みっく・じゃがの「ひとりごと日記」

日々思うこと、考えること、時には写真も

地井さんが逝ってしまった

2012-06-30 09:34:32 | 日記
あの地井さんが逝ってしまいました。
テレ朝の『ちい散歩』は開始から時間が間に合えば必ず観ていました。
素朴な語り口と街の中に溶け込む姿に「こんな所へ行ってみたいな」と
思わせられる番組でした。
実際に行ってみたところもあります。
絵手紙も味があるもので、それらを集めた本を買っていました。 

体調を狂わせて休養している間に、始まった後番組は 地井さんが築いてきたものとは大違いで
“散歩人”の大名行列と化し、観るのを止めました。
「地井さん、早く帰ってきてぇぇ」と画面に向かって言っていたのですが、
亡くなってしまうなんて・・悲しいです。
「みなさぁん、散歩に出かけましょう」という語りかけも
もう聞けないんですね。

どうか安らかにお眠りください。合掌
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6歳未満児 臓器移植について

2012-06-15 19:52:21 | 日記
『6歳未満の男児の臓器を移植』
このニュースは、私にとって『代理母』と同じくらいショックなものです。

以前にもこのブログで述べたと思いますが、私は臓器移植に反対です。
それは「脳死は人の死ではない」と思うからです。
人の死は「心臓が止まったとき」と認識していて、今後も変わることはありません。
私の周りに移植を必要とする人が出てきたとしても、それは『運命』として
受け止めなければならないと思っているのです。
医学会は移植に心血を注ぐ前に、移植しなくても済むような医学の進歩に
力を注いでもらいたいです。

さらに、臓器移植ネットワークの存在にも心に引っかかるものがあります。
以前、週刊誌に 移植を申し出た家族にインタビューしたものがありました。
全員がインタビューを拒み「触れないで欲しい」と悲痛な言葉を残しているのです。
これはどういうことでしょうか
家族は移植を承諾したことを後悔しているのではないでしょうか。
だいたい、愛する家族の死を前にして、胸を張って「臓器の提供します」と
立派に言える人なんかいるんでしょうか。
医師が「脳死」とした時点で、家族に臓器の提供を迫ることはないのでしょうか。
おそらく医師は『脳死の患者が出たときは・・」と構えていると思います。
愛する家族の死で混乱した状態の中、「臓器提供が立派なこと」
「この先も他人の中で生きていける」などと言われたらどうしますか

私は拒否できるんだろうか・・・

臓器の提供を待っている人たちと、それを反対する人たちとは
当然正反対の反応です。

私は以前テレビ番組で観た 脳死判定をされても、それが死だと思えないという
母親の映像が忘れられません。
「脳死だから死んだんだと言われても身体は温かく、この数ヶ月髪の毛が伸びているんですよ。
こんな状態で、どうして死んだと思えますか?」
それが親の心じゃないでしょうか。
こういう人たちを説得して、子供の臓器の提供をさせないでください。
大人の臓器もです。
人間は持って生まれたものを持って死の旅路に出るものではないでしょうか。
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胃の検査

2012-06-06 19:31:17 | 日記
今日は1年1回の人間ドックの日でした。
この2年間はなんだかんだと行くことができず、2年ぶりでしたが、
そのために胃はバリウムではなく胃カメラ検査しました。

今まで、何だかんだと腸の内視鏡、胃の内視鏡、腎臓のCTスキャンなど
精密検査を受けてきましたので、間が空いた分、『精検』の可能性も大と
考えて、胃は言われる前に胃カメラを飲むことを申し出ました。

そしたら、やっぱり だったのです。
『食道胃逆流症』『慢性胃炎』『ポリープ』などなど・・・
思っていたとおり、ストレスが溜まっているんですねぇ
ポリープはポコッとしていて「これ切除されたんでしょうか」と尋ねたら
医師曰く「いいえ、綺麗なピンクで良性ですから、放っておいて大丈夫ですよ」
だそうですが、ホントにそうなんでしょうかね

疑問を抱きつつも、こちらとしては医師を信頼するしかなく、
来年 また 胃カメラを飲むかと思っているところです。

ほかのところは健康体に“大”が付く数字で、まずまずでした。

健康でいることは家族への義務ですから、毎年ドックには入ろうと
改めて思っているところです。
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