猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

ゴンザの涙と逃げ水と、つのだ☆ひろ。

2006年04月30日 21時14分09秒 | 猫たち
今朝、起きるとゴンザが泣いていた。
ちびくんの小さな骨壷を前にして。

今日はちびくんの四十九日だ。

ちびくんが旅立った日から。
少しずつまた、日常を取り戻し始めた我が家ではあっても、日毎に、彼の不在を.....
さらに強く、悲しく感じる。

運命の相棒を亡くしたゴンザは、毎日、ちびくんの小さな小さな爪の骨を身につけて仕事へ出かけてゆくが、四十九日という節目を迎えたことで、今、ちびくんの定位置にある、彼の小さな骨壷を、移動しなければならないのではないかということに、感情の揺れを抑えきれずにいたのだ。

.....それがたとえ、隣室に移動するだけであっても。

私は、別にそれを急ぐ事はないのだと、ゴンザが望むようにすればいいのだと伝え、彼らがまるで生まれたときからそうしていたかのように、いつも寄り添っていた光景を思い出す。

今日は。
ちびくんを送る儀式を執り行って下さったお寺に、お参りに行こうと前から決めていた。
ちびくんの骨壷はこの家にあるけれど、延命地蔵尊さまにお参りし、境内にいるたくさんの猫達のための、カリカリ大袋を納めに行きたかったのだ。

そこには。
誰かの家族であった、犬や猫のお墓が数え切れないほど並んでいるが、また、生きている猫たちもたくさん暮らしている。
おそらく、誰かが捨てていった者たちなのだろう。

しかし彼らに捨てられた悲壮感はなく、そこを訪れる人々皆に声をかけられ、可愛がられ、有り余る食事を食べ、自由を謳歌している、その姿には、慈悲そのものを見る思いすらしてくる。

風の吹き抜ける竹林を抜け、陽だまりに寝転び、すれ違う、縄張りを共有する仲間と挨拶を交わす。
そこに眠る多くの仲間の魂の間をすり抜け、頬ずりし、思い思いに過ごす。
共存生活では避けられないケンカの傷跡こそあるものの、彼らはきっと幸せそのものなのに違いない。

また、境内にいる猫達の顔を見て回ると、誰と誰が血縁なのかがはっきりとわかるところも面白い。
写真の猫は、母親らしき猫と連れ立って歩いていたが、あまりに面白い柄をしていたので、失礼してシャッターをきらせてもらった。

わかるかな?
ちょうど、あごだけが黒くて、あごひげが生えているみたいなの。
私はこいつを「つのだ☆ひろ」と名付けてみた。

帰り道。
アホみたいにいいお天気の中、美味しいパン屋に寄って、焼きたてパンを大量に買い込み、「沢田研二シングルA面集」を大音響でかけ、風に吹かれつつ、車内で熱唱する私たち。
生きるというのは、色んな感情が複雑に絡み合い、辛くもあるが、また一方では単純で、素晴らしい。

私たちの大切なちびくんの四十九日にあたる今日。

初夏を思わせる陽気にたくさんのものが揺らめいて。
今年初めての逃げ水を見た、日曜の午後のことだった。

時を超えたスピリチュアルジャーニー

2006年04月29日 15時16分46秒 | お出かけ
もう先週日曜日の話になるが。
大船にある(正確には横浜市栄区)、『田谷の洞窟』へ行ってきた。

小雨降る休日。
ひとけもまばらな大船植物園で散策を楽しんだ後。
漫画で読んで以前から興味を持っていた、その洞窟へ行ってみようと、ゴンザが言い出したのだ。

定泉寺というお寺の境内にあるこの洞窟。
正式名称は『瑜伽洞』というが、起源は「古墳時代の横穴式住居」だとする説や、「いや、古墳だった」という説もあり、確かなことはわかっていないようだ。
しかし、ここが鎌倉時代から、真言密教の修験の場として、拡張されていったことは間違いがなく、さらにそこから江戸時代にかけて、壁面には300体以上の仏像や、動物のレリーフが彫られたのだという。

少し離れた駐車場に車を入れ、受付で入場料¥400也を払い、小さなろうそくをもらうと、あとは入り口前にある、木のロウソク台にそれを立てて、中に足を踏み入れるだけ。

が、しかし。
そこはそれ。
古の時代より、修験に使われ、人々の祈りを包み込んできた場。
ひんやりした空気と共に、形容し難い霊気に満ち満ちていて、普通に歩を進めるのがなかなかに難しい。
また、手に持ったろうそくの火を消さないように、神経を集中させて歩くのも一苦労。
さらにこれは、明かりとりのためのものではなく、御仏に捧げるためのお燈明なのだと聞けば、うかうか消してしまっては、バチがあたりそうな気もして。

