我が家の1階には犬猫病院がある。
ちびくんとちゃあこもお世話になっているその病院の先生は、私達が住んでいるこのマンションの管理人さんでもあるのだが...。
どうやらブリーダーさんも兼ねていらっしゃるのか、歩道に面した病院のウインドーには仔猫がわんさか入ったケージが置いてあったりして、値段表なんかも張られている。それは時によって、スコティッシュフォールドだったり、ロシアンブルーだったり、「市場」では高価な「値段」をつけられている猫達なのだが、それでも「市場価格」の半値ほど。大変良心的な「値段」で「売られて」いることもあってか、いつの間にやら1匹、また1匹といなくなってゆく。また、時にはいわゆる普通の日本猫が「お譲りします」と、そこに入れられていることもあり、それはたぶん「予定外」の仔猫が生まれてしまって、その処遇に困り果てた飼い主が持ち込んだものであろうが、その子たちもいつの間にか姿を消していくから、きっと新たな家族をそれぞれ見つけていったと見える。
私とゴンザにとって仔猫たちを見るのは大変な楽しみであり、その愛くるしさに通りかかるたび足を止められ、ガラスに張り付いては通行人の大いなる邪魔になっているのだが...。
その可愛らしさを見るにつけ、同時に胸が騒いでならない。
興味本位で買われていって、途中で捨てられたりしないだろうか。
老いても、病気になっても、可愛がってもらえるだろうか。
家族の一員として、命あるものとして、生涯愛してもらえるだろうか。
なぜなら、この日本で、1年間に「処分」されている犬や猫は、60万匹に及ぶからである。
60万匹。60万匹.....。60万匹である。
果たしてそれが、すべて自然に増えていったものたちだろうか?
そのうち、去勢や避妊手術を怠ったがために増えた命はいくつだろう?
そしてその中で殺されてゆく命の数は?
興味本位で買われ「飽きたから」「面倒が見れなくなったから」、捨てられ、殺されてゆく命はいくつだろう?
あるとき、こんなことがあった。
大変お世話になっている知人とお酒を飲んでいたときのことである。その人の同級生だという1人の男性がたまたま同席することとなった。その人は、私が猫と暮らしていること、年老いた猫を心配していることを知り、こう言った。
「その猫って何の種類なの?純潔種じゃないのに、別にいいじゃん。高いやつならわかるけど。うちのは高いから別だけどね」
一瞬私は、彼が何を言っているのかわからなかった。
「そういう問題なの?」と相手を罵りながらも、それ以上言うべき言葉も見つからなかったし、何かを言おうとも思わなかった。そしてその卑しい人物の職業が、人を助けるべき医者であることを知って絶望した。
私に偉そうなことなど言えた義理じゃないのはわかっている。
動物の、植物の命を日々頂いて生きながらえている私には、きっと彼のことを責める資格なんてない。
けれど。
命に値段があるのだろうか?
草むらで、軒下で生まれた命と、
始めから、人が利益を得るために生まれた命。
そこに何かの差があるのだろうか?
母親のお乳を吸い、ふわふわと寝息をたて、互いにじゃれあい、我々を真っ直ぐに見つめる、仔猫たちの瞳は等しく澄んでいる。
彼らは「値段」の意味など知らない。
むしろそこから1番遠いところに存在しているのに。
物思う人間を恨むでも恨まないでもなく、ただ仔猫たちは寝息をたてている.....。
ちびくんとちゃあこもお世話になっているその病院の先生は、私達が住んでいるこのマンションの管理人さんでもあるのだが...。
どうやらブリーダーさんも兼ねていらっしゃるのか、歩道に面した病院のウインドーには仔猫がわんさか入ったケージが置いてあったりして、値段表なんかも張られている。それは時によって、スコティッシュフォールドだったり、ロシアンブルーだったり、「市場」では高価な「値段」をつけられている猫達なのだが、それでも「市場価格」の半値ほど。大変良心的な「値段」で「売られて」いることもあってか、いつの間にやら1匹、また1匹といなくなってゆく。また、時にはいわゆる普通の日本猫が「お譲りします」と、そこに入れられていることもあり、それはたぶん「予定外」の仔猫が生まれてしまって、その処遇に困り果てた飼い主が持ち込んだものであろうが、その子たちもいつの間にか姿を消していくから、きっと新たな家族をそれぞれ見つけていったと見える。
私とゴンザにとって仔猫たちを見るのは大変な楽しみであり、その愛くるしさに通りかかるたび足を止められ、ガラスに張り付いては通行人の大いなる邪魔になっているのだが...。
その可愛らしさを見るにつけ、同時に胸が騒いでならない。
興味本位で買われていって、途中で捨てられたりしないだろうか。
老いても、病気になっても、可愛がってもらえるだろうか。
家族の一員として、命あるものとして、生涯愛してもらえるだろうか。
なぜなら、この日本で、1年間に「処分」されている犬や猫は、60万匹に及ぶからである。
60万匹。60万匹.....。60万匹である。
果たしてそれが、すべて自然に増えていったものたちだろうか?
