グループZAZA

「君が代」不起立処分大阪府・市人事委員会不服申立ならびに裁判提訴当該15名によるブログです。

「君が代」問題新パンフと2・5総決起集会のご案内

2017-01-04 14:52:01 | 渡部通信
新年、第2報は、東京の渡部秀清さんからです。

以下転載〜

皆さん、明けましておめでとうございます。

今年はロシア革命100周年の年です。現在、世界各地では「愛国心」を前面に出した<ファシズム>と<保護主義>が台頭しています。社会主義陣営崩壊後の世界は、再び第一次大戦前夜のような時代になりつつあります。私たちは今後、<ファシズム>と<保護主義>との闘いを粘り強く進めることが求められると思います。

ところで、昨年末(12月18日)、
2017年版
「~卒業式・入学式の前に~日の丸・君が代について考える」というパンフが発行されました。
発行は<卒業式・入学式の『日の』『君が代』について考える保護者の会>です。

このパンフはわずか12頁のものですが、現在一般の人々が「日の丸・君が代」に関して持っている「素朴」な疑問に、昨年起きた、根津さん・河原井さんの最高裁確定判決や、アメフトのキャパニック選手の「国歌斉唱」不起立、なども紹介しながら、分かりやすく答えるものとなっています。

以下、質問項目だけを紹介します。

Q1 卒業式・入学式の君が代斉唱のとき、教師が起立を拒否して座っているのは、
   子どもたちに失礼ではないでしょうか?マナー違反ではないですか?

Q2 公務員なのだから、国旗・国歌を尊重するのは当たり前ではないですか?
   いやなら私立の学校に勤務すればよいのではないでしょうか?

Q3 一度、皆で決めたことは、従うのが当たり前です。
   それが民主主義ではないのでしょうか?

Q4 君が代は、たかが40秒程度のこと。それぐらい我慢すべきではないですか?
   また、不起立によって、周りの人を不快にさせるのはよくないのでは?

Q5 オリンピックでも国旗を掲揚し、国歌を歌うのは当たり前に行われています。
   入学式・卒業式も同じではないでしょうか?

Q6 ニューヨークの国連本部には多数の国旗と一緒に日の丸が掲げてあり、
   また、日本の学校の運動会では万国旗に日の丸がありますが、
   これについてはどう思いますか?

Q7 どこの国でも国旗・国歌は尊重されています。起立しなかったり、
   歌わなかったりしたら、罰せられるのではないでしょうか?
   また、卒業式・入学式でも国旗を掲げ、国歌を歌うということは
   普通にやられているのではないのでしょうか?

Q8 1999年に国旗国歌法ができたのだから、
   国民はそれを尊重すべきではないでしょうか?

Q9 最高裁で、君が代斉唱時の起立についての
   校長の教員への職務命令は合憲と判断されました。
   これに教員は従うべきではないでしょうか?

Q10 「日の丸」「君が代」に反対しているひとたちに愛国心はないのですか?

Q11 2012年につくられた自民党の憲法草案には、「第1章 天皇」の中で
   「第3条 国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする。日本国民は、国旗及び
   国歌を尊重しなければならない」とありますが、
   これについてはどう思いますか?

このパンフは2017年春の率・入学式に向けて、きわめてタイムリーなものになっていると思います。
一部、100円です。
是非、「日の丸・君が代」強制反対の方々に読んでいただき、周りの方々にも普及していただきたいと思います。

連絡先は、以下の通りです。
こちらから郵送します。(10部以上は郵送料は要りません)

①根津公子さん(取次) nedukimiko@ybb.ne.jp
携帯 090-3543-8743

②谷口和憲法さん(発行元) taniguchik@nifty.com
電話 042-559-6941

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
       2017年『2・5総決起集会』のおしらせ

<日時> 2017年2月5日(日) 13:30 集会開始 
<場所> 東京しごとセンター講堂(地下)
<主催> 都教委包囲首都圏ネットワーク
<内容> (講演) 北村小夜さん
           (91歳、治安維持法が公布された年に生まれたそうです)
         タイトル:「改めていま『教室から戦争がはじまる』」
       (現場から)
        ・「君が代」起立斉唱に抗う
        ・都立高校の教育をめぐって
        ・学校に入り込む自衛隊
        ・国威発揚の「オリンピック教育」
        ・道徳の教科化の内容
        ・戦争体制と治安弾圧 共謀罪新設の狙い他
       (行動提起)校門前チラシまきなど
<スローガン>
      ・10・23通達撤廃! ・「日の丸・君が代」強制・処分反対!
      ・道徳の教科化反対! ・国威発揚の「オリンピック教育反対!
      ・教育の軍事化を許さない! ・若者を戦場に送るな
<資料代>500円
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『コリン・キャパニックは日本人でなくてよかった』全訳!

