僕が若いころ、政治がいい加減でも乱れていても官僚組織があるから日本は大丈夫だといろいろな人から聞かされていた。官僚は優秀だったという事でしょうか。もちろんそれが正しかったのかどうかはわかりませんが。
しかし55年体制の頃は自民党と数の力では弱かったにしても市民・労働組合を組織した社会党などの保革による政治闘争は迫力がありました。その中で官僚組織もまじめに働いていたことと思います。
しかし55年体制が社会党の崩壊とともに消えてからは自民党1強の政治になり、中間層の寄せ集めのような新党ブームや村山内閣・民主党政権もありますが政治は混乱をしました。もちろんそれは社会保障を含めた国民生活や労働条件の悪化につながりました。政治は政策的な緊張感がなくなり、スキャンダル国会となりました。
その中で官僚はどうなったのでしょうか?
政治がいい加減になれば官僚も緊張感はいらなくなるのは当然です。
政治の劣化は官僚の劣化にもつながったように思います。
その官僚の学歴からしてバブルまでは民間に比べて低賃金だと言われて公務員になる若い人が減りました。官僚は安定的な賃金と地位を得ますが退官後の生活を民間の高学歴者に比べれば不安定だったでしょう。すると企業寄りの官僚組織となって天下りを求め始めます。ここからも官僚の劣化が生じたかもしれません。もちろん政財官の癒着は昔からでしたが。
天下り問題や年金問題などの実務を国民が批判をし始めますが、それに便乗したのが安倍政権で官僚の人事権を内閣が奪うことになりました。官僚の劣化は政治への忖度の形をとらざるを得ません。
しかしここにきて忖度をした官僚は政治スキャンダルの中で政治家から「お前が悪い」と言われたり、ひどい場合には安倍政権をつぶすためだろうともいわれて「そればかりは、そればかりは・・・・・」と。
官僚が日本を実務的に動かしていくとが求められるのですが、その実務が政治家の顔色を見ながら政策的アドバイスではない保身として動かざるを得ない悲劇があります。
政治はますます独裁的な色合いを強めるでしょう。
しかし官僚の力を取り戻すことが昔の財閥と結びつくことのようにになれば更に悲劇は拡大するでしょう。
官僚は国民のために動くという建前だけでもよいから維持していくことが生き残りにつながるでしょう。それが国民の目や耳に届くように。
しかし55年体制の頃は自民党と数の力では弱かったにしても市民・労働組合を組織した社会党などの保革による政治闘争は迫力がありました。その中で官僚組織もまじめに働いていたことと思います。
しかし55年体制が社会党の崩壊とともに消えてからは自民党1強の政治になり、中間層の寄せ集めのような新党ブームや村山内閣・民主党政権もありますが政治は混乱をしました。もちろんそれは社会保障を含めた国民生活や労働条件の悪化につながりました。政治は政策的な緊張感がなくなり、スキャンダル国会となりました。
その中で官僚はどうなったのでしょうか?
政治がいい加減になれば官僚も緊張感はいらなくなるのは当然です。
政治の劣化は官僚の劣化にもつながったように思います。
その官僚の学歴からしてバブルまでは民間に比べて低賃金だと言われて公務員になる若い人が減りました。官僚は安定的な賃金と地位を得ますが退官後の生活を民間の高学歴者に比べれば不安定だったでしょう。すると企業寄りの官僚組織となって天下りを求め始めます。ここからも官僚の劣化が生じたかもしれません。もちろん政財官の癒着は昔からでしたが。
天下り問題や年金問題などの実務を国民が批判をし始めますが、それに便乗したのが安倍政権で官僚の人事権を内閣が奪うことになりました。官僚の劣化は政治への忖度の形をとらざるを得ません。
しかしここにきて忖度をした官僚は政治スキャンダルの中で政治家から「お前が悪い」と言われたり、ひどい場合には安倍政権をつぶすためだろうともいわれて「そればかりは、そればかりは・・・・・」と。
官僚が日本を実務的に動かしていくとが求められるのですが、その実務が政治家の顔色を見ながら政策的アドバイスではない保身として動かざるを得ない悲劇があります。
政治はますます独裁的な色合いを強めるでしょう。
しかし官僚の力を取り戻すことが昔の財閥と結びつくことのようにになれば更に悲劇は拡大するでしょう。
官僚は国民のために動くという建前だけでもよいから維持していくことが生き残りにつながるでしょう。それが国民の目や耳に届くように。
国民は唖然としてしまうだけ。。。。。
大臣どころか、総理夫人にまで気を使い、国民のことは心の隅にもないようですね。