みっく・じゃがの「ひとりごと日記」

日々思うこと、考えること、時には写真も

警察官が命を落とす

2018-09-20 10:41:09 | 日記

最近、このような事件がよく報道されています。

私はいつも思うのですが、警察官に武器を持って向かっていったら命を落とすのだ、と

いう考えが徹底されていたら、こんなことはなくなるであろうと。

警察官の腰の拳銃は飾りではありません。

本当に武器なのです。

報道されている事件の中には『上司を撃つ』というものもあるようですが、

そんな事例は特殊です。

場所は忘れましたが、容疑者が自衛隊の出身であったという事件では

テレビの映像で彼が片膝をついて両手で銃を構えている姿を見ましたが、

まるで戦争映画を観ているような図でした。

今回の仙台の事件では容疑者の若者は刃物のほかにミニマシンガンのようなもので

武装していたということを知ると、これはもうゲームの世界です。

恨みを持っていたわけでもないようですし、こんな人間がこれからも出てくるのか、

と思うと暗澹たる気持ちになります。

そんな状況にもかかわらず、相変わらずTV朝日などではコメンテーターと称する人が

「果たして、警官が銃を撃つ状況だったのか検証する必要がある」などと

寝ぼけたことを言っています。

あるから撃ったでしょうに。

アメリカのテレビ番組を好んで観ていますが、ここに出てくる捜査官は

武器を持った人間が抵抗を示したら、迷わず撃ちます。

だから、捜査官に銃を向けられたら、容疑者は両手上げて抵抗しないという

意思表示をしています。でなければ撃たれても文句は言えないのです。

これはドラマだけの世界だけではなく、実際の社会もそうなのだと思います。

日本は銃社会ではありません。

警察官と言えどもやたら滅多らと銃を発射できるわけではありません。

ですが、今の世の中、それで済むんでしょうか。

武器を持って警察官に向かってくる者には、ためらわず銃を使ってもらいたいと思います。

そのことが世の中に徹底していれば、こんな事件を起こす人間もいなくなると思います

それが、私たち住民を守ってくれる警察組織のあり方ではないでしょうか。

住民を守ってくれる警察官が命を落とす世の中であってほしくありません。

 


 

さて、そんな話から呑気な話で恐縮ですが

我が家のベンガル猫・KUUが本日2歳6ヵ月になりました。

私たちの永いアイルランド旅行で、体重も減り、精神も落ち込んでいたようですが、

最近はやっと元気になり家の中を跳び回っています。

ただ、前より甘えるようになり、人間らしくなりました。

こんなことしていると、KUUはストレスで長生きできないなぁと思います。

 

今日のKUU

相変わらず写真は嫌いです!という表情です

 

 

KUUが寛ぐものに、 ”マヤ・ベッド” というベッドと 通常の ”籠ベッド”があります。

”マヤ・ベッド”というのは、床に平たく敷くものに肘掛けのようなものが付いています。

クッション付きです。

明け方から私たちが起きる頃まで寝そべっていますが、日中はネズミのおもちゃを

ここで放り投げては遊ぶくらいお気に入りのものです。

寝そべっている姿が、まるで『裸のマヤ』みたいに色っぽいので、そう呼んでいます

 

マヤ・ベッド

 

籠ベッドは編みこんでいる籠で、この季節はマットだけを敷いていますが

暑いのか見向きもしません。

寒くなるとこの中に低温プレートを入れるので、お気に入りになります。間もなくでしょう。

 

籠ベッド

 

ちょっとでも出かける様子を見せると警戒して離れません。

はやく、元のようにおおらかなKUUになってほしいです。

今も、PCに向かう私のそばで「早く終わらないの?」というように見張っています。

 

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憧れのアイルランド旅行 ⑨

2018-09-13 10:21:47 | 日記

 

長々書いてきた旅行記も、今回で終了します。

 

8月25日

ダブリン観光

憧れのアイルランド旅行は今日が最後です。

昨日、ローマから教皇がやって来て、市内は厳戒態勢で人っ子一人いないし、

大通りなのに、車も姿を見せません。

私たちのバスが異様な感じで市内を走ります。

バチカンでは、相次ぐ贈収賄の事件と、幼児に対するおぞましい性的暴力で

揺れています。

ホテルの横に聖堂があり、そこではその協議も行われていたという噂が出ていました。

毎度のことですが、世界中で教皇がどんな行動をするのかは発表されないので、

市民は困惑するばかりです。

 

聖パトリック大聖堂

アイルランドで最大の教会です。

 

 

ここは一般人の家ですが(といってもよくよく見たら、どこかの大使館でしたが)

”美しい館”としてガイドさんから紹介されました。

 

歩いてトリニティ・カレッジへ向かいました。

 

学内のオールド・ライブラリー

ここはアイルランドやイギリスで発行された本の納品が義務付けられています。

日本の国会図書館と同じではないでしょうか。

とにかくその数のすごさと言ったら、表現が浮かびません。

 

入口から奥までビッシリ、両側に本が床から天井まで並びます。

 

偉人の胸像が並んでいました

まずはニュートン

 

ソクラテス

 

 

シェイクスピア

 

ほかに『ガリバー旅行記』のスウィフトの胸像もありました

 

また面白かったのは15世紀に制作されたアイルランド最古のハーブも展示されているんです。

これはアイルランド発行のユーロ硬貨のデザインになっているのは知られています。

ビール会社のギネスがこれを商標にしていたのに「禁止」されたときに

「それでは、これなら文句ないだろう」とハーブの裏の形を写したものを

商標にしたという話です。これです、裏です。

 

本物のハーブはこれです。ついに見ちゃった!!

 

 

トリニティ・カレッジをでて、その横にある国立考古学・歴史博物館に行きました。

ここへどれほど来たかったか!夢がかなったのです!

紀元前2000年から現在に至るまでのアイルランドの秘宝のコレクションがあります。

タラのブローチ ー 金で出来ています。

僧衣を留めるためのもので、ケルトの文様が彫り込まれていて

アイルランド金細工の最高峰と言われています。

 

アーダの聖杯

 

この首輪は目が眩むような輝きでした

こんなふうに使っていた

 

コングの十字架

 

十字架の下の部分です

 

すべてにケルトの文様が刻まれ、ガラスにくっ付くほど顔を付けて見ました。

 

 

腕には入れ墨ではなく、このように彫った金を穿いていたようです。

 

 

さて、ここからは勇気のいる写真です。

”生贄(いけにえ)のミイラが発見され、この人たちの食生活や身分が解っています。

「この写真撮るの?」とツアーの男性に言われましたが、これは記録ですから。。。

 

 

ケルト人はオレンジ色の髪の毛だったという説が、このミイラで証明されたそうです。

 

 

 

このミイラは胃腸がそのまま保存されていて、何を食べていたのかが分かったそうです。

首を刎ね、上半身だけというのは、身分が高い人で、民衆に見せつけるためのようです。

 

 

これはほとんど全身の残ったミイラです。

 

ガイドさんはこの国の人と結婚して二十数年という女性でしたが、

チャーミングな面白い人で、「これを見た後、チョコレートケーキが食べられますか?」

とおっしゃるのでした。

 

ミイラが見つかった地形の説明文です

 

最後は昨日行った ”タラの丘” のジオラマです

 

 

このあとはケルズの書を観に行きます。

ケルズの書とは4つの福音書のことです。

マタイ伝、マルコ伝、ルカ伝、ヨハネ伝がここには納められているのです。

アイルランドの最高の宝とされ、トリニティー・カレッジの図書館に300年に渡って

保管されています。

表紙は150頭分の牛の皮で造られていて、全部で340枚あるそうです。

もちろん触れないですが、分厚いガラスのケースに入っていました。

信者の方々が何重にも取り巻いていて、いつ眺められるかわからないので、

ちょっとズルして入り込んでチラッと見てきました。

 

本物は見られませんでしたが、「こんなもの」みたいにレプリカが飾ってあるので、

動物の絵や組みひも模様、などは見れました。

これはアルファベットです。装飾文字です。

 

 

 

キリストも装飾文字の中に組みこまれています。

 

 

美しい文様

 

 

そして驚いたことが!