2016-09-24 08:11:26 | 渡部通信
グローバリゼーション時代、皮肉なことに、世界中で国家主義(ナショナリズム)の嵐が吹き荒れているようだ。そのなかで一番特異なのが日本であることにいったいどれほどの人が気づいているだろうか?


渡部通信より転載
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
9月17日のメール(158)で、<アレックスの論 説と翻訳のお願い>を流したところ、<ツイッター「政治のお話」>さんを始め数人の方々から、修正や翻訳全文などが送られてきました。本当にありがとうございました。改めてこの取り組みに参加してくださった皆さんにお礼を申し上げます。

その中から、根津さんとも相談し、東京のHiさんの知り合い・田口俊樹さんが全文翻訳してくれたものを紹介することにしました。(<ツイッター「政治のお話」>さん>の翻訳中、二つの<段落省略>の部分も翻訳されています。なお、全文翻訳してくださった方は他にもおられました。)

Hiさんは田口さんについて以下のように紹介してくださいました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 彼は、エドワード・スノーデン(元CIA・NSA職員)が暴露した機密情報を著したグレン・グリーンウォルドの本「シチズンフォー・スノーデンの暴露」の訳者でもあります。(映画化もされています。ご覧になったかも知れませんね)田口俊樹に関してはWikipediaでも検索できます。元同僚・友人。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

以下に貼り付けます。適当に改行しました。添付ファイルをご希望の方はご連絡ください。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『コリン・キャパニックは日本人でなくてよかった』

 コリン・キャパニックがアメリカ国歌を拒否しても――今やこれに賛同して同じ行動を取る選手も出てきた――動じない人がひとりいるとすれば、それは六十代後半の細身の日本人女性、根津公子さんだろう。

 根津さんほど長期にわたって国歌を拒否している人は世界的に見ても例がない。元教師の根津さんは二十代の頃から国歌を軍国主義の象徴と見なし、国歌演奏時の起立を拒否しつづけ、そのためにこれまで罰金を科せられたり、半年にも及ぶ無給の停職処分を受けたりしてきた。そればかりか、演奏時間五十五秒の『君が代』に対する態度矯正のため、無数の再教育講習を受けることを強要されたこともある。『君が代』は天皇の統治が「さざれ石の巌となりて苔のむすまで」続くようにと願う歌である。彼女には、自宅周辺に右翼団体にやってこられ、街宣車で東京じゅうをつけまわされ、 「帰れ、帰れ」(そう叫ぶことで、彼女が北朝鮮出身だとほのめかしている)と大声を張り上げられた時期もある。郵便でカミソリの刃を送りつけられたこともあった。殺人を意味する昔からよくある脅迫である。

 要するに、根津さんの体験はキャパニックをはるかに凌いでいるということだ。にもかかわらず、彼女は彼に対してこれ以上ない同情を示して言う。「彼はまだ二十八歳です。彼のやっていることは選手生命を危うくするものです。わたしの行動がほんとうに職を失う危険をもたらしたのは五十代の頃のことで、
わたしの子供たちはすでに成人していました。だから(彼らには)自分の世話は自分でできました。わたしもまだ二十代で、家族を養う責任を負っていたら、わたしが五十代で取ったような行動は取れなかったでしょう。だから彼には深く感銘を受けています」

 アメリカ人の中には、キャパニックが国歌を拒否したことを何か新しいことのように思う人もいるかもしれない。しかし、国歌拒否など世界じゅうで常に起きている。スポーツの世界でもそれ以外の世界でも。国歌を聞く者がその国の現状を批評する際、国歌の持つ象徴的な価値観や理想主義的な歌詞(アメリカ国歌の一節「自由の地、勇者の故郷」などその好例だろう)が利用されるというは、しょっちゅうおこなわれていることである。

 こうした抵抗運動が興味深いのは、抵抗運動それ自体に関することだけではない。そのような事態の出来(ルビ、しゅったい)、さらにその抵抗が惹き起こす反応。それらはその国における国家主義の現状を大いに露呈させる。インドを例に見てみよう。国歌『ジャナ・ガナ・マナ』演奏時の起立を拒否したことで 映画界から追放された人物が、この二年間で数人いる。この歌はナレンドラ・モディ首相のもと、インドに国家主義が復活したことで、ますます大きな公的役割を演じているように見える。たとえば、マハラシュトラ(ムンバイのある州)では映画を上映するまえに国歌を演奏することが義務づけられている。それはケララ州などほかの州でも同様である。

