goo blog サービス終了のお知らせ 

   猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

すべての道は暮らしに通ず 玉川八十八ヵ所霊場巡り・5/3後編<19→26→27→28→25>

2009年07月01日 00時23分18秒 | 玉川八十八ヵ所霊場巡り

 

(ゴ)

二十番・西明寺を出て、次へ向かう道筋で見たのは、かつての名家の母屋跡。
建物は川崎市立日本民家園に移築されたということだけど.....
この門だけでも往時が偲ばれます。 

 

川崎市にある、中原区の名の由来は、
江戸時代、平塚にあった中原御殿と、
江戸城からの中継地となる小杉御殿がその地にあったから、
だそうである。

そして、そのふたつを結ぶ街道を、中原街道と今も呼ぶ。

 

(e)

こちらは明治期から昭和二十四年まで操業されてた醤油蔵。
屋根にアンテナが建てられているということは、今は住居ということかな?
どうかこのまま保存して欲しい。

 

中世以前より存在したという、この古道は、
東海道が整備されるまで、江戸へ向かう主要な街道だったそうだが.....

なんでもあの徳川家康も、江戸入りの際には、
ここを使ったという。

 

(ゴ)

かつての街道沿いのにぎわいを想像しながらやってきたのは.....
とってもこぢんまりしたこちらのお寺。

(ゴ)

十九番・恵日山【成就院】神奈川県川崎市中原区小杉陣屋町31-1
本堂も小さなお大師様の像も可愛らしい。

 

また、この街道は、庶民にとっては、
物資や農産物の輸送に欠かせぬものとして、地域の暮らしになじんでいたそうで。

なるほど、それは常に変わらず。

この道は、
忙しい現代人にとっても重要なものである。

 

(ゴ)

お次は、長く美しい参道を持つこちら.....

(ゴ)

二十六番・春日山【常楽寺】神奈川県川崎市中原区宮内4-12-14
広くて立派な境内をお持ちのこちらは、【まんが寺】としても有名だとか。
本堂内には漫画家たちが納めた襖絵、壁画も多数だそうで.....

(ゴ)

こんなものもあったりします。
他にも、文化財をお持ちだったり、
境内に、それらに関する詳しい説明書きなどあったり、見所いっぱい。
薬師堂もあり、川崎七福神・大黒様を祀っておられる場所でもあります。

 

今や、一部はかつてと違うルートを通り、
また、一部区間では激しい渋滞を起こすことでも有名な中原街道だが.....。

そこはやはり古き道ゆえ、ひょいと奥へ入れば、
各所に、その歴史を感じさせるものも点在する。

 

(ゴ)

二十七番・大栄山【東樹院】神奈川県川崎市中原区宮内1-11-1
お次にやってきたのは、山門の赤い屋根が美しいこのお寺。
境内も明るく広々。

(ゴ)

これまで巡礼していて、カラス天狗の姿を見たのはこちらのお寺だけ。
鎌倉では見たことあるんだけど、これは、カラス天狗について、
もう少し詳しく調べてみねばなるまい。
こちらは川崎七福神毘沙門天を祀っておられます。

 

なんでも、川崎市文財団というところからは、
『川崎歴史ガイド・中原街道』なるものも発行されているそうで.....。

その中では、歴史に沿って、ルート解説もされているらしく、
我々が今度の巡礼で通った道も、一部、
そこにかかっていたようだ。

 

(ゴ)

さてさてお次は、一見「普通のアパートの敷地!?」と思ったこちら.....
でも、一歩中に入ると、立派な山門が。

(ゴ)

二十八番・大谷山【寶蔵寺】神奈川県川崎市中原区上小田中1-4-13
川崎七福神弁財天も祀っておられるこちらでは、ご住職がとても丁寧に、
「お寺は朝早く開いて夕方早くに閉まるから、それに合わせて周るといい」
と教えて下さいました。
ちょうどこちらも本堂の戸締りをされるところだったということもあり(笑)

(ゴ)

とっても勇壮な仁王様!
こちらは川崎七福神弁財天を祀っておられるお寺。

 

将軍さまの御殿跡。

はたまた、庶民に親しむ黒い醤油蔵跡。

名主の門に、今は消えた、渡し。

 

(e)

そろそろ日も傾いてきて。
いよいよ、巡礼二日目最後のお寺~。
やってきたのは.....

