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「君が代」不起立処分大阪府・市人事委員会不服申立ならびに裁判提訴当該15名によるブログです。

教育改革 子どもを「人材」とみるか?「人間」と捉えるか?

2014-05-11 23:30:16 | 中原教育長下の大阪の教育

教育改革 子どもを「人材」とみるか?「人間」と捉えるか?

子どもを持つ保護者は、誰しも今のままの学校でいいとは思っていない。教育改革が必要だと考えている。それは現場の教員とて、教育行政とて同じだ。しかし、学校からすでに縁遠くなった多くの市民にとっては、教育は漠然とした問題でしかない。自らの体験や子どものことを振り返れば実に様々な意見が出てくる。それはそれとして大事なのだが、まったく対極的な意見も多い。政治家にとっても教育は魅力的な「題材」かもしれない。誤解を恐れずに言えば、批判さえすれば一応の政策らしきものに見えてくる。まさに百家争鳴。世の中からはいろんな声が聞こえてくる。ところが、議論はかみあわない。立場がそれぞれ異なることもその一因であろう。親の立場、子どもの立場、教員の立場、行政の立場、企業トップの立場、労働者の立場、政治家の立場、塾など教育産業に携わる立場等々。あからさまに言えば、教育における「利害」が異なるのだから、そりゃあ、そう簡単に結論なんて出て来ない。

では、いったい何を軸にして教育を、教育改革を考えればいいのだろうか?

3月3日NHKクローズアップ現代「教育現場の“閉鎖性”を変える?~大阪・教育改革の波紋~」を観たとき、中原教育長が進めようとしている教育改革に違和感があった。

http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3470_all.html

そして、昨日、前から観たいと思っていた関西テレビザ・ドキュメント「みんなの学校」をようやく観ることができた。評判通り、いろいろと考えさえられる内容であった。

http://www.ktv.jp/document/cq50ge000001mjlu.html

前者は教育行政を主軸とした教育改革を描き、後者は大空小学校の教育実践いわば学校現場のルポである。そもそも視点が異なるのだから一概に比較することはできない。しかし、映像から感じる、この違いは何だろうと考えた。そこへ、昨夕は、報道特集でも特集「官民一体型小学校その是非」を観た。佐賀県武雄市の学習塾と提携した新たな公立小学校創設に向けての取り組みがおもに政治・行政主導のこれまでにない改革として紹介されていた。

http://www.tbs.co.jp/houtoku/

三本の公教育を題材とした番組を観て、当初の違和感がはっきりしてきた。それは、子ども観の違いである。大阪府教委中原教育長は、実際に府立高校を視察し高校生に質問すし、そして府立高校改革を進めていく。改革の旗手であることは間違いない。しかし、それは、子どもを「対象」と見たうえで、合理的に子どもを「分けて」教育する改革である。なぜ「分けて」教育を行うのか。子どもを「人材」として見ると、その方が合理的であるからだ。佐賀県武雄市長の教育改革も、どこもやらないことをうちがやると熱意はわかるが、地域住民すら戸惑うような小学校改革を政治力で一方的に進めようとするところに違和感があった。ここには子どもを「人材」としてみると同時に、市長にとっては学校そのものも政治改革の題材なのかもしれないと思えてくる。

さて、「みんなの学校」大空小学校では、いろんな問題が起こる。子ども同士、子どもと教員、きっと現実はもっともっといろんな問題が起こっているだろう。その都度、教員は奔る。校長はベテラン教員でもある。若手教員にかかわる。むろん子どもにかかわる。職員も地域もかかわる。それは決してマニュアル通りというわけではなく、生きた子どもとのかかわり合いのなかから、言葉や行動が生まれてくる。校長には、これまでいろんな子どもたちと接し対話をしてきたところから培われて来た子どもへの愛情が根底にある。そしてなにより、そこは一方通行で教員が子どもを「教える」場ではないこと。子どもたちは学び合う。子どもだけではなく、校長さえ、時には子どもの確かな感性に驚き、そして感動する。つまり大空小学校では、常に、それが教員であれ子どもであれ、人間と人間の双方向性の関わり合いがあり、その根底には人間に対する信頼がある。観ていてそれが伝わってくる。

教育に対する思いや要望は人さまざまである。厳しい躾を望む声もあれば、子どもの自主性にできるだけ任せたいという人もいる。しかし、どちらにせよ、人への信頼が根底になければ、子どもは育まれていかないのではないだろうか。三本の番組を比較すれば、学校現場と教育行政という立場の違いがあるにしても、中原教育長や佐賀県武雄市市長は、子どもを対象として見、社会の「人材」として育てていくには、という発想から出発しているように思えた。つまり一方通行のベクトルしかそこにはない。それは政治主導あるいは行政主導の教育改革であり、トップダウンで行われる。合理的でさえある。しかし、そのとき、大空小学校のような一人ひとりが作る学校の可能性は消えざるを得ないのではないだろうか。子どもらがかかわり合うなかで思いもかけないものが生まれ、失敗したり感動したりの世界は政治主導・行政主導の教育改革とは対極だ。子どもたちは「人材」ではなく、どの子も一人ひとり果てしない可能性を秘めた人間であり、教員でさえ、一方方向に子どもを導くことはできないだろう。対話が生まれるには信頼がベースになければならない。子どもが育まれていくときに最も大事なことは人間への信頼感かもしれないと思った。

