11月26日は、グループZAZA連続講座、池田浩士さん講演会
『ファシズムとボランティア ~自発性から総動員へ~』
第4回“天皇制日本の「勤労奉仕」と「総活躍社会」
―自発性の動員と強制、そして一億国民が戦争を支える・・・でした。
110名余の参加者で、今回も大盛況でした。
参加いただいた方々、ありがとうございました。
前回、第3回目の講演で池田浩士さんは、ナチスは1933年1月30日に政権をとると、ヴァイマール共和国のボランティア(自発性)労働をそのまま継承し、積極的に活用したが、「戦争する国」作りと侵略戦争の遂行の中で、ボランティア労働は「労働奉仕」として義務化され、「戦力・労働力」として活用され、その過程は同時に「生きる価値のない存在」とされた人たちの抹殺であったことを明らかにされましたが、今回は、天皇制国家の日本では、「自発性から総動員へ」は、どのように進んだかのお話でした。
1931年満州事変→1932年「満州国建国」以後「割烹着にタスキがけ」の「国防婦人会」の自主的な「国防献金」運動、そして、農林省が「自発的な相互扶助」を古来からの「勤労奉仕」だと位置付け、文部省が小学生から「勤労奉仕」を正課とし(1938年)やがて「勤労奉仕」が「国民」の義務とされ(1941年)、こうやって「大東亜戦争」は勤労奉仕に支えられて遂行されていくことになった。
それを支えた御用学者と革新官僚・・・下松桂馬、近藤春雄、菊池春雄、森戸辰男は「ドイツの労働奉仕」を研究し、それを推奨した。とりわけ森戸辰男は「翼賛運動」と結びつけて「自発性の組織化」を考えた。彼らは失業対策・経済政策をこえて、「労働奉仕」の精神的意味づけをした。それは日本では「勤労奉仕」・・・「治天下(天の下しろしめす)天皇に仕える」のが「勤」であり、天皇に奉仕する「勤労」は喜びだと言った。
関東軍、拓務省、加藤完治らが一体となっての「満州農業移民」これは、「戦争する国」の国策であり、ボランティア(自発性)として強要された。「満蒙開拓団」「満蒙開拓青少年義勇軍」「報国農場」「分村移民」として、送り出された在満開拓団は約27万人。侵略の手先として送り出され、何人が生きて帰れたか。究極のボランティアとしての「大陸の花嫁」・・・1938年から大々的な募集
ここで、池田浩士さんは当時歌われた3つの歌を聞かせてくれた。
「万歳ヒトラーユーゲント」・・・これは何と北原白秋の作詩。題名そのものの歌詞。
「我らは若き義勇軍」・・・「祖国のためぞ 鍬とりて」「見よ共栄の光あり」
「大陸行進曲」・・・「輝く日の丸に 四億の民とむつまじく 君が代歌う日は今だ」
「日の丸」と「君が代」が何であるかを示す動かぬ証拠だと池田浩士さんは言われた。
「日の丸」と「君が代」は侵略戦争の旗と歌だという歴史の真実がここにもある!
内藤裁判長はこの歴史の真実を見よ!そして、憲法19条の思想・良心にてらして自らの良心に従って、判決を書け!と叫びたい。
いや、そもそも裁かれるのは私たちではなく、職務命令で「君が代」を強制するという「非行」と「教育に対する信用失墜行為」をなした府教委・高槻市教委だ!
私たちの「君が代」不起立は歴史の真実に根ざした良心の叫びだ!と言いたい。
そして、「万歳ヒトラーユーゲント」の歌を歌ったということは、
ナチスの「人道に対する犯罪」に私たちは責任があると、池田さんは言われた。
さらに、強要された自発性の「海外進出」
「特攻隊」志願もまたボランティアだった。
満州に「学生義勇軍」が送られ、かつての東大セツルメントの穂積重遠も実施計画を立てた。
「興亜青年勤労報国隊」も「勤労奉仕」の一つとして「満州」に送られた。
そして、朝鮮人強制連行も「自由徴募」から始まり、やがて強制連行へ。
満鉄の線路を守るための「愛路村」というボランティア・・・と言いながら拒否できない強制
かくて、「善意と自発性はどこまで行ったのか?」
ボランティアの呼びかけに応じて参加する→それが企画され→誘導され→やがて管理統制の下におかれ→最後に義務化された。
私たちの自発性と善意が「戦争する国」では義務化され強制されていった。
命令されて戦争を支え加担するのは拒否する。
そして、自発的に戦争を支えるのは真っ平だ!
戦争はすでに「日の丸」「君が代」から始まっている。
「日の丸」「君が代」そして、それと結びついた天皇制反対の闘いを!