 三十三歳のマヘク・ヴィアスは、偶然としても思わぬ巻き添えを食ったひとりだ。二〇一四年、ムンバイの映画館で南アフリカ人の恋人がインド国歌に起立しなかったことで、うしろに坐っていた観客から嫌がらせを受けた。彼が怒鳴り返すと、逆にひどく殴られた。ヴィアスは、この出来事がモディ首相のもとでインドを覆うこれまでにない空気と関係があるとは思っていない。「実際、ムンバイで国歌を演奏することを決定した政党は十五年前の国民会議派だったんだから」と彼は言う。しかし、そんな彼も、国歌に対するさまざまな態度がさまざまな場面で軋轢を生んでいるとは思っている。「国民の反応がいいということで、今はスポーツの試合のまえに国歌が演奏されてるけど、それはおかしいよ。会社に出勤したり空港に到着したりしたときにも、毎日国歌を歌ってるわけじゃないんだから。ぼくはインドを信じてるし、多くの国民が自由のために命を落としたという事実もそのとおりだと思うけど、だからといって、誰もが国家主義的態度をこれ見よがしに見せなければならないということにはならない。人に押しつけていいということにもね」

 イスラエルでも最近、国歌拒否問題が大いに注目を集めた。二〇一二年、サリム・ジュブラン最高裁判事が宣誓就任式において国歌『ハティクヴァ』を歌うことを拒否し、論議を呼んだ一件だ。ジュブランはクリスチャンであり、アラブ系イスラエル人でもある。だから「ユダヤの魂が……今もエルサレムの地を渇望している」と心から歌うことはできなかった。しかし、国家主義者はそんなことなど斟酌しなかった。
彼の態度への激しい批判がやむことはなかった。同様の論議は、セルビアや、サッカー選手が国歌を歌うことを拒否したフランスでも起きている。(極右政治家、マリン・ル・ペンは案の定、理由のいかんにかかわらず、国歌を歌わなかった選手の存在を政治的に利用しようとした。)

 しかし、国歌抵抗運動が最も長く続いているのは日本だろう。その歴史は第二次世界大戦時にまでさかのぼる。当時、国歌は天皇をカルト的人格に仕立て上げようとする明確な役割を演じていた。戦後、新たに教職員組合が結成されたが、そのスローガンは「教え子を二度と戦場に送るな」というもので、組合結成の目的のひとつが、学校の始業式や終業式に堂々と演奏される国歌に反対することだった。

 根津さんは子供の頃は喜んで『君が代』を歌ったと言っている。日本人であることが誇らしくてならなかったそうだ。「わたしたちは誰より幸運だと思いました。特別な行事のときにしか歌われなかったから、『君が代』を聞くたびにわくわくしました」しかし、大学時代、戦時中に中国や韓国で日本軍が犯した残虐行為を本で読み、自分には与えられている未来が戦時中の中国や韓国の人々には一切なかったことを知ると、起立などとてもできなくなった。

 教員生活を続ける中で、国歌に対する彼女の態度が問題視されることはほとんどなかった。それが一九九〇年代になると、政府は愛国心を育むことを狙いとし、さらには給与と関連づけてまで教員の起立を強制するようになる。その結果、対立が表面化するようになり、事態も緊迫する。そんな中、よく知られているのは一九九七年の事件だろう。東京北部のある学校(注:所沢高校)で、国歌斉唱のおこなわれる入学式を生徒たちが集団でボイコットしたのだ。この事件はその後数週間にわたって、彼らはほかの生徒の模範となる生徒なのか、それとも最も恐るべき日本の十代なのか、という論争を全国に巻き起こし、
事件を扱った“マンガ”まで現われる。

 根津さん個人にとって状況が一変したのは二〇〇三年のことである。この年、右翼扇動家、石原慎太郎を知事として頂く東京都は、同年におこなわれる入学式と卒業式において起立しなかった教員を処分することを発表した。(その後、大阪府も同類の右翼扇動家、橋下徹のもと、東京に倣った。)処分をちらつかされた教員はその大半がおとなしく服従したが、根津さんと数人の教員は断固拒否を続けた。そのため、まず一ヵ月の賃金カットを受け、次はそれが半年に延びた。そのあとまず一ヵ月、続いて三ヶ月の停職処分を受ける。あまつさえ毎年、別々の学校に異動させられた。その中には通勤時間が自宅から二時間もかかる学校もあった。どう見ても、管理者は彼女をひたすら退職に追い込もうとしたのである。

 日本の国民の大半がこのような粗暴な新政策を受け入れている事実は、おそらくこの国が国家主義に大きくシフトしていることを示しているのだろう――もっとも、教員たちの主張をきちんと理解している国民が数少ないという事実もあるが。つまるところ、戦後七十年以上も経ったのである。国歌は現在の大半の国民にとって、大いに敬愛する天皇の統治が地質学上ありえないほど長く(小石が岩に変わる!)続くようにと願う歌にしか聞こえていない。

 「家族はわたしの行動を受け入れてくれました」と根津さんは話す。「こういう母親だということはわかってくれていました。ですが、同僚の教員や友人の中にはわたしを排除しようとする人もいました。それがとてもつらかったです。それでも、わたしが弱気になると、誰かが支えてくれました。新たに起立を拒否する先生も現われました。それでわたしも頑張らなければいけないと思ったのです」

