身の周りに起こることで、愚痴を言ってもしょうがないことは知っているのですが、
この場所で吐き出してスッキリさせてください。
織りを始めて27年、いろいろありましたが、”織り”のことではなく、人間関係で
煩わせられることがいちばん参ります。
どちらかというと、私は織り機に向かってひたすら織ることが好きで、
他人に教えることは得意ではありません。
ですが、織りの教室に入って、「講師になってください」と言われ、それを承知し、
資格を取り、各地に講習に出かけるようになりました。
いちばん多いときで60人を前に一人で講習したこともあります。
器用な人、不器用な人、早い人、遅い人を目の前にして、毎回反省することが多く、
「教えるのは得意じゃないよなぁ」と思い知らされています。
今、一つのカルチャースクールで教えているのみですが、
カリキュラムを作り、初歩から徐々に力を付けて行けるように指導しています。
ほとんどの人が 疑問も持たず、それに沿って習ってくれますが、
時には「私はそこそこ織れますので、好きなことだけ習いたいです」と
申し込もうとする人がいます。ついでに「糸も自分で調達したい」のだとか。
最初にそういう人に出会ったときは驚きました。
私感ですが、カルチャースクールというのは「楽しんでみんなで同じことをする」
というものだと思っているのです。
それが自分だけはみんなと”別扱い”を望み、糸まで自分で調達し、その糸に合わせて
私にテキストを作れというのは、ちょっと違うのではないでしょうか。
そういう人はカルチャースクールの域を超えていると思うのです。
なので「それはできません」とお断りしたのですが、お帰りの際に窓口で
「自分のやりたいことを講師に断られた」と言って帰ったそうです。
私は事務局から「うちはどんな条件の人も受け入れるカルチャースクールなので
どんな人も受け入れてほしい」と苦情を言われました。
私は「今まで続けてきた人とのバランスもあるので、勝手な人は困ります」と
言いましたが、何も応えは返ってきませんでした。
教室の生徒さんたちも、その人が帰ったあとで「なんて勝手な人!」とか
「ああいう人は個人で習いに行ったらどうなのか」など激怒していました。
私は自分の行動が間違っていなかったと思いました。
ところが、先日「決まったカリキュラムではなく、好きなものを織りたい」
という人が現れました。
私「何を織りたいんですか?」
彼女「まずは娘のストールを織りたい」
私「どのくらいの大きさですか?」
彼女「40×200」
私「初心者だし、大きなものなので時間がかかりますよ。」
彼女「いいです。糸は自分で好きなものを買ってきます」
やりとりだけで嫌になってしまう内容です。
心の中で「こういう人は、すぐに止めるだろう」という想いが起こり
「いいですよ」と言ってしまいました。
織り機に触ったこともない人が、大きなストールを織り上げるには
強い根気がなければできるものではありません。
模様も何もない単調な織りは、嫌になってしまうものなのです。
ところが、この人の友人が、次の週に体験に訪れました。
おそらく「好きなものを織らせてくれるのよ」とでも聞いたのでしょう。
そして、この人も入会して さっそく「ブックカバーを織りたい」と来ました!
糸も自分で調達したいとか。
もちろん、初心者なのですから、織りの幅、長さ、すべて私が計算してやります。
それまでコツコツとやってきた生徒さんたちは何を思うのでしょうか。
気になりながら、私は「何も見ない!流されよう」と決めたのです。
ところが、すでに在籍している人たちが、次の作品を「パスしてその次にしたいです」
と言うようになったのです!
それを咎めることなど、今の私にはできません。
用意してきた教材は無駄になりました。
私がキッパリと自分のスジを通していたら、こんな流れにならなかったと思うのです。
身から出た錆とはこのことを言うのでしょう。
実は12月でカルチャースクールを辞めるつもりでいました。
そのことを事務局にも申し出ていたのですが、「考えさせてほしい」と言われ
次の行動が≪お薦めの講座≫という扱いで宣伝されてしまいました。
訪れたのはたった3人ですが、そのうち2人が生徒になった。。。
事務局から「先生、生徒さんが増えましたね」と笑顔で言われて、
応えようがありませんでした。
このブログのタイトル『流れに流されると起こること』 このことです。
白黒はっきりとして生きてきたのに「どうでもいい」と思うようになると、
思わぬ苦痛がやってきます。
歳をとったせいでしょうか。
愚痴はこれにて終了!
KUUの存在は心の癒しです