みっく・じゃがの「ひとりごと日記」

日々思うこと、考えること、時には写真も

コロナ退治、安全とは?

2020-05-28 10:54:52 | 日記

5月28日  間もなく5月も終わろうとしています。

コロナ、コロナで明け暮れたひと月でした。

 

ベランダに咲いた鉢植えの薔薇2鉢。

真紅は夫から母の日にプレゼントされた薔薇、

薄ピンクは生協から「長年ありがとうございます」と

いずれも 昨年いただいたものが、今年も美しく咲きました。

まだいくつか蕾があり、しばらく楽しませてくれそうです。

 

今日は明るい陽射し。

間もなく梅雨がやって来るという季節になってしまいました。

 

政府は感染力が弱まっているとして非常事態宣言を解除しました。

テレビを観ていると、それでも諸手を挙げて喜んでいる人ばかりではないようです。

「また流行したら大変」と、不安そうに異口同音に言います。

そう簡単には喜べないのが現実です。

現に私が住む区では相変わらず感染者が増えています。

私が一番行きたいスポーツジムが”自粛”最中なので、

今までと変わらない日々が続きます。

 

今回の感染対策を巡っては権威主義国家が民主主義国家より優れた対応だった

という新聞記事が多く載っています。

ですが、強引な封鎖を強制した指導者の国が早く封鎖に成功したとは限りません。

韓国や台湾など民主主義国家なども感染拡大を押さえたと言います。

「言います」というのは、私が調べたわけではなく、報道だけなので

そう言わせていただきます。

日本は阪神大震災や東日本大震災を経験しているにもかかわらず、

この病気の感染という難関なことには遅れたしまったようです。

サーズやマーズの感染を水際で防いだという安心感があったのでしょう。

今回の事案を詳細に精査して、今後に役立てるようにしてほしいものです。

 

様子を見ていると、日本人は「民主主義とは個人の目の前の利益を優先すること」

だと考えているのではないでしょうか。

「個人の利益の前に立ちふさがるものは何にもない」と言わんばかりの言いぐさで

そのためには病気が蔓延するかもしれないから、ちょっと考えようという行動は

見られません。

「自分だけはいいかも」とか「子供がストレスを感じている」とか

言っている言葉をずいぶん聞きました。

「命が無くなれば何もできないのだ」という意識はないのでしょうか。

それは一人一人の行動にかかっているという思考力がないのです。

スマホのニュースでパチンコ屋経営者の話として

「経営を禁止することは憲法違反だよ」と言っているのを読みました。

国民の命のことを言っている時に、憲法を持ちだすのか!と呆れました。

政府は災害などの非常時に『強制措置』を取れるという法律を作らなければ

また同じようなことがやって来ると思います。

政府の横暴ではなく『強制措置』をとらなければ「命を守る」などの

『公共の利益』を守ることができないと思うのです。

 

否定をしてしてもコロナの発生源は中国に違いなく、それでありながら

マスクを独占するなど世界を翻弄し、貧しく力が弱い国には”援助”という形で

入り込み、なびかせてしまう。

世界は経済的に弱っているというのに、中国だけが勢いを増し、アメリカは

「アメリカン ファースト!」とトランプ大統領が叫び、自国主義を強めるのなら、

間に居る日本はどうなるのでしょう。

もう、日本はアメリカに頼ることなく、独自の経済・防衛を考えなくてはならない、

そんな『コロナ後』を考えなくてはならないと思います。

そんな時代に気弱になっているらしい(?)安倍首相で大丈夫ですか?

でも、他に誰ができるの?簡単ではありません。

 

私が住むのは東京都ですが、このコロナ騒動の最中に東京都知事の言動は

この未曾有のことより、自身の存在意識の方が強かったと思います。

最初は東京オリンピックのことで、そのためにコロナ対策が遅れたと思います。

やっと「コロナ、コロナ」と言い始めたら、今度はそれを次期都知事選に結び付け、

非常事態宣言解除も選挙まで引っ張るのではないかと思うほどでした。

毎日YouTubeで『コロナ情報』なるものを発信し、それらは何ら新しい情報ではなく、

選挙運動でもしているのかと勘繰りたくなるほどの露出でした。

いや、お見事と言うか、天晴れです。

予測では将来 日本のトップに立つおつもりだそうで、いやはや。。。

 以上、私の独善的な考えです。

 

私たちが毎日家でこもり、体操をすることに嫌気がさしているのはKUUです。

「まだ終わらないのぉ?」とふて腐れて見られていました。

もうすぐ終わるからね、もう少し待ってね。

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この頃の生活

2020-05-19 11:29:21 | 日記

政府が行動自粛を要請して、3ヵ月になろうとしていますが、

私の生活は、自宅にこもり、スーパーは週一に決めて、それなりのペースを

作ってきました。

 