 都が管理締め付けに大成功を収めて以来、日本の空気は少しも変わっていない。〈ガーディアン〉紙によれば、今年の七月、ある元首相はオリンピック選手団に向かって 「大声で国歌を歌う」ように言い、歌えない選手は「日本代表の資格がない」と見なすとまで宣したという。安倍晋三が、国歌を歌うことは日本が本来持っている自信の証しだと訴え、今なお国歌を押しつけつづけているのもなんら驚くにあたらない。

 根津さんは二〇一一年に退職して以降も国歌から離れることができないでいる。現在いくつも法廷訴訟を抱え、受けた処分の撤回を訴え、さらに国歌に起立を強制することが思想、信条の自由に反することを立証しようとしている。

 キャパニックは根津さんの例からどんな教訓を得ればいいのか。アメリカにおける人種差別問題と、シンボルとしての国歌をどう扱うべきかという論争を世界的に巻き起こしたという点で、彼の目的は達せられた。そう考えるのが現実的な解答ではあるだろう。日本の戦争責任と『君が代』が国歌としてふさわしいのかどうかという点について、日本の教員たちは、七十年に及ぶ抵抗の中でそこまでの論争を惹き起こしてはいない。 根津さんにしても今のところ勝ったとは言えない。それでも、キャパニックが学ぶ教訓はほかにもあるはずである。それは人々が彼の抵抗にすぐに無関心になっても、だからといって抵抗をやめる必要はないということだ。

 キャパニックが学ぶべき一番の教訓。それは根津さんにとってはいささか散文的すぎるかもしれないが、それでも彼は学ぶべきだ、自分が日本人でなかったことをどれほど感謝すべきか。「この国でスポーツ選手が彼のようなことをすれば、チームから追放されるでしょう」と彼女は言う。「一瞬にして選手生命を断たれてしまうでしょう。だからこそ、わたしは自分が正しいと信じることを断固やり抜こうとした彼の決意に感動するのです」

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「コリン・キャパニック選手は日本人でなくて幸運だった」(『フォーリン・ポリシー』)日本語訳!

2016-09-18 21:42:56 | 渡部通信
日本語訳をしてくださった 「Twitter : @SeijiBanashi」様、ありがとうございました!


以下、「渡部通信」より転載

前号のメールでお願いしましたでアレックスの論説翻訳の件ですが、早速お二人から翻訳支援の連絡がありました。

そのうちのお一人からは、以下のようなメールが届きました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
辻谷です

渡部さんをはじめみなさんへ
渡部通信をグループzazaに転載しツイッターやフェイスブックでも日本語訳をお願いしたところ、ツイッタ「政治のお話」さんから訳が届きました。
また、フェイスブックで「友達」の愛知県の高校英語教員のMさんも3連休の間に訳すと言ってくださっています。Mさんにも送りましたが、「政治のお話」さんの訳を下記に貼り付けます。

以下転載~

こんにちは、以下が記事の翻訳です。文章は自由に訂正しても構いません。よろしくお願いします。

ーーーー
「コリン・キャパニック選手は日本人でなくて幸運だった」

もしある人がコリン・キャパニック選手、もしくは彼の抗議に参加している他の人達、の「星条旗」起立斉唱拒否抗議が特に特別だとは思わない人がいるとすれば、それはほっそりとした60代後半の日本人女性である根津公子氏である。

今は退職した元教師である根津氏は国歌を軍国主義のシンボルとして見ており、20代の時から国歌起立を居座り続けてきた世界で最長の国歌斉唱レフューズニック(命令に抗議する人)である。彼女は処罰され、ある一時は無給で6ヶ月間停職され、そして抗議したことに対して無数の再教育クラスに出席することが強いられた。

彼女が抗議した「君が代」、それは日本の天皇が「さざれ石のいわおとなりてこけのむすまで」君臨されることが求められる長さが55秒の歌である。右翼は時折彼女の家の外に現れて、街宣車で東京まで追っかけまわし、彼女に「帰れ」と叫んでいた(彼女は北朝鮮人だと言いたかったようだ)。ある時には彼女の郵便ポストには伝統的な殺しの脅迫であるナイフまでが送られた。

根津氏は、ある意味ではキャパニック選手よりもだいぶいろんな目に遭って来た。だが彼女は彼に対して同情にあふれている。彼女は、「28歳という若さで、選手生命を覚悟しての行為ですから。私が『君が代』不起立でクビを覚悟したのは50代半ばでしたが、その時、私はこの歳だから自分が正しいと思う通りの行為ができるのかもしれない。もしも、20代30代で家庭責任があったら、クビを覚悟で不起立を続けることができただろうか、と考えることがありました。だから、コリン選手の思いと行為に感動するのです。」と述べた。