(ゴ)

二十五番・瑠璃光山【長福寺】神奈川県川崎市上小田中6-38-3
鬱蒼と樹の茂った境内に、美しい本堂が佇むこちら。
左右の扉に施された浮彫も、精緻で美しい。
他にも屋根の上に、のびやかな狛犬の姿が。 

(e)

静寂の中に立ち並ぶ木々は、とても不思議な形をしていて、
これは、男性と女性が抱き合っているみたい!?
何か、夕刻に訪れるに相応しい、そんな気のするお寺でした。

 

時が流れ、人の暮らしは変わっても、
変わらず道はそこにある。

さて。

玉川八十八ヵ所霊場巡り、
いよいよ三日目に続きます。

 

(e)

「あ~、おなか減ったねぇ!」
この日の〆は、JR中原駅ビル内にあるこちら、『やよい軒』で。
安くてボリュームたっぷり、味の良い定食が嬉しい。
なんでもこちら、あの『ほっともっと』の会社と経営が同じだとかで。
う~ん、走りまわったあとのご飯はことのほか美味しいね~♪


衆生には入らない 玉川八十八ヵ所霊場巡り・5/3中編<17→18→21→20番> 

2009年06月21日 09時46分07秒 | 玉川八十八ヵ所霊場巡り

 

玉川八十八ヵ所霊場巡り二日目
すでに七ヵ所を周って、ここでお昼ごはんです。
5/2~5/4までの三日間、我々は常におにぎりを持って移動しましたが、
それぞれ日替わりで、キノコの煮たのを混ぜたり、切干しを混ぜたり。
いろんな変わりおにぎりを握ったけど...どれも美味かった~♪

 さて、次にやってきたのは.....こちらです。
と、その前に、左側に見える庚申塔が見えますか?
庚申信仰は、道教が仏教・神道・土着信仰・習俗と結びついて出来たもので、
庚申塔に彫られる神像も様々だとか。
特に、相模国中心に、江戸時代初期以降、建立されたそう。

 

人の使うことば。

日本語には、
『犬畜生にも劣る』という言い方がある。

これは、かわいい犬を、または動物を、
人間より低い者に譬えて、
それの、さらに下を行くもの、
という意味合いを持つ言い回しだと思われるが.....。

 

十七番・瑠璃光山【無量寺】神奈川県川崎市中丸子498
とても広々した本堂をお持ちのこちらは、
川崎七福神・寿老神をも祀られているとか。
写真奥、小さな石の寿老神像が見えるかな?

境内にある『北向観音』は、江戸時代より、
中原街道に安置され、旅人の信仰を集めたもので、
北を向いている観音様は非常に珍しいと、
いつしか北向観音の名がついたのだとか。
道路拡張により、こちらのお寺に移転。
さて、では我々も再び移動~。

 

この場合の畜生とは、おそらく、
仏教における、六道のなかのひとつを指すのだろう。

 地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上。

それは、救いの少ない順に、こう並ぶのだそうだが.....。

生き物は皆、迷いながらこの世を生き、
生まれ変わっては、この、六つの世界を輪廻するのだという。

 

十八番・日吉山・神宮寺【大楽院】神奈川県川崎市中原区上丸子八幡町1522
お次は、こちらもまた、深い緑に囲まれた美しいお寺。
由緒正しく地元に密着し、共にある、という印象。
川崎七福神・恵比寿像を祀った場所でもあります。

振り返れば、こんな看板がありました。
動物を捨てると罰が当たります。それはその人の幸せを損じ、
将来の災いを呼ぶ原因となります。
すなわち、最悪の因縁を一生背負うことになります.....と。
私がこれを見たのは、ちょうど黒い猫が、この道路を横断した後でした。

 

私たちがよく見る、六地蔵。

あれも、それぞれ、六道に生きる衆生を、
救うために存在する、と......。

釈迦の入滅後、仏のいない現世で、
56億7000万年後に、弥勒菩薩が現れるまで。

 

あの世とこの世の境である六道の入口に立ち、
衆生を導くという六地蔵は、墓地や村の入口などに建てられたが、
これは道祖神と習合し、町などの結界を守るとされたため

この日、本堂ではどちらかの法要をされていたようで、
あまりゆっくり見ることは出来なかったものの、
磨き上げられたぴかぴかのガラスが美しかった。

 

 『犬畜生にも劣る』

この言い回しを作った人は誰だろう。

 - 畜生は、人に使役されるもの、
    救いの少ない世界に生きる者 -

そんな考え方の元に.....?