ずっと、染色の青はラピスラズリだと言われてきましたが、このほど、青は藍で染めたものであった

ということが解ったそうです。

藍はジャパニーズ・ブルーと言われているのに・・・と衝撃でした。

 

染色の見本

 

 

 

すっかり堪能した今日の観光はこれでお終いです。

このあとは自由時間です。

 

テンプル・バーの通り

ここは1540年、ヘンリー8世による『修道院解散法』を受けて修道院を開放し

テンプル一族に返したことによる名前の由来だそうです。

各国の料理屋があり、ライブハウスがあったり、小物店があったり、

若者に人気の街です。

 

この一角で私たちはお昼を食べました。

解散したので自由に歩けるのですが、ローマ教皇が来ていて道路の制限があり

仕入れをできなかったという店が続出していて、やっと海鮮料理を食べさせてくれる

お店を見つけて食べました。

写真は忘れましたが、アイルランドではムール貝の養殖が盛んで、

いちどたっぷり食べたいと思っていたのがかないました。

大皿に大盛りのムール貝は酒蒸しであっさりと塩味、そのくせクリーミーでおいしかったです。

街を歩いていると見知らぬ男性が旗をたくさん持って来て「一緒に振ってくれ」と言うのです。

つまり、間もなく教皇が通るらしかったです。 

旗を振るのはお断りしました。  教皇もお迎えしませんでした。 

その後、お店を覗いて家族や友人たちにお土産を買い、

さて、帰ろうか・・と思うのですが、皆さんとの待ち合わせは午後5時半!なのです。

そうです、夕食も自分たちで調達なのです。

偶然 街で出あったツアー仲間たちは「パンでも買ってホテルで食べる」と言う人や、

「日本からカップ麺を持ってきたから」と言う人もいました。

いずれにしても夕食を調達しなければなりません。

それも面倒、5時半まで待つのも面倒・・・鉄道でホテル近くの駅まで行く・・

考えたところでタクシーが、1台 客待ちをしていましたので迷わず乗りました。

なにしろ、道は車1台も通っていないので、すいすいとホテルまで行きました。

ゆっくりと帰国の準備をして、5時にはホテル地下のバーへ行き、

思い出の最後のギネスビールとクラブサンドを注文して、

のんびりと時間を過ごしました。

ビールを飲み干して、夫が「例のオシャレなお好みの酒を注文したら?」

と言うので、私はスタッフを呼び「ベルモット ドライ with ice & piece of lime 」

と注文してみました。

これで通じました(笑)。夫にはグラスのシャルドネを。

夜はゆるゆる更けて行き、今日は終わりです。

テレビを観ているとアイルランドのチャンネルでは教皇がアイリッシュ・ダンスを

楽しんでいるものばかりです。

あーー、確かにあの子たちが教皇の前で踊っています。

 

 

8月26日

早朝のため、BOXの朝食です。

大雨の中、空港に行きます。気温は13℃で、皆さんダウン・ジャケットを着込んでいます。

 

ゲート前の窓から大雨の滑走路を。帰る時まで雨に祟られる。それとも別れの涙か・・・

 

 

フィンランド機は一路 ヘルシンキへ →成 田へ

さようなら、アイルランド

 

 

 

旅は終わりました。

帰りの飛行機ではビジネスクラスのフルベッドで爆睡。

成田へ着いたら気温34度だって!!  13℃ → 34℃

体が驚いて、帰宅の次の日に熱を出して1週間寝込みました。

疲れすぎて、旅行は当分いいという気分です。

 

長きにわたって、旅行記を読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

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憧れのアイルランド旅行 ⑧

2018-09-12 10:34:57 | 日記

 

8月24日

ベルファスト  朝からいいお天気です。

昨夜遅くに北アイルランドの首都・ベルファストに到着しホテルに入りました。

ここもステキなホテルです。

 

今朝は朝早くからベルファストの観光です。

ベルファストは かっては小さな漁港だったそうですが、ヴィクトリア女王時代に

造船工業都市として発展し、そのためアイルランド独立後もイギリス領に残ったとも

言われていますが、北アイルランドの首都として発展しています。

 

ベルファスト市庁舎

 

ここ数日は第1次世界大戦の犠牲者を悼むということで

下のようなオブジェが並べられていました。

布にくるんだ木なのですが遺体を表しているんですね。

第2次じゃないですよ、第1次世界大戦、というところがすごいです。

 

 

大聖堂

 

内部の天井の絵 美しかったです。

 

 

LAGAN川へ向かい、リングを捻じ曲げたような変わった橋がありました。

私にはどうやって歩くのか理解できなくて顔を回したり捻じ曲げたりしているうちに

時間切れで移動すると言われ写真を断念しました。

川の近くに大きな魚のオブジェがあり、鰹に似ていました。

 

いよいよタイタニック乾ドックへ到着です。

この建物はタイタニック・クォーターの建物です。

人気を博しているタイタニックのために建てられた観光ビルです。

タイタニック号関連のお土産がたくさん売られていました。

 

映画の例のシーンを銅像にしていました

 

 

乾ドックです

ズーッと左から回ってみます

 

現在 船を建造中

 

ドックの中

 

 

 

 

先ほど見た場所が奥に見えます。

あそこから、ぐるっと回ってきたわけです。

黄色いものはH&M社の大型クレーンです。

タイタニック号もこれで造られました。

 

 

下に降りる階段がありましたが、勘弁してもらいました。

降りたからには上って帰って来なければなりませんから

 

 

タイタニック号の船首の実物大の模型です

 

 

 

 

造船所で働いている人たちの事務所と食堂があるビル

丁度お昼時、みなさん 賑やかにお食事をしていました。

 

 

アーマー

聖パトリックが教会を建てた場所です。

バスを降りたら雨が激しく降ってきました。

まるで私たちを拒絶するように感じました。

ここが面白いのはカソリックと それにとらわれないキリスト教の教会が

建っていることです。

 

最初に行ったのは聖パトリック大聖堂(カソリック)Catholic

雨から逃げるように入ってみたら、美しいステンドグラスが目に飛び込んできました。

そして床は代表的なケルトの模様がモザイクのタイルで描かれていたのです。

 

 

 

外に出たら雨は更に激しくなり、

とてもじゃないけど歩いてもう一つの聖パトリック大聖堂(アイルランド教会)Church of Ireland

へは行ける状況ではなくなりました。

みなさんは「行けなくていい、帰ろう」と言い出す始末です。

添乗員さんは何度も念を押して止めることにしました。

ところが、バスに乗って走りだすと雨は止みました。

晴れたところの聖パトリック大聖堂(アイルランド教会)

445年、聖パトリック自身が教会を建てたものです。

現在はそれに改築を重ねているそうです。

 