なるほど。
心を鎮めて、おずおずと歩きつつ、火を消さないよう集中力を高めるのは、もしかすると修行の一環なのかもしれない。
我々は、壁面や天井に彫られた、各時代の人々の祈りがこめられたレリーフを見ながら、洞窟内を巡った。

『行者道』
そう書かれた案内札をたどり、壁面に彫られた仏像を見、厄除け大師やお水大師に祈りを捧げる。
と。
たとえ私のような無宗教の者でも、やはり目には見えない何かを信じているのだと、こういった宗教的遺産を前にして常に感じるのは悪い経験ではない。

この『行者道』。
辿ってゆくと、「秩父三十四観音霊場」や、「四国八十八札所」、それぞれの札所に応じた仏像が一体一体彫られており、この洞窟を一周するだけで、都合、全国百八十八札所巡りをしたのと同じご利益が得られるということらしい。
ところどころ崩れたり、宗教的な理由で入っていけない道もあるそうだが、私たちが観察した以上では、行者道はすべて通れるようだし、かなりの見ごたえがあった。
(洞窟内は撮影不可。が、途中平気でフラッシュをたいてるばちあたりな熟年男性もいた。仏様は見ておられるよー。)

それにしても。
あれだけの仏像レリーフと、動物達を彫りつつ、洞窟を拡げてゆくのはどんなに大変な作業であったろう。
そこにある圧倒的なパワーは、まだ飢饉や流行病がそこここにあり、死が身近なものであった時代ならではなのかもしれない。
各国、宗教的な施設が必要以上に美麗で荘厳なのは、きっと「そこだけは」と、病や死の恐怖から魂を解放する空間を人々が求めたからだろう。
そこには、現代に生きる私たちには計り知れない祈りがこめられているのを、感じずにはいられない。

全長1km。
天井に彫られたコウモリや、土佐の一つ亀の見事な造形を見て歩き、その霊験あらたかな洞窟の空気に触れた日曜の午後。
私たちは、はるかな時代や空間を越えて、まるでどこか遠くまで旅をしてきたような、そんな気持ちだった。

田谷の洞窟『瑜伽洞』。
機会があったら、ぜひ一度訪れられては?

嵐を呼ぶ女

2006年04月29日 13時31分04秒 | 日記
プールに行ったのち、買い物に出たら、いきなりの大雨。
すごいことになってます。
通りがかった関内大通り公園では、フリーマーケットを開催中の人々が大騒ぎ。

「あー、車でよかった♪」と、それを横目に見つつ、家路を辿っております。

ホントに最近変な天気が多いよね~。



今年の敵は黒い奴

2006年04月28日 08時27分38秒 | ガーデニング
まったく。
四月も下旬というのに、毎日毎日この寒さ。
一体ど~なってんだ!?

ベランダ工事の期間、圧倒的な日照不足に陥る避難生活にも耐え、健気に蕾をつけてくれたバラ、ユリイカも、固まったまま、動きを止めてしまった。

今朝はようやく晴れたけど.....
この蕾。
本当は優美なウェーブのかかった、柔らかな黄色の花になる予定なんだよね。

なのに.....
なんじゃ、こりゃ。
緑じゃん。
パリパリしてるじゃん。
固いじゃん!

その上、我が家じゃ今年、うどんこの大発生と、今まで一度も出なかった、黒いアブラムシに悩まされていて。
朝晩の見回りは欠かせない。
自家製無農薬農薬の散布も欠かせない。

で。
明日からはまた天気が崩れるんだって、おい。
どうなってんだよ~、ちっきしょー!

.....皆さんのお宅では、植物たち、どうしてます?

ゴンザのネーミングセンス

2006年04月26日 18時28分41秒 | ガーデニング
こんにちは。

こいつの名前は「横分け」。

シャークと同じ日に、我が家へやってきました。

正式名称は、チランドシア・ウスネオイデス。
俗名はスパニッシュモス。
日本名をサルオガセモドキといいます。
エアプランツの一種です。

出身は中南米で、空気中の水分や養分を吸って生きている、サバイバルな奴。
初夏になったらエメラルドグリーンの花を咲かせるというので、今のところ、超可愛がっています。

ビーズでコイツをぶら下げるための、「横分けホルダー」なんかも作っちゃいました。

お世話は簡単。
毎日霧吹きするか、週に一度、2時間ほど、水にざんぶり浸けておくだけ。
なんて手のかからない、いい奴なんだ!

ゴンザがなぜ、こいつに「横分け」という名をつけたのか。
理解に苦しむような、よくわかるような、そんな気がするけれど。

横分けは元気です。
今日も窓辺にぶら下がってます。
きっぱり、真ん中から分かれてます。