 

二十一番・西光山・聖天院【東福寺】神奈川県川崎市中原区市ノ坪45
次にやってきたこちらは、とても小ぢんまり、すっきりしたお寺で、
これといった特徴はないものの、
日本昔話みたいな本堂の屋根が可愛らしい。
ちなみに、前出の東福寺さんとこちらは別のお寺で、
実はこの巡礼路には、いくつか、同名のお寺が存在するのです。

小さな本堂の扉上部には...
この看板を加えた獅子、すご~く可愛いと思いませんか?
こういうセンス、いいよねぇ♪

 

人が、救われることを望むのは、
罪深い我が身を、知ってのことか。

寺の前に犬や猫を捨てるのは、
反吐の出そうな、『せめてもの良心』だろうか。

 

...と、次のお寺へ向かう途中、シロツメクサの広がる前で、ついに迷子に(笑)
地図を見ながらあーだこーだ言ってたら、
「どこへ行きたいの?」と、わざわざ声をかけて下さり、
道を教えて下さった、優しいお兄さん、ありがとう!

おお、お兄さんのおかげで無事に到着~♪
次は、かつて、徳川将軍の御殿の守りを固めていたという、
とても立派なお寺です。

二十番・龍宿山・金剛院【西明寺】神奈川県川崎市中原区小杉御殿町1-906
門前道もとっても立派なこちらは、前述のとおり、
徳川秀忠~家綱まで使用された、小杉御殿を守るように建っていたそうです。
背後の多摩川、近くにある泉沢寺、そして、かぎ状に曲がった道と共に、
御殿の防衛を固めたのだとか。

 

仏教では人は、この世で為した行いにより、
転生先が決まるのだというが。

地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上......

たとえば、六道すべてに救いの道があるのなら。

己の勝手で犬猫を捨てた者には、
それ以外の道を。

 

また、こちらには川崎七福神・大黒天も祀られているとか。
隅々まで清められた境内は、さすが、由緒正しき、
将軍家に縁の深し、という感じです。

 山門に立つ、仁王様もかなりの男前。
顔が小さくて、スタイルがよくて....どこか洋風!?
金剛力士(仁王)は、仏教の護法善神(守護神)。
山門に立ち、仏敵の侵入を防ぎます。

 

犬畜生にも劣る、など、
犬畜生に、失礼だ。

 

本堂脇の廊下も美しい。

鐘もまた立派!
さてさて、続きは5/3後編で。
まだ、続きます。


思い出と痕跡と。 玉川八十八ヵ所霊場巡り・5/3前編<82→3→8→9→10→12→16番>

2009年06月19日 05時03分36秒 | 玉川八十八ヵ所霊場巡り

 

(e)

八十二番八幡山【観音寺】神奈川県横浜市港北区篠原町2777
玉川八十八霊場巡り二日目スタートは、我が家から一番近いお寺から。
こちら、東国霊場二十四番札所でもあるそうです。

(ゴ)

高台にある広々とした境内には、非常に美しい石仏がいくつか配置され...
整えられた花壇にはすずらんが咲き乱れ、とても良い雰囲気。
本堂の龍も立派でした!

 

通り過ぎるのは。

誰かにとっての思い出の地。

.....ほんの小さな路地でさえ。

 

(ゴ)

京浜急行仲木戸駅のガードをくぐって次のお寺へ。
左側に見えるのは、明治期・京浜電鉄時代のレンガ積み高架
脇をコンクリートで補強しつつも、壊さず、
これを保存する、京浜急行の姿勢は素晴らしい。

 

朽ちかけた壁。

ひっそり佇む路傍の碑も。

 

(ゴ)

三番・神鏡山・東曼荼羅寺【金蔵院】神奈川県横浜市神奈川区東神奈川1-4-3
京都醍醐寺三宝院の開祖・勝覚僧正により、
平安末期に創られた古刹であるこちらは、
神奈川宿歴史の道にも含まれ、我々も数度訪れています。
今回の巡礼を玉川八十八ヵ所霊場に決めたきっかけの看板もここ。

(ゴ)

関東大震災から一年後の大正十三年、
境内に、地元有志により建てられた、殉難者のための慰霊碑は、
その後、昭和二十年、横浜大空襲により破損。
戦後、進駐軍により土手に埋められてしまい、所在不明になったとか。
...が、平成十五年、仲木戸駅改修の際、
京浜急行が発掘、寺まで搬入してくれたそうで.....。
ここでも、地域の歴史と文化を大切にする京浜急行に拍手!

