キノコ観察に出かけるようになり、驚いたことがひとつ。
神社の『中』の、キノコの豊かさ!
おそらく踏み荒らされない聖域が。
小さな生きものたちを守ってくれるから、だろう。
『鎮守の森』の意味を、深く考えたことはなかったが。
しゃがみこんで、のぞけばわかる。
神社を守るための森。
そもそも信仰された森。
そして、神社は森を守り。
森が生きものを。
人間を。
分厚いキノコ図鑑には、こう書いてあった。
生産者としての植物。
消費者としての動物。
還元者としてのキノコ。
そうっと、そうっと、私も覗こう。
ずっとそれが、続いていくように。
キノコの『大部分』は、実は見えないところにあるそうだ。
深く、広く。
本当に、どれだけ図鑑を見比べてみても、わからないことだらけ...
同じキノコでも色が違ったり、幼菌と成長後ではまったく違う見た目だったり。
キノコ観察ははじめは詳しい方に連れて行ってもらうのが一番だと、どこかに書いてありましたが、きっとホントにそうなんでしょうね。
私の、米沢に住む祖母や伯父は、キノコ採りの名人ですが、「この日に雨が降って、気温がこれくらいだから、あそこにアレが出る」と、予想というか、経験則に基づいて出かけて行くようでした。
とったものは塩漬けにして、保存して...
祖母はもう100歳近いので、出かけられないでしょうが、子供の頃、田舎に遊びに行くと、それらのキノコの入った味噌汁が毎日のように出てきたものでした。
今思えばとても贅沢なことですね。