【2024年】ツイッターつぶやき
謹賀新年 🐉
本年もよろしくお願い申し上げます
年末から風邪かなと思っているのでが、もしかしたら花粉症かもしれない。
鼻水が垂れてクシャミだけで、他の風邪の症状がありません。
どちらにしてもあまりよい新年のすたーおではないです。
≪過去の日記≫
【2004年】
謹賀新年
本年もよろしくお願いいたします。
【2005年】
謹賀新年
新しい年もよろしくお願い致します。
楽しくおしゃべりしていきましょうね。
皆様にとって素晴らしい年であるようにお祈りいたします。
【2006年】
今年はどんな年になるんだろ?
まぁ、楽天的に過ごしていこうかぁ。。。。
楽天的というのは、いろいろな現象を見て見ぬ振りをすることではない。逆であり、いろいろな現象をしっかりと見ることであり、その現象をどう考えどうなっていくのかを見ることである。庶民は弱いが結局は庶民がこの世の中の主な力である。漱石は文学論の中で言う。短い時間の流れをみるとその時々の強い力を持つ者がこの世の中を動かしているように見える。しかし50年100年単位でみれば、結局は庶民の意志が働く。こう見ることが楽天的なのだろう。
ホームページも楽天的に。。。。。しっかり自分を出してのんびりとやって行きたいと思います。
また今年もたくさんの方とお話ができればと思います。
【2007年】
皆さん、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
朝、7時頃目が覚めてしまいました。
コーヒーでも飲もうかとキッチンに行ったら、出窓に初日の出が!
外は寒そうで、出窓は結露の露が。。。。。この露ににじむようにきれいな太陽が見えました。ボコボコと、コーヒーメーカーのコーヒが湧き上がり湯気と香が漂いました。
しばらくコーヒーをすすりながらオレンジ色の太陽を見ていました。
家族はまだ寝ているし、テレビはついていないし、正月の東京の道路は静かで通る車もありません。
久しぶりに気持ちの良い元旦の朝を迎えました。
娘と近くの神社に初詣に行ってきました。
能楽堂ではおめでたいお囃子の生演奏。お神酒をいただき、娘が家族を代表しておみくじを。。。。
ううう。。。。末吉
今年もまた大きな良いこともなさそうで、悪いこともそうはなさそうですが、旧年に引き続き平凡な年になりそうです。
帰り道、コーヒーショップが開いていたので娘とコーヒー。。。
本屋さんも営業中。
スーパーも営業中で、最近は元旦に店を開いて2日3日と休む店が増えたようです。夕飯の買い物をして帰ろうとすると、娘がマフラーを買いたいと。。。「2000円持ってきたからだいじょうぶよ♪」というので着いていったら、「これがいい!」と生意気にもカシミヤのマフラー・・・・ううう
2000円では買えねぇじゃん。。。。。
結局1000円出さされた。。。。
【2008年】
雑煮がうまかった。
シンプルな鶏肉とにんじん大根の具に紅白の蒲鉾とゆず・三つ葉を乗せただけです。鰹節の出汁の薄口のしょうゆ味です。
雑煮というのは、地方色が出ると思います。出汁も違うだろうし、味付けも醤油もあるだろうし味噌もあるそうですね。必ず入れる具といったらそれこそいろいろな違いがあると思います。ちなみに「我が家の雑煮」で検索してみると、やはりいろいろあるようでした。雑煮というのは正月だけのものでしょうから、日常の食事のように平均化していく傾向が最も少ないのではないかな?
おっと忘れてた。。。。。
新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
新しい年といってもそうも変わらないものでして、新年の抱負も無い。去年同様マイペースでのほほんと生きられればいいかなと思います。とはいっても、時間の流れに身をまかせねばならないわけでして、社会は僕という個を押し流しながら流れていく。時には流れに抗し、時には心地よく竿をさし、時には流れに涙し、時には流れに馬鹿笑いをしながら平凡な中にも喜怒哀楽を見つめていきたいです。
【2009年】
(記事なし)
【2010年】
(記事なし)
【2011年】ツイッターつぶやき
子供たちがむくっと遅く起きて家族で御節を祝いました。
我が家の雑煮はあっさり系です。鰹節と鶏肉で出汁をとり具は銀杏切りにした大根とにんじん、仕上げにかまぼこと三つ葉柚子を乗せただけです。大体東京はこんな感じだと思うのですが。。。。。皆さんのところはどんな雑煮でしたか?