 

それは歴史の積み重ね。

大きな出来事。
小さな出来事。

違うといえばそうだけど。

特別といえば特別。

 

(ゴ)

かの有名な生麦事件の碑を横目で見ながら、次のお寺へ。
この碑は明治十六年に地元の人が私費により建てたもの。

(ゴ)

八番・南海山・瑠璃光院【正泉寺】神奈川県横浜市鶴見区生麦4-31-4
市場通りを抜けて、静かな通りに入ると、そこには奥まって小さな山門が。
細く、緑美しい参道と、その先にひっそりと佇む本堂がとても良い雰囲気。

(e)

そして、山門前には、庚申塔、無縁地蔵等が並び。
庶民のお寺という印象。
そこに並んだ亀之塔は、生麦村神明前の浜で地引網にかかり、
万年の寿命を終えた亀を、漁師がここに葬ったという謂れとか。
江戸時代、生麦浦は、将軍のための魚を月に三度献上したといい、
今も魚河岸通りには、生鮮魚貝類関連を扱う店が立ち並ぶ。

 

近くにあるほど見えず、
見てないものがあることも。

だけどそれは、やっぱりどこかで覚えてる。

 

(ゴ)

九番・生麦山【龍泉寺】神奈川県横浜市鶴見区岸谷4-3-2
え線路と住宅の合間の高台にあるこちらは、
東国八十八所霊場の十五番札所でもあるとか。

(ゴ)

小ぢんまり、すっきり、だけど、木々に囲まれ美しい。

 

まなじりひとつ、投げかけて。

ある日突然目を留めて。

いつか.....

一歩だけ深く分け入って。

 

(ゴ)

十番・子生山・植本院【東福寺】神奈川県横浜市鶴見区鶴見1-3-5
昨年の、旧小机領三十三観音霊場巡りにも登場した、
緑深い、名山という趣を持つお寺。
大きな山門には勇壮な仁王像が立ち、背後には、
下界とはまるで違った世界が広がります。

(ゴ)

東国八十八所、東海三十三所、武相不動尊、浜七福神など、
各霊場札所を兼ねるこちらには、子生山の名の通り、
子育て地蔵・子育て観音のお姿が。
他にも、葬頭河のお婆さん(奪衣婆)がいたり、
大師堂があったり...見どころもいっぱい。

 

ひと息だけ、長く見つめれば。

そこに誰かの思いが残り......

それが礎になる。

 

(e)

十二番・愛宕山・十二支寺【寶藏院】神奈川県横浜市鶴見区馬場4-7-5
とても大きく、立派なこちらは、歴史と工夫が盛り沢山なお寺。
由緒正しく、しかし各所の解説表示は親切、わかりやすく。
境内の見どころ7ヵ所をラッキー7巡りとして楽しめるようにするなど、
大人から子供までに親しめる雰囲気。
山門と、左側の(ここには写っていない)階段は鎌倉時代のものだとか。

(ゴ)

極彩色の美しい本堂前では、女性が境内のお手入れをされており、
「どうぞ」と、本堂の扉を開けて下さったり。

(e)

板碑やおびんずる様、足びき地蔵尊、白山様など、
見どころがいっぱい!
こちら、『源平五色の椿』は樹齢600年(!)と伝えられ、
接ぎ木ではないのに、一本の木から五色の花が咲くのだとか。

 

通り過ぎる風景も。

誰かにとっては思い出の地。

 

(ゴ)

十六番【大楽寺】神奈川県川崎市中原区木月4-22-32
三重の塔があるこちらは、現在工事中の様子ながら、境内には、
川崎七福神の恵比寿様の像があったり、これからがまた楽しみ。
私自身、ここはかつて、よく乗るバスから眺めていたはずだったが...
これまではただの風景として処理してしまっていたのだなぁと反省。

(e)