キャパニック選手の国歌抗議は、多少のアメリカ人には斬新だと感じるかもしれない。 だが国歌とは実際には世界中でスポーツ界内でもスポーツ界外でも抗議されている。それらの象徴的な価値観や理想的な歌詞(星条旗の「自由の地 勇者の故郷」は適例である)は常に聞き者がそれを利用して国の状況に対する論評をすることを招いてきた。

だがそれらの抗議とはそれ自体だけが興味深いのではない:その出現、それに対して呼び起こされる反応が、それらの国のナショナリズムの状態がさらけ出される。今のインドを見てみよう。過去二年間で、複数の人達が国歌起立をしないために映画館から追い出された。インドの国歌「ジャナ・ガナ・マナ」は、
ナレンドラ・モディ首相の下で復興したヒンドゥーナショナリズムの公共な役割を果たしているようだ。
国歌を上映する前に流すことはマハラシュトラ州やケララ州では義務的である。

<段落省略>

<段落省略>

だが国歌がもっとも長い間抗議されてきた国は、日本である。それは第二次世界大戦まで遡り、国歌とは天皇を中心とした個人崇拝を築くために重要な役割を果たした。戦後には、「戦場に再び教え子を送るな」がスローガンとされた新しい教師の組合が形成され、そしてその創立目的の一つは国歌を拒否することであった。

根津氏は子供のころには「君が代」を喜んで歌ったと言っていた。彼女は日本人としてそれ以上の誇りを感じられなかった。「私は他のどの人達よりもずっと幸運だと思っていました。特別の時にしか歌われなかったから、いつも聞く度にワクワクしていました」。だが大学のころには彼女は戦時下の中国と朝鮮での日本の残虐行為のことを読み、それらの国々で亡くなった人達は自分にはあった機会を失ったため、もう起立することは出来ないと決めた。

彼女の姿勢は彼女の教師経歴の大半の間は、何も問題はなかった。だが90年代に、政府は愛国心を培おうと、そしてそれを経済的な成功にまで結びつけ、 教師に起立させることを強制させようとした。それには、さまざまな発火点があった。 特に1997年の時に、北周辺の東京の学校で国歌が流された途端にこども達が一斉に立ち去り、それについては何週間も全国的に、そのこども達は模範的な存在なのか、それとももっとも最低なティーンエージャーなのかと言う議論が促された。彼らについては漫画でさえが描かれた。

状況が根津氏に対して変わったのは、2003年のころだった。同年に、東京都政府は、右翼の扇動者である石原慎太郎が指導し、もし教員が学校の新学年の始業日と卒業式に国歌起立を拒否すると、処罰すると言った。 (同じく大阪では右翼の扇動者である橋下徹の下でそれに追従した)。殆どの教員はそれに従ったが、根津氏と他の一握りの人達は何としても拒否を続けた。 彼女は最初は1ヶ月減給され、そして6ヶ月減給された。そして1ヶ月停職処分され、後に3ヶ月停職処分された。そして毎年、まるで彼女を退職させるためかのように、たまには家から2時間の通勤がかかる所にまで彼女には遠隔地の転勤命令がされた。

このような厳しい政策が殆どの日本人に受け入れられてしまった現実は、もしかすると日本がナショナリズムに傾倒しているのかもしれない。だが、それは殆どの人達が教員たちは抗議により一体何を主張していたのかが理解できなかったからなのかもしれない。戦争はもう70年以上前のことだった。国歌は、殆どの現代人にとっては、ただ地質学的に不可能な間の時間まで(石が岩に変わるまで)、愛されている天皇の君臨が続くことが促される歌である。

「私の家族は私が抗議することに何も問題はありませんでした。彼らは私のような母を持っていたことを知っていました。しかし、一部の教員や友達は私を除こうとし、それには大きな傷がつきました。でも、私が弱まっている時には、誰かが私を応援してくれたり、新しい教師が起立を拒否したりしたので、これからもずっと続けないといけないと思ったのです」。

日本のムードは東京で取り締まりの成功を収めた時期からは、変わっていない。7月に、元首相が「国歌を歌えない選手は日本代表ではない」と言い放った。安倍晋三が定期的に国歌を歌うことを推し進めたのは、驚くことではない。国歌を歌うことは、日本が自信を持つことのしるしとまで宣言した。

2011年に退職した後でも、根津氏は国歌を置き去りにすることはできない。彼女は彼女が受けた処罰を覆すために、そして国歌起立を強制するのは思想及び良心の自由の侵害なることを証明するために、
複数の裁判に関わっている。

キャパニック選手は根津氏の例からどのような教訓が得られるのだろうか?現実的な答えは、彼はアメリカの人種関係の状態、そして人々は国歌のようなシンボルをどのように扱うのか、と言う議論をグローバルに持ち出すことで、彼は彼が達成出来る限り達成つくした。日本の教師達はそのようなレベルの国の戦争の罪悪感や、国歌のふさわしさについての議論は、70年間の抗議の間では達成しなかった。だが彼が他の教師を習うとしたら、それは人々はすぐに彼の抗議に関して無関心になるが、それでも止める必要があるわけではないことである。