ぼうっとテレビを見ていたのですが、急に思い出してある能楽堂のホームページを開きました。能楽堂で津軽三味線の演奏会があったのです。
急ぎ車を飛ばしていってきました。
演奏会は40分ほどで無料でした。きれいな日本庭園が見える広い日本間で演奏会がありました。
どこか「タカ&トシ」のトシに似たお若い演奏家が6曲ほど演奏しました。津軽三味線というのは生で聴くのは初めてでしたがいいもんですね。曲の合間に三味線のことなどのお話しもあり楽しく過ごせました。
津軽の民謡のあの時には激しい旋律に感動しました。津軽の寒い雪景色。。。。。
正月もぼうっとしていれば一日も早いですが、こうして正月に津軽三味線というのも有意義でした。
元旦の朝日新聞1面2面に「答えは対話の中にある」と題する現在の教育方法のある試みが紹介をされていた。
暗記中心でクイズ番組の答えのような教育から考える教育へということだろうか?そしてその考えることは対話にありその中から子供たちが自ら答えを見つけていくということでしょうか?互いに違った答えを出し合いながら対話の中でより正しいものを探し当てていくというある意味古代弁証法的な学習とも言えるものだろう。
対話をするには言葉を発しなければならないのは当たり前だが、その中には考えていく過程が問われるわけでそこで考えるということが重視をされていく。またこの考えは個人個人で違ったものがあり、中にはユニークな常識離れをしたものも出てくる。それをどう話し合えるかも問われるわけで聴く耳を持たなければ対話にならない。
教育の中でこのような対話の中で考えそれを話するというものは大切だと思います。
しかし、ここでは注意が必要になる。子供たちが間違った答えを出したら先生は腕久美をして聞くだけでは済まされないとか、済まされないから「正しい答え」を誘導するということも出てくるかもしれない。また子供たちはこの世の中の常識を知っているし、「正しい答え」も知っている。この「正しい答え」をどう見るかというのも記事の中身としてあるのでしょうか?そこで対話の中に「議論で育む新しい知」とという言葉が提起をされています。新しい知・・・・・・それは常識とは違うもになる。あるいは常識の見る角度が違ってくる。ここがなければ対話に意味がなくなりますね。
このような授業が多くなっていけばまた違った人間が生まれてくるでしょう。。。。。
ここで注意をしなければならないことは、常に子供たちや青年が学ぶものは「大人社会」とは乖離をしているということです。対話から新しい知をといってみても今の政治は対話による知ではなくスキャンダルのぶつけ合いになっているし、数の論理で動いている。会社組織やあらゆる大人の組織はそうは対話で動いているわけではないし、弱者層の答えは対話の中から弾き飛ばされている面もある。それは常識をいう人々の民主主義となっているわけです。このような子供や青年と大人社会の現実は昔から乖離をして対立する面があった。そして「青臭いことは言うな。大人になれ」が社会に出ることの条件になった。
そうすると、子供たちの教育と同時に大人社会は民主主義とは何かを自ら考え対話しなければならない時期になっているということで、新しい教育の中で考える子とを見につけた子供が成人をしていく中にその望みを見ると同時に今をどうするかが問われるわけです。自由もそうです。今、競争社会で生まれたエリート社会そしてその中での賃金格差という矛盾が吹き出てきてチームワークというものが見直されるようになっているようですが、対話の中での新しい知やその知を生かす答えを対話の中で見つけていくというものが現実として大人社会にも必要になっている。
そして今、正しいといわれる答えはより正しい答えの段階にあるということを忘れてはいけないでしょう。対話の中で見つけた新しい知、答え、それはまた未来に向けた新しい知や答えの準備でしかないということ。新しい「常識」として鎮座させてはならない。対話の中での新しい知は、知としてだけで終わってはならない。新しい知を生み出した思考方法こそ新しい知であるのである。その思考方法は弁証法です。
【2012年】ツイッターつぶやき
元旦の朝日新聞を開いた。
政治・経済その他もろもろの日本のこれからの課題を提起する新聞の記事も大切だが、その一つ一つの課題の根本にあるものを提起する記事も今は必要かと思う。それは一つの哲学にも通じますが、そこがなければ未来を見通すことはできません。そのような意味で今朝の朝日新聞は良いと思います。記事と広告は関係ないのですが、広告も出版社の哲学が出ています。その出版社の広告が目立つということもよいことと思います。
日本の未来に対して基本的に何が必要か?それは民主主義の問題でしょう。議会制民主主義が民主自民の保守二大政党制により形骸化をしてきました。経済は格差の広がりゆえに混迷を深めています。この経済政治の混乱からそれは人の心にも暗いものを植え付けます。犯罪は増加をしています。世界ではテロや戦争が後を絶ちません。経済性(利潤)優先の原発事故はこれから数十年日本の成長の足かせになるでしょう。
これらの矛盾を解決するには直接に国民の意思が反映される民主主義が必要になります。
この民主主義を確立するには何が必要でしょうか。それは国民の団結です。
やはり朝日新聞にはあのニューヨークのウォール街のデモを取り上げていました。ウォール街を「占拠」せよ!「99%の貧困と1%の富裕層」このスローガンで国民の団結による「占拠」が行われた。もちろん改善を得るには至らない団結ですが、団結の形としての芽と考え方の団結の芽が世界を駆け巡りました。そして「占拠」などというと物騒なイメージですが、平和的な行動が組織されねばなりません。行動だけではなくて言葉の平和的な発言が求められます。それは過激な言葉が強い批判だというような常識を失くさねばなりません。すぐに「辞めろ」とか短絡的な「謝罪しろ」とかこういった言葉の暴力も廃しながら平和的にも鋭い批判が必要になります。それが言論の団結を作るでしょう。
日本でもこのような動きが出ています。
小さな記事ですが、関西の中小零細企業が独自に「まいど1号」という人工衛星を打ち上げるという。それに刺激された東京の中小零細企業が8000メートルの深海に探査艇「江戸っ子1号」を沈めるという。大企業もこの中小零細企業の技術に支えられているわけですが、受注関係により中小零細企業の製品は買いたたかれる。この意味で中小零細企業の団結が必要なわけです。本来ならば銀行の支援により中小零細企業はその技術を結集して新製品を開発をして大企業に生産を受注することもできるはずなのです。このためには団結が必要です。
以前、日本の農業は大規模農業として競争に勝たねばならないと書きましたが、この大規模農業も企業の投資目的ではなくて「農民」の団結からの協同組合でなければなりません。「農民」が生き残らねばなりません。そのためには農民の団結が必要です。まいど1号や江戸っ子1号の理念が必要です。
そして最も人口割合の多い賃金労働者は労働組合の再結集と拡大を果たさねばならないでしょう。それが団結です。
こういった団結がある程度達成されれば国や大企業を動かすことができるでしょう。