近くにいた頃は、こんなに多くの古く美しい石仏が
立ち並んでいたなんて、全然知らず。
なんともったいないことをしていたのか。


サラダボウルを駆け抜けろ! 玉川八十八ヵ所霊場巡り・5/2後編<13→14→15→11→7番>

2009年06月12日 13時13分35秒 | 玉川八十八ヵ所霊場巡り

 

(ゴ)

おじいちゃんから貴重な話を伺ったあとは、
川崎駅ほど近くにある、稲毛神社の前を通って、
次のお寺へ向かいます。
こちらは、稲毛神社境内にある、ユニークな十二支を象った像。

(e)

十二の像が囲んでいるのは、とても立派な御神木です。
このあたりは、さまざまな人種が住み、行き交う、混沌の場所。
ショッピングモールや、お役所、ホテル...風俗街や競輪場、公園。
かと思えば学校が混ざりあって、「いいのか!?」と(笑)

 

<坩堝>とは、『鋳るつぼ』、
もしくは、『炉壺』が転じて、
金属の溶融混合のように、
種々のものが混ざりあう様子を表す言葉という。

 

(ゴ)

十三番・瑠璃光山・金剛院【眞福寺】神奈川県川崎市川崎区堀之内11-7
全国的に有名な『ソープランドがひしめく一角』に、ひっそりと建つお寺。
簡素で小さいけれど、境内にはカエルの置物があったり、
門内は静かだけれど、周囲とも調和して...不思議の国ニッポンを思わせます。

 

だとしたら、この日駆け抜けた地域は、
まさに、<坩堝>というのにふさわしいだろう。

街が、大きく、発展してゆくとともに。

そこには様々な人種が流れ込み、
その混沌は、不思議に風景に溶け合ってゆく。

 

(e)

.....と思ったら、今度は昔ながらの商店街を抜けて。
得意の買い食いしながら(笑)次のお寺へ向かいます。
ところで、最近私が何かを買おうとすると、必ず後ろに行列ができます。
それまではひっそりとしてたのに.....なぜ!?

 

古い寺社と、その一歩先に溢れる人と、
路傍には目もくれず、行き交う、激しい車の波。

かと思えば、妖しい宮殿風の建物の前には、
黒い服を着たボーイが立ち。

携帯片手の風俗嬢は、独特の空気をまとっては、
路地の奥へと消えてゆく。

 

(ゴ)

十四番・円明山・宝蔵院【延命寺】神奈川県川崎市幸区都町4-2
山門の狛犬が見事なこちらは、新四国八十八ヵ所・
東海道三十三観音の霊場でもあります。
所蔵の獅子頭と付属品はかつて付近で雨乞いのために使われたもので、
獅子舞自体は途絶えてしまったものの、
記録とともに、市の郷土資料に指定されているとか。

(e)

境内は緑でいっぱいで、本当に静かで美しい。
本堂の扉には見事な彫刻があり.....
いつまでも佇んでいたいような、そんなお寺です。

 

.....しかし、山門の中は、どこも静寂。

鳥居の先もまた静寂。

外界に飛ぶ、言語は変われど、
通りにあるリズムが変われど。

ただ静寂、緑、祈り。

 

(e)

かつて、近隣の農業を支えた二ヶ領用水は、
一時期、生活排水などで汚染が進みましたが、その後整備され...
暗渠となったり、または宅地に囲まれた遊歩道となっています。

(e)

真新しい山門は次のお寺。
このあたりは、川崎市と横浜市が複雑に入組んでいて、
ときどきどちらにいるのかわからなくなります。

(ゴ)

十五番・重養山【正楽寺】神奈川県横浜市鶴見区矢向3-6-23 
開放的でとても良く手入れのされた境内をお持ちのこちらは、
昔ながらの住宅街にあり.....
どこか女性的な印象を受けるお寺です。
空も広い。

 

......世界で一番の人口を誇る国や、南の島や、地球の裏側。

それらの文化の混沌も、
長く、ゆるがぬ祈りの前では、ただの衆生か。

 

(e)

十一番・光明山・遍照院【金剛寺】神奈川県鶴見区市場下町6-33
隅々まで手入れの行きとどいた、美しいこちらは、
東国八十八ヵ所霊場・東海道三十三観音霊場でもあります。

(e)

ゴンザ仕事明けのため、出発が遅かったこの日は、
ここらで時間がだんだんなくなってきて...
少しずつ陽が傾いてきたので、巻きで行動!
次はラテンなリズムのエリアへGO~。

 