”自粛”というこの言葉ほど重いものはありません。

新型コロナウイルスを撲滅させるために、生活行動を自分で決めて責任を持つ、

ということは、当たり前にできるようで難しいようです。

どんなに新しい感染者が出ても、街をうろつく大人と連れられている子供たち。

テレビで観る限りですが、「こんな人たちと暮らしている自分」に嫌気がさします。

そして「開いているから」と言ってパチンコ屋に並ぶ人たち。

気が付いていないんでしょうが、それら全部が自身の健康に結びついていることを

悟れないんだなぁと思っています。

すべて他人事、目の前しか見られない人たち・・こんな大人に育てられる子供たち。

たぶん、こんな”大人”の親もそんな人たちなのでしょう。

嘆かわしいです。

テレビでは『禁止』のテープを貼られた公園の遊具を見て泣く子供と

不平を言う母親を写していましたが、なぜ、こうなった事態を

子供に説明できないのでしょう。

子供教育のいい機会だと思うのです。

こんなことは度々起こることではありません。

おそらく未曽有の事態は、経済も混乱しているでしょうが、

それもこれもコロナを押さえつけることで、収束へとつながるのです。

特定の誰かだけが被害者ではなく、国も企業も個人もみんなが被害者なのです。

国単位で何万人の死者が出ることは大変なことです。

「私はこれがしたい」ではなく「みんなで耐えて乗り切りましょう」です。

 

時間がいっぱいできたこの日々、私はテレビをずいぶん観ています。

過去に放映されて知らなかった番組で、いいものがいっぱいあったようで、

こんなことがなければ観られなかったと思うとラッキーでした。

今朝はNHK・BS103で東京タワーの建築のことをやっていました。

高校の修学旅行で初めて上った東京タワー333メートルは

「こうやってできたのか」と感心することしきりでした。

工事の方々のすばらしさ・・あの頃、高いところに登る工事人は

憧れの職業だったと思います。

 

工事と言えば、最近 工事の面白いことに遭遇しました。

私の住むマンションは道路一つを隔てて、大手スーパーがありますが、

4月末から営業しながら店内外の改修工事に入っています。

ウチのベランダは絶好の見学場所で、昔 大工さんに成りたかった私には

嬉しくたまりません。

外側に足場を組む時、出来上がって眺めた夫は「あれじゃダメだろう」と。

夫はゼネコンにいて、新入社員で現場にやられ、突然の現場監督になったので、

そのあたりは並の見物人ではありません。

そして、翌日 洗濯物を干していると「こんなんでいいのか!」

と言う怒号が聞こえました。

続けて「落ちるだろう!こことあそこと向こうと止めろ!」

「バカ野郎が!」「こんなことも分からないのか!」「バカかお前は!」

もっと激しい叱責の声の連続で、こちらまで震えあがりました。(笑)

夫はため息と共に笑い転げていました。

・・・順調に工事も進み、一昨日、外壁の工事が終わったのか、朝から

足場解体の大きな音が聞こえてきました。

間もなく、例の”親方”の激しい言葉が大音声で響き渡りました。

「バカやろ!」「こんなことも分からないのか!」「脳みそが空っぽか!」と

その叱り方は人格なぎ倒しのおもむきですが、

夫は「危険なことを知らない人間が多くて、こんなふうに言わなければならない。

必要なことなんだよ」と言いますが、その凄まじさには笑っていました。

「棒は渡す方が『はい!』と大声で渡し、受け取る方は『はい!』と大声で受け取る!」と

大声で言われると、その通りに「はい!」「はい!」のやりとりがあり、感心しました。

こうやって若い者は覚えていくのでしょう。

街中での工事で上から落ちて来た棒が頭に当たり亡くなる人が出る事故が続けてあり、

こんなことを教え込まれていたら、そんなことがなかったでしょうにと思うのです。

 

夫は役員になっても見物に行った現場で、下請け会社の工事人の頭のヘルメットが

載っているだけなのを見つけて注意したことがあると言っていました。

「ヘアースタイルが崩れると言う理由できちんと被らない若者が多くて困る」と

現場では言っていたようですが、もし事故が起こったら、その責任は親会社にも

及ぶのですから、上のものがしっかりしなければなりません。

 

新型コロナウイルスの吹き荒ぶ中で、こうやって仕事に精を出す人たちもいて、

私たちの日常は培われていくんですね。

私の周りの勤め人の人たちは、今回 テレワークの人も多くいて、

これで仕事が成立していけば、これからの社会のルールも変わるかもしれませんね。

朝の電車のラッシュもなくなるんじゃないか、と期待しています。

 

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希望を言葉で要求する猫

2020-05-13 13:36:53 | 日記

コイツです!

 

我が家の猫・KUU(ベンガル4歳雌)は 自分の希望を猫語で要求するようになりました。

今までは何か”お願い”したいことがあれば、「ニャ~」だったのが、

最近、猫語にイントネーションがつき、いかにも要求する風情が顕著になり

私と夫を戸惑わせています。

例えば「ニャァ⤴アーン」というのは「ご飯をください」、

「ニャァアーアーアーー」(だんだん大きくなる)は「イヤだったらイヤ!」

「ニャッ、ニャッ」は「早くしてね!」

「ニャッ」は「おはよう」→これは催促ではなく挨拶

それぞれにイントネーションだけではなく、表情があり、目が物語っています。

顎を上げて言うこともあり、納得するのです。

ビックリして呆れて、今や、言うことにしたがっています。

そのうち、我が家の代表は私たちではなくKUUになるかもしれません。

 


コロナウイルスで自宅で自制の毎日を送っていますが、

染色家の先輩が「この時期はスキルアップしようと思う」とSNSに投稿しているのを

見て、”目から鱗”の想いでいます。

そうです、やるべきことはいっぱいあるのでした!

