(水)「季語の窮屈さ」

2018年02月14日 15時30分00秒 | * 俳句 *
先に書いた俳句の窮屈さの続きです。
俳句というのはいろいろと制約(先の「俳句の窮屈さ」では規制と買いましたが制約の方が良いかもしれません)があり特に季語については窮屈さを感じます。この窮屈さから無季俳句も生まれるのかもしれません。
季語に対する窮屈さは、季語を入れることというだけではなくて、歳時記に載っているものが季語だといったものを感じます。また季語については居住している場所などによって二十四節気の受ける感覚も違い、例えば雪国において「吹雪」の句を詠んだら立春過ぎで春なのだと。。。。こういわれるとき後も窮屈です。食べ物にしても「枝豆」の句を夏気分で読んだら秋の季語だと。。。。。窮屈ですね。
また季語には現代ではそうは使わない意味が分からなくなってものがあります。自分で俳句を作る分ではいいのですが、古くからのメイクを鑑賞するとなると難しい。窮屈とは言いませんが一つの制約となってしまう。まぁ、これについてはほかの古典を読むのと同じだといってしまえばそれまでですが。その難しい季語が現代の俳句でも使われることがあります。
窮屈と感じるのは、もちろん初心者だからなのでしょう。俳句を詠むにはそれだけの教養といったものが必要となると言ことですね。しかし一つの窮屈さにもなっています。
だが、窮屈とはいえ季語のない17文字が俳句かどうか。。。。。。
俳句というものは日本が古代から農業の営みを続けてきていてその中で自然とのふれあいやその季節の中で生活の営みもあったことから、この自然や自然の中での生活の営みの中から生まれたものだとなれば、俳句には季語が切り離せないことになります。だからこそ俳句が生まれて引き継がれてきたのだともいえます。
四季の自然の厳しさも快適な生活への規制でもありますし、快適な生活を営むのに必要なものでもあります。
四季の厳しさという規制と俳句の季語の規制というものは根っこがつながっているのかもしれません。ならば季語は俳句の命なのかもしれません。同時に季語があるという事でより豊かな世界を17文字で詩にできるという心地よさかもしれません。
季語が俳句には欠かせないものというのはあるにしても、しかしこれが歳時記という形にまとめられると窮屈になるのかもしれません。季節を感じられるある言葉が歳時記に載せられるかどうかは大変な作業や権威が必要になります。
そうするとある意味、現代人がある言葉で季節を感じられれば歳時記に載っているかどうかは別にして季語として使えるのではないでしょうか。もちろん独りよがりというのか個人的感じ方の言葉は季語の扱いにはならないでしょうが。まぁ、これが歳時記に載せられるかどうかの難しさでもあるのでしょう。
言葉は生きています。
枝豆は秋だといい続けても、言葉は生きていますからいつの間にか夏の季語でもあるという解釈になっていくのかもしれません。
言葉が生きているという事は季語の窮屈さを緩和していることにもなる。
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2018年 2月13日(火)2「俳句の窮屈さ」

2018年02月13日 13時46分06秒 | * 俳句 *
俳句は17文字という世界で一番短い詩形だと言われています。
詩形だという事は明治の正岡子規などによる俳句の芸術性はやはり詩であるという事につながるでしょう。
俳句は詩であるというだけでは俳句としての芸術ではない。その詩形に欠かせないものとして季語がある。17文字の詩であると同時に季語が入る規制された詩形でなければならない。5・7・5、5・5・7であろうと7・55であっても季語が入れば俳句だとなる。いや、5・7・5でなければ俳句とは言えないというもう一つの規制もあるのかもしれない。もちろん17文字というのが最も著しい規制でしょう。
そのほかにも俳句の決まり事とされる規制がいくつかある。
こう見るとはいくというのは相当窮屈な詩形という事になりますが、しかし俳句は無限に存在する。
これが俳句の面白さかもしれません。
この窮屈さを感じて自由を求める俳句運動が過去にも現在にもあるのでしょうが、どこまで自由さが許されるかでも俳句の難しさでもありますが面白さでもあるのでしょう。
そして様々な規制が相互に作用してさらに窮屈となるのかもしれませんがそれがまた面白さになるのかもしれません。
何だか窮屈さばかりを強調していると俳句というのは窮屈さを楽しむ詩形ではないかと思ったりもします。
また更に俳句というのは結社をつくり、その結社の中であるいは結社間でよいく悪い句も出てしまい、悪ければ手直しをされて、これでこの句は生きるなどとなる。
俳句は17文字ですから、「てにをは」ぐらいの手直しも含めて、単語ひとつ変わるとまるで違う句になってしまいます。まったく違う句になってもうまい句なら良いのか。。。。。詩形としては優れた詩となるが心がどこかに飛んでしまうことが起きます。俳句の写実がなくなって架空の景色となる。俳句を詠んだ人の心を残しながらそれをより優れた詩にすることは難しいでしょう。それができるのは本人だけですね。
今後どの規制を残し度の規制を捨てるか、この中で窮屈さもすっきりするのかもしれません。そして残された窮屈さの中で面白さを味わえる。