モナスターボイス

バスが走るほどに空は晴れてきましたが、モナスターボイスに着くころには、また雨です。

美しい田園風景が広がったところに先端が壊されたラウンドタワーがあり、お墓が立ち並んでいます。

お墓参りをしている人がいました。

 

 

 

ひと際高いハイクロス

アイルランドでもっとも有名な十字架の一つです。

これには、見事なレリーフが施されています。

アイルランド特有の十字架の丸い日輪を配していて、

日輪の真ん中には両側から聖人を槍で刺している図が彫られていて

キリスト処刑の図でしょう。

その下には東方の三博士、民を率いるモーゼ、禁断の果実を手にしたアダムとイブなど

まだ文字を読めなかった人々に示している図だそうです。

 

 

ケルト模様

ここへ来て、私は「ケルトへ来たんだ」という想いを深くしました。

 

タラの丘

 

さぁ、これから ”アイルランド人の心” と言われる タラの丘 へ向かいます。

バスを降りると雨が激しくなります。

聖パトリックの像が立ちます。

 

羊の糞を踏まないように・・・

中央で大勢の方々が何やら儀式の真っ最中です。

信仰の心を邪魔してはいけません。

 

 

何もない自然のままの大地です。

雨が降りだしそうな空  来た来た!

 

 

儀式が終わり、私たちが中央に。

ここが儀式の中央です。

 

 

紀元前200年頃からアイルランドに移住してきたケルト人が、瞬く間に先住民を追い出し、

大小の国を作りました。

その中でタラと言う王が中心になり連合国を形成したのです。

宗教色が強かったために、この地域は聖地となり繁栄、現在でもケルトの人の心になっています。

ジャガイモの大飢饉で世界各国に散ったアイルランド人にとって、

「いつまでもアイリッシュの心を忘れない」という意味で「タラに帰る」という言葉があるほどです。

 

余談ですが、私の娘は高校をイギリス本土で過ごしましたが、友人に「タラ」という女性名が

多かったそうです。

それは、ここの『タラ』から来ているものでしょう。

 

お土産屋さんが1軒だけあり、ここで ”タラの心” を買いました。

 

これはアイルランドの国章shamrock の『三位一体』を表すクッキーです。

三位一体とは「父と子と精霊」です。

 

 

 

ダブリン

このあとバスは北アイルランドにおさらばして、再びアイルランド共和国へ戻ります。

首都ダブリンに再び来ました。

今夜からダブリンに連泊です。

ダブリンの町中に入って、私たちはアイリッシュディナー・ショーへ参ります(笑)

どんな料理だったか忘れてしまいましたが、テーブルの目の前にはウィスキーがグラスに注がれていて

まずは、生でこれを飲め!と。

最後にデザートでアイリッシュ・コーヒーが出ました。

前にも飲みましたが、心臓ドキドキ、体が熱くなるウイスキー入りのコーヒーです。

 

そして始まりました、アイリッシュダンスと音楽ショー。

アイリッシュ・ダンス 

単調ですが美しいダンスでした。

上半身は動かさず、足だけを前に高く上げます。

女性たちも男性も、子供もです。

 

 

子供の可愛らしいダンスもありましたが、あまりの可愛さに写真を撮るのを忘れてしまいました。

 

この日、ローマ教皇がダブリンにお出ましになり、ダブリンは厳戒態勢でした。

そして、ここで踊った子供たちは、明日、教皇さまの前で踊るのだとか。

「今夜はその練習みたいなもの」とは、失礼なのか、光栄なのか。

 

アイリッシュ音楽

笛の音がよく聞くアイルランドの音楽の音でした。

3人組のバンドで陽気でした。

リハーサル

 

 

延々続くショーでしたが、私たちは明日が早いので、2時間でお別れしました。

今夜が皆さんと最後の食事でした。

ホテルへ着くとバタンキューとなり、シャワーがやっとでした。

 

いよいよ明日は最後のアイルランド。

ダブリンで観光です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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憧れのアイルランド旅行 ⑦

2018-09-11 10:58:28 | 日記

 

 

ロンドンデリーの夜

昨夜は北アイルランドでの最初の夜、ホテルの夕食で飲み物は£(ポンド)の支払いでした。

前にも書いたと思いますが、この旅行は食事の時の飲み物は、バーカウンターで自分で買って

テーブルに置きます。

今までの旅行はテーブルに飲み物のオーダーを取りに来られて注文、終わりに支払い

というのが定番でした。

今回は昼も夜も自分で注文しに行って支払い、自分でテーブルまで運ぶというのです。

アイルランド共和国ではEU加盟国ですので€(ユーロ)でした。

やっぱりギネス・スタウトを飲み、スミズイック・エールを追加し、

おいしく楽しい時間でした。

 

〇8月23日

ロンドンデリー

今日は楽しみな1日ですが、天気が危ういのです。

ブッシュミルズ

 

左遥かに見えるのはスコットランドです。

 

 

霞ながら見えるのはダンルース城という古城です。

ここは予定になかったところですが、ロックのレッド・ゼッペリンのレコードジャケット写真に

載っている古城ということで有名なんだそうです。

雰囲気があります。時間があったら帰りに寄りたいよね、と話しました。

 

 

いよいよアイリッシュウィスキーのオールドブッシュミルズ蒸留所到着です。

 

あらかじめ、工場内で写真は撮れないということを告げられています。

これは”1608”という工場で、この刻印のあるウィスキーはここの工場の商品だそうです。

 

 

 

色々なラベルがあります

 

工場案内をしてくれる人を待つ間、室内を見て回ります。

 

 

 

案内書があって、7か国の文字で書かれているのです。

最近、中国語のものが加えられたそうです。中国はここでも進撃(?)しています。

詳しくウィスキーとなるまでの順路を説明しながら見せてくれましたが、

温度が半端じゃないほど暑かったです。

 

工場見学の後は試飲です。

『1068の何年物』というもので、

当然、売ろうとするものを試飲させますよね。

私は『12年物』と『ブラック』という2種類を飲んでみました。

個人的には『12年物』は軽いと思い、『ブラック』のガッツリしたところが好きでしたが、

夫が「”12年”にしよう」と言うので従いました。

これです。買って帰りました。

 

さらに売店でTシャツとマーマレードを買いました。

「マーマレードはアルコールが入っていますか?」と尋ねたことに「No」と言うので

お土産にも買ったのですが、家で食べてみたら完全にアルコール入りでした。

私の英語が下手だったのか、答えを聞き間違ったのか・・・

よくよく瓶を眺めたら「WHISKEY MARMALADE」と書いてありました。

 

試飲カウンターの若者

 

これでブッシュミルズの工場とお別れです。

 

 

青空が広がり、気温が上がっているようで嬉しくなりました。

これから昼食のためレストランへ向かいます。

青い空と蒼い海、とてもアイルランドとは思えません。

 

 

 

 

陸地に向かいますが、ちょっと雲が出てきて不安です

 

 

レストランでアイリッシュシチューを食べます。

ラム肉です。お皿の底にオートミールが入っています。これがおいしくしているコツだそうです。

 

 

 

あまりに天気がいいので、近くを散策することになりました。

ここは女性の幽霊が出ることで有名だそうです。

 

ところが、木が覆いかぶさって ちょうどいいところで雨が降り出しました。

それも大雨です。まったく信じられないここの天気です。

薄着で出てきたので、途中で帰りました。

雨具万全の人は最後まで行って帰ってきました。

幽霊は出なかったそうです。

 

 

これから北アイルランド一番の景勝地に行こうというときに、ツイてない私たちです。

小雨のところで、来るときに見たダンルース城に寄ることにしました。

風情があります

 

ところが入ってビックリ!