かつて先輩教員から聞いた言葉「子どもから学ぶことがなかったら、この仕事(教師という仕事)はやっていかれへん」。教育改革において、子どもを信じず、教師を信じずトップダウンで子どもを合理的に「人材」として育む方法をいくら求めてもうまくはいかない。なぜなら、子どもは単なる「人材」ではないのだから。政治や行政がなすべきことは、子どもを信じ、教師を信じ、双方向のかかわりを学校に構造的に保障すること。そうすれば、学校は思考錯誤のなか、子どもや教員は悩みながらも考えていくことだろう。それはそう難しことではない。むしろ容易いことかもしれない。しかし、それが教育という営みの原点ではないだろうか。

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井前弘幸さんに対する府教委職務命令乱発攻撃への第一波抗議行動報告

2014-05-08 05:53:20 | 中原教育長下の大阪の教育

大阪ネット事務局の一員であり、府立高校教員の井前弘幸さんに対する職務命令乱発攻撃に対して、昨日(5月7日)、抗議申し入れ行動が行われました。私たちは、近々にさらなる抗議行動を起こします。

なお、井前弘幸さんは、「日の丸・君が代」強制反対ホットライン大阪の時代から、大阪の運動を牽引されて来た方のお1人です。1999年国旗国歌法が成立した後、大阪では、既存の組合の枠を超えて「日の丸・君が代」強制反対ホットラインが立ちあがりました。それが、今では全国ネットの一翼を担う運動体にまで発展しました。今回の職務命令乱発攻撃は、大阪府教育委員会が、さらに運動が広がっていくことを恐れてのことだと思います。それに対抗していくには、ぜひとも、多くのみなさんのお力が必要です。おって、抗議行動第2波を連絡しますので、応援よろしくお願いします。

「日の丸・君が代」強制反対・大阪ネット事務局長山田光一さんの報告

本日(5月7日)、20数名の参加のもとに、井前さんへの職務命令撤回の要求書を府教委に手渡し、読み上げるとともに、黒田代表よりさらに5点に渡ってこの職務命令の不当性を追求し、5月16日までの回答を求めました。
 
対応に出た武下氏はその内容を担当に正確に伝えることを約束しました。同時に本日、小谷・三輪弁護士より府教委(隂山委員長)に弁護士立ち会いのもとでの井前氏への事情聴取を実施することを求める申し入れ書も郵送されました。
 
今後、さらに大規模な第2波の抗議行動を行っていきたいと思います。参加されたみなさまにお礼を申し上げると同時に今後とも緊急の行動へのご参加・ご協力をよろしくお願い致します。
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中原教育長!井前弘幸さんへの「事情聴取の実施について」、撤回を要請します。

2014-05-04 08:54:02 | 中原教育長下の大阪の教育

 みなさまへの緊急のお願いです。

「日の丸・君が代」強制反対、不起立処分を撤回させる大阪ネットワークは、大阪府立高校教員であり、大阪ネット事務局の一員である井前弘幸さんに対して、大阪府教育委員会が4月30日発出した「事情聴取の実施について」の撤回を求めます。

 

事情聴取とは、任命権者が事情を聴取すると同時に当該が弁明する機会でもあります。弁護士の立ち合いを求めるのは、当該が不利益を被らないためにも必要な人権上の措置です。大阪府教育委員会は、理由も述べずそれを拒否し、「職務命令」をもって、弁護士立ち合い抜きの事情聴取を行おうとしています。

 

井前弘幸さんに対して発出された「事情聴取の実施について」は、職務命令を乱発し、明らかに恫喝しようとしています。これは、裁量権の乱用です。

 

下記は、「事情徴収の実施について」からの抜粋です。

 

職務命令を受けていたにもかかわらず…

 

職務命令に違反して…

 

出席するよう命じた

 

職務命令を受けたにもかかわらず…

 

先の職務命令違反と併せ、2回の職務命令違反を構成する…

 

2回の職務命令違反行為について…

 

3度目の職務命令違反行為となる…

 

職務命令乱発の「事情聴取について」

撤回要請抗議行動

◆5月7日(水)午後3時

◆大阪府教育委員会(大阪府庁別館)

アクセス

 

◎地下鉄谷町線・京阪「天満橋駅」3番出口から徒歩約10分

 