そのうち、去勢や避妊手術を怠ったがために増えた命はいくつだろう?
そしてその中で殺されてゆく命の数は?
興味本位で買われ「飽きたから」「面倒が見れなくなったから」、捨てられ、殺されてゆく命はいくつだろう?
あるとき、こんなことがあった。
大変お世話になっている知人とお酒を飲んでいたときのことである。その人の同級生だという1人の男性がたまたま同席することとなった。その人は、私が猫と暮らしていること、年老いた猫を心配していることを知り、こう言った。
「その猫って何の種類なの?純潔種じゃないのに、別にいいじゃん。高いやつならわかるけど。うちのは高いから別だけどね」
一瞬私は、彼が何を言っているのかわからなかった。
「そういう問題なの?」と相手を罵りながらも、それ以上言うべき言葉も見つからなかったし、何かを言おうとも思わなかった。そしてその卑しい人物の職業が、人を助けるべき医者であることを知って絶望した。
私に偉そうなことなど言えた義理じゃないのはわかっている。
動物の、植物の命を日々頂いて生きながらえている私には、きっと彼のことを責める資格なんてない。
けれど。
命に値段があるのだろうか?
草むらで、軒下で生まれた命と、
始めから、人が利益を得るために生まれた命。
そこに何かの差があるのだろうか?
母親のお乳を吸い、ふわふわと寝息をたて、互いにじゃれあい、我々を真っ直ぐに見つめる、仔猫たちの瞳は等しく澄んでいる。
彼らは「値段」の意味など知らない。
むしろそこから1番遠いところに存在しているのに。
物思う人間を恨むでも恨まないでもなく、ただ仔猫たちは寝息をたてている.....。
その人の生きてきた道筋が出るのですね。
職業や年齢に貴賤の違いはないですよ、実際。
哀しいことですが…
最近では、イメージ通り?の人がいると
妙に安心してしまう。
変な話です。
また、人の価値をブランドイメージで固めて
安心する(できる)類の人もいます。
ブランドは、ステイタスシンボルではあるけれど、
その人の価値をはかる物差しではないはずなんですが。
erima様の憤慨はいたいほどわかります、
けど、怒りをかき立てるだけの価値もない人なのだと、
「哀れんで」あげようじゃありませんか……
悔しいですけどね。
ロシブーとスコにゃんの子猫たち、
可愛いですねえ!
お医者さんが里親募集をしてるところって
たくさんありますけど、
キャテリーも兼ねてるという話は
初めてききました。
彼らの猫生に幸多かれと、
私も微力ながら祈っています。
ブランドやステイタスにこだわる人間て、
自分の中身に自信がないとか、良いもの、良いことを
見極める目がないんだと、私は思っています。
職業や見た目でイメージを固められちゃう方も
迷惑なんでしょうけど、やはり一社会人として、
人間として、良識や慈悲、誇りを失ってはいけない
ですよね。
私は本来とっても短気で気が荒いので、
それを抑えるためにも常に笑っているんですが...
5年に一度くらいの割合で飽和状態になり、
ふとしたことで大爆発してしまうんです。
ただ、こうしてblogを始めたことによって、
毎日何かしらぶ~すか言わせてもらってますので、
結構ガスは抜けているんじゃないかと期待はして
いるんですけど(笑)
この仔猫たち、可愛いでしょう?
ちょっと前までは寝てばかりいたんですが、
ここ2,3日はみんなでじゃれあって、盛んに遊んでいます。
もうたまりませんよ~♪
本当にみな幸せになって欲しいです。
離乳も済んでない赤ちゃんを、親や兄弟から引き離して売ることで、社会性が身についていないペットが増えているとか・・・
こうしたかわいい犬・ネコがいっぱいいると、昔は「かわいいな~」なんてずっと眺めていたけど、
最近はかわいそうで正視できない。
何かで見たのですが、子犬は生後3ヶ月までは親と
一緒に過ごさないと、社会性も身に付かず、
免疫もしっかりせず、愛情も不足するとか。
うちの下にいる仔猫たちも、複数匹いるときはまだ
いいですが、1匹だけになってしまうと虚ろな目で
外を眺めていますよ。近くに寄っていくともう必死で
「遊んで!触って!」と駆け寄ってくる。
残念ながらウインドー越しでは触れることが出来ない
ので、彼らの心の寂しさを埋めてあげることもできず
1番必要な肌の温もりも分けてあげることができませんが。せいぜい持っているキーなどをぶらつかせて
遊んであげることぐらいしか出来ない。
そんな風にもの思うのも、人間の勝手。
拝金主義も人間の勝手、ですね。