スタッフから「ジャパン?」と尋ねられて「イエース!」と言ったら

棚からゴソゴソと日本語のパンフレットを出してきたのです。

 

 

 

こういうの「半分黒い」と言うのでしょうね。どこかのドラマみたいです。

黒い雲の一部から雨が降っているのが見えます。

あそこは雨なんでしょう。そして私たちの場所は晴れてきた。

 

 

先ほどまでの雨、今は大きな虹  美しいです!(城内から)

 

そして、ススキの向こうは岩と岩を結ぶところが、つり橋になっているそうです。

つり橋を渡るのは予約とお金が必要だそうです。揺れるんだそうですよ。

人がゾロゾロ歩いているのが見えます。

 

 

 

ジャイアンツ・コーズウェイ

火山活動で生まれた数万個の石柱群が連なっているのです。

伝説では北アイルランドに住む巨人がスコットランドへ攻めていこうと石を投げて

この道を造ったと言われています。

ところが、スコットランドには最強の巨人がいて逆に攻められ敗退。

道は半ばになっている、そうです。

ここの映像はBSNHKプレミアムで関口智宏さんが行ったときに見ました。

すごいところだなぁと見ていたのですが、いつかここへ と思っていたのです。

念願のジャイアンツ・コーズウェイなのですが、来る途中に大雨がやって来て

風も強くなり、大暴風雨の風景です。

皆さん、雨合羽に雨ズボンと大武装ですが、私はずっと着ているアウトドア上着を

信じてそのまま参加しました。

ビジターセンターから渡されたオーディオガイドは日本語が入っていました。

ホントは歩いて石柱まで行くつもりでしたが、強風に飛ばされそうなので

ミニバスに乗りました。

途中で晴れて虹、しかも2段の虹がでたので期待したのですが・・・

 

 

さ、これを登ります

 

巨人の作った(?)石柱・・・一瞬晴れた?

 

ツルツルに滑るので足元が危ういので、先頭まで行けません。ここで死にたくない!

トレッキングシューズを履いてもへっぴり腰でした。

「ここから先は行かせません」と係員が見張っています。強風が吹いています。

 

この先はスコットランドです

 

やっと出発点に戻ったら、皮肉なことに晴れてきました。

でも、行けたから、登れたからいい、良し!とします。

 

1時間半ほどかけて、北アイルランドの首都・ベルファストに行きます。

ここもいいホテルでした。

遅い夕食でしたが、ビールで皆さんと乾杯!楽しい夕食でした。

 

 

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憧れのアイルランド旅行 ⑥

2018-09-10 14:02:06 | 日記

 

8月22日 

ゴールウェイ散策

この朝の朝食は少し変わりました。

連日ホテルの朝食はアメリカンビュッフェスタイルでしたが、

このホテルでは朝食からオーダーをとってくれます。

もちろん、旅行費に組み込まれているので、私たちは払いません。

しかもビュッフェの食事も並んでいます。

連泊なので昨日からそうだったのですが、終わってから添乗員さんが

慌ててやって来て「連絡を忘れていました」と仰る。 もう遅いです!

なので、今朝はオーダーしようとレストラン開始時間と同時に

レストランへ行ったら、こんなとき大抵は「まだです」と言われるんですが、

このホテルはそんな野暮は言いません。

にこやかに出てきて「ハロー!ハウアーユウ?」と仰います。

おまけに「景色が見える良い席をどうぞ」と案内されて、メニューを持ってこられて

・・・私は見つけたのです。

『アイルランド・ブレックファスト』という文字を!

これを食べたかったのですよ。

で、私はこれを注文、夫は「こんな濃いもの、朝から食べられないよ」

と言うので『エッグマフィン』を注文しました。

 

これがアイルランド・ブレックファスト

上の方に半分写っているのは1㎝幅に切ってある焼いたトースト(8枚あります)

「トーストを食べますか?」と聞かれて「イエス」と応えたら2人分でこんなに

焼いて来てくれました。

アイルランド・ブレックファストは焼いたベーコンの薄切り、右はウインナー、

目玉焼き、マッシュルームのバター炒め、丸いのは左はホワイト・プリン、右はブラック・プリン

ホワイト&ブラックのプリンとはイギリス式ウインナーのことで、

ブラックは豚の血だけが詰め込んでいて、ホワイトは小麦粉だけが詰め込んであるウインナー

のことです。

飲み物はいつものようにミルクティーです。

この旅行では毎朝にミルクティーを飲みました。

私は日本に居ても毎朝ミルクティーですが、夫はコーヒーです。

この旅行では夫もミルクティーを飲み「落ち着くねぇ」と言っておりました。

アイルランド・ブレックファストは娘にも見せたかったので、注文して

写真に撮ることができて良かったです。

 

夫はエッグマフィンを食べましたが、食べきれなくて半分しか食べませんでした。

イングリッシュマフィンを半分に切り、上にホウレンソウのバター炒めを乗せ、

目玉焼きを1個ずつ乗せたものです。(右側の玉子は運んできた時にウエイトレスさんが倒しました)

 

こんな濃い朝食を食べて、今日はコマネラ国立公園へ向かいます。

バスで1時間45分、曇り空の景色です。

 

ゴールウェイの家並みです

 

 

見えてきたカイルモア修道院

今日、一番はここへ行きます

 

 

 

 

 

 

 

絵のように美しい修道院は、イギリスの富豪が夫人のために建てさせた別荘だそうです。

妻や子に先立たれた富豪は建物を修道院に売却、現在も修道院です。

美しい建物と豪華な調度品を見せてもらいました。

 

その後、昼食

ここで私は飲み物にアイルランド・コーヒーを頼んでみました。

これはコーヒーの中にアイリッシュウィスキーが入っていて上にホイップクリームが

乗っていると聞いていましたが、まさにその通りのものが出てきました。

ウィスキーが沈殿していて、飲むほどに胸がドキドキしてきました。

この体験は、後日 アイリッシュパブで再び、です。

 

スライゴーへ

畑に積んである黒いものはピート(泥炭)です。

こうやって乾燥させて暖房に使うのです。

 

 

詩人・イエーツのお墓

イエーツはノーベル文学賞を受賞した詩人です。

日本の民話にも興味を示し、それはケルトの心にも通じると言っていたそうです。

1939年、フランスで亡くなりましたが、遺言により、1948年スライゴーに

埋葬されました。

お墓は新しい感じでした。

 

埋葬されているドラムクリフ教会

 

 

更にバスは進み、いよいよアイルランド共和国にサヨナラして北アイルランドへ入ります。

またね、という感じの景色

 

間もなく国境です。と言っても入管はありません。

と言うか、突然の標識!