根津氏に対しては、キャパニック選手への主な教訓はややもっと平凡だ:彼が日本人ないことをありがたく思うべきだ。彼女は、「日本なら、即刻選手交代・追放とされると思います」と言った。
「だから、コリン選手の思いと行為に感動するのです」。

翻訳者: Twitter : @SeijiBanashi
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

これに対し、根津さんから
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
根津です。
ありがとうございました!助かりました。お二人にお礼の言葉をお伝えください。

なお、「特に1997年の時に、北周辺の東京の学校で国歌が流された途端にこども達が一斉に立ち去り、それについては何週間も全国的に、そのこども達は模範的な存在なのか、それとももっとも最低なティーンエージャーなのかと言う議論が促された。彼らについては漫画でさえが描かれた。」の部分は、2年前にインタビューを受けたときに私が話したことをもとに書かれたのだと思いますが、正確ではありません。1999年度の勤務校でのことだと思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
という返事があり、それに対し私から、以下のような返事を出しました。
=====================
辻谷さん、根津さん

辻谷さんありがとうございました。

根津さんが指摘しているマンガの件ですが、これは『共和か死か!』で所沢高校の生徒たちが酷いマンガに書かれたことではないかと思います。

その中で、「最も有名な漫画家の一人さえそれについて、服装倒錯の生徒たちがお互い『セックスは私の人権だ』と叫びながらレイプしていると特徴づけたコミック・ストリップ(訳注;特定のストーリーを一連のコマやイラストレーションにより伝える、漫画の形式の一つ)を描いた。」と言う部分があります。

ですから、訳文には注釈が必要かと思います。

渡部。
========================

というわけで、あっという間に訳文が届きました。皆さん、本当にありがとうございました。

なお、この訳文を利用する場合には、以下の注釈を入れていただくとありがたいです。

<注釈>
文中、漫画のことがでてきますが、これはアレックスの著書『共和か死か!~世界国歌の旅』(2015年)の中で、所沢高校の生徒たちの「日・君」強制反対闘争(1997~1998年)を紹介するところで出てきたことで、そこには
「テレビ取材班は経過を報道するために学校の外に泊まり込み、
新聞は『この学校の問題なのか、またはこれらの生徒たちこそが
 日本が望む者なのか?』と問う社説を載せた。
 最も有名な漫画家の一人さえそれについて、
 服装倒錯の生徒たちがお互い『セックスは私の人権だ』と
 叫びながらレイプしていると特徴づけたコミック・ストリップ
 (訳注;特定のストーリーを一連のコマやイラストレーションに
より伝える、漫画の形式の一つ)を描いた。」
と書かれていました。
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根津公子さんからアレックスへの返事

2016-09-17 17:12:34 | 渡部通信
国歌を歌わない自由を巡って、今や国際的な問題になっています。アレックスの記事をどなたか日本語訳していただけませんか?

9月7日のメール「アベを倒そう!(155)<米アメフト選手の国歌斉唱拒否と根津公子さん>」で、 イギリス人のアレックス・マーシャルから、この問題で論説を書きたいということで、根津さんにコメントを求めるメールが届いたことを紹介しました。また、根津さんが返事を書くつもりだということもお伝えしました。

その後、根津さんは以下のような返事を書き、根津さんの教え子がすぐ翻訳してくれメールで送りました。(少し長いです)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
アレックスへ
 根津公子です。
ご著書で、日本の「君が代」問題について大きく取り上げてくださったこと、ありがとうございました。
強制の実態を国際社会に暴露してくださり、東京都教育委員会及び日本政府にはいい薬になりました。
 さて、お訊ねのことにお答えします。
1. 最近の状況
 「君が代」不起立処分取り消し訴訟において、2012年1月に出された最高裁判決は、「君が代」起立を求める職務命令は違憲とは言えない(憲法が定める「思想及び良心の自由の侵害」にはならない)
として1回目の不起立処分は取り消さなかったものの、2回目以上の不起立処分である減給・停職処分は処分が重すぎるとして私を除くすべての人々の減給・停職処分を取り消しました。
 しかし、唯一、私が受けた2006年・停職3月処分は取り消しませんでした。なぜ、一人だけ、しかも最も重い停職3月処分を取り消さなかったのか。私は1994年の卒業式の朝、「日の丸」を降ろしたことで、
また、「日の丸・君が代」について書いた学級だよりが「不適切」だった、或いは「日の丸・君が代」に触れた授業内容が「不適切」だったということで過去に何度も処分を受けていました。その、「過去の処分歴」が停職3月処分を取り消さない理由とされたのです。同じ理由で、2013年に判決のあった2005年・減給6月処分も停職1月処分も、処分取り消しにはなりませんでした。私の受けた処分はすべて取り消されないと思わざるを得ませんでしたが、奇跡が起きました。
 2007年に受けた停職6月処分ですが、2015年5月28日に高等裁判所は処分取り消しの判決を出し、そして、2016年5月31日、最高裁はこの高裁判決を全員一致で支持し、停職6月処分を取り消しました。
私はもちろん、誰もが、公子の処分取り消しはないと半ば諦めていましたが、稀にみる良心的な裁判官が担当してくれたおかげで、勝利しました。幸運、奇跡であり、歴史に残る判決だと強く思います。
 高裁判決は、「停職6月の次は免職」という東京都の規則を考えれば、「自己の歴史観や世界観を含む思想等に、より忠実であろうとする教員にとっては、自らの思想や信条を捨てるか、それとも教職員としての身分を捨てるかの二者択一の選択を迫られることとなり、(中略)日本国憲法が保障している個人としての思想及び良心の自由に対する実質的な侵害につながる」と判じたのです。実にラッキーでした。
 まだ、2008年停職6月処分、2009年停職6月処分の裁判が残っています。2007年停職6月処分が取り消されたからと言って、2008年、2009年処分が取り消されることにはなりませんから、
まだ裁判闘争は続きます。