今日の朝のNHKBS103で、染色家の吉岡幸雄先生のアーカイブスを観ました。

植物染めに一生を費やした吉岡先生の生の声を聞き、その作品の美しさに

改めて心に何かが湧きだしてきました。

 

私は左手親指に重度の腱鞘炎を患い、染色や織り機に向かうことをやめて2年余り、

色々な場所で染めや織りの作品を見ているうちに「何かやりたい」と思う気持ちが

起こってきたところです。

吉岡先生の作品は、言うのもおこがましいですが、私の目指す色の頂点です。

もう、冬に出せる色の染色は遅いですが、温かくなってもできる色を出す作業を

しようと思っています。

 

昨年、母の日に夫から贈られたバラの花がそろそろ蕾をつけ始めました。

私は夫の母ではありませんが、最近は子供たちからは物品のプレゼントばかりで

花好きの夫には不満らしく、真紅のバラの鉢植えをプレゼントしてくれました。

間もなく2輪咲くでしょう。

 

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被害者意識

2020-05-08 10:36:21 | 日記

いつの間にか5月になり、気温も25℃近い日が続き、すでに初夏です。

夏が近くなってくると、我が家は掛物を替えます。

今回は夏が近いので『ひまわり畑』の絵織りです。(78×57)

明野(現在は北杜市になってしまった)のひまわり畑を写真で観て

絵織りにしたもので、2度目の個展に織ったものです。

素材は京都嵯峨野の手染め和紙を裂いて織りました。

この染め屋さんにはずいぶん通いました。

竹林を抜けたところにある小さなお店で、たくさんの色があるのです。

この絵織りは「観ると落ち着く」などと言われたりしました。

買取の申し出が何件かありましたが、夫が好きなので非売品とさせていただきました。

 

もうひとつはイタリアで観た景色を絵織りにしたものです。これも個展作品です。

ナポリのホテルの庭から眺めたヴェスヴィオ山です。

遠くに霞んで、今まさに雨が降りそうな右側の黒い雲、それでも陽の光が

微かに明るさを残している、印象的な風景でした。

『ナポリからヴェスヴィオ山を望む』(53×41)

どちらも「個展をやっていたのだなぁ」という時間の移ろいを感じる作品です。

 


 

4月6日まで緊急事態宣言であったのが、予想通り5月末までと延長になり、

政府は「事態が改善すれば5月中旬にも解除する」と言いますが、

それはどうでしょうか?

6月も安全とは言えない日々が続くと思っているところです。

 

なぜそう思うかと言うと、「外出を控えて」と言われながら、街には

人が溢れかえり、”自粛”とは言えない状況を呈しているからです。

私は自分の体の心配をしているのと、加えて”常識”を持っているから

スーパーへ週一で出かける以外は家に閉じこもっています。

たいして料理のレパートリーのない私でも、計画的に買い物をすれば

1週間ぐらいは籠れるものです。

 

スーパーに行くと、果物ひとつにも顔を寄せ合って相談しながら買い物を

している夫婦や、床を転げ回ったり走り回っている子供連れの夫婦など、

どうして日本はこんな大人ばかりいるようになったのでしょう。

 

また、テレビを観ると、人が少なくなった街を写し、

「こんなに人が居ない」とか商店の嘆きを「気の毒だ」という口調の

テレビ報道には苛立を覚えます。

政府が『緊急事態宣言』をして、外出しないように”要望”しているのですから

人が居なくて当たり前なのに、「寂しくなった街並み」のような報道は

おかしいでしょう。

また商店の「もう終わりだ」みたいな声に耳を貸すのもおかしいです。

辛いのはみんな同じで、それを耐えるのが今の事態でしょう。

だいたい、「借料も払えない」とか仰いますが、今までの儲けは?

自転車操業の毎日だったのでしょうか?

誰もが「いい時は当たり前」で、この状況を政治の悪さみたいに言うのは

厳しい例えですが”甘え”ではないでしょうか。

農業も商業もサービス業もいい時もあれば、悪い時もある、それを凌いで

頑張っていくのがそれぞれの”誇り”じゃないでしょうか?

なんでも保証金がもらえて、解決しようとするのは情けないです。

被害者意識ばかりが横行して、それを誰も言わない。

旅館業も中国御一行様に頼っていて、良い時はバンザイ!で、こうなることを

考えていなかったことは、国の責任ではなく、自身の考えの甘さだと思うのです。

 

酷い暴言ばかりかもしれませんが、こんな状況が情けなくて、もうこの国には

住んで居たくなくなります。

この先、どれだけ生きるのか寿命は知りませんが、短くて結構です。

あまり生きてはいたくないです。

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