ここに「Welcom to Northern Ireland」と書いてあるのですが、

”Northern”を消してあります。

アイルランド共和国としては

「”北アイルランド”は認めない、すべてアイルランドだ」と言いたいのでしょう。

ここから車のスピードはメーターからマイルに変わります。

 

ロンドンデリーへ

”ロンドンデリー”と言うのは北アイルランド、アイルランドでは”デリー”と呼びます。

実際の当地では「ロンドンデリー」と言わなければ否定されました。

「デリーはインドだろう」と言われた人もいたようです。

ということで、ここではロンドンデリーと呼びます。

ちなみにゲール語ではデリーとは樫の木という意味です。

常にプロテスタントとカソリックの紛争の地となり、たくさんの血が流されました。

イギリス・プロテスタントは北に残ったカソリックを差別し就職や住む場所まで限定し

選挙権も与えず、迫害をしたということです。

中でも1972年の『血の日曜日』事件はカソリックの平和デモにイギリス軍が発砲し

子供も含む市民13人が死亡したのは有名な事件です。

ロックバンドのU2が『Bloody Sunday Bloody』(タイトルが違うかもしれません)という

歌をうたっています。U2はアイルランドの人たちです。

私がよく知るのはカソリックのIRAという過激派がロンドンなど本国でも

テロ行為を続けた状態です。

それらが好転して1998年に”ベルファスト合意”によって和平が訪れたのは

記憶に新しいです。

1998年ですからね。ほんの少し前のことですもの。

それが、この度のイギリスのEU離脱で、またぞろアイルランド共和国と北アイルランドが

どうなるのか、不安を醸し出しています。

だからこその今回の「アイルランド島の旅行を今のうちに」という私の気持ちです。

 

これは”血の日曜日”で亡くなった人々の慰霊碑です。亡くなった人々の名前が彫られています。

 

 

読んで字のごとしのモニュメントです

 

聖コロンバ大聖堂

プロテスタント教会

5時過ぎていたので入館はできませんでした

 

方向を替えて

 

大聖堂のモニュメント

 

 

住宅の旗は大英帝国の旗と北アイルランドの旗です

 

 

北アイルランドの旗

 

大英帝国の旗

 

 

ギルドホール

城壁のすぐ外にあります

現在は市の公共建物です。

催し物のホールもあります

 

永遠に忘れてはいけないメモリアル・モニュメント

 

今夜はロンドンデリーに宿泊です。

 

 

 

 

 

 

 

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憧れのアイルランド旅行 ⑤

2018-09-09 15:51:01 | 日記

 

今日は夢にまで見たアラン諸島のひとつ、イニッシュモア島へフェリーで渡ります。

 

昨日、リメリックでシャノン川のジョン王の城のことを

いいかげんに書いてしまい、恥ずかしいです。ゴメンナサイ。

そこでメモを念入りに確かめてみたら、重要なこと(?)が記してありました。

アイルランドには”ヘイリック”というクリケットに似た競技があり、

この時期、大会で大騒ぎだったそうです。

スティックでボールを打つ、野球に似ている感じですが、今期はリメリックが

めでたく優勝して、町は大騒ぎでした。19日のことです。

家々の軒や車のウインドウに市旗を付けて応援合戦で大騒ぎです。

この競技の重要なことは、カトリック教徒しか参加できないということです。

つまり、北アイルランドやイギリス本土、スコットランドは参加できない、

アイルランド共和国だけのスポーツなのです。

 

なんで、ここで書くかというと、イニッシュモア島でその選手を見て

スティックやボールに触らせてもらいましたので。

 

8月21日  

イニッシュモア島へ

ゴールウェイのホテルの窓から眺めて

この湾を越えてフェリーでイニッシュモア島へ行きます

 

出発前に雨が降ってきました

 

前の日、エンジンが落ちたバスでこのまま行くというので、ビックリしました。

普通、ここでバスが変わるでしょう!

 

でも当たり前ですが、フェリーでイニッシュモア島に渡ると、

そこではマイクロバスが待っているというので、ホッとしました。

港からこの船に乗ります

後でわかるのですが、船から下がっている風船のようなものは

到着後にすごい音で海面に落下し、船を止める力になります。

 

船内の混みようったら!

イタリアの方が多かったです。

 

私はトレッキングシューズにノルディックポールと姿だけは勇ましいです。

なにしろ、乾いた石の上を歩くのですから。

 

激しく叩き付けるよな雨が窓から見える中、魚釣り船が通ります。

 

見えてきました、イニッシュモア島です。

イニッシュモアとはゲール語で”大きな島”という意味だそうです。

アラン諸島の中でも大きな島なんでしょう。

 

着いてすぐに、もう昼食です。早いんだからもう! 11時ですよ。

ムール貝とサーモンのクリームスープと海老フライとムール貝の卵焼きです。

スープはいただきましたが、フライは1/3くらい食べました。

パンがおいしかったです。飲み物は炭酸水です。

炭酸水は各国でいろんな言い方をしましたが、アイルランドでは”スパークリング・ウォーター”

と言います。

「コン・ガス」という国もあったし、「アクア」という国もあったし・・・

 

さて、満腹になったところでマイクロバスに乗ります。

ここで空が晴れていることに気が付きました。ラッキーです。

ここは、現地のほとんどの人がゲール語だそうです。

でも、ドライバーさんはゲール訛りの英語でした。

バスから見える島の景色

牛さんたちがノンビリ草を食べています

 

 

ドン・エンガス

さて、いよいよ見えるドン・エンガス!

ドン・エンガスは厳しい崖で、ここへ登るのは覚悟が要ります。

でも、私にはトレッキング・シューズとノルディックポールがあるのです!!!

 

この道、なだらかのようですが、道は石灰岩がゴロゴロでまともに歩けないのです。

クロムエルがこの島へ来て

「ここは拷問をしようにも水もない、処刑しようにも木もない」と言ったとか。

 

ドン・エンガス頂上

足をつかんでもらって下を眺める、というのが定番らしいのですが、

足元が岩ではなく脆い石灰岩で、私にはその勇気がありませんでした。

 

 

 

このトンネルをくぐって下に降りて帰ります。

来たときもここをくぐってきたのです。

鉄の扉は強風の時に閉めるんじゃないでしょうか。危険ですもの。

 

さて、元来た道を帰ります。

夫に感心されるほど健脚ぶりを見せてやりました。

バスが待っているところまで降りて来たら、行くときにも元気が無かった馬が

まだ元気がありません。

馬車の車を付けられながら、しょんぼりしています

私たちは、マイクロバスですが、港から馬車の人たちもいるのです。

馬方の男性が言うには 「今日は元気が無くてずっと拗ねてるんだよ。」

だそうですが、馬だって働きたくないときもあるでしょう。

可哀想だなぁと思いました。

私たちはマイクロバスに乗り、港まで帰ってきました。

港近くには、アラン地方独特のアラン模様編みの羊毛セーターを売っています。

もう、ここで編んでいることはなく、本土で編んでいるそうですが、

やはり買いたいよね、ということで、夫のセーターとハンティング帽を

買いました。

そしてお留守番をしているKUUちゃんにも こんなものを買いました。

赤ちゃんのケープですが、アイルランド羊の毛で出来た”お眠りケット”として買いました。

 

裏はこうです。

 

ここでモミモミと足踏みをしてからオネムします。

今まではムートンでしていましたから、これも気に入ってくれるでしょう

同行の皆さんに笑われました。「お孫さんのかと思った」ですって!