元旦の東京は薄日が差してきました。派手な初日の出ではありませんが、日本社会も薄日が差すような年になればいいですね。こんなことを願いながら暮らしたいと思います。
今年もよろしくお願いいたします。
【2013年】ツイッターつぶやき
あけましておめでとうございます。
今年の抱負は。。。。
まずはこの風邪を早く治さねば。
ひどい寒気がしています。。。。柿酢を飲む。
本年もよろしくお願いいたします。
【2014年】ツイッターつぶやき
謹賀新年
本年もよろしくお願いいたします。
「靖国対応で温度差=中国との連携に慎重?韓国」という記事がありますが、中国と韓国との関係が強まっているのは確かですが、戦後の歴史を考えれば中国と韓国の関係はそうは急接近をして利害が一致するということはないでしょう。『尹炳世韓国外相が「参拝に反対する韓国政府の厳しい立場」を表明』(上記リンクページより引用)というのも本音でしょう。しかしこの本音を中国に伝えられること自体が信頼関係にもなります。中国もやっぱりお前はだめだと韓国を批判はしないでしょう。
ここにある温度差は関係を強める方向の過程にある温度差であります。
同時にもう一つの温度差が出ている。安倍総理の靖国参拝に対してのアメリカの「失望している」というアメリカの表現です。日米関係も長い戦後の歴史があるわけですから急速に関係が悪化するわけではありませんが、アジア政策において温度差が違いとして広がるということでの温度差があります。
関係改善や発展の過程においての温度差の縮小と、関係にほころびが起きる中での温度差の拡大があるわけです。
韓国は日と米との関係と中国との関係に悩む。そこですぐに尹炳世韓国外相は訪米をする。これは賢明な韓国の対応でしょう。安倍政権との距離と対米関係の強化。そこには米中関係もあるわけですからその意味でも賢明な対応なのです。
一方日本は韓国批判も強めている。もちろん中国批判も。とはいえ日本も中韓との経済的なつながりはある。しかし政治はその関係を飛び越えて対立関係の深まりとなっている。対米関係も温度差が広がる。
日本は独自的な軍事・経済政策を行う方向になる危険性がある。
同時に内政では領土問題と拉致問題の解決という公約があるわけですが、それを話し合いの場で解決をするという条件を失いつつある危険性もある。それは6カ国協議の日本の立場も微妙に変えていくでしょう。そしてロシアとも北方領土問題を抱えながら。
外交とは自己主張であると同時に互いの信頼関係の中にある。対立しても互いに関係強化は模索をするというのが外交でしょう。この立場を日本が持っているかを世界は見ているわけです。世界と日本の温度差は縮まる温度差にあるのか、広がる温度差にあるのか。。。。。
【2015年】ツイッターつぶやき
あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします
【2016年】ツイッターつぶやき
あの人は現実主義だと一口に言ってもその中身によってだいぶ違いがある。
一つは今はこういう世の中だからソ連それに従うことが現実主義だと。
確かに世界は戦争がなくなっていない。紛争や宗教対立などでは戦争あるいは力による解決が行われる。だから戦争を準備することが現実主義だといった論理である。戦争という極端なものでなくても、社会の中でいろいろな矛盾があってもその矛盾した社会が現実なのだからそれに沿って生きていくのが現実主義だと。
もう一つは願望や夢のような話からユートピア的な非科学的な思いに対して、現実をよく見つめ分析しながらそれをどう解決していくのかという現実主義である。
現実をよく見つめて分析することはこの両現実主義に共通するかもしれないが、違いがあるのは現実だからそのまま受け入れて従うのか、現実をどう改善(発展)させていくのかの違いがある。
もちろん現実をそのままに受け入れる現実主義は、社会矛盾をそのままにしたものですからその矛盾に対してj逆的になる。その自虐的なものを覆い隠すために神話的な精神論的な支えが必要となる。あるいは他国のいくつかの国の矛盾を取り立てて時刻をよい国だとする自己満足も起こる。隣の国が貧しいのだから自国はいい国なんだよと。結局は先の現実主義は唯物論的な真の現実主義ではなくて観念論的な現実主義となる。
そうすると真の現実主義は、今の社会矛盾をそのままに分析してどう発展させるかという視点に立つのが現実主義といえる。
人は現実主義とならなくてはならないし、そうしないならば社会はくるってくるでしょう。
【2017年】ツイッターつぶやき
謹賀新年
本年もよろしくお願い申し上げます。
朝日新聞1月1日号9面に耕論「私たちはどこにいるのか」という記事があった。その中で僕の大好きな作家である川上弘美さんが「ありえない幸運 よりよく生きた」が載せられていた。
「毎日普通の生活すること」この言葉は川上さんの多くの(すべての作品と言ってもよい)作品に表れています。小説の中に登場する人々は誰もが「普通の生活」をしている。しかし普通の生活というのは単純な平凡とは違う。しかしそれは平凡であることに変わりはない。人はその普通の生活の中に喜怒哀楽がある。家族や恋人などをはじめ多くの人の交わりの中で喜怒哀楽がある。同時に人が社会的動物であることから社会全体の中に置かれた普通の生活の中に喜怒哀楽がある。
家族内のあるいは恋人との時間。この中での喜怒哀楽は時には激しいものがある。その激しさの中で人生の方向も変わってしまうこともあるのですから普通の生活は平凡ではない。しかし人は時の流れの中で必然的に置かれる場所は決まってきますから過ぎ去る時間の中においてはやはり平凡なのです。
その平凡さすなわち「やってみる、食べる、しゃべる。そういうささやかなこと」としての普通の生活が繰り返される。
しかし、先にも書いたように人は社会的な動物ですから社会の中に平凡さや普通の生活はさらされています。
「災害や不幸をなくすことはできないけれど、極端な理不尽なことが起こらない世界になってほしい。原発事故で避難した人や紛争から逃れてきた難民のように、生まれ育った土地に住めなくなり、よそへ行かなくてはいけないのは、本当に理不尽なことです。
生まれ育った土地で喜怒哀楽を素直にあらわしながら、普通に生活できるという、ほんとうにささやかな幸せをみんなで求めていくことができる世界に、住みたいのです。」
これが「よりよく生きたい」川上さんの言葉でしょう。
激しい喜怒哀楽の中で生きなければならないのですが、この喜怒哀楽と社会的な人が作り出す「理不尽なこと」は質の違うものです。
社会的な理不尽なものをなくさないと人は個人として平凡な普通の生活を送ることができなくなるのです。それが理不尽さです。
戦争・内戦や原発事故。しかし理不尽さが現れるものはそれだけではありません。格差や貧困(絶対的にも相対的にも)特に子供の相対的貧困。社会保障全般。そして「ほんとうにささやかな幸せを『みんなで求めていくことができる』世界」という自由や民主主義などなど。この理不尽さをなくさなければ人はより良く生きることができません。