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2017年11月29日(水)「二十四節気と七十二候」

2017年11月29日 22時11分52秒 | * 俳句 *
俳句をやっていると、なんて偉そうなことは言えないのですが、俳句に興味を持つと季節感のずれが気になることがあります。それでも歳時記を見れば夏の季語だ秋の季語だと面倒なことを承認しなければなりません。
冷えたビールを飲みながら枝豆をつまめばそれは夏ですなぁ。。。。しかし枝豆は秋の季語だと。
こういったものがたくさんあるでしょう。
季節の基本となるものは二十四節気で、立春、立花、立秋、立冬で季節が変わります。立秋を過ぎたとはいえまさに暑さからすれば冷たいビールに枝豆という夏の真っ最中ですが、暦の上では秋に。そして俳句も秋の季語に。
しかし立春、立花、立秋、立冬は太陽の位置で決まるもので仕方ない。従うしかないのかもしれません。
そうすると二十四節気は受け入れなければなりませんね。しかし立春、立花、立秋、立冬あるいは春分や秋分などはなじみのある節季ですからまだよいのですが、東京育ちの僕としては農業には無関係に暮らしてきましたからその他の節季には「うん?」となってしまいます。
ましてや七十二候となるとほとんどなじみがありません。半夏生などは時々聞いたりはしますが。
しかし最近七十二候についてネットで調べてみたら、案外僕のようなものでもうなづけるものがありました。今の季節では
山茶始開(つばきはじめてさく)
朔風払葉(きたかぜこのはをはらう)
東京でもこの季節感じ取れる風景です。朔風払葉・・・東京でも木枯らし一号が吹いてきた風におちばが待っています北風に落葉が舞っています。すると七十二候もまた案外身近なものとなります。
七十二候も太陽の位置で決まるに授四節季をさらに分けたものですから受け入れざるを得ませんね。
と言っても今は農業も季節がずれていますし、季節の移り変わりに無関係に生きていれば関係のないことですが、やはり日本人は季節の移り変わりがいろいろなところで感じ取るものと思います。
ふと考えたのですが、節季や候も自分の身の回りの自然を見つめて自分だけのものをつくったら面白いのではないか。。。。
でもこれは案外難しいもので、少なくとも東京に住んでいる人々誰もがうなづくものでなければならない。世代差や性別もありますからね。
昔は農業という欠かせないものが共通項としてあったのでその農業から見ることができましたが、今はどうなんでしょうか?その共通項は。。。。
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2017年 4月23日(日)「しりとり俳句に思うこと」

2017年04月23日 20時26分09秒 | * 俳句 *
僕は句会というものに参加したことがないんで間違いでしたらごめんなさい。
句会というのは、あるお題を入れて数句作り互いに披露するというものと思います。これは日常に俳句を詠むこととは少し違いますね。日常的に読むクはその日常の中に発見したものを句にするのでしょうが、お題が決まった句会ではそのお題に沿って句を詠みます。
お題が決まった中での句は、ある意味句作の練習を兼ねたものではないでしょうか?
と、すると、しりとり俳句も下五文字をお題として句作をします。この意味では俳句の練習の機会かと思います。ですからある意味句会のような面もあるのではないでしょうか?
しかし、句会にしてもしりとり俳句にしてもお題が決まっているからとすんなり履く策もできませんね。
ある五文字の言葉からこれまでの人生の中で感じ取ったものや今の瞬間に見える世界を写生することから生まれます。ということは一つの句にその人の人となりが見えます。
俳句ではもう一つ連句というものがありますが、これは数人が集まり俳句をつなげていくものと思います。このつなげる中に心と心のでってんが生まれる。
この面ではしりとり俳句は連句の要素も含まれるのかもしれません。
しりとり俳句は句会と連句の両方を兼ね備える!!なんてたいそうなものではないと思うのですが、しりとり俳句にはしりとり俳句の有意義さはあるのではと思います。
俳句の特徴として、もう一つ、即興性がありますが、しりとりで下五文字から思い浮かべる世界をさっと句にする。これは即興性ですね。
いかがでしょうか?しりとり俳句の素晴らしさを知っていただけたでしょうか(笑)
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2017年 3月31日(金)「モンタージュと俳句」