 

港に集合する道を歩いていたら、

何やらスティックとボールを持って談笑している男性を見ました。

あれはヘイリックの棒じゃない?ということで、その男性に話しかけました。

「そうだ」ということで、ちょっと拝借しました。

夫が軽く振ってみたら、「うまい!」とお世辞を言われていました。

ボールは硬式テニスボールのような大きさと硬さでした。

男性は選手だそうで、私たちが「頑張って!」と言うと

「サンキュー!」とニコニコ。 楽しい交流でした。

 

港からフェリーに乗り、待っていたバスに乗ってホテルに戻りました。

 

今日はこれだけですが、ここへきて疲れが出てくる、この度の旅です。

このホテルもステキなホテルで、体を休めるのにホッとするホテルでした。

このアイルランドの旅行もぐるっと回って島を半分回りました。

だいたいアイルランド旅行というと、旅行社では首都のダブリンに着き、

飛行機か電車でゴールウェイに着くという設定が多いものですが、

私たちはグルッと島を回るのですから、大がかりです。

そして楽しんできた旅行のまだ途中です。

 

ゴールウェイの夜

ゴールウェイは世界中から観光客が集まる人気の町だそうです。

街の中には歩行者天国などがあり、たくさんのストリート・ミュージシャンが

演奏をしていて、それを取り巻く若者がまたすごいのです。

 

 

ここにはリンチ城という中世の跡が残り、それが、完全に娯楽スペースの一部なのに驚きました。

 

城壁があった時の地図です

 

街中ではパブが立ち並び、同行者の中には「史跡などどうでもいい、飲むんだ!」と言う人もいて

楽しい時間の過ごし方をしました。

ケネディー元アメリカ大統領が来たという記念のケネディー・パークもありました。

 

さぁ、ホテルに戻ります。

 

 

 

 

 

 

 

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憧れのアイルランド旅行 ④

2018-09-08 10:23:00 | 日記

 

〇  8月20日 

ステキな思い出を残してくれたキラニーニーのホテルにサヨナラして

8:00にホテルを出発。

この日は朝から快晴!

しかも気温が20℃もあるのです。

それでも私たちはそれを信じることができずに雨具の用意をしました(笑)。

バスは”アイルランドで一番可愛い”と言われているアデア村を目指します。

1時間半ほどで到着

茅葺き屋根が特徴なのです。

人は住んでいるようですが、確実に観光として開放しています。

この写真の右横に火事で焼失した跡がある茅葺き屋根の家がありました。

維持するのは大変でしょう。

 

ついでに街を散策しました。

広いです。何にもない広い場所っていう感じです。

大きな木に囲まれた教会のような建物があり、そこは現在学校でした。

今は夏休みなので校内を開放して見学させてくれるという看板が出ていました。

この大きな木は菩提樹だそうです。

 

バスが待っている所まで歩いた道にも大きな木が並びます。

アイルランドはどこでも大きな木ばかりです。それも自然に成長している感じです。

これも菩提樹です。歩いている人と高さを比べてみて!

 

予約していたレストランで早めのランチです。

今 朝食を食べたばかりで食欲がありません。

やはり、ひよこ豆のスープが前菜。ひよこ豆のスープは、どこでも出ますね。

出来るだけ食べなければ・・と思ってスープを頑張って完食しましたが、

メインにチキンが出てきて「ごめんなさい」です。

デザートはアイルランドのお酒入りケーキということで、これは完食!

ゲンキンなものです。

 

ホントに田舎の素朴な町というところで、小さなお土産のお店が並んでいました。

その1軒で、私はアイルランド民謡のCDを2枚買いました。

アイルランドで買ったアイルランド民謡のCD、これ意味があるでしょ?

 

さて、これからお待ちかね、モハーの『断崖』へ行くのですが、

途中でとんでもないアクシデントに見舞われました!

アディアからリムリックへ向かう途中にシャノン川という川があり、お城が見え、

それはジョン王のお城だそうですが、満腹でウツラウツラしていた私には

どんな由緒のあるお城か、さっぱり覚えていません。

ねっ?川の傍にあるでしょ?ぐらいです。

 

またウツラウツラしていると、なんだかバスのエンジン音がスーッと消えていくような気がして

バスが停まりました。

見ると細い三叉路の ど真ん中でバスが留まっているじゃないですか!

「えーっ!!」と思っていると、ドライバーさんが慌てふためき降車、

私たちもどよめきました。

後続の多数の車、他の2本の道路からもワンサカやって来ている車・・・

でも日本のように煩くクラクションを鳴らす人は誰もいないのです。

みんなが唖然としている感じです。

そこへどうしたのか『24時間カートラブルサービス』と書いた車が横付けになり

みんなびっくりです。誰も連絡していないのに・・・

いや、それともこの中の多数の車の誰かが連絡したのかも・・・

ということで、解決を待つ私たちなんですが、私たちのツアーの仲間の男性二人が

三叉路とバスの後ろへ行き、なんと交通整理をし始めたのです!

それに従って、苦情も言わず整然と車は走って行きます。これにも驚きでした。

添乗員さんは「これはタクシーを呼んで、モハーまで行くしかないか」と考え

バスを降りたら、たくさんの野次馬のひとり、現地のおばちゃんが

おばちゃん「大変ねぇ。何処から来たの?」

添乗員さん「ジャパンです」

おばちゃん「このカードを使ってよ。タクシーが少しは安くなるわよ」

添乗員さん「わぁ、助かりますぅ」

おばちゃん「それで、日本人は交通整理もするの?」

感心されたそうです。

とか、言っているうちに、どこが悪かったのか、無事バスの故障は治り

発車することができました。

現地の皆さん、ご迷惑かけました、そしてありがとうございました。

そう言えば、4月に行ったアルメニアでもバスのタイヤがパンクし

迷走して工場を見つけて直してもらったことがありました。

日本と違い、外国の車は車検もなく、買ったままずーっと乗っているそうで、

故障は当たり前のことかもしれません。

 

モハー到着

 

家族連れで大変な人の数です。

中央に何やら登る道があり、ここを登って断崖まで行きます。

 

やって参りました!ここが「アイルランド」というとこの写真!というほど知られた

『モハーの断崖』です

小さく人が写っていますが、あんな所までは行きません。

ここから、アザラシが泳いでいるところも見えますし、十分です。

今日は晴れて本当に良かった!と思う瞬間ですね。

 

 

更に歩いて塔まで登りました

大西洋の海が青くて広~い!

 

 

もっと近く断崖を眺めました。

 

ここで少し時間を取り、お土産物の物色です。

娘にアイルランド・パブ料理の本を買ったり、CDショップがあったので入ったら

ハイ・トーンの美しい女性の声で『ダニー・ボーイ』が聞こえ、

その人は新譜を出したばかりのようでした。

大宣伝と、聞こえる美声に誘われて1枚買ってしまいました。

『ダニー・ボーイ』もアイルランドの代表的な音楽ですね。

 

さてさて、バスは快調に(?)次の目的地へ。

途中の広々とした、この光景は何と表現したらいいのでしょうか。

 

 

『バレン高原』へ到着です。

アイルランドの原語”ゲール語”で「石の多い場所」という意味のバレン。

2億6000万年前に起こった地殻変動で海底から押し上げられて石灰岩が

広がる光景となったそうです。

 

巨人のテーブル

 

方向を替えて

こちらの方が一般に広まっている図です

 

更に私は巨人のテーブルから振り返って、この石畳を写してみました

この石は石灰岩でしょうが、つるつるに滑って危ないのです。

どなたかへっぴり腰で歩いています。

 

どこか異星にでも来たような殺風景な場所から、アイルランド西部の人気都市と言われる

ゴールウェイに向かいます。

バレンからみると、この景色は緑、緑です。

 

 

ゴールウェイのホテルで連泊します。明日は念願のアラン諸島に船で渡ります。

 

ホテルのロビーにあったピート(泥炭)です。

アイルランドでは、まだこのピートを使って暖を取ります。

 

このホテルが、また素晴らかったのです。

ホテルでの夕食ではビールをたくさん飲みました。

アイルランドの地ビールはエールが主流だそうです。

スミズィック、キルケニー、カブリース、とてもおいしかったです!

