以下、今日のツイートのまとめです。一部誤字修正あり。
世界は狭くなっておりそこでの独占企業の生き残り競争は激化している。世界が狭くなっているというのは、商品市場が狭くなっているということで、だからこそ競争は熾烈になる。
商品市場が狭くなる要因は、いくつかあるでしょう。一つは生産性の向上により大量生産が飛躍的に伸びているということである。ロボットなどにより同じ労働力量でより多くの商品が生産されるようになるということである。極端に言えば、今まで100社あればいいところ70社でよくなる
二つ目は生産性が高くなり商品量は増えるのだが、世界中であるいは国内も同じだが、その商品の消費を損なうほどに格差が拡大をして貧困が(相対的にも絶対的にも)増えればその商品の消費ができなくなるということである。豊富な商品量の裏にその商品を消費できない貧困である。
三つめが生産性の向上により商品価値が下がるということである。ロボットなどにより商品生産に必要となる労働力量が減少すれば商品価値が下がる。労働価値説を言わなくても、手作り時代より機械化された今のほうが商品価値は下がって価格の下落が生じている事実。
商品価値の下落からの市場価格の下落は、同じ商品量を生産している場合は、企業の利潤率を下げることになるでしょう。そこで企業は拡大再生産を行って利潤を維持しようとするでしょう。すると、一つ目として書いた商品量の増加が爆発的になります。
世界中の商品量の過剰傾向により拡大再生産が行えなくなれば(低成長やマイナス成長)、企業は利潤率の確保のために労働者を解雇するようになり、同時に生産手段(工場など)の縮小を行う。また経済法則に矛盾するような賃下げや雇用者数を減らすための強労働にまで進んでいく。
これが日本で端的に表れていた「失われた10年あるいは20年」なのである。すると先に二つ目として書いた格差の拡大による貧困が生まれてさらに商品の消費を減少させていく現象が深刻となっていく。これがデフレと言われるものである。失われた20年はデフレスパイラルなのである。
アベノミクスはこのデフレスパイラルに浮かぶ泥船なのである。
デフレスパイラルは、これまで書いてきた3つの理由により、商品市場における流通貨幣量の減少となる。貨幣量の減少は全体的なものとしてあらわれるわけではない。企業やそこに貸し付けを行う銀行などの貨幣(企業の内部留保や日銀の都市銀行への準備金)としての資本は増大する。
銀行や保険会社などの金融関連資本そして企業の内部留保はその使い道がなくなる。企業の利益は商品販売などという本業に頼らずに金融商品による利益に依拠するようになる。
商品市場におけるデフレスパイラルは商品市場の恐慌を引き起こす。同時に銀行や企業の余剰貨幣資本が金融商品に頼るようになるといつかバブル化してはじけて金融恐慌を引き起こす。
この二つの恐慌という爆弾がいつ爆発するかわからないのが今の先進国です。
資本主義はこの爆発から戦争が不可避となる。この経済矛盾が上部構造である政治に作用をして世界中で強権的な時には極右化した政権が生まれていく。
しかし資本主義はこの戦争という矛盾を止揚する方法を持つ。
それは社会民主主義という資本主義の最高段階である。
社会民主主義は、これまで書いてきた3つの矛盾を解決できるでしょう。すると恐慌の回避から戦争の必然性をなくすことができるのである。
戦争とは商品市場の分捕り合いです。現在は植民地主義は世界的に否定をされていますから、さらに戦争回避は有利です。
社会民主主義は社会主義か?