グループZAZA 山田肇
Blog
『ブラックボードに義』
http://blogs.yahoo.co.jp/yamada55132
『ファシズムとボランティア ~自発性から総動員へ~』
第4回“天皇制日本の「勤労奉仕」と「総活躍社会」
―自発性の動員と強制、そして一億国民が戦争を支える・・・でした。
110名余の参加者で、今回も大盛況でした。
参加いただいた方々、ありがとうございました。
前回、第3回目の講演で池田浩士さんは、ナチスは1933年1月30日に政権をとると、ヴァイマール共和国のボランティア(自発性)労働をそのまま継承し、積極的に活用したが、「戦争する国」作りと侵略戦争の遂行の中で、ボランティア労働は「労働奉仕」として義務化され、「戦力・労働力」として活用され、その過程は同時に「生きる価値のない存在」とされた人たちの抹殺であったことを明らかにされましたが、今回は、天皇制国家の日本では、「自発性から総動員へ」は、どのように進んだかのお話でした。
1931年満州事変→1932年「満州国建国」以後「割烹着にタスキがけ」の「国防婦人会」の自主的な「国防献金」運動、そして、農林省が「自発的な相互扶助」を古来からの「勤労奉仕」だと位置付け、文部省が小学生から「勤労奉仕」を正課とし(1938年)やがて「勤労奉仕」が「国民」の義務とされ(1941年)、こうやって「大東亜戦争」は勤労奉仕に支えられて遂行されていくことになった。
それを支えた御用学者と革新官僚・・・下松桂馬、近藤春雄、菊池春雄、森戸辰男は「ドイツの労働奉仕」を研究し、それを推奨した。とりわけ森戸辰男は「翼賛運動」と結びつけて「自発性の組織化」を考えた。彼らは失業対策・経済政策をこえて、「労働奉仕」の精神的意味づけをした。それは日本では「勤労奉仕」・・・「治天下(天の下しろしめす)天皇に仕える」のが「勤」であり、天皇に奉仕する「勤労」は喜びだと言った。
関東軍、拓務省、加藤完治らが一体となっての「満州農業移民」これは、「戦争する国」の国策であり、ボランティア(自発性)として強要された。「満蒙開拓団」「満蒙開拓青少年義勇軍」「報国農場」「分村移民」として、送り出された在満開拓団は約27万人。侵略の手先として送り出され、何人が生きて帰れたか。究極のボランティアとしての「大陸の花嫁」・・・1938年から大々的な募集
ここで、池田浩士さんは当時歌われた3つの歌を聞かせてくれた。
「万歳ヒトラーユーゲント」・・・これは何と北原白秋の作詩。題名そのものの歌詞。
「我らは若き義勇軍」・・・「祖国のためぞ 鍬とりて」「見よ共栄の光あり」
「大陸行進曲」・・・「輝く日の丸に 四億の民とむつまじく 君が代歌う日は今だ」
「日の丸」と「君が代」が何であるかを示す動かぬ証拠だと池田浩士さんは言われた。
「日の丸」と「君が代」は侵略戦争の旗と歌だという歴史の真実がここにもある!
内藤裁判長はこの歴史の真実を見よ!そして、憲法19条の思想・良心にてらして自らの良心に従って、判決を書け!と叫びたい。
いや、そもそも裁かれるのは私たちではなく、職務命令で「君が代」を強制するという「非行」と「教育に対する信用失墜行為」をなした府教委・高槻市教委だ!
私たちの「君が代」不起立は歴史の真実に根ざした良心の叫びだ!と言いたい。
そして、「万歳ヒトラーユーゲント」の歌を歌ったということは、
ナチスの「人道に対する犯罪」に私たちは責任があると、池田さんは言われた。
さらに、強要された自発性の「海外進出」
「特攻隊」志願もまたボランティアだった。
満州に「学生義勇軍」が送られ、かつての東大セツルメントの穂積重遠も実施計画を立てた。
「興亜青年勤労報国隊」も「勤労奉仕」の一つとして「満州」に送られた。
そして、朝鮮人強制連行も「自由徴募」から始まり、やがて強制連行へ。
満鉄の線路を守るための「愛路村」というボランティア・・・と言いながら拒否できない強制
かくて、「善意と自発性はどこまで行ったのか?」
ボランティアの呼びかけに応じて参加する→それが企画され→誘導され→やがて管理統制の下におかれ→最後に義務化された。
私たちの自発性と善意が「戦争する国」では義務化され強制されていった。
命令されて戦争を支え加担するのは拒否する。
そして、自発的に戦争を支えるのは真っ平だ!
戦争はすでに「日の丸」「君が代」から始まっている。
「日の丸」「君が代」そして、それと結びついた天皇制反対の闘いを!
グループZAZA 山田肇
Blog
『ブラックボードに義』
http://blogs.yahoo.co.jp/yamada55132