中でもスミズィック(Smithwick)は最高の味でした。う~ん、また飲みたい!

 

 

 

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憧れのアイルランド旅行 ③

2018-09-07 10:16:01 | 日記

 

8月19日 ケリー周遊路を行く

朝から小雨です。

さぁ、これから絶景を観に行くのにどうなることでしょう。

が、バス運行からしばらく経って、空は晴れてきましたので期待が膨らみます。

途中、大きな羊(それが牛のように大きいのです!!)が道端に居て

それを率いている老人が有料で写真を撮らせているのです。

背を向けた老人と、ツアーの皆さんが写真を撮っているのが見えます。

穏やかに微笑んだような羊と、それをメシの種にしている老人に「なに?」

という違和感を感じて、その羊には目もくれず、

少し離れた場所でジッと座り込んでいる茶色のわりと大きい羊をパチリ!

黒い斑点があり、その色にKUUを思い出しました。

KUUはどうしているかなぁ。

「おかあちゃま!」と鳴いてないかしら? エエ~ン(これは私)

 

空の色

晴れた空に黒雲が覆ってきます。これがアイルランドの空です。

やがてシャワーの雨が降ってくるのです。

 

私たちはケリー周遊路をキラーニーから左回りに回ります。

現在バスはこのコース、乗用車と自転車は右回りと決められているそうです。

混雑を避けているのでしょう。

 

途中、ヒースが一面に咲いています。

この季節、ヒースの満開がウリでもあります。

そういえば、ガイドさんによると、アイルランドの8月は秋だそうです。

8・9・10月は秋、11・12・1月は冬、2・3・4月は春、5・6・7月は夏

肌寒いほどの気候は当たり前のことだったんです。

 

 

ケンメアへ

ここは予定をしてなかったのですが、急きょ添乗員さんの提案で

ここにあるストーンサークルへ行くことになりました。

何の目的なのか、わからず「ストーンサークルなのだ!」というものです。

 

 

小さなものです

 

ここから海岸線に戻りセントジョーンズ海峡を抜けてアイルランド島の南端へ

もうここから眺めるのは大西洋です。

この海が好きで、海を眺めるホテルにチャップリンが別荘として 毎年家族で滞在していたそうで、

そのホテルを覗きましたが、今はその部屋の名残はなさそうです。ーウォーターヴィルー

ホテルから眺める海(すでに小雨です)

この景色をチャップリンは眺めたのでしょう。

海辺にチャップリンが例の帽子スタイルで立っている銅像があり、

皆さん、チャップリンと腕を組んで記念撮影をしました。

 

 

この日の昼食は予約したレストランです。

驚きません?

豆のスープの前菜に続いて出てきたのは、左はバスケットではありません。深皿です。

深皿からはみ出しているのはワラジのようなフィッシュの揚げもの、、

その下にはひき肉、またその下にはガッポリとマッシュポテト!!

右は日本で言うポテトフライです。その幅2cm、長さは10cmあったでしょう。

『フィッシュ&チップス』の豪華版(!)です。

私はジャガイモもポテトフライも苦手ですが、フィッシュの揚げものが大の嫌いです。

というか、これに使うコッド(日本語:タラ)が嫌いなのです。

いやぁ、さずがにため息をついて、炭酸水を飲むのみでした。

見ただけで満腹になって、申し訳ないけど、そのままお返ししました。

そういえば、昨日のお昼もフィッシュ&チップスだったんです。

もう、かないませんね。

 

バスに戻ってさらに周遊路を進みましたが、車窓からディングル湾越しに

ディングルという街が見え、ここは映画の撮影によく使われる土地だそうです。

ここだけではなく、絵になるのか、アイルランドではそういう場所が多いです。

霧の彼方に見えます。晴れていたら嬉しかったけど・・・

 

ここからバスは半島東部の山岳地帯に入ります。

雨の中でも羊は草を食みます。

体は真っ白で顔は真っ黒の羊です。

マルマル太って、やがて肉として人間の口に入るのでしょうか。

 

バスは一路山の中へ。でも、あたりは霧で真っ白。何も見えません。

ところが、添乗員さんが「残念ですが、ここがビューポイントです」と言って

苦笑しながらバスを降りた途端!!です。

サァーっと霧が晴れたではありませんか!

「日ごろの行いがいいとこうだね」と皆さん仰る(ガハハ)

 

羊は持ち主を表すために真っ白な体に赤や青のインクをかけられています。

 

そして、ここが ウリの『貴婦人の眺め』(レディース・ポイント)です

 

 

ふ~んという感じです。

なぜ『貴婦人の眺め』というのかと言うと、ヴィクトリア女王がここへ来たとき

「あ~ら綺麗!」と言ったことからだそうです。

 

帰ろうかとしたら、またまた霧、そして小雨です。

バスは一路、元の町キラーニーへ戻ります。

 

バスから眺めたこの辺りの家々です。

これは新しい家ですね。

 

 

すっかり疲れて、昨日と同じホテルに戻り、ホッと一息です。

 

明日は「アイルランド」と言えばここ! という『モハーの断崖』へ行きます。

このステキなホテルとも今夜でお別れです。

 

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憧れのアイルランド旅行 ②

2018-09-06 10:04:49 | 日記

            

 

②の旅行記に入る前に、①へのコメントでジャガイモ主食説についてお問い合わせがありましたので

そのことに触れたいと思います。

 

アイルランドは永いことイギリスに支配されてきました。

16世紀以前のことについてはこれからの遺跡訪問で記していきたいと思いますが、

16世紀、イギリス王ヘンリー8世が離婚をしたい、だが、カソリックの教義では

離婚を認められていません。そこでかれは新たに英国国教会という新教、つまり

プロテスタントの教義をもつ宗教を考えたのです。

そして、自らアイルランド王となることも宣言して宗教までも強いたのです。

そこから、長い現代にいたるまでの宗教戦争が続くのです。

1800年代中ごろ、ジャガイモの大飢饉がおこり、多数の餓死者が出ました。

餓死者100万人とも言われ、また100万人ほどのアメリカ移住者が出ました。

移民によって構成されているアメリカですが、Mcと名の付く人のほとんどが

アイルランドやスコットランド出身者です。

マクドナルド、マックィーン、マッカラム、などがその例です。

ケネディもアイルランド出身者です。

言い方は悪いかもしれませんが、このジャガイモ大飢饉がなければ、

アメリカの発展はなかったかもしれません。

上部地図にダブリンの上に『ニューグレンジ』という地名がありますが、

ここに『タラの丘』という場所があります。(終盤に行きます)

ここは”アイルランド人の聖地”と言われる場所で、ジャガイモ大飢饉によって

世界各地に散ったアイルランド人にとって”心”の場所で、現在も「タラに帰る」

という言葉があるほどです。

このジャガイモ大飢饉のときでさえ、イギリスからの援助はなかったとされています。

 

今は美味しいジャガイモが作られ、とてもおいしくいただきました。

ただ私は苦手な食べ物で、この旅行で一生ジャガイモを食べなくてもいいかなと

思うほど毎日出ました。

 