2. コリン・キャパニック選手の国歌不起立不斉唱について
私はこのニュースを小さい新聞記事で知りました。
コリン選手の行為にチームが賛同しているとの記事でした。
コリン選手がなぜ、不起立不斉唱だったのかは書かれていなかったので
行為だけを知ったのですが、やはりアメリカにはこういう人がいるのだと思いました。

アメリカの学校では国旗を踏みつけた、胸に手を当てるのを拒否した等の行為が何件かあり、その処分は、憲法修正第1条を根拠に取り消されてきた歴史があるからです。でも、同時に、スポーツ界では選手を辞めさせられるのではないかと気になりました。 日本なら、即刻選手交代・追放とされると思うからです。
 そして今回松原さんが見つけてくれたインターネット記事を読んで、コリン選手が「黒人や有色人種への差別がまかり通る国に敬意は払えない」「差別は私にとってフットボールより大事なこと。見て見ぬふりをするのは自分勝手だ」 と発言したことを知って、痛く感動しました。28歳という若さで、選手生命を覚悟しての行為ですから。
 私が「君が代」不起立でクビを覚悟したのは50代半ばでしたが、その時、私はこの歳だから自分が正しいと思う通りの行為ができるのかもしれない。もしも、20代30代で家庭責任があったら、クビを覚悟で不起立を続けることができただろうか、と考えることがありました。だから、コリン選手の思いと行為に感動するのです。コリン選手の行為にチームが賛同したのが、また、いいですね。
 新自由主義経済破たんの中で、その鬱屈から人種差別が激しさを増している今日、コリン選手が発した問題提起をアメリカに住む人たちにはしっかり受け止めてほしいです。また、私を含め、国旗国歌問題がある国に住む人たちは、コリン選手の問題提起から学びたいものです。
                                    20016年9月7日
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

そうしたところ、「9月15日に発行された米国の外交問題隔月刊誌『フォーリン・ポリシー』」に
アレックスの論説『「国歌斉唱拒否」のキャパニック選手は日本人でなくて幸運だった!』が掲載されました。これについては、レーバーネットの松原さんから以下のような報告が
すでにメールで流されています。
==========================================

国歌強制問題。
キャパニック選手と根津公子さんのケースを比較した記事です。
世界から日本の右傾化がよくみえてきます。
http://www.labornetjp.org/news/2016/0916us

↓以下のサイトから同記事を読むことができます。
https://www.yahoo.com/news/colin-kaepernick-lucky-not-japanese-191749765.html

ところで、このメールを読まれている方にお願いがあります。私も、原文を読み、この論説は現在の世界情勢、国内情勢からみて、国際的にも、国内的にも波紋を広げる内容であり、また、日本における「日の丸・君が代」強制反対闘争にとっても大きな支援になる論説だと思いました。しかし、私の英語力(日本語力も)では正確にかつ素早く訳すことは出来ません。どなたか訳して下さいませんか。
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米アメフト選手の国歌斉唱拒否と根津公子さん

2016-09-07 11:16:11 | 渡部通信

今、アメリカで起こった国歌不起立について、国際的なニュースになっています。国家と個人の問題を考える上で、オバマ大統領を初めとするアメリカの世論の在り方はひじょうに興味深いものがあります。

それに比して、国歌起立斉唱の強制が大阪や東京の公立学校に対して、公然と行われているにもかかわらず、それが人権侵害であるという声は、日本では、まだまだ乏しいような気がします。

