大雑把な日常

日常のあれこれ。

子宮がん検診でおもったこと

2013-07-04 | 日記
子宮がん検診の集団検診に行きました。
問診票を書きます。
最後の生理とか
出産経験とか
喫煙の有無とか
そこに
「性交渉経験の有無」
という項目がありました。

なんか関係あるのかな。
と思いつつ、
よくよく読むと
子宮頸がんは
性交渉が多いほどできやすい
と書いてありました。
ほほう。
自分は…まったく大丈夫だな!
と健康をのろいつつ
問診の部屋に通されました。

3人くらいの自分の母親くらいの年齢の
白衣の女性の先生が
つぎつぎと整理番号を呼んでくれます。
ひとりずつ
ついたての向こうに行き
問診票を確認してもらい
検診バスに乗るための注意事項を
説明される。

簡易なパイプ椅子と茶色のテーブル。
ふとテーブルの上をみると
ラミネートされた
A4の注意書きが目に入りました。

「性交渉の経験がない方は
 バスでの検診ができません」
といった趣旨のことが書いてありました。
なにやら
検査用の器具により
合わないと
傷つける恐れがあるため
バスでの検診には向いていない
とのこと。
専門の医療機関で検診を受けるように
と書いてありました。

ガーン!

恥ずかしながら
「性交渉経験の有無」は「有」にチェックしましたが
(今更、「無」にしたところで経産婦)
かぎりなく処女に近いと自分では思っているため
ここで
帰らされる女性の気持ちになり
暗い気持ちになる。
36歳で処女で
疎外感をここでも…。

よく読んだら
利用案内に個別検診を受けるように
明記されてました。
わたしだったら
たぶん読みとばして
うっかり行っちゃって
ショック受けて帰ってくるかも。

勝手な持論として
太ろうが痩せようが
整形しようがしまいが
結婚しようがしまいが
子どもを出産しようがしまいが
性格の悪さは
変わらない
ってのがある。
人間は
どんなに着飾っても内面の美しさ
才能
人への思いやりで
価値が変わると他人を見ていて思うから
結局
外見変えても変わらないのだ。
性格ブスは
美女になっても
ギャップでさらに醜く見える。
さらに
自分としても
戦うべき醜さは常に内包しており
いちばん痩せているときでも
その苦しさや幸福度は
なにも揺るがなかった経験がある。
それと同じで
セックスしようがしまいが
根本の人間は何も変わらない
って思っている。
セックスできないことで
卑屈になる
ってのは
たまたまそのことが餌になっているだけで
セックスできても
別のことを餌に卑屈になるのだ。
だったら
どっちでもいい。

え?
何の話かって?

だから子宮がん検診受けるときだけ
処女は気をつけて
卑屈の材料となりえるぜ!
ってことです。

コメント
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