〇8月18日 キラーニー

宿泊したキルケニーからはバスで3時間半近く走りました。

この日は前日がウソかと思うほどの快晴でした。

それでも、突然雨がやって来るのがアイルランドの気候なので、傘の準備は

怠りません。

今回、夫と私はアウトドア用品の専門店から、本格的なトレッキング上着を買い、

それを準備していったのです。

これは優秀な製品で、シャワーのような雨には傘をささなくても上衣の上をサッと

流れてお終い、というありがたいものでした。

それでも大雨には敵わないと小さな傘も持って行きました。

快晴であっても、皆さんは雨の準備です。

 

国立公園を観光です。

ケリー周遊路を馬車で観光します。

私たちは15人と添乗員さんの16名で、2代の馬車に乗りました。

土曜日ということで、レンタル自転車の若者が多く、家族連れの散策者など

賑わっていました。

 

私が乗った馬車

とにかく緑が綺麗です

 

もう1頭の馬車です

 

樹木が大きく育って、見上げても見上げても木なのです。

日本的な感じがして思わずパチリ。これはアカマツでしょう。

 

湖は”上の湖”、”真ん中の湖”、”下の湖”と分かれています。

キラーニー国立公園があるところは”下の湖”にあります。

怪しい雲が出てきました。

湖と大きな樹木と、風景を満喫です。

 

ロス城

13世紀に建てられ、

1650年代にはイギリスのクロムウェルが遠征の最後に攻略したと伝わっています。

 

マクロスハウス

19世紀の建築です

この辺りの領主が造らせた邸宅です

 

馬車に乗ったり、公園内を散策したり、キラーニー国立公園というのは大きくて雄大でした。

今日は”下の湖”周辺だけの観光でしたが、明日はもっと広いケリー周遊路を観光します。

海に添った道を走り、渓谷に踏み入れたり、雄大なはずです。

 

今日は早い時間にホテルに入ることができました。

ここは最高のホテルでした。

部屋から望む景色

ゴルフコースがあり、下の湖が見え、絶景です。

夕食も美味しかったです。

 

 

この旅で初めて飲んだギネスビール。ドラフトです。500mlを一気に!

食事は3種の中からチョイスでき、

私はスターターに『ラムのフィレのステーキ  花付きズッキーニのラコッタチーズ含み』

メインは『オヒョウのムニエル』、デザートは『桃のアイスとコーヒー』を選びました。

 

食事はホテルでとると、平凡になりがちですが、今回はどこのホテルでも

数種からチョイスでき、「ディナーなんですから」と言わんばかりに

間が長くて、終わるのに2時間、というのがザラでした。

おまけに朝食は卵料理などは、その場でリクエストを調理してくれました。

私はボイルドエッグを食べたかったので探していると

調理担当のお姉さんが「作ります」というので目の前で作ってもらいました。

茹で時間まで尋ねられて「4ミニッツ」というと、好みのトロトロのゆで卵!

もちろん、目玉焼きの人もその場で作ってくれるのです。

温かいものは温かく食べられるように、という配慮です。

恥ずかしながら、こんなホテルは初めて体験しました。

このステキなホテルに連泊というのは嬉しかったです。

 

翌朝、出発まで時間があったので庭を散歩

緑も花も美しかったです。

 

明日はキラーニーの2日目です。

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憧れのアイルランド旅行 ①

2018-09-05 13:54:10 | 日記

8月16日~27日までの12日間、アイルランド周遊旅行へ行って来ました。

アイルランドという島はアイルランド共和国と英国領の北アイルランドにわかれていますが

かっては同じ国でした。

イギリスの勝手な宗教戦争により二か国に分断されていますが、心は同じケルトの国です。

 

アイルランド(IRELAND)

『地球の歩き方』(ダイヤモンド社刊)から写真をいただいていますが、

地図上に赤丸を付けた場所が行ったところです。

 

右横アイルランド共和国の首都・ダブリンから始まり、グルっと時計回りで旅をします。

8月16日 夜にダブリンに到着し、その夜はダブリンのホテルの宿泊。

この旅は〈ビジネスクラスで行く旅〉と銘打ってあり、ホテルも自ずとそれクラスの

スーペリアクラスホテルとなります。

明日から旅が始まるにふさわしく、一流のホテルでした。

ただし、ここは1泊だけ。つまり、長旅の疲れを癒すだけです。

ちなみに16日早朝にフィンランド航空で成田を発ち、ヘルシンキで乗り換え、

現地時間16日夜にダブリンへ到着しました。

早朝発とあって眠気ばかりで、飛行中は美味しい食事意外はフルベッドで快眠を取りました。

 

〇8月17日 朝食後にグレンダーロッホへ。

ロッホというのはLOCHと記し、スコットランドでもそうでしたが、”湖”という意味です。

レイクではないのですね。

”LOCH NESS”、これはネス湖です。(スコットランド旅行の時も書きましたが)

 

アイルランドの原語は基本的にゲール語です。

現在はほとんどが英語ですが、歳とった人はゲール語を話し、

英語を話す人もゲール語なまりの人が多いようです。

グレンダーロッホというのはゲール語で「二つの湖の谷」という意味だそうです。

 

アイルランドは別名『Rainy Island』と言われ、1年の80%雨が降ると言われています。

それに違わず、この日も大雨から始まったのです。

修道院群を散策します。

小雨から大雨に変わり、現地に着いたときは傘をささなければ歩けませんでした。

言い訳ですが、そんな中頑張って写真を撮ってきました。

修道院群の目印の鐘楼 30mです。

宝物庫やバイキングが来襲した時には隠れたところとされています。

 

聖ケヴィン教会

驚くほど急こう配の屋根ですべてが石堤で造られています。

ロマネスク様式がアイルランド人が入って来る以前の建物と言われているそうです

 

墓地

外国に見られる石板状の墓標と共に、アイルランドの象徴のハイクロスばかりです。

ハイクロスというのは十字架に丸い型が付いているのです。

驚くのは遺跡でありながら、私たちが行った日、墓を掘って埋めつつある葬儀中でもあったことです。

 

大聖堂の名残り

大聖堂と言いながら、ほとんど形を成していませんでした。

その中で、ケルト模様を見つけ写真を撮りました。

この曲線、ウネウネという模様、ここにケルトの確かな姿を見ることができました

 

さて、ここでアイリッシュ・シチューのご紹介です。

お昼に食べました。ラム肉とジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、オートミールの煮込みです。

ジャガイモは毎日出てくるのです。(苦手なのに・・)

写真の右上はごろんとしたジャガイモ、左上はマッシュポテトを丸く固形のジャガイモのように

してあるのです。どんな料理にもついてきます。ああぁぁ

 

キルケニーに移動します。

お昼を食べたレストラン

ケルト的に天井を装飾していました。ステキなボーイさんでした。

 

雨が上がり、美しい村キルケニーを散策します。

キルケニー城  

12世紀に建てられたアイルランド随一の美しいお城だそうです。

 

 

イニスショジ

近郊の8連アーチの美しい石橋を見に行きます。

 

橋も綺麗でしたが、対岸の馬の親子(?)が絵になりパチリとしました。

樹木も綺麗です。

アイルランドはどこへ行っても木々が美しく大きいのです。

手を入れている美しさではなく、自然に伸びている木々です。

雨が多いからでしょうか。

 

この日はキルケニーの素敵なホテルに宿泊です。

明日はいよいよキラーニーへ行きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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