憲法上で保障された人権の問題として、今一度「君が代」強制の問題も考えてみる必要がありそうです。

「渡部通信」を掲載します。

アメリカンフットボールのコリン・キャパニック選手(28)が8月26日に行われたプレシーズンマッチで試合前の国歌斉唱でベンチに座ったまま立ち上がらず、起立を拒否しました。

このことに対し、一方では多くの批判が出ているようですが、他方では彼を支持する声も多数出ているようです。これについて、詳しくは以下をご覧ください。

<「選手生命を絶たれてもいい」
  米アメフト選手が国歌を歌わなかった理由 が深い>
spotlight-media.jp/article/322174672729394863

この中では、意外にも米軍人たちが彼を支持し、
 「Twitterでハッシュタグ「#キャパニックを支持する軍人たち(#VeteransForKaepernick)」 を作られたマーカス・ニューサムさんは、2000〜2011年までの11年間、陸軍で従軍していた元軍人の方です。
 キャパニック選手の行動が 「国の為に命を懸けるアメリカ軍の人たちに対して失礼だ」
 という批判的な意見に対して抗議をしたかったためハッシュタグを作られました。」
という事も紹介されており、「賛同する軍人であふれかえった」ということです。

また、彼の所属するフォーティナイナーズは、 「宗教や表現の自由をうたう米国の精神に基づき、 個人が国歌演奏に参加するかしないか選択する権利を認める」 と同選手の決断を尊重するとの声明を発表した。
 NFL(ナショナル・フットボール・リーグ)は声明で、演奏中に選手たちが起立することを奨励するが強制ではないと指摘した。ことも紹介されております。

さらに、米国憲法で「言動の自由」に関して規定されている条例も紹介されています。
 修正第1条 (信教・言論・出版・集会の自由、請願権)
 合衆国議会は、国教を樹立、または宗教上の行為を自由に行なうことを禁止する法律、
言論または報道の自由を制限する法律、ならびに、市民が平穏に集会しまた苦情の処理 を求めて政府に対し請願する権利を侵害する法律を制定してはならない。

なお、大統領選に出ているトランプ氏は、「他の国に行ってプレーしろ」とも言っていますが、
彼の2人の同僚もその後彼に共鳴し起立を拒否したようです。

ところで、「ひのきみ全国ネット」<首都圏>では、今年1月30日、イギリス人のアレックス・マーシャルが書いた 『共和か死か!~世界国歌の旅』(2015年)という本
 (「共和か死か!というのは、この本の最後に紹介されているパラグアイ国歌の題名です)
から日本部分を訳したパンフレット(頒価300円)を出しました。

そこには、日本における「君が代」強制反対闘争が紹介されており、その中で、根津公子さんの闘いが詳しく紹介されていました。

そのアレックスから最近、根津さんへのインタビューの手配をしてくれたレイバーネットの松原さんに手紙が来ました。その一部を以下に紹介します。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
I don't know if you've heard, but in the USA right now, an American
football player, Colin Kaepernick, is getting a lot of attention for
refusing to stand for the US anthem in a similar way to Kimiko.
(あなたが聞いているかどうか知りませんが、
アメリカで今、アメリカンフットボールのコリン・キャパニック選手が、
公子と同じように、アメリカの国歌に起立することを拒んで、大きな注目を浴びています。)

He ismaking a protest about race relations in the US.
(彼はアメリカにおける人種関係で抗議しています。)

I am trying to write an article about anthem protests around the world to
coincide with it and want to include Kimiko and the Japanese teachers
stories in it.
(私は、世界中でそれと同時に起きている国歌への抗議について、公子や日本の教員たちの物語を含めて、論説を書こうとしています。)

However, I was wondering if you could help with two
questions:
(しかし、私はあなたが二つの質問に助けてくれるか自問しています。)

1) What has happened to Kimiko lately? Has she been in court again?
( 1)最近公子に何が起きていますか?彼女は再び裁判で争っていますか?)

2) Has Kimiko heard of the Colin Kaepernick story and does she have any
comment on it?
( 2)公子は コリン・キャパニック選手のことを聞いていますか。そして、それについて何かコメントしていますか?)

Would you be able to help me with those questions? I realise you would
have to contact Kimiko, but I'd be extremely grateful if you could.
(あなたは、これらの質問について手伝ってもらえませんか?あなたは、公子と連絡がとれると思います。それが出来れば大変うれしいです。)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これに対し、根津さんは返事を書くと言っています。

アレックスがどのような論説を書いてくれるか楽しみです。
(なお、私たちが作ったパンフレットはアレックスに届いています。)

(追)
昨日(9月6日)「戦争させない杉並1000人委員会」では
久我山駅頭で12:00~13:00に
 ≪戦争法廃止!9・19国会正門前行動≫
の宣伝活動を6人で行いました。
その際、オリンピック教育批判のビラ『オリンピックってなんだ!』
も一緒にまいてもらいました。
今回は意外と受け取りがよく約100枚がまけました。
次回は9月13日高井戸駅前です。

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