畑へ行ったら。
1週間前に摘み採って放置しておいた水菜の蕾が
(収穫をする場合、花を咲かせてしまうと固くなってしまうため)
葉クズの中から健気に花を咲かせていた。
切り取られても
踏みつけられても
いのちのそこぢからは決してめげない。
「すごいな」
「えらいな」
って思うけど。
お花にそう言ったら、
さらっと
「フツーだよフツー」
って答えるのかも。
人間だけが…
ねえ?
1週間前に摘み採って放置しておいた水菜の蕾が
(収穫をする場合、花を咲かせてしまうと固くなってしまうため)
葉クズの中から健気に花を咲かせていた。
切り取られても
踏みつけられても
いのちのそこぢからは決してめげない。
「すごいな」
「えらいな」
って思うけど。
お花にそう言ったら、
さらっと
「フツーだよフツー」
って答えるのかも。
人間だけが…
ねえ?
そう、草木は強いよね。
力強い!
命が満ち溢れてる。
草木だって、花だって、動物達も力強く自然の中で生きていく。
人は脆い生き物だから、子供の頃は手がかかるよね。
でもそれはまた親としての喜びでもあるんだよ。
手塩に掛けて育てるのも親の喜び。
そうしていつか愛情豊かに子供を育ててゆきたいと、私も願ってる。(過保護にはなりすぎないようにしなくっちゃ)
でもね、人間は大人になってからでも人の命を殺めたり、時に自分の命を自ら絶って傷つける。
そのような事、どんな状況にあったって、どんなに辛く苦しくたって、決してしてはいけない。
私は決して立派な生き方をしてるなんて言えないけど、むやみに人を傷つけ、ましてや人を殺めたりするような奴らは許せない。
このような水菜にすらも学ぶことは大きいんだ、命って本当はとても力強いものなんだと、この写真を見て思ったよ。
植物の物言わぬ、けれど、したたかで芯がまっすぐに通った強さには、人間なんかには決して勝てないクリアなものがあるよね。
余計な欲などなく、ただ生きるために生き、子孫を残そうとするその姿には、見るものの感傷さえ跳ね除けてしまう純粋さがあると思う。
人間はさ。自分自身の人生を生きる以前に、誰にどう見られるかとか、誰と比べて自分はこうだとか、余計なものにとらわれ過ぎて、何かを恨んだり、必要以上に欲するのだと思う。
そして思い通りにいかなかったとき、他者を攻撃したり奪ったり、自分自身の命すら奪ったりする...。
かつては貧しくても豊かに暮らしていたはずの生き物が、今や『豊か』の意味を履き違え、踊っているのが今の社会。
植物のシンプルな生き方は、私たちにたくさんのことを教えてくれるけれど、それはやはり見ようとしなければ見えないことで、それに気づける人間になれるかどうかが、最終的にはその人の豊かさを決めるのだとすれば...
次世代を生み育てる人々が、そんな小さく大きな命に目をやり、慈しみ、敬意を払うことを伝えていかなければならないと思う。
水菜は一見ひょろひょろと頼りない風情でも。
しなやかに強く生きているもの。
私たち人間もそうなれるといいわね。