そういえば近頃では、
『<坩堝>では<同化>の意味も含まれてしまうから』と、
個々が混ざり合いながらもそれぞれの色を失わない、
<サラダボウル>という表現が使われるのだそうだが。

なるほど、サラダボウルの中心に、
深き緑の寺社が佇むのもうなずける。

 

(e)

この日最後に向かうお寺は、沖縄県出身者と、ブラジル人が多く住む地域。
商店街にはこんな販売機もあり、確かタモリ倶楽部もやってきたはず(笑)
鶴見区潮田町、仲通、本町通には、沖縄料理店、
ブラジル料理店が立ち並びます。

(ゴ)

七番・金胎山・東住院【東漸寺】神奈川県横浜市鶴見区潮田町3-144-2
どこにあるのか、迷いに迷って、近所のおばちゃんに尋ねながら到着。
とても現代的なお寺です。
表を通りがかる人は、みなブラジル人。
町は変わり、住む人も変わる...でも、そこにお寺はあり続けるんですね。

 

さながら、赤い鳥居は、パプリカか、トマトか。

揺るがぬ、サラダの中心。

 

玉川八十八ヵ所霊場巡り一日目は、
81→1→2→4→6→13→14→15→11→7の順番で十ヵ所を訪ねました。
横浜市鶴見区から川崎市川崎区、幸区へ、そしてまた横浜市鶴見区へ。
帰り路には、うさぎちゃんと遊び。
翌日もまた、次のお寺を目指します!


祈りと巨木と爪痕と。 玉川八十八ヵ所霊場巡り・5/2前編<81→1→2→4→6番>

2009年06月09日 23時51分57秒 | 玉川八十八ヵ所霊場巡り

 

ここらで手をつけないと、ずっと放置してしまいそうなので。

そろそろ重い腰をあげて(笑)
玉川八十八ヵ所霊場巡り報告記を。 

 

ナガミヒナゲシの揺れる頃。
横浜北部の家を出て.....。

 

我々がそれを思いついたのは、かなり前でした。

昨年、旧小机領三十三ヵ所霊場巡りを経験したことによって、
その楽しさ、奥深さに目覚めてしまった二人は。

「何か今年のGWにも、ああいった、
 目的を持って、自転車で、あちこち周れるものはないものだろうか」

と、そうひそかに願い続けていましたが.....

色々調べて、いくつかの、日帰り巡礼可能なコースを見つけたのが、
もう、はるか半年ほども前のこと。

 

今回は、昨年のように、札所の順番通り、というわけにはいかないので、
まずは、自宅から、効率のいいコースを練って、周ります。
ちなみに今周ったお寺は、その多くが、玉川八十八ヵ所霊場以外の、
違う巡礼路の札所も兼ねているいるようでした。
まず、スタートは、81番のお寺から。

八十一番摩尼山【長松寺】神奈川県横浜市鶴見区駒岡町3-4-22
GWのせいか、なんと一発目から、門が開いておらず....(笑)
どうも、皆さんお留守のようでした。
中を詳しくのぞくことは出来ませんでしたが、すっきりと、小ぢんまりしたお寺。
我が家からは近いので、いつか、再訪しようと思っています。
とりあえずは、門の外から手を合わせ、次のお寺へ向かいます。

 

.....が。

GWもいざ迫ってみると、はたしてどれを選べばいいのか、
逆に迷ってしまい.....

色々、決めかねているときに、私はそれを見つけたのです。

 

次に訪れたのは、これはもう大メジャーなお寺。
一番・金剛山・金乗院【平間寺】神奈川県川崎市川崎区大師町4-48
そう、初詣などでよく話題になる、あの川崎大師ですね。
境内は広く、大本堂の他に、不動堂、薬師殿、五重塔...
他にも、池やら、出店やら、盛り沢山です。
門前にはお土産屋さんもずらっと、咳止め飴に、葛餅などなど。
ちなみに、こちらは一番札所とあって、ご朱印帳が買えるようですが...
どうも、噂によると、「あんまりな」出来らしいです(笑)
各札所の御朱印も、もう半紙に押してあるらしく、
その大きさがまちまちだったりするとかで。

 

それまでも、何度か行ったことのあるお寺の山門に、
古くて、文字も薄れてしまった木の看板があるのに、ふと気づき.....