2017年03月31日 17時11分39秒 | * 俳句 *
父親が重い病気で入院する。
妻や娘たちは病院に駆けつける。
医師は余命数か月を言い渡す。
家族は毎日のように面会に行き、父親も楽しかった思い出などを語り退院したら。。。。と。
家族愛の映画だったと思う。
しかし父親の病は重くなる。窓際の木はすでに葉を散らし始めている。
ある日、その木の最後の1枚がはらはらと落ちる。
この最後の1枚の葉が落ちる映像で父親の死を表現する。
このような表現をモンタージュというらしい。
映画の表現としていろいろな技術があるそうですが、これは監督なりの心の表現であったりもしますが、心の中にあるものを父親は死んだではなくて映像として1枚の葉が散るシーンで描く。
文学や詩も行間を読むというものがありますが、直接的な言葉で伝えるのではなくて表現として伝えますね。ここで作者の心と読者の心が一致するわけです。わかり合えるわけです。
では、俳句はどうでしょうか?
正岡子規は俳句はスケッチだと言います。
俳句も心の表現なのですが、その表現は言葉や風景を使って作り上げるものではない。
どちらかと言えば、受け身に俳句はある。
自然の営みと人とのかかわり。当然に人は自然に働きかけるのですが、根本は自然化に対して受け身です。
自然の営みを感じ取り生活の営みに取り入れる。ここで季語という俳句独自の形式が生まれますね。それをスケッチする。なぜスケッチするかと言えばその風景から心に伝わるものがあるからでしょう。この伝わったものを言葉でスケッチをする。17文字で。
ここでは心の表現でもありますが、目の前にある事象の表現でもあり、それを通じて読む人にも同じ心を伝えていく。
読むほうも極端に言えば俳句の意味はわからなくてもいい。意味ではなくて17文字から伝わってくる感情なのかもしれない。そこには対自然があり季語により簡潔にその自然派のスケッチは伝わる。
目の前にある自然や人間の営みから何を受け取ったかの表現ですね。自分の心の感情をいろいろな道具を使って表現することではない。
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2017年 2月13日(月)「俳句を世界文化遺産に?」

2017年02月13日 17時23分25秒 | * 俳句 *
ツイッターで世界文化遺産登録を目指す「俳句」と「荒川区」の実は“深い関係”という記事を見つけた。
世界文化遺産に登録できる条件を知らないが、日本の一つの文化である俳句が世界遺産となることはうれしい。
しかし、世界遺産登録も観光事業と勘違いされるものを感じます。
俳句の遺産はどこに?
関係した遺跡や自然が多く残っているわけでもないし、その意味では形が見えない。
詩的表現あるいは精神文化がどのような形で残っているのかとなるとやはりどこかぼんやりとしている。
推進協議会の一つの団体「国際俳句交流会」では、ユネスコ登録に向けてという考え方を示している。
その中では、俳句が世界一短い詩形というものから世界に広がり、俳句の魅力が認められてきたとし、次のように俳句の魅力をより広げるために、次のように提起をしている。
・俳句の大衆性
・俳句の普遍性
・俳句の平和性
・次世代への教育力
この中での広がりにより世界遺産として承認されるのではないかということでしょうか?
「俳句の大衆性」や「俳句の普遍性」については、正岡子規も俳句の芸術性を比較しながら著書を残していると思います。
詩としてのすぐれた作品そしてその芸術性と、普遍性や大衆性。
俳句にとっては、これは永遠の課題なのかもしれません。
ただ広がりを持つことによる世界遺産なのか、俳句という芸術性を広めることによる政界遺産なのか。
たぶん、これはどちらか一つを選ぶことはできないでしょう。
世界遺産蟹はどちらもが必要になると思います。その意味では俳句の芸術性につおて日本人すら知らないことばかりですから、わかりやすい大衆的な言葉でこれを広めねばならないでしょう。

俳句のユネスコ世界無形文化遺産登録に続く
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