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女たちのシベリア抑留 小柳ちひろ 著
終戦直後のソ連軍侵攻で、満州や樺太にいた日本の軍人や民間人,約60万人がシベリアに抑留された。
その中に数百人の女性がいたという。。
この本は、2014年8月12日にNHKで放送された「BS1スペシャル 女たちのシベリア抑留」の取材をもとに
書き下ろした、ノンフィクションです。
当時、満州に従軍看護婦として病院に勤務していた若い看護婦たちが捕虜として捉えられた。
シベリアの収容所を転々として、医療業務や雑用などソ連軍管理課のもと何年も労働を強いられたのだ。
極寒と飢え、、時にはソ連兵に「女を出せ」と言われ、身の危険はいつも死と隣り合わせ。青酸カリのビンを
身に着けていた。
なんということだ。想像を絶する過酷な状況です。
太平洋戦争の混沌とした歴史の中で私達は知らな事実がたくさんあります
決して忘れてはいけないことだと思う。
一体誰のせい?
「シベリア抑留というようなことは、何もソビエトだけではない。戦争をした国すべて、人道に恥じないことを
やっていきたと胸を張って言える国など一つもないと思う」
これは
とても印象に残った言葉です。その通りだと思った。
終戦直後のソ連軍侵攻で、満州や樺太にいた日本の軍人や民間人,約60万人がシベリアに抑留された。
その中に数百人の女性がいたという。。
この本は、2014年8月12日にNHKで放送された「BS1スペシャル 女たちのシベリア抑留」の取材をもとに
書き下ろした、ノンフィクションです。
当時、満州に従軍看護婦として病院に勤務していた若い看護婦たちが捕虜として捉えられた。
シベリアの収容所を転々として、医療業務や雑用などソ連軍管理課のもと何年も労働を強いられたのだ。
極寒と飢え、、時にはソ連兵に「女を出せ」と言われ、身の危険はいつも死と隣り合わせ。青酸カリのビンを
身に着けていた。
なんということだ。想像を絶する過酷な状況です。
太平洋戦争の混沌とした歴史の中で私達は知らな事実がたくさんあります
決して忘れてはいけないことだと思う。
一体誰のせい?
「シベリア抑留というようなことは、何もソビエトだけではない。戦争をした国すべて、人道に恥じないことを
やっていきたと胸を張って言える国など一つもないと思う」
これは
とても印象に残った言葉です。その通りだと思った。
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