そう、あれはもう、桜も散った頃でしょうか。

よくよく、目をこらしてみれば、
そこには『玉川八十八ヵ所霊場○番札所』と書いてあり、
どうも、その響きからして、イケそうなコースの札所に、
そのお寺が含まれているのだと。

そう、偶然にも知ったのです。

 

ところでみなさん御存じでしょうか?
浅草の雷門とか、この川崎大師にあるような、大きな提灯(?)には、
底の部分にきちんと細工が施されているのを。
山門にこういうのを見かけたときは、真下からぜひ、覗いてみて下さいね。

 

「おお!これだ!」

『このとき、このタイミングで、この看板を見つけたのも何かの思し召し』

帰宅した私は、さっそくPCを睨みつけ、
その詳細を調べてみました。

 

川崎大師を出てやってきたのは、
二番・大島山・般若院【眞観寺】神奈川県川崎市川崎区大島2-10-16
手入れの行き届いた植栽に囲まれた山門が美しい。

境内には、大きな大きなイチョウの樹が。
この巡礼中、川崎市内のお寺に特に多く、
こういった巨木があったのが、とても印象的でした。
どうやら、市がこういった貴重なものを保存樹木に指定するなど、
保全に力を入れているみたいですね。

 

......と。

そこにあったのは、なんとも我々のために用意されたような、
諸々条件オールクリアなコース。

「決まりだな。」

 

本堂屋根が青空に映え、美しい。

 

年が明けて以降、
常々、『erima君、今年のGWに周れそうな所をリサーチしておいてくれたまえ』と、
ゴンザより、重要な任務を負っていた私は、思わず膝を打ちました。

 横浜から川崎へ。

 川崎から、都内各所へ。

 

不動明王は、密教の根本尊である、大日如来の化身。
一面(ひとつの顔)二臂(二本の腕)で、
剣と羂索(けんじゃく=鞭)を持つのが基本。
体色が青黒いのは、煩悩の泥の中で、六道を生きる者を
救い、導こうとしているためなのだとか。

そうそう、この巡礼路の、二番・四番さん付近に行ったら、
ぜひここに寄ってみてくださいね。
【追分まんじゅう】は、知る人ぞ知る、川崎の名物。
店の中ではガンガン、美味しいおまんじゅうが蒸されてます。

皮はむちむちむっちり、あんこはた~っぷり、程よい甘さといい香り。
大きいのに、いくつでも食べられちゃいそうな、危険な美味しさです。

 

このコースであるならば、多少の土地勘もあり、
また、ハプニングもほどほど、期待出来そうな距離.....(笑)

数日で、玉川(多摩川)周辺に点在する八十八のお寺を、
いくつ周れるのか、
また、GW、どれだけ天気に恵まれるのか.....

 

次に来たのは、四番・明王山【成就院】神奈川県川崎市川崎区渡田3-8-1
山門の彫りが、とても美しいお寺です。
手入れの行き届いたきれいな境内には、若いご住職(?)の方が
ラフな格好でいらっしゃり.....
休憩をする我々に、気さくに声をかけて下さいました。

こちらの佛足石とお砂踏み場は、
全国の霊場と南太平洋諸島の戦跡地を巡拝された方が、奉納されたもの。
佛足石は釈迦の足の形を彫りこみ、信仰の対象としたもの。
お砂踏み場は、各地霊場の砂が一度に踏め、
霊場を回ったのと同じ功徳がいただけるというもの。 

 

ガイドブックもなく、
昨年より寺の数も多いだけに、見切り発車の部分も大きいとはいえ。

......こういうことは、先が見えない部分も楽しいもの。

 

移動中見かけた面白いバス停。
すんごい無理やりな場所じゃない?(笑)

 

かくして。

GW初日、リュックを担いで、おにぎり・水筒を持った我々は、
いかにもおあつらえ向きの青天のもと、
勢いよく、自転車のペダルを踏みだしたのでした。

 

六番・金沢山・福泉寺【圓能院】神奈川県川崎市川崎区小田1-25-12
開放的で明るい境内と、真新しい本堂が美しいお寺。
こちらにも、お砂踏み場と大師堂があります。

そしてこちら、先日書いた、
シベリア抑留体験を話してくれたおじいちゃんと出会った場所です。
この赤い幟のある、大師堂の前でのことでした。
この巡礼は、戦争の爪痕、慰霊碑と多く出会った旅でもありました。