この判断は多くの説が存在をし、アメリカなどから見れば今の日本でさえ社会主義である。またヨーロッパの社会民主主義政権は極端な資本主義である。
社会民主主義は、資本主義政権から見ると私有財産を残すことから資本主義のはずです。共産主義国から見ると、共産主義の過程において私有財産を残すことから共産主義ではない資本主義の残存物を多く残す社会となります。
ですから社会民主主義は資本主義であるということです。
しかし今の社会民主主義と社会主義の最大の欠点は、平和主義がないことです。
日本はこれまで多くの社会民主主義的政策が野党や労働団体そして市民によって行われる過程にあった。そして憲法という形においても戦後70年の事実の中でも一定の平和主義を作り上げた。日本の世界に対する貢献は、この社会民主主義的政策と平和主義を広げることにあります。
日本人は自虐的になる必要はない。日本のこれまでの政策と平和主義を世界に発信すれば尊敬に値する国となっていくでしょう。これが崩れていく中で逆に日本人は未来志向から後ろ向きになった自虐に陥るのです。
世界は狭くなっておりそこでの独占企業の生き残り競争は激化している。世界が狭くなっているというのは、商品市場が狭くなっているということで、だからこそ競争は熾烈になる。
商品市場が狭くなる要因は、いくつかあるでしょう。一つは生産性の向上により大量生産が飛躍的に伸びているということである。ロボットなどにより同じ労働力量でより多くの商品が生産されるようになるということである。極端に言えば、今まで100社あればいいところ70社でよくなる
二つ目は生産性が高くなり商品量は増えるのだが、世界中であるいは国内も同じだが、その商品の消費を損なうほどに格差が拡大をして貧困が(相対的にも絶対的にも)増えればその商品の消費ができなくなるということである。豊富な商品量の裏にその商品を消費できない貧困である。
三つめが生産性の向上により商品価値が下がるということである。ロボットなどにより商品生産に必要となる労働力量が減少すれば商品価値が下がる。労働価値説を言わなくても、手作り時代より機械化された今のほうが商品価値は下がって価格の下落が生じている事実。
商品価値の下落からの市場価格の下落は、同じ商品量を生産している場合は、企業の利潤率を下げることになるでしょう。そこで企業は拡大再生産を行って利潤を維持しようとするでしょう。すると、一つ目として書いた商品量の増加が爆発的になります。
世界中の商品量の過剰傾向により拡大再生産が行えなくなれば(低成長やマイナス成長)、企業は利潤率の確保のために労働者を解雇するようになり、同時に生産手段(工場など)の縮小を行う。また経済法則に矛盾するような賃下げや雇用者数を減らすための強労働にまで進んでいく。
これが日本で端的に表れていた「失われた10年あるいは20年」なのである。すると先に二つ目として書いた格差の拡大による貧困が生まれてさらに商品の消費を減少させていく現象が深刻となっていく。これがデフレと言われるものである。失われた20年はデフレスパイラルなのである。
アベノミクスはこのデフレスパイラルに浮かぶ泥船なのである。
デフレスパイラルは、これまで書いてきた3つの理由により、商品市場における流通貨幣量の減少となる。貨幣量の減少は全体的なものとしてあらわれるわけではない。企業やそこに貸し付けを行う銀行などの貨幣(企業の内部留保や日銀の都市銀行への準備金)としての資本は増大する。
銀行や保険会社などの金融関連資本そして企業の内部留保はその使い道がなくなる。企業の利益は商品販売などという本業に頼らずに金融商品による利益に依拠するようになる。
商品市場におけるデフレスパイラルは商品市場の恐慌を引き起こす。同時に銀行や企業の余剰貨幣資本が金融商品に頼るようになるといつかバブル化してはじけて金融恐慌を引き起こす。
この二つの恐慌という爆弾がいつ爆発するかわからないのが今の先進国です。
資本主義はこの爆発から戦争が不可避となる。この経済矛盾が上部構造である政治に作用をして世界中で強権的な時には極右化した政権が生まれていく。
しかし資本主義はこの戦争という矛盾を止揚する方法を持つ。
それは社会民主主義という資本主義の最高段階である。
社会民主主義は、これまで書いてきた3つの矛盾を解決できるでしょう。すると恐慌の回避から戦争の必然性をなくすことができるのである。
戦争とは商品市場の分捕り合いです。現在は植民地主義は世界的に否定をされていますから、さらに戦争回避は有利です。
社会民主主義は社会主義か?
この判断は多くの説が存在をし、アメリカなどから見れば今の日本でさえ社会主義である。またヨーロッパの社会民主主義政権は極端な資本主義である。
社会民主主義は、資本主義政権から見ると私有財産を残すことから資本主義のはずです。共産主義国から見ると、共産主義の過程において私有財産を残すことから共産主義ではない資本主義の残存物を多く残す社会となります。
ですから社会民主主義は資本主義であるということです。
しかし今の社会民主主義と社会主義の最大の欠点は、平和主義がないことです。
日本はこれまで多くの社会民主主義的政策が野党や労働団体そして市民によって行われる過程にあった。そして憲法という形においても戦後70年の事実の中でも一定の平和主義を作り上げた。日本の世界に対する貢献は、この社会民主主義的政策と平和主義を広げることにあります。
日本人は自虐的になる必要はない。日本のこれまでの政策と平和主義を世界に発信すれば尊敬に値する国となっていくでしょう。これが崩れていく中で逆に日本人は未来志向から後ろ向きになった自虐に陥るのです。