 3番出口をでて左(南へ)に曲がり、2つ目の信号(谷町2丁目交差点)を自動車販売店がある方へ渡ってから左(東へ)に曲がります。約80メートル進み、右折して直進すると右手側に別館正面玄関出入口があります。

 

◎地下鉄谷町線・中央線「谷町四丁目駅」1A番出口から徒歩約10分

 

1A番出口を出て右折(北へ)、そのまま約240メートル進み、ひとつめの角(向かいにローソン)を右折。
そして約80メートル進み、右折して直進すると右手側に別館正面玄関出入口があります。
※1A出口は改札をでて、真っ直ぐに約75メートル歩き、つきあたりを右折。
そのまま約20メートル直進し、左側にあるエレベーターをつかって地上にでます。(エレベーターまでは点字ブロックがあります)

 

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大阪府教委の怪文書~「命令」を出したのは誰なのだ?!

2014-05-02 15:07:24 | 中原教育長下の大阪の教育

東京都教育委員会ばかりではありません。大阪府教育委員会もまた、責任と権限がきわめて不明瞭な、つまりい怪文書としか言いようのない公文書によって、大阪ネット事務局の井前弘幸府立高校教員を恫喝しています。下記に掲載しますが、「大阪府教育委員会」名で出された一教員への「職務命令」などまったっく前例がありません。このような遣り方は決して許されるものではありません。私たちは、この文書の撤回を求めていきます。

大阪ネット事務局井前弘幸さんに対する不可解な「職務命令」

本年入学式で、大阪ネット事務局の井前弘幸さんは、「君が代」斉唱時、起立しませんでした。大阪府教育委員会事務局が求めた事情聴取の呼び出しに際し、井前さんは、弁護士の立起立いを求めました。しかし、府教委はそれを拒否し、4月30日、校長を通じて、以下の文書を井前さんに渡したのです。

そもそも、「事情聴取」とは、任命権者が事実を確認するにあたり、当該職員に弁明の機会を与えるために行われます。つまり、不起立が現認され、懲戒処分を前提として事情聴取が行われるなら、当該職員には当然、弁護士等を代理人として立ち合いを求める権利があります。

大阪府教育委員会は、その正当な権利を理由も述べずに拒絶し認めなかったのです

※参考

職員基本条例第26条第2項

「任命権者は、懲戒処分をするに当たっては、正当な理由がある場合を除き、当該職員に意見を述べる機会を与える等、公正かつ厳正に行わなければならない」

そして、それどころか、下記文書にて「職務命令」を盾に事情聴取を、弁護士の立ち合いなしで強行しようとしているのです。

この文書の発出元は、「大阪府教育委員会」とあります。しかし、一教員に、このような「大阪府教育委員会」からの職務命令が発出されるなど、まったく前例のないことです。

地方公務員法32条には、「上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない」とあります。しかし、これさえ、最高法規である憲法99条には「公務員にはこの憲法を尊重し擁護する義務」が謳われている以上、憲法に違反する職務命令には従ってはならないのです。

この場合、職務命令の内容が憲法に違反しているかどうかをおくとしても、「大阪府教育委員会」は教職員の上司ではありません。どの法律にあたってもそのような規定はありません。

2012年1月17日大阪府教育委員会は「教育長」より発出した「通達」を教職員への職務命令だと強弁ししています。これはもちろん問題ですが、それでも、その文書には「教育長」と発出元はありました。つまり、権限があるかどうかは別にしても、教育長の責任で文書は発出されたわけです。

ところが、今回の井前弘幸さんに対する文書には「大阪府教育委員会」としかありません。文書の責任はいったいだれにあるのでしょうか?文字通り「大阪府教育委員会」にあるならば、陰山教育委員の責任ということになりますが、此の間の教育委員会会議でもまったくこの件は出ていません。

いったい、この文書は、だれの、どのような権限と責任において発出されたものなのでしょうか?私たちは、この「怪文書」としか思えない文書の撤回を求めます。どうか、みなさん、支援をお願いします。撤回抗議日程はおってお知らせします。

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命令に従うことが教員にとって最も大事なことなのでしょうか?

2014-04-27 22:41:42 | 中原教育長下の大阪の教育

私はどう考えても納得できないのです。卒業式で『君が代』を歌えない・歌わないということは、そんなにいけないことなのでしょうか?

命令に従うことが、教員にとって一番大事なことなのでしょうか?

大阪ネットのメンバーが、情報公開請求により、本年卒業式『君が代』不起立処分に関しての大阪府人事監察委員会教職員分限懲戒部会の議事録を開示させました。

そこには、次のようなことが記載されていました。

(委員)

本人の信条は関係なく、これは職務命令である。信条で職務命令従えないというのであれば、教師になるべきでない。…従わない人は、担任を持たせないなどの対応を取るべきである。

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