このことを「あきらめずに、そして忘れずに、なのかな。」
普通の生活の中身は個人により大きな違いがあるでしょう。しかしその基礎にあるのは「やってみる、食べる、しゃべる。そういうささやかなこと」です。これを作り上げながらその個性により人は初めて個性的に喜怒哀楽のある毎日を送ることができるでしょう。
よりよく生きるための普通の生活を守りましょう。
*「 」内は引用です。
【2018年】ツイッターつぶやき
謹賀新年
あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします
最近は気力がなくて数十万の参拝客が押し寄せる寺や神社には行きません。
初詣は氏神様や近くのお寺で十分です。
東京に住んでいて気を付けてみてみると氏神様はあるもんで、初詣に行けばご近所の方にもお会いして新年のあいさつもできます。お神酒や甘酒もいただきお札までいただいて帰ってきました。
朝7時少し前に目が覚めたら、出窓から初日の出が昇りはじめました。
風もなくて快晴。穏やかな元日でした。
ツイッターより
今年はどのような年になるのでしょうか。。。。。
朝日新聞4面によれば、経団連会長は2018年にデフレ脱却宣言が出されると予想しているようです。政府も日銀も経済が好転する兆しがあると予想しているようですが、仮に企業の利益や株価がさらに上がったとすれば、そしてすでに2%の物価上昇目標は捨てているのですから、デフレ脱却宣言は出せる。
しかしこのデフレ脱却宣言が経済の好転を現して国民生活の豊かさを保証するものではないことはたしかでしょう。すでに国民に対しては増税が言われ、社会保障の切り下げが言われている。労働の規制緩和や労働の生産性向上が言われている。
国民生活における生活の低下と負担増そして更なる労働の厳しさが企業利益を保証するものという事が日本のこれまでの現状でした。これがさらに激しさを加えていくでしょう。これがデフレ脱却宣言という事になる。
政府も企業も不況下において労働者からどう絞るとるかでその生き残りを図ってきた。企業活動の活発さはなくてもそれで生き残れると考えてきた。結果は大企業の不振と不祥事である。政治も国会の形骸化と国民不在の政治に向かっている。
これをデフレ脱却と言えるか?逆にデフレ不況のスパイラルを激しくさせていくでしょう。日本経済は諸外国もちろん中国の経済発展に依拠していくほかはなくなる。
経済の根底に流れるものは、失われた10が20年に、そして30年40年に衰弱しながら向かうほかはない。国内向け経済指標と現実の国際的位置の乖離が進むでしょう。国内的には精神論や国を愛する心という観念論が主流となる。そこから現実を解釈する。
【2019年】ツイッターつぶやき
年末、実家に用事があり出かけた
いつもの幹線道路を通った
すると幹線道路から入った狭い道の奥に
古いお寺の門が一瞬見えた
たしかあの寺は。。。。。
若いころ毎年自転車に乗って初詣に行った古い寺
だいぶ前のお袋の話では崩れ落ちそうなので
廃寺になったと。。。。。。
でもたしかにあのお寺の門だった
裏の道路にたしか車を止められるはずだと思い出して
裏の道を進んだがてらはなかった
心の風景だったのかもしれない。。。。。
そういえば子供たちが小さいころ
盆踊りがあるというので出かけた
櫓の上に太鼓があり、笛を吹いていた
皆浴衣姿で輪になって踊っていた
神社の参道には屋台がたくさん並び
提灯の灯がきれいだった。。。。。
翌日散歩に出かけたのであの神社を探した
たしかこの路地の奥だったはず
しかし神社は見当たらなかった。。。。。
心の風景だったのかもしれない。。。。。
謹賀新年
本年もよろしくお願いいたします
2019年 元旦
東京では除夜の鐘も「騒音だ」とされて鐘もつけない寺もあるようです。
我が町ではどこの寺か。。。。。鐘が鳴りはじめています。
【2020年】ツイッターつぶやき
謹賀新年
2020年元旦
(写真が90度回転してしまいました)
【手作りは・・・・】
煮しめ、昆布巻き、伊達巻、田作り
ナマス、チャーシュー、黒豆、松前漬け
謹賀新年
本年もよろしくお願いいたします。
2020年 元旦
【2021年】ツイッターつぶやき
謹賀新年
今年もよろしくお願いいたします
あけましておめでとうございます
夜明け前
東の空がオレンジ色になり
初日の出が昇りだしました
寒いですが風もなく穏やかな元旦です
≪わが家の御節です≫
手作りは
煮しめ、伊達巻、田作り、松前漬け、黒豆、ナマス、チャーシューです。
お雑煮は
鶏肉、大根、ニンジン トッピングは三つ葉、かまぼこ、伊達巻、柚子の千切り
元日と言えば深夜の初詣やカウントダウンでたくさんの人々が集まります。東京ではこの人の密を避けるために夜通し電車を走らせていますが今年は感染防止のために行わないようにしました。しかしそれでも明治神宮では多くの人出があったようです。愛知や大阪でも同じような状態だったようです。それでも例年に比べればだいぶ人では少なかったようですが。
たとえば1万人の人出があったとすれば、東京の陽性率は10%強ですから、1000人程度は陽性者がいたとしても不思議ではありません。そして実効再生産数(一人の陽性者が平均何人に感染させるか)は感染状況レベルがレッドですから1.3以上あるでしょう。すると1000人の陽性者は1300人に感染させる。
でもこれは机上の計算で初詣などに出かけた人は注意をしているでしょうからそうは感染拡大も大きくはないかもしれません。それでも数百人の新たな感染が起きたと考えても良いかもしれません。
その数百人が仮定の中に帰り、4日からは出勤や通学をします。
人と密接にかかわる仕事ならどうでしょう?
クラスターの原因にもなりますね。そこから感染がまた拡大する。
でも、こういった人の数は東京都の人口からすればわずかですから多くの都民が静かに正月を送っていれば勝負の三週間よりはましかもしれません。しかし政府はこうした国民の協力に対してあまりにも無策です。それにもましてこの無策をよいことにコロナ特措法の改正を行い協力してると国民に対して罰則を設けると。上記の1万人の例をうまく利用するでしょう。
ワクチンと特措法改正(次期国会)までのらりくらりと無策状態になるかもしれませんね
【2022年】ツイッターつぶやき
迎春
本年もよろしくお願いいたします。
正月早々、「ぴんころ地蔵様」だけではどんよりしてしまいますので。。。
【2023年】 ツイッターつぶやき
本年もよろしくお願いいたします。
2023年 元旦
謹賀新年 🐉
本年もよろしくお願い申し上げます
年末から風邪かなと思っているのでが、もしかしたら花粉症かもしれない。
鼻水が垂れてクシャミだけで、他の風邪の症状がありません。
どちらにしてもあまりよい新年のすたーおではないです。
≪過去の日記≫
【2004年】
謹賀新年
本年もよろしくお願いいたします。
【2005年】
謹賀新年
新しい年もよろしくお願い致します。
楽しくおしゃべりしていきましょうね。
皆様にとって素晴らしい年であるようにお祈りいたします。
【2006年】
今年はどんな年になるんだろ?
まぁ、楽天的に過ごしていこうかぁ。。。。
楽天的というのは、いろいろな現象を見て見ぬ振りをすることではない。逆であり、いろいろな現象をしっかりと見ることであり、その現象をどう考えどうなっていくのかを見ることである。庶民は弱いが結局は庶民がこの世の中の主な力である。漱石は文学論の中で言う。短い時間の流れをみるとその時々の強い力を持つ者がこの世の中を動かしているように見える。しかし50年100年単位でみれば、結局は庶民の意志が働く。こう見ることが楽天的なのだろう。
ホームページも楽天的に。。。。。しっかり自分を出してのんびりとやって行きたいと思います。
また今年もたくさんの方とお話ができればと思います。
【2007年】
皆さん、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
朝、7時頃目が覚めてしまいました。
コーヒーでも飲もうかとキッチンに行ったら、出窓に初日の出が!
外は寒そうで、出窓は結露の露が。。。。。この露ににじむようにきれいな太陽が見えました。ボコボコと、コーヒーメーカーのコーヒが湧き上がり湯気と香が漂いました。
しばらくコーヒーをすすりながらオレンジ色の太陽を見ていました。
家族はまだ寝ているし、テレビはついていないし、正月の東京の道路は静かで通る車もありません。
久しぶりに気持ちの良い元旦の朝を迎えました。
娘と近くの神社に初詣に行ってきました。
能楽堂ではおめでたいお囃子の生演奏。お神酒をいただき、娘が家族を代表しておみくじを。。。。
ううう。。。。末吉
今年もまた大きな良いこともなさそうで、悪いこともそうはなさそうですが、旧年に引き続き平凡な年になりそうです。
帰り道、コーヒーショップが開いていたので娘とコーヒー。。。
本屋さんも営業中。
スーパーも営業中で、最近は元旦に店を開いて2日3日と休む店が増えたようです。夕飯の買い物をして帰ろうとすると、娘がマフラーを買いたいと。。。「2000円持ってきたからだいじょうぶよ♪」というので着いていったら、「これがいい!」と生意気にもカシミヤのマフラー・・・・ううう
2000円では買えねぇじゃん。。。。。
結局1000円出さされた。。。。
【2008年】
雑煮がうまかった。
シンプルな鶏肉とにんじん大根の具に紅白の蒲鉾とゆず・三つ葉を乗せただけです。鰹節の出汁の薄口のしょうゆ味です。
雑煮というのは、地方色が出ると思います。出汁も違うだろうし、味付けも醤油もあるだろうし味噌もあるそうですね。必ず入れる具といったらそれこそいろいろな違いがあると思います。ちなみに「我が家の雑煮」で検索してみると、やはりいろいろあるようでした。雑煮というのは正月だけのものでしょうから、日常の食事のように平均化していく傾向が最も少ないのではないかな?
おっと忘れてた。。。。。
新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
新しい年といってもそうも変わらないものでして、新年の抱負も無い。去年同様マイペースでのほほんと生きられればいいかなと思います。とはいっても、時間の流れに身をまかせねばならないわけでして、社会は僕という個を押し流しながら流れていく。時には流れに抗し、時には心地よく竿をさし、時には流れに涙し、時には流れに馬鹿笑いをしながら平凡な中にも喜怒哀楽を見つめていきたいです。
【2009年】
(記事なし)
【2010年】
(記事なし)
【2011年】ツイッターつぶやき
子供たちがむくっと遅く起きて家族で御節を祝いました。
我が家の雑煮はあっさり系です。鰹節と鶏肉で出汁をとり具は銀杏切りにした大根とにんじん、仕上げにかまぼこと三つ葉柚子を乗せただけです。大体東京はこんな感じだと思うのですが。。。。。皆さんのところはどんな雑煮でしたか?
ぼうっとテレビを見ていたのですが、急に思い出してある能楽堂のホームページを開きました。能楽堂で津軽三味線の演奏会があったのです。
急ぎ車を飛ばしていってきました。
演奏会は40分ほどで無料でした。きれいな日本庭園が見える広い日本間で演奏会がありました。
どこか「タカ&トシ」のトシに似たお若い演奏家が6曲ほど演奏しました。津軽三味線というのは生で聴くのは初めてでしたがいいもんですね。曲の合間に三味線のことなどのお話しもあり楽しく過ごせました。
津軽の民謡のあの時には激しい旋律に感動しました。津軽の寒い雪景色。。。。。
正月もぼうっとしていれば一日も早いですが、こうして正月に津軽三味線というのも有意義でした。
元旦の朝日新聞1面2面に「答えは対話の中にある」と題する現在の教育方法のある試みが紹介をされていた。
暗記中心でクイズ番組の答えのような教育から考える教育へということだろうか?そしてその考えることは対話にありその中から子供たちが自ら答えを見つけていくということでしょうか?互いに違った答えを出し合いながら対話の中でより正しいものを探し当てていくというある意味古代弁証法的な学習とも言えるものだろう。
対話をするには言葉を発しなければならないのは当たり前だが、その中には考えていく過程が問われるわけでそこで考えるということが重視をされていく。またこの考えは個人個人で違ったものがあり、中にはユニークな常識離れをしたものも出てくる。それをどう話し合えるかも問われるわけで聴く耳を持たなければ対話にならない。
教育の中でこのような対話の中で考えそれを話するというものは大切だと思います。
しかし、ここでは注意が必要になる。子供たちが間違った答えを出したら先生は腕久美をして聞くだけでは済まされないとか、済まされないから「正しい答え」を誘導するということも出てくるかもしれない。また子供たちはこの世の中の常識を知っているし、「正しい答え」も知っている。この「正しい答え」をどう見るかというのも記事の中身としてあるのでしょうか?そこで対話の中に「議論で育む新しい知」とという言葉が提起をされています。新しい知・・・・・・それは常識とは違うもになる。あるいは常識の見る角度が違ってくる。ここがなければ対話に意味がなくなりますね。
このような授業が多くなっていけばまた違った人間が生まれてくるでしょう。。。。。
ここで注意をしなければならないことは、常に子供たちや青年が学ぶものは「大人社会」とは乖離をしているということです。対話から新しい知をといってみても今の政治は対話による知ではなくスキャンダルのぶつけ合いになっているし、数の論理で動いている。会社組織やあらゆる大人の組織はそうは対話で動いているわけではないし、弱者層の答えは対話の中から弾き飛ばされている面もある。それは常識をいう人々の民主主義となっているわけです。このような子供や青年と大人社会の現実は昔から乖離をして対立する面があった。そして「青臭いことは言うな。大人になれ」が社会に出ることの条件になった。
そうすると、子供たちの教育と同時に大人社会は民主主義とは何かを自ら考え対話しなければならない時期になっているということで、新しい教育の中で考える子とを見につけた子供が成人をしていく中にその望みを見ると同時に今をどうするかが問われるわけです。自由もそうです。今、競争社会で生まれたエリート社会そしてその中での賃金格差という矛盾が吹き出てきてチームワークというものが見直されるようになっているようですが、対話の中での新しい知やその知を生かす答えを対話の中で見つけていくというものが現実として大人社会にも必要になっている。
そして今、正しいといわれる答えはより正しい答えの段階にあるということを忘れてはいけないでしょう。対話の中で見つけた新しい知、答え、それはまた未来に向けた新しい知や答えの準備でしかないということ。新しい「常識」として鎮座させてはならない。対話の中での新しい知は、知としてだけで終わってはならない。新しい知を生み出した思考方法こそ新しい知であるのである。その思考方法は弁証法です。
【2012年】ツイッターつぶやき
元旦の朝日新聞を開いた。
政治・経済その他もろもろの日本のこれからの課題を提起する新聞の記事も大切だが、その一つ一つの課題の根本にあるものを提起する記事も今は必要かと思う。それは一つの哲学にも通じますが、そこがなければ未来を見通すことはできません。そのような意味で今朝の朝日新聞は良いと思います。記事と広告は関係ないのですが、広告も出版社の哲学が出ています。その出版社の広告が目立つということもよいことと思います。
日本の未来に対して基本的に何が必要か?それは民主主義の問題でしょう。議会制民主主義が民主自民の保守二大政党制により形骸化をしてきました。経済は格差の広がりゆえに混迷を深めています。この経済政治の混乱からそれは人の心にも暗いものを植え付けます。犯罪は増加をしています。世界ではテロや戦争が後を絶ちません。経済性(利潤)優先の原発事故はこれから数十年日本の成長の足かせになるでしょう。
これらの矛盾を解決するには直接に国民の意思が反映される民主主義が必要になります。
この民主主義を確立するには何が必要でしょうか。それは国民の団結です。
やはり朝日新聞にはあのニューヨークのウォール街のデモを取り上げていました。ウォール街を「占拠」せよ!「99%の貧困と1%の富裕層」このスローガンで国民の団結による「占拠」が行われた。もちろん改善を得るには至らない団結ですが、団結の形としての芽と考え方の団結の芽が世界を駆け巡りました。そして「占拠」などというと物騒なイメージですが、平和的な行動が組織されねばなりません。行動だけではなくて言葉の平和的な発言が求められます。それは過激な言葉が強い批判だというような常識を失くさねばなりません。すぐに「辞めろ」とか短絡的な「謝罪しろ」とかこういった言葉の暴力も廃しながら平和的にも鋭い批判が必要になります。それが言論の団結を作るでしょう。
日本でもこのような動きが出ています。
小さな記事ですが、関西の中小零細企業が独自に「まいど1号」という人工衛星を打ち上げるという。それに刺激された東京の中小零細企業が8000メートルの深海に探査艇「江戸っ子1号」を沈めるという。大企業もこの中小零細企業の技術に支えられているわけですが、受注関係により中小零細企業の製品は買いたたかれる。この意味で中小零細企業の団結が必要なわけです。本来ならば銀行の支援により中小零細企業はその技術を結集して新製品を開発をして大企業に生産を受注することもできるはずなのです。このためには団結が必要です。
以前、日本の農業は大規模農業として競争に勝たねばならないと書きましたが、この大規模農業も企業の投資目的ではなくて「農民」の団結からの協同組合でなければなりません。「農民」が生き残らねばなりません。そのためには農民の団結が必要です。まいど1号や江戸っ子1号の理念が必要です。
そして最も人口割合の多い賃金労働者は労働組合の再結集と拡大を果たさねばならないでしょう。それが団結です。
こういった団結がある程度達成されれば国や大企業を動かすことができるでしょう。
元旦の東京は薄日が差してきました。派手な初日の出ではありませんが、日本社会も薄日が差すような年になればいいですね。こんなことを願いながら暮らしたいと思います。
今年もよろしくお願いいたします。
【2013年】ツイッターつぶやき
あけましておめでとうございます。
今年の抱負は。。。。
まずはこの風邪を早く治さねば。
ひどい寒気がしています。。。。柿酢を飲む。
本年もよろしくお願いいたします。
【2014年】ツイッターつぶやき
謹賀新年
本年もよろしくお願いいたします。
「靖国対応で温度差=中国との連携に慎重?韓国」という記事がありますが、中国と韓国との関係が強まっているのは確かですが、戦後の歴史を考えれば中国と韓国の関係はそうは急接近をして利害が一致するということはないでしょう。『尹炳世韓国外相が「参拝に反対する韓国政府の厳しい立場」を表明』(上記リンクページより引用)というのも本音でしょう。しかしこの本音を中国に伝えられること自体が信頼関係にもなります。中国もやっぱりお前はだめだと韓国を批判はしないでしょう。
ここにある温度差は関係を強める方向の過程にある温度差であります。
同時にもう一つの温度差が出ている。安倍総理の靖国参拝に対してのアメリカの「失望している」というアメリカの表現です。日米関係も長い戦後の歴史があるわけですから急速に関係が悪化するわけではありませんが、アジア政策において温度差が違いとして広がるということでの温度差があります。
関係改善や発展の過程においての温度差の縮小と、関係にほころびが起きる中での温度差の拡大があるわけです。
韓国は日と米との関係と中国との関係に悩む。そこですぐに尹炳世韓国外相は訪米をする。これは賢明な韓国の対応でしょう。安倍政権との距離と対米関係の強化。そこには米中関係もあるわけですからその意味でも賢明な対応なのです。
一方日本は韓国批判も強めている。もちろん中国批判も。とはいえ日本も中韓との経済的なつながりはある。しかし政治はその関係を飛び越えて対立関係の深まりとなっている。対米関係も温度差が広がる。
日本は独自的な軍事・経済政策を行う方向になる危険性がある。
同時に内政では領土問題と拉致問題の解決という公約があるわけですが、それを話し合いの場で解決をするという条件を失いつつある危険性もある。それは6カ国協議の日本の立場も微妙に変えていくでしょう。そしてロシアとも北方領土問題を抱えながら。
外交とは自己主張であると同時に互いの信頼関係の中にある。対立しても互いに関係強化は模索をするというのが外交でしょう。この立場を日本が持っているかを世界は見ているわけです。世界と日本の温度差は縮まる温度差にあるのか、広がる温度差にあるのか。。。。。
【2015年】ツイッターつぶやき
あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします
【2016年】ツイッターつぶやき
あの人は現実主義だと一口に言ってもその中身によってだいぶ違いがある。
一つは今はこういう世の中だからソ連それに従うことが現実主義だと。
確かに世界は戦争がなくなっていない。紛争や宗教対立などでは戦争あるいは力による解決が行われる。だから戦争を準備することが現実主義だといった論理である。戦争という極端なものでなくても、社会の中でいろいろな矛盾があってもその矛盾した社会が現実なのだからそれに沿って生きていくのが現実主義だと。
もう一つは願望や夢のような話からユートピア的な非科学的な思いに対して、現実をよく見つめ分析しながらそれをどう解決していくのかという現実主義である。
現実をよく見つめて分析することはこの両現実主義に共通するかもしれないが、違いがあるのは現実だからそのまま受け入れて従うのか、現実をどう改善(発展)させていくのかの違いがある。
もちろん現実をそのままに受け入れる現実主義は、社会矛盾をそのままにしたものですからその矛盾に対してj逆的になる。その自虐的なものを覆い隠すために神話的な精神論的な支えが必要となる。あるいは他国のいくつかの国の矛盾を取り立てて時刻をよい国だとする自己満足も起こる。隣の国が貧しいのだから自国はいい国なんだよと。結局は先の現実主義は唯物論的な真の現実主義ではなくて観念論的な現実主義となる。
そうすると真の現実主義は、今の社会矛盾をそのままに分析してどう発展させるかという視点に立つのが現実主義といえる。
人は現実主義とならなくてはならないし、そうしないならば社会はくるってくるでしょう。
【2017年】ツイッターつぶやき
謹賀新年
本年もよろしくお願い申し上げます。
朝日新聞1月1日号9面に耕論「私たちはどこにいるのか」という記事があった。その中で僕の大好きな作家である川上弘美さんが「ありえない幸運 よりよく生きた」が載せられていた。
「毎日普通の生活すること」この言葉は川上さんの多くの(すべての作品と言ってもよい)作品に表れています。小説の中に登場する人々は誰もが「普通の生活」をしている。しかし普通の生活というのは単純な平凡とは違う。しかしそれは平凡であることに変わりはない。人はその普通の生活の中に喜怒哀楽がある。家族や恋人などをはじめ多くの人の交わりの中で喜怒哀楽がある。同時に人が社会的動物であることから社会全体の中に置かれた普通の生活の中に喜怒哀楽がある。
家族内のあるいは恋人との時間。この中での喜怒哀楽は時には激しいものがある。その激しさの中で人生の方向も変わってしまうこともあるのですから普通の生活は平凡ではない。しかし人は時の流れの中で必然的に置かれる場所は決まってきますから過ぎ去る時間の中においてはやはり平凡なのです。
その平凡さすなわち「やってみる、食べる、しゃべる。そういうささやかなこと」としての普通の生活が繰り返される。
しかし、先にも書いたように人は社会的な動物ですから社会の中に平凡さや普通の生活はさらされています。
「災害や不幸をなくすことはできないけれど、極端な理不尽なことが起こらない世界になってほしい。原発事故で避難した人や紛争から逃れてきた難民のように、生まれ育った土地に住めなくなり、よそへ行かなくてはいけないのは、本当に理不尽なことです。
生まれ育った土地で喜怒哀楽を素直にあらわしながら、普通に生活できるという、ほんとうにささやかな幸せをみんなで求めていくことができる世界に、住みたいのです。」
これが「よりよく生きたい」川上さんの言葉でしょう。
激しい喜怒哀楽の中で生きなければならないのですが、この喜怒哀楽と社会的な人が作り出す「理不尽なこと」は質の違うものです。
社会的な理不尽なものをなくさないと人は個人として平凡な普通の生活を送ることができなくなるのです。それが理不尽さです。
戦争・内戦や原発事故。しかし理不尽さが現れるものはそれだけではありません。格差や貧困(絶対的にも相対的にも)特に子供の相対的貧困。社会保障全般。そして「ほんとうにささやかな幸せを『みんなで求めていくことができる』世界」という自由や民主主義などなど。この理不尽さをなくさなければ人はより良く生きることができません。
このことを「あきらめずに、そして忘れずに、なのかな。」
普通の生活の中身は個人により大きな違いがあるでしょう。しかしその基礎にあるのは「やってみる、食べる、しゃべる。そういうささやかなこと」です。これを作り上げながらその個性により人は初めて個性的に喜怒哀楽のある毎日を送ることができるでしょう。
よりよく生きるための普通の生活を守りましょう。
*「 」内は引用です。
【2018年】ツイッターつぶやき
謹賀新年
あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします
最近は気力がなくて数十万の参拝客が押し寄せる寺や神社には行きません。
初詣は氏神様や近くのお寺で十分です。
東京に住んでいて気を付けてみてみると氏神様はあるもんで、初詣に行けばご近所の方にもお会いして新年のあいさつもできます。お神酒や甘酒もいただきお札までいただいて帰ってきました。
朝7時少し前に目が覚めたら、出窓から初日の出が昇りはじめました。
風もなくて快晴。穏やかな元日でした。
ツイッターより
今年はどのような年になるのでしょうか。。。。。
朝日新聞4面によれば、経団連会長は2018年にデフレ脱却宣言が出されると予想しているようです。政府も日銀も経済が好転する兆しがあると予想しているようですが、仮に企業の利益や株価がさらに上がったとすれば、そしてすでに2%の物価上昇目標は捨てているのですから、デフレ脱却宣言は出せる。
しかしこのデフレ脱却宣言が経済の好転を現して国民生活の豊かさを保証するものではないことはたしかでしょう。すでに国民に対しては増税が言われ、社会保障の切り下げが言われている。労働の規制緩和や労働の生産性向上が言われている。
国民生活における生活の低下と負担増そして更なる労働の厳しさが企業利益を保証するものという事が日本のこれまでの現状でした。これがさらに激しさを加えていくでしょう。これがデフレ脱却宣言という事になる。
政府も企業も不況下において労働者からどう絞るとるかでその生き残りを図ってきた。企業活動の活発さはなくてもそれで生き残れると考えてきた。結果は大企業の不振と不祥事である。政治も国会の形骸化と国民不在の政治に向かっている。
これをデフレ脱却と言えるか?逆にデフレ不況のスパイラルを激しくさせていくでしょう。日本経済は諸外国もちろん中国の経済発展に依拠していくほかはなくなる。
経済の根底に流れるものは、失われた10が20年に、そして30年40年に衰弱しながら向かうほかはない。国内向け経済指標と現実の国際的位置の乖離が進むでしょう。国内的には精神論や国を愛する心という観念論が主流となる。そこから現実を解釈する。
【2019年】ツイッターつぶやき
年末、実家に用事があり出かけた
いつもの幹線道路を通った
すると幹線道路から入った狭い道の奥に
古いお寺の門が一瞬見えた
たしかあの寺は。。。。。
若いころ毎年自転車に乗って初詣に行った古い寺
だいぶ前のお袋の話では崩れ落ちそうなので
廃寺になったと。。。。。。
でもたしかにあのお寺の門だった
裏の道路にたしか車を止められるはずだと思い出して
裏の道を進んだがてらはなかった
心の風景だったのかもしれない。。。。。
そういえば子供たちが小さいころ
盆踊りがあるというので出かけた
櫓の上に太鼓があり、笛を吹いていた
皆浴衣姿で輪になって踊っていた
神社の参道には屋台がたくさん並び
提灯の灯がきれいだった。。。。。
翌日散歩に出かけたのであの神社を探した
たしかこの路地の奥だったはず
しかし神社は見当たらなかった。。。。。
心の風景だったのかもしれない。。。。。
謹賀新年
本年もよろしくお願いいたします
2019年 元旦
東京では除夜の鐘も「騒音だ」とされて鐘もつけない寺もあるようです。
我が町ではどこの寺か。。。。。鐘が鳴りはじめています。
【2020年】ツイッターつぶやき
謹賀新年
2020年元旦
(写真が90度回転してしまいました)
【手作りは・・・・】
煮しめ、昆布巻き、伊達巻、田作り
ナマス、チャーシュー、黒豆、松前漬け
謹賀新年
本年もよろしくお願いいたします。
2020年 元旦
【2021年】ツイッターつぶやき
謹賀新年
今年もよろしくお願いいたします
あけましておめでとうございます
夜明け前
東の空がオレンジ色になり
初日の出が昇りだしました
寒いですが風もなく穏やかな元旦です
≪わが家の御節です≫
手作りは
煮しめ、伊達巻、田作り、松前漬け、黒豆、ナマス、チャーシューです。
お雑煮は
鶏肉、大根、ニンジン トッピングは三つ葉、かまぼこ、伊達巻、柚子の千切り
元日と言えば深夜の初詣やカウントダウンでたくさんの人々が集まります。東京ではこの人の密を避けるために夜通し電車を走らせていますが今年は感染防止のために行わないようにしました。しかしそれでも明治神宮では多くの人出があったようです。愛知や大阪でも同じような状態だったようです。それでも例年に比べればだいぶ人では少なかったようですが。
たとえば1万人の人出があったとすれば、東京の陽性率は10%強ですから、1000人程度は陽性者がいたとしても不思議ではありません。そして実効再生産数(一人の陽性者が平均何人に感染させるか)は感染状況レベルがレッドですから1.3以上あるでしょう。すると1000人の陽性者は1300人に感染させる。
でもこれは机上の計算で初詣などに出かけた人は注意をしているでしょうからそうは感染拡大も大きくはないかもしれません。それでも数百人の新たな感染が起きたと考えても良いかもしれません。
その数百人が仮定の中に帰り、4日からは出勤や通学をします。
人と密接にかかわる仕事ならどうでしょう?
クラスターの原因にもなりますね。そこから感染がまた拡大する。
でも、こういった人の数は東京都の人口からすればわずかですから多くの都民が静かに正月を送っていれば勝負の三週間よりはましかもしれません。しかし政府はこうした国民の協力に対してあまりにも無策です。それにもましてこの無策をよいことにコロナ特措法の改正を行い協力してると国民に対して罰則を設けると。上記の1万人の例をうまく利用するでしょう。
ワクチンと特措法改正(次期国会)までのらりくらりと無策状態になるかもしれませんね
【2022年】ツイッターつぶやき
迎春
本年もよろしくお願いいたします。
正月早々、「ぴんころ地蔵様」だけではどんよりしてしまいますので。。。
【2023年】 ツイッターつぶやき
本年もよろしくお願いいたします